17 腹を立てる
フレアは腹を立てていた。ルベルにではない。公爵に、である。
自分のことを犯人と決めつけ、雷を落とし牢獄に入れた挙げ句、謝罪の一つもないこと。
ソフィアの妊娠や再婚を自分にだけ隠していたこと。
二人を招き入れた後は、フレアを屋敷から追い出す予定だったこと。
その他今まで受けてきたありとあらゆる仕打ちの数々。何もかも、腹が立って仕方がない。
カノンの両親がソフィアを殺そうとしたことは、あの公爵もそれなりにショックを受けているだろうが、その悲劇を乗り越えた今、更に二人の愛が深まったのだとかふざけたことを考えているとすれば、その腐りきった頭を念入りに叩いて潰してやりたい。――と言っても、今更再婚を阻止などできないだろうが、それでも何か一矢報いてやらなければ気が済まなかった。
ルベルがフレアに向けた憎しみ。
それとは比較にならない凝縮された怒りが、公爵に向けられていた。
本邸とソフィアの実家は、そう遠く離れている訳ではない。馬ならばあっという間の距離だった。二階の灯りが点いている。
呼び鈴を鳴らすと、ドタバタと騒がしい足音の後、荒々しく扉が開けられた。
「いい加減にしろ!! こんな時間に今度は誰――……」
フレアを見た公爵は、目を丸くして一度言葉を切った。それからバツが悪そうに表情を歪める。
「なぜここに来た。帰れ」
「帰れって、まあ。酷い言い草ね。こんな夜中にわざわざ訪ねに来た私を、すげなく追い返すつもり? それでも本当に父親なの?」
「何だと?」
挑発的なフレアの物言いに、公爵は歪めた顔をますます歪めた。額にピキキ、と青筋が立っている。今にもブチ切れそうである。
「いいからさっさと――――」
「話があるのよ、公爵。中で話したいところだけど、そうね、私も手短にしたいところだからここでもいいわ」
「何――」
「こんなに譲歩してあげてるのに追い返すの? まあ酷い。叫んじゃってもいいのよ? あの女に聞こえるくらい大きな声でね!」
あの女、と聞いた途端、公爵はぴたっと固まった。気にするように屋敷の中に視線を向けた後、彼はフレアを押しのけ、外に出て慎重に扉を閉めた。
思った通りだ。
屋敷の中にも入れて貰えないのは癪だが、まあいいだろう。
フレアは咳払いし、「さて」と公爵を見上げた。
「愛人に現を抜かして家庭を顧みない最低最悪の下郎さん」
「なッ……貴様――――!!」
「あら、お静かになさって、下郎さん。それとも人に雷なんて落としておいて謝罪もなくのうのうとしてる図太い神経のクソ野郎って呼んであげた方がいい? 愛人をゆっくり休ませてあげたいなら、静かにしてなさいこのクソ野郎」
「ッ……貴様、たまたま今回は罪がなかったからと調子に乗るなよ。今度ふざけたことを抜かしたら、また雷を落としてやる」
低めた声で脅しをかける公爵に、フレアは冷めた目を向けた。
昔は……つい昨日まで、父親だとまだ思えていた時には、多少恐怖を感じたこともあった。
怒られるのも、嫌われるのも怖かった。もう永遠に愛されないと思うと、体の芯から凍えるようだった。
けれど、今はどうだろう。
諸々の出来事を経た今は、もう目の前のこの男への恐怖は、綺麗さっぱり消え失せている。
それは同時に、公爵のことを父親と、家族と思えなくなった証拠でもあった。
そうなってしまえば、もう目の前のこの男は、ただのにっくき他人である。
ほんの少し前まであんなに執着していたはずなのに、ここまですっぱり割り切れたのは、前世を思い出したおかげもあったかもしれない。八十年以上生きた記憶が、最後に彼女の背中を押した。
或いは、あの手紙をくれた青年によるところも大きいかもしれない。
公爵などよりよっぽど温かい愛情を、見返りを求めない優しさを向けてくれた。あれがフレアに勇気をくれた。
「雷ねえ……。落としてみなさいよ。その前に私があんたを燃やし尽くしてやるわ」
ぎろりと睨み付ければ、公爵はほんの僅かに体を揺らした。
驚いているのだろう。今までのフレアはまだ普通の子どもだった。
だが前世を思い出した今は、もはや普通の子どもではない。殺気を出すくらいお手の物である。
「どうでもいいけれど話を進めるわよ? 私からあんたに提案がある」
「提案、だと……?」
「カイデン・ローズ・イグニスの財産を没収するつもりでしょう? あんな大罪を犯したんだもの。それくらいやるわよね? そしたらその一部を私に頂戴」
「…………は?」
「なかなかのお金持ちでしょう、あの家族。調べてみたらたくさんお屋敷を持っていたみたいじゃない。私が欲しいのは王都の大きな屋敷。ちょっと古そうだけど、間取りはなかなかよかったわ。私にぴっったりな豪華なお屋敷。あれを頂戴」
イグニス家にはもううんざりだ。どうせ屋敷を追い出されるなら、ここではないもっと遠くで、自分が選んだ場所に行きたいと思うのは、至極当然の流れだった。
公爵からも親戚連中とも離れた場所、かつ自分に相応しい豊かな場所。
アカツキ王国は女王と四大公爵家がそれぞれ土地を分割して治めている。
女王直轄の王都、そしてイグニス領、アクア領、ヴェントゥス領、テラ領。
イグニス領は論外であり、イグニス家と犬猿の仲であるアクア領もあり得ない。ヴェントゥス領は経済的に栄えてはいるが、適当な人間が多すぎてトラブルが多いと聞くし、テラ領は自然豊かで住みやすいらしいが、仲間意識が強くてよそ者を嫌うと聞く。
となると、消去法で王都しかない。
栄えていて治安が良くて、人の移り変わりが多くよそ者でも住みやすい、この国の中心地。
だが実のところ、王都を選んだのはそれだけではなかった。
フレアに優しい贈り物をくれた、顔も名前も知らない青蓮の君。
彼は王都にいるはずなのだ。一日が経っても、あの時の感動、燃えるような激情が、フレアの中で収まる気配はない。彼と再会するためなら、何だってする。草の根をかき分けても、いや引っこ抜いてでも探し出してみせる。
発火能力の聖騎士は、得てして情熱的かつ愛が重い。




