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第八章

どこだ。ここは。


 こんなに青い空を見たことがない。こんなに明るいのに太陽がない。こんなにも穏やかなのに息苦しい。辺り一面に色とりどりの花が咲き、たくさんの蝶が飛び、鳥の美しい鳴き声が耳に響いてくる。それなのに、肌は死んだように何も感じない。時は緩やかに進んでいるようでも、猛烈な早さで自分に向かってくるのがわかる。

 この世界は自分を排除したがっているようだった。体が重く、立っているのがやっとだ。さっきから止まらない耳鳴りのような高い音が、頭に響いて吐き気を催している。

ふと、そこに誰かがいるような気配がした。


「誰?」


 重い頭を上げたが、そこには何も見えなかった。


「私はある意識の遺産。そして、この世界の保護者にして監視者、または象徴であり同時に聖杯」


 低音と高音を重ねたような不思議な声で、なぜか安らぎを感じさせる声でもあった。イウは息苦しさを一瞬忘れて声に聞き入った。

 そして、それはあきらかにそこにいるのだが、やはり姿は見えない。だが、イウはそれが特に気にならなかった。それがさも当然のような感覚だったからだ。


「ここはどこ? これはぼくの見ている夢なの?」

「夢ではないが、限りなく夢に近い世界だ。ここは杯に付属されている個人世界。

君達の理想郷として作成された世界だ。創造主はアンヴァルク=イース」

「アンヴァルク?」


 声の言っていることは全く意味がわからなかったが、アンヴァルクは知っていた。


「アンヴァルクとは神の使者、もしくは世界機構の一部。半永久的に存在する機能。

しかし、一万年以上前にイースは消滅した。それにより、この空間は杯ごとイースから独立したのだ」

「どうしてぼくはここに来たの? エメザレは? ここに来ていないの?」


 自分でも思考がどこかずれていることがわかる。だが、この変な空気の世界ではそれを直す術がない。少しでも気を抜こうものなら、意識は世界に包み込まれて、永久に目覚めることはないだろう。余計なことを考える余裕はない。

 もはや、美しい鳥のさえずりは、頭に突き刺さる雑音にしか聞こえない。温かそうな光は瞬きすぎて、視界を奪う邪魔な存在だ。


「通常、君達は第一世界に置かれる住基盤から世界機構を通して、基本世界に存在している。

しかし、君は遺伝子の上書きの最中に機構へのアクセスが切断されたため、住基盤に重大なエラーが発生した。

この空間はエラーの発生した住基盤を、積極的に保護するよう設定されている。

今現在この世界に、君以外の生命体は存在していない」

「もう少しわかりやすく説明してくれない? 全くわけがわからないよ。つまりぼくは死んだの?」


 苛立って、強い口調でイウはきいた。

 息苦しさは徐々に増してゆき、心臓の鼓動はうるさいほどに高鳴っている。


「君達の感覚でいうとそういうことだ。

第一世界から機構への接続が切断されたと同時に、基本世界では「死ぬ」ということになる。

そして住基盤とは、つまり君達の遺伝子や、記憶、人格の情報を入れておく器のことで、君達がいうところの魂とほとんど同じ概念だ。ただ、住基盤は君達の住む基本世界ではなく、第一世界というところに置かれている。

私は君の死んだ時の状況を完全に把握していないから、言い切ることはできないが、おそらく新造生物との契約で、遺伝子の書き換えをしている最中に君が死んでしまったことで、書き換えが中断され、非常に不安定な状態で存在したためエラーが発生したと思われる」

「遺伝子? エラー? 何言ってるの? それに、ぼく新造生物と契約なんかしてないよ。ぼくはエメザレに殺されたんだよ!」


 どうもこの世界はいらいらする。声の言うことはどれも意味不明なあげく、この息苦しさと救いようのない不快感。そしてなぜか鮮明に覚えているエメザレに殺されたという事実。

 どこが理想郷なんだ!

