15 【ルベル】思い描く
「嘘だ。こんなの、嘘に決まってる! 奥様がそんなことをする訳がない!」
「ルベル……」
「あり得ない! 何かの間違いだ!」
ルベルは混乱していた。
カノンは、知らせを持ってきた騎士に連れられ、両親の元へ向かった。
ルベルとルカもついていったが、屋敷には入れて貰えなかった。屋敷の周りにはすでに仰々しい騎士たちが待機していて、ピリついた空気が漂っていた。
本当にカノンの母親がルカの母親を暗殺しようとしたのか。今、屋敷の中では何が話し合われているのか。これから彼らはどうなるのか――……考えれば考える程、ルベルはパニックになっていった。
奥様が指示したとすれば、旦那様が関わっていた可能性も高い。
尊敬するカノンの両親。あの二人が罪を犯したなんて、考えたくもない。
ルベルにとって、彼らは実の親より大切な存在だった。
家族に期待されたことが、一度としてない。生まれた時から、たったの一度も。
『はあ。ルベルは何をやらせても、兄たちには遠く及ばないな。あの子たちが五つの時はもっと……いや、もう何を言っても仕方ないか』
『ごめんなさい……』
父の目が怖かった。兄たちといる時はいつも上機嫌なのに、自分を前にするといつも不機嫌そうに、ため息ばかり吐いている。
勉強も剣術も馬術も、ルベルは何を取っても兄たちに劣った。
今思えば、たった五歳で才能なしとされても、それはあまりに早計過ぎると言わざるを得ないが、幼いルベルにとって、父に見放されたという現実は、とても耐えられるものではなかった。
それにルベルは、両親や兄たちと違って、髪色も目の色も違った。
皆明るい髪色の中で、ルベルの髪は暗い灰色、目は澱んだ灰褐色である。
それが祖母譲りだと知ったのは、十二歳――今年になってのこと。
灰髪の祖母はアクア領内で暮らしていた庶民の出で、商いにイグニス領内を訪れた際、祖父に見初められて結婚したらしい。
ルベルの先祖は、イグニス家に代々仕え、その忠義心を認められてイグニスの家名を賜った。
イグニスの正統なる血を引いている訳ではないが、主君に認められてイグニス家の仲間入りを果たしたのだ。貴族として、それなりの矜持がある。どこの馬の骨ともしれない庶民との結婚は、当然家中の者が反対したらしい。
祖父の熱烈な希望があって何とか結婚した後も、祖母は随分肩身の狭い思いをしたらしい。心労が祟ったのだろう、祖母は父を産んですぐ、亡くなった。灰髪の祖母の姿絵は、一枚も残されていない。
その祖母の灰髪と灰褐色の目を受け継ぎ、性格までもイグニス家らしくなくどちらかというと陰気なルベルが、家族に疎まれ期待されないのは、仕方のないことではあった。
そんな彼に、唯一偏見の目を向けなかったのが、カノンだった。
『俺カノン! よろしくなルベル!』
『は、はい。よろしく、お願いします』
『同い年なんだよな? すげえ嬉しい! 他に同い年いないからさ~。学校ってやつに行けば同い年いっぱいいるんだろうけど、あれは庶民向けだからだめだって母上に言われてさ、俺は行ってみたいけどな。なあ、ルベルは普段どんな鍛錬してんだ?』
カノンの父親、カイデン・イグニスは、イグニス公爵の従兄弟に当たる。
分家とは言え本家に最も近く、しかも彼自身は優秀な騎士として女王から勲章を与えられたこともある、イグニスの誰もが憧れる存在だった。
そしてその息子であるカノンも、明るく闊達でいつも皆の中心にいるような、そんな子だった。ルベルにとっては、雲の上の存在だ。その相手と、ただ同い年というだけで傍にいられるのは、奇跡のようなことだった。
カノンの両親も、ルベルのことを真面目で礼儀正しいと褒め、やんちゃなカノンのお目付役にぴったりだと、屋敷に行く度に可愛がってくれた。実の両親よりも、深い愛情を感じられた。
何度か、不安は過った。
