戯れの砂場
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
うーん、ここにあったパン工場もすっかり更地になっちゃったな。
もう3カ月前だったっけ? ここの出張販売所が軒並み閉店しちゃってさ。あれよあれよという間に、この建物自体を取り壊しにかかっちゃった。
このあと、何がここに立つんだろうね。ちょっとした学校のグラウンドくらいはある敷地だ。買い手がついているのならいいけれど、そうでなければだいぶ景色がさみしいままになるかな。
けれども更地なり砂場なりって、出番が多くて大変だよね。
立派な建物、粗末な建物、あらゆる建造物も壊して壊して、壊した先は更地だ。どうあがいても、最終的にはこの肌をさらすしかなく、解放されるのは地球がこっぱみじんに消え去ってしまうときだろう。
すべてのものが行きつく受け皿。どのような業種であれ、こいつがたいていの場合はかえりみられず、かといって楽なものじゃないのは、こーちゃんもだいたいわかっているでしょ?
逃げてくる方は逃げが許された存在だけど、受け皿自体に逃げは許されない。そうなれば、せめてどこかで休みが欲しくなってくるもの。
僕の昔の話なんだけど、聞いてみない?
僕も弟も、小学校の低学年くらいだったときのことだったかな。
弟が泣きながら家に帰ってきたときは、僕も親も驚いたものさ。
右足を怪我したというから靴を脱がしてみると、靴下の親指あたりが真っ赤になっている。
親指の、人によっては毛が生えてくるだろう爪先から最初の関節までの間。そこにぷつぷつと無数の赤い点が浮かんでいる。
裏から表に貫通する無数の穴だ。手当てをしながら、親は何かとがったものでも踏んづけたのかと問いただしたけれど、弟は首を横にふる。
砂場でこのケガをしたのだという。自分はひっくり返したバケツの中に砂の山をため、形を整えようとしていた。その折に、いきなり痛みが走ってこの有様なのだとか。
やっぱり、砂の中のガラスとかを踏んだんだろうと、親たちは思ったそうだ。
弟はことあるごとに裸足になりたがるし、今回も遊ぶ間に足がむき出しになった。そこへ微細なガラスの集まりなどが、指に刺さったのだろうと。
念のため病院で診てもらったうえで、治療に専念する弟は、それから砂場へ近づかなくなってしまったんだ。
一方の僕は「自分はそんなヘマはしない」とバイアスがかかっていたこともあって、弟がケガした現場の検証をしてやろうと思ったのさ。
弟が遊んでいたのは、近所では少し広めの公園。自然と砂場のスペースも大きいものになる。
学校が終わってから、道具を持ってすっとんでいった僕は、がら空きだったそこを占領して調査を始めた。
軍手をつけながら、細かく砂たちを拾っては観察。また元へ戻していく。
子供の足とはいえ、それをすっかり突き抜けるにはそれなりの長さが必要。穴の細かさからして、犯人ははんこ注射のような針が密集したようなかっこうになっているはずだ。
けれど見つからない。持っていたシャベルで少し掘ってみたけれど、ケガの元になりそうな破片やとがった石の先なども出てこなかった。
――やはり、よく裸足になる弟の、たまたま受けた傷なんだろうか。
そう考えつつ、ふと弟の話したことを思い出す。
砂の山を整えるため、バケツをひっくり返してかぶせていた……ような内容だったはずだ。
持ってきていたバケツは、子供の遊び用の小さなものだ。僕はせっせと周囲の砂をかき集め、形ばかりの山を用意。それを崩さないようにそうっとバケツをかぶせて、しばらく様子を見ることにしたんだ。
どこかでセミが鳴いている炎天下。公園への来客の姿は見えず。
ただ砂場にほど近いベンチの下で、猫が一匹へばっているのみだ。
もっと涼しいだろう、早い時間帯に移動すればよかったのに、うたた寝でもして逃げ遅れたのか。いまだ湿り気を守っているベンチの影でもってうずくまり、そっぽを向いている。
弟がどれくらいバケツを放置していて、あのような目に遭ったかは分からない。
僕は砂場のふち、ベランダの柵に腰をおろしながら、もうあと何分か観察を続けてから引き上げようかと思っていたんだ。
はじめは、カンカンという小さな音だった。
どこかで鐘を鳴らしているのかな? と突拍子もない想像をして、つい遠目にあたりを見回してしまうけれど、ほどなく走った膝近くの痛みに顔をしかめた。
右膝の外側の側面、ややくぼみになっている箇所から血が流れ出ている。何がかすめたのかと思っていると、またカンカンと音がする。
違う。出どころはもっと近くじゃないか。あの僕のバケツだ。
音が出るたび、バケツはほんのわずかに揺れている。さらによくよく見ると、バケツの表面にいくつか細かい穴が空いているじゃないか。
思わず身を乗り出しかけて、またカン。
バケツが揺れ、新たにひとつ穴が空き、今度は僕の頬を暖かいものがかすめる。
当てた指に、ぬらりとくっつく赤い血を見て、ついたじろいでしまった。
なるほど、こいつが弟を傷つけたものの正体というわけだ。
弟はこいつを指に集中的に受けたんだ。ショットガンのごとき、まとまった散弾を受けたならあり得ない話じゃない。
逃げた方がいいかと、きびすを返しかけたとき。あの砂場近くのベンチから、飛び出す影があった。
あのうずくまっていた猫だ。いったん、砂場のふちへ足をかけてから、バケツに向かってとびかかっていく。
僕を助けてくれる……とかおめでたい想像はなしだろう。
黒猫の尻尾の中ほどが、ややちぎれているように見えた。きっとあの飛び出た弾がかすめ、怒りに駆られたんだろう。
その猫がバケツの上に乗っかってしまったところで、僕はふと思う。
ケガをした弟はバケツを持って帰ってはこなかったらしい。それが一日たったこの砂場にはそれらしい影がなかった。
誰かが持ち去った可能性だってある。でももしそうでなかったら、バケツがおのずと消えるわけがあるはずで……。
予感は当たった。
猫の着地と共に音はやみ、バケツの穴を突き破るものはなくなった。
けれどもバケツは猫を乗せたまま、あたかも初めからそこに地面などなかったように、ストンと砂場の中へ落ちていってしまったんだ。
しばし目を丸くし、おそるおそる近寄った僕の前には穴などは空いていない、先ほどまでの砂場があったんだ。
バケツと、それに乗っかっていた猫をのぞいてね。
僕の膝と頬に傷をつけたと思われたのは、浅く皮膚に埋もれていた小石だった。
これでもってバケツを打ち抜くとか、相当の力がなくては無理だろう。そして僕もまた、弟と同じように公園へ近づくことはしなくなったんだ。
あれは受け皿として暇を持て余した彼らの、遊びだったんだろうか?