18 勝ち誇る
一方、公爵はフレアの提案を受け、目をかっぴらき額に青筋を立てて怒鳴り返した。
「貴様にやる訳がないだろう!! 何を言っているんだ!?」
「没収した財産は全部貴方の物になる。その一つを私にプレゼントしてって言っているだけなんだけど、それの何が難しいの?」
それに、とフレアは口元に笑みを浮かべた。
「私のこと追い出すつもりだったんでしょ? わかってんのよ? あんたの口から聞いたんだから。だったら丁度いいじゃない。引っ越し先くらい選ばせてもらえる?」
「あれはイグニス領内の別荘にという意味だ! 貴様がソフィアに何をするかわからないから――」
「ふうん? でも当のソフィアはどう思うかしら? 実の娘を再婚と同時に屋敷から追い出す男なんて、私なら御免だけど」
「ッ……」
思い当たる節でもあるのか、公爵は顔を歪め、唇を噛みしめた。
お優しいソフィアならば、フレアの肩を持つ可能性は充分あると、これは一種の賭けだった。
別に好かれているとは思っていないが、フレアはまだ十歳。十歳の娘を家から追い出し再婚相手と暮らす父親なんて、常識的に考えると異常である。何らかの欠陥があるとしか思えない。
もちろん、公爵との間に娘が誕生した手前、今更再婚をやめるという選択肢はないだろうが、喧嘩の原因にはなるだろう。
「だから、私が私の意志で、出て行ってあげる。そしたらソフィアも何も言わないわよ。私の意志なんだもの」
「…………」
「条件は一つだけ。王都のカイデンの屋敷。それを私の名義にするってだけ。簡単でしょ?」
「……だめだ」
公爵は苦しそうな表情で首を横に振った。
「だめに決まっている。王都は女王の管轄だ! お前みたいなのを王都に野放しにするなんて、いつどんな面倒を起こすかわからない! イグニス家の恥を、よりにもよって王都で晒すなど――――!!」
「じゃあ屋敷に居座ってあげるしかないかあ。ソフィアとルカと一緒に暮らすなんてうんざりだけど、まあ仕方ないわね? これを機に家族になるんだもの、い~っぱい仲良くしてあげなきゃ!」
フレアはにやにやと公爵を見上げた。
それを誰よりも望んでいないのが公爵であることくらい、彼女はよくわかっている。
「毎日たくさんお喋りしなきゃね。そうねえ、実の父親に雷を落とされたり叩かれたり鞭打ちされたり牢獄に閉じ込められたりしたことも、詳しくた~っぷり教えてあげようっと」
「!! 貴様ッ――――」
「躾けって言うのかしら? それとも虐待? ふふ、ソフィアはどう思うかしら? こんな暴力的な男と結婚なんて、彼女も可愛そう」
「ッ…………」
「ねえ、ルカにはこれからもたくさんプレゼントを贈るんでしょ? 新しく生まれた子にも、当然贈るわよね。その時私にもお恵みはあるのかしら? プレゼントなんて、今まで一度もくれたことがないけれど。少しは期待してもいいの? オ、ト、ウ、サ、マ?」
公爵は血が滲みそうな程唇を噛みしめ、微動だにしなかった。
本当はまた雷を落としたいのだろうが、ソフィアに見られる可能性を考えて何もできずにいるのだろう。やがてぎりぎりと歯噛みしながら悔しそうに視線を逸らし、「好きにしろ」と小さく呟いた。
「好きにしろ? つまり何? ソフィアにばらしていいってこと?」
「王都なり何なり好きな場所へ行けということだ! 屋敷の一つくらいくれてやる。その代わりソフィアには絶対に近づくな‼」
フレアはにんまりと今日一番の笑みを浮かべた。
(勝った! このクソ野郎に、生まれて初めて勝ったわよ!!)