自分はカノンに飽きられたら終わりだと。カノンを慕う子はたくさんいる。自分は同い年というだけで、それ以外カノンと共通するところはない。
ビクビクしながらも、それを出さないように気をつけながら、これで最後かもしれないと思いながら、カノンと鍛錬や勉強をして過ごした。
『今日はどうしましょう? 鍛錬場にエイトさんが来ているそうですが、カノン様は――』
『なあ、そろそろそれやめねえ?』
『え?』
朝、いつものように話していたら、カノンが真剣な眼差しをこちらに向けていた。
心臓が激しく揺れ動く。
もう金魚の糞みたいについてくるなと、お前なんて要らないと言われるのだと、覚悟した。そうしたら――……
『敬語。俺のことも様付けだしさ。ルベル、ずっと畏まってんじゃん。友達なのに変だろ。それ』
友達。
そう思われていたことに、ようやく気づいた。
それから、敬語を外して話せるようになるには、だいぶかかった。
カノンはこれだけ身分が高いのに、奔放な性格のためか口調が雑で、やがてルベルにもそれが移っていった。
『俺、将来は絶対父上みたいな立派な騎士になるんだ。ルベルは?』
『俺も騎士になりたい。この国を守れるような騎士に』
『そっか! じゃあ俺と一緒だな! んじゃ一緒に騎士試験受けようぜ! 最年少記録は何歳だっけ?』
『最年少……確か、十五じゃなかったか?』
『よし! じゃあ俺たちは十四で受けようぜ! そんで最年少記録更新だ!』
一緒に騎士になる。それが自然と、二人の目標になっていった。
騎士団と言えば四大公爵家が所有する四つの騎士団に加え、女王直轄の近衛騎士団があったが、二人が目標と決めたのは勿論、イグニス家の所有する第一騎士団への入団だった。
そんなある日、ルカと出会った。ルカもその母親ソフィアも、それまでほとんど人前に姿を現さなかったから、存在さえルベルたちは知らなかった。
その日は、ルカの起爆能力が発現したことを祝すパーティーだった。
赤みがかった茶髪に、明るいオレンジ色の瞳。おどおどして、いかにも気弱そうな少年だった。早くこの場から逃げ出したい。そういう顔をしている。
何となく、昔の自分の姿に重なった。
ルベルは話しかけるのを躊躇したが、カノンはいつも通り明るく話しかけに行った。
ルカはろくに受け答えもできず、何を言われても怯えている。ルベルは腹が立って仕方がなかった。
起爆の聖騎士。誰もが憧れる存在。ルベルはカノンが継承者であればと願っていた。誰よりも聖騎士という名に相応しいと思っていた。なのに、どうしてこんな弱虫が継承してしまったのか。
カノンがルカを屋敷に招いたこともあったが、やはりルカはまともに喋らないし、カノンの母親はルカの姿を見て「穢れた子がどうしてここにいるの!?」と取り乱すし、ルカはルカでそれを受けて大号泣するしで、最悪だった。もしカノンの父親が止めに入らなければ、どうなっていたかわからない。
それ以来、カノンがルカに関わろうとすることはなかった。
『母上が怒るし、ルカも何考えてるかわかんねえし……』
あのカノンでさえ、ルカにはお手上げだった。
それがどうして、またルカと関わることになったのか。きっかけは、フレア・ローズ・イグニスだった。
『ルカってほんとムカつくわよねえ。カノン、あの子しっかり虐めといてね。私はお父様の目があってなかなかできないから』
『はい! わかりました!』
ルベルはその命令を隣で聞いて、心底呆れ果てた。
カノンは馬鹿正直に承諾したが、恐らく何も考えていないのだろう。
フレア・ローズ・イグニスと言えば、本家の一人娘であり、発火能力の聖騎士。
本来であればこれだけ身分の高い彼女は、誰からも尊敬されるはずの立場だが、我が儘で恥知らずな行動が目立つために、問題児の烙印を押されている。
正直あまり関わりたくない相手だが、カノンだけはなぜか違った。フレアに浅はかな命令をされた後も、彼女への憧れを嬉しそうに語った。