 イウは胸の中で文句を言った。


「すまないが、私の情報は長い間更新されていない。基本世界での情報は一切ここに入ってこないのだ。よって私には推測することしかできないため、正確な答えは出せない。

世界機構について簡単に理解できることではないのはわかっている。君の現在の状況を平たく言ってしまえば、生と死の狭間にいるというわけだ」

「じゃあ、みんな死ぬとここに来んじゃないか」


 息を切らせながらイウは言った。もはや呼吸をすることすら辛く、声を出すのが難しくなってきた。


「いや、来ない。公式ではないとはいえ、世界再構築後にこの空間を開いたのは君が初めてだ。つまり、一万年以上、誰も来なかった」

「なんで、来ないんだよ!」


 特に意味はないが、怒鳴った。そんな理由などどうでもよかったのだが、なにかに当たらないと気がすまなかった。


「それは、基本世界にはもう、この空間を公式に開けることのできる遺伝子が存在しないからだ。

一万年以上前に起こった「世界再構築」でその有効な遺伝子の全てが書き換えられてしまったことが原因だ」

「そうなの! それで、ぼくはどうすればいいの? ここにずっといるのは嫌だよ。息苦しくてたまらないもの。早くここから出してくれ。ぼくは元の世界に帰れるよね?」


 心臓がおそらく限界まで鼓動している。息絶え絶えに力を振り絞って彼は叫んだ。世界の意思なのかわからないが、とにかくこの世界はイウを追いやろうと、なにか恐ろしい力で攻撃をしている。


「君には三つ選択肢がある。このまま第一世界に行くか――つまり、死ぬか、それともここでエラーを修復し基本世界に帰り、また生きるか。または、ここで永久に存在することも可能だ」

「帰るよ。帰るって言ってるじゃないか! 早くしてくれ! 気持ちが悪いんだ。これ以上ここにいると頭がおかしくなりそうだ! ぼくは基本世界に帰るよ!」


 ついに世界は収縮し始めていた。彼を押し潰そうと、天空が迫ってきたのだ。世界が潰れていく低い音が腹に響く。

 彼は目を見開いた。

 呼吸は全くできなくなり、心臓は静かになった。そして目に痛い青い空がイウを飲み込もうとしていた。


「いいだろう。お前の遺伝子を修復する」


 声がそう言ったとたん、急に意識がはっきりとしてきた。心臓はまた脈を打ち始め、澄んだ空気をしっかりと吸うことができた。


 重かった空気は瞬時に軽くなり、空は限りなく高い位置にあった。

 雑音のように聞こえた鳥の鳴き声も、今は信じられないくらいに美しく耳に届く。日の光は温かく、風は優しく顔をなで、花の甘い香りが鼻孔に届いた。

 そして目の前に現れた空中に浮かぶ顔のようなもの。その画像は不安定で、顔を形成したかと思うとすぐに、砂のように崩れて消え去り、また現れては形を作る。出現する顔はどれも鮮麗で優美なものだったが、表情は全く動かない。


「声?」

「そうだ」


 口だけが動いて答えた。


「これを飲め」


 画像は変形しはじめ、やがて豪華に装飾を施された杯の形となった。

 イウは恐る恐る宙に浮かぶその杯に手を伸ばした。それは半透明で、一見すると触れられないようだったが、以外にも硬く重かった。なかを覗き込むと、なにか液体が入っていた。


「これは何?」

「液体としては水だが、遺伝子を修復する機能が付いている。

遺伝子が修復されれば、世界機構への再接続が許可されるだろう」


 杯自体から声がした。微妙に杯の映像が乱れた。


「変なの。儀式みたいだ」

「君達はこういう演出が好きなのだろう?」


 声は変な確信を持っているようで、自慢げにそう言った。


「まあ、それっぽいけどね」


 なんとなしに嗤笑を浮かべてから、水を一気に飲み干した。

 だが、変化はない。自分の身体をあちこち見まわしたが、やはり変わっていそうなところはどこにもなかった。


「これ効果あったの?」


 少々不安になって杯にきいた。


「修復は成功した。現在世界機構との再接続を申請している。回答はすぐに帰ってくるだろう」

「すぐっていつ?」


 この世界のすぐがイウの感覚のすぐと同じとは限らない。


「たった今、申請が許可された。転送作業に移る。

基本的に、基本世界と公式個人世界の時間の移行は平行なはずだが、世界再構築時に若干それがずれたようだ。しかし、支障のない程度だろう。これより、君を基本世界へ転送する」

「いきなり? 本当に大丈夫なのか?」


 しかし、それを言い終わる前に世界の映像が突然に切れた。


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