何て気持ちがいいのだろう。思わずガッツポーズをしたくなるくらいには、最高に気持ちがよかった。
さて、そうと決まれば後は荷造りだと、馬に跨がろうとした時だった。
「……フェルド、貴方は、変わってしまいましたね」
いつの間にか、扉が開いて、ソフィアがそこに立っていた。顔色は悪く、立っているのもやっとのように見えた。
公爵の顔から血の気が引く。
彼は「ソフィア! 部屋で休んでおくんだ。体に障るだろう!」と彼女に駆け寄り、肩に手を置こうとした。
ソフィアは、その手を拒んだ。
鋭い目で、公爵を真っ直ぐに睨み付ける。その力強い表情は、およそフレアの見たことのないものだった。
「聞こえていましたよ。あんなに怒鳴っていたら、嫌でも聞こえるものです。フレア様を、虐待していたのですね、ずっと……」
「え? ち、違うんだソフィア。俺はただ、その、躾けを――」
「躾け? よくもまあ、そんなことが言えましたね。雷を落とすのが躾けですか? 牢獄に入れるのが? 貴方は、ルカにも同じことをするのですか? 生まれたばかりの、私たちの娘にも?」
「ッ、それは……」
「貴方は、そんな人ではなかった。そんな残酷なことができる人ではなかった。子どもが好きだったじゃないですか。どんな子にも、優しく接する人だったじゃありませんか。なのに……」
ソフィアは苦しそうに表情を歪めた。
「なのに、貴方をそんな風に変えてしまったのは、きっと私なんですね」
「ソフィア……?」
「貴方がここに来てからずっと、カイデン様とライア様の減刑を求める人が訪ねてきました。貴方はそれらを全てはねのけて、二人を砂の地に幽閉するのだと言って聞きませんでした。あんなに、たくさんの人が彼らのことを慕っているのに」
砂の地と言えば、ここから遥か東の果てにあると言う離島だ。
ほとんどが砂漠で荒廃したその島には、大罪人を収監する巨大な監獄だけがあると言われている。一度入れば、もう二度と出られない。まさに生き地獄。
ある意味、極刑よりも辛い罪と言えた。
「君は殺されそうになったんだぞ!? 慈悲深いのは君の良いところだが、今回は――」
「聡明なカイデン様が、なぜ私の命を狙ったのか。ずっと、考えていました。私と貴方の婚姻は、元々釣り合わないものだった。私は公爵夫人には相応しくなかった」
「ソフィア、何を言って――……」
「私はイグニス家の末端の生まれ。それほど財はありませんし、性格もイグニス家らしくなくこれと言った才能もありませんし、イグニス家にとって何の益にもならない婚姻だと。私をよく思わない人は、以前から大勢いました。破棄になった時、喜んでいる人もいたと、聞いています」
「そんな奴らには好きに言わせておけばいい! 君ほど公爵夫人に相応しい人はいない!!」
「いいえ、そう思っているのは、貴方だけですよ」
ソフィアはうっすらと微笑みを浮かべ、公爵を見上げた。
その目はやはり力強く、何かを覚悟したような光を帯びていた。
「私の存在は、イグニス家の方々の反感を買い続けた。貴方はイグニス公爵として相応しくない行動を取り続けた。奥様がご存命の時から、私の元に通い続け、亡くなった後には、それをちっとも隠さなくなった。そして正式な婚姻を前に、子を身籠もってしまった」
「ソフィア!」
「私は貴方を拒むべきだった。もっと強くあるべきだった。なのにできなかった。貴方だけが私の味方であり続けてくれたから。両親でさえ、私を穢された娘だと嫌うのに、貴方だけは違った。そんな貴方に、私は甘え続けてしまった」
「ソフィア、俺が愛しているのは君だ。君だけなんだ。これから先何があっても――――」
「フェルド、貴方はイグニス公爵なのです。この国の四大公爵家の当主。なのに、女一人に惑わされイグニス家の品位を下げ続けた。フレア様への態度にしてもそうです。貴方は冷たい人になってしまった。変わってしまった」
「それは、違う。俺は、ただ……」
公爵は口ごもり、視線を迷わせた。
だんだん顔色が悪くなる公爵を見ていると、フレアはわくわくと気持ちが高揚して止まらない。
修羅場を前に、目をキラキラさせて事の成り行きを見守った。
「カイデン様とライア様は、イグニス家の未来を憂いていたのではありませんか。私と貴方の愚かな行為の結果、彼らを凶行に走らせてしまったのではありませんか」
「殺人未遂は大罪だ。たとえどんな理由があろうと許されることじゃない」
「どうかこれ以上、イグニス家を混乱させないでください。カイデン様は、誉れ高き騎士。相応の罰は必要ですが、彼らにはどうか、やり直す機会を。他でもない被害者である私が、それを望むのです。私にも責任があります。どうか、寛大な処置を」
ソフィアは、深々と頭を下げた。
やがて頭を上げた後、彼女はじっと公爵を見つめ、口を開いた。
「フェルド、心から貴方を愛しています。ですから……」
ソフィアの瞳から、涙が一滴、頬を伝った。
「今の貴方とは、結婚はできません」