『フレア様ってすげえよな~! 発火能力が発現したのもたった三歳の頃って、それってすげえ早かったってことだよな? 火が使えるってカッコイイよな!』
カノンは聖騎士という存在そのものに憧れているが、特にフレアへの憧れが強かった。
彼女が喋ることはろくでもないのに、カノンはキラキラした目でそれを聞く。他の誰といるよりも、カノンは生き生きしているように見えた。
それが恋というものだろうと、結論づけるのに時間はかからなかった。
『お前、ただフレア様に惚れているだけだろ』
『え?』
『恋だろ、恋』
ルベルがそう告げると、カノンはぱちくりと瞬き、ぽけんと口を開け呆けていた。
『恋……え、恋って、恋?』
『そうだろ。顔も綺麗だとか言ってたじゃないか。つまり好きってことじゃないのか』
『好き……そっか。これが恋か! つまり俺の初恋だな⁉』
カノンは親戚の女の子にも他の家の子にもそれはそれはモテているのに、その自覚がからっきしない。鈍感なのは自分の気持ちに対しても同じだったらしい。
頬を赤らめたが照れる様子はなく、ほくほくと心底楽しそうにしているカノンを見ると、女性の趣味はさておき、これはこれでいいかと思えた。
ただ、フレアには婚約者がいる。よく知らないが、神官の青年らしい。
カノンの初恋が実ることはないと思えば、早めに恋心を忘れさせてやった方がいいんじゃないかとも思った。
『よし、取りあえずだ、ルカを虐めるんだっけ? フレア様に言われたんだから、ちゃんとやらなきゃな! 虐めるって例えば何するんだ?』
『お前、そんなのもわからずに引き受けたのか』
『フレア様に頼まれたら断れないだろ~。フレア様ってルカのことすげえ気に掛けてるよな』
(気に掛けているんじゃなくて、気に食わないんだろ)
ルベルは内心そう思ったが、言わなかった。
ルカの母親が公爵の愛人というのは周知の事実だ。それを今は亡き正妻の子であるフレアが、快く思う訳がない。
『そうだな、ルカのことはよくわかんねえけど、取りあえず話しかけに行くか! ちゃんと虐めないとな!』
『それ絶対周りに言うなよ』
カノンは、以前母親が発狂したのを教訓に、人目のない場所を選んでルカを呼び出した。
カノンに呼び出されたルカは、一体何をされるのかとビクビク怯えていた。そこでカノンはここぞとばかりに、彼が考え得る限り最大限の高圧的な態度を向けたが、そうすると当然ながらルカはますます怯えて何も喋らなくなり、そのうちカノンもカノンで本当にどうしたらいいかわからなくなったらしく――――
『んー、取りあえず鍛錬するか!』
『え?』
ルカと己の筋肉を虐めるという方向に転換した。
やがて虐めという本来の目的すら忘れ、森だとか川辺だとかで鍛錬するのが日課のようになっていった。
一緒に汗を流すうち、ルカは次第にカノンに心を開いていった。本当は同年代と、こういう風に体を鍛えてみたいと思っていたらしい。
話せるようになれば、後はなし崩し的に打ち解けていく。ルカは気弱で内気で人見知りだが、穏やかで優しく、思いやりに溢れた少年だった。
ルベルは、内心自分より下だと見下していたことを恥じた。
自分というものをちゃんと出せるようになれば、ルカはきっと誰からも好かれるだろうと思えた。
カノンは、いつか父親のような立派な騎士になる。
ルカもまた、いつか誰よりも聖騎士らしい聖騎士になる。
自分はそんな二人の補佐として恥ずかしくないように、人の何倍も何十倍も努力するのだと、ルベルは己に誓った。
今は何をやっても人より劣っているけれど、諦めなければ、きっとまともな人間になれるはずだ。
そして三人で、イグニス家が保有する第一騎士団に入り、この国のために立派な騎士になるのだ。
そんな未来を、思い描いていた。
――――やがて、固く閉ざされた扉が開いて、中からカノンの両親が出てきた。




