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第二章

その日はなんの変わりもない曇りの朝だった。一年中雲に覆われ、晴れる日が珍しいくらいのこの国の気候は無気力に拍車がかかりそうだ。

重い鉛色の空は低く、雲が落ちてきそうに見える。


今日は冷える。雪が降るのかもしれない。


イウは早朝の窓の外をなんとなく眺めながら、そんなことを思った。


クウェージアの宮廷の装飾にはほとんど白い色が使われていた。

宮廷の外に広がる白い髪の都市もそうであるが、基本的に白い髪の住む建物には白色が使われる。

純潔な白、それはいうまでもなく白い髪を象徴する色だが、それが限りない皮肉と思っているのは、もはや黒い髪だけではないだろう。

贅の限りを尽くし、細微まで抜かりのない凝った形態を維持し続ける白い宮廷には、人工的な華美はあれども温かみはない。


その冷たい宮廷でイウが快適な居場所を見つけるのは、途方もなく難しいことであったが、幸運にもグセルガの隣という誰も寄り付かない場所が空いていた。それが唯一、イウの居場所らしき居場所だった。


そして今、例により横には玉座に座る重い表情のグセルガがいる。それはいつも恐れている父の顔だ。


頬がこけ、やつれたその顔はまるで死にかけた廃人のようで、濁りきった灰色の瞳の中には威圧的で恐ろしい、ひとを寄り付かせない力があった。

それと同時に孤独感や絶望感、怒りや憎しみや恐怖がグセルガを取り巻いていて、そばにいるだけでひどい重圧がかかってくる。


イウはにわかに恐くなって、下を向いた。父は愛や敬慕の対象ではなく、畏怖と敬遠の対象そのものだった。


グセルガは、多くの裏切りと愛する妻を亡くしたことで重い人間不信に陥り、実の子であるイウですら完全には信用していなかった。

それが辺りに伝わるので、なおさら他人との隔たりは強くなっていった。


グセルガから気休めの信頼を得るためには、ただ彼の言うことをきく以外にない。

イウは自分の居場所を手放したくなかったので、日々積もってゆく不満などは、ごく小さなことであっても言わないようにしていた。

それがなおさらイウの脆弱さを強めているのだが、愚鈍なグセルガが気付くよしもない。

だが、表面上のきれいな付き合い方は疲労と意趣を招くに過ぎず、とても進み出て弁を交わす気には些かもなれない。ほとんどは沈黙である。


その厳粛な静寂のなか、重々しい音をたて扉が開いた。

そして、大勢の白い髪の兵士に取り囲まれ、背に剣を突きつけられたまま、その男はやってきた。

たった一人の丸腰の男に対して、お前は敵だ、と言わんばかりの厳重過ぎる警戒のしようだった。

全てが白い宮廷の中で黒い髪の男だけが目立った。


彼にもわかっているだろう。これから起こる自分への惨劇くらい。どれほどの恐怖や痛みと戦うことになるだろう。

その男の顔には今、どんな凄まじい怯えや後悔がうつっているのだろうか。

イウはその男を見ようと身を乗り出したが、兵士に囲まれた男の顔は見ることができない。


「武器は持っていないのだな」


何度も暗殺の危機にさらされたグセルガは、どんなに厳重な警護のなかでも安心を手に入れることはない。常に他人を恐れている。


「はい。何も」

兵士の一人が答えた。


「なら、全員下がれ」


兵士の群れの中から、ひざまずき王に面を下げる黒い髪の男が姿を現した。


「国立軍事教育所ガルデンから参りました。エメザレでございます」


丁寧だが覇気のある声だった。美しいと言ってもいい。


「エメザレ(劣化)か。お前によく合う良い名だな」


グセルガは嫌味を言った。

グセルガは、それしか安心を得る方法を知らないのだろう。

悲しいことだが、グセルガの固く閉ざされ破壊しつくされた心は、それが信用を確かめるのに最も適した手段であると狂信している。


「恐れ入ります」


「顔を上げろ」


グセルガの言葉にエメザレはゆっくりと顔を上げた。


その顔にイウは驚いて息をのんだ。

彼の顔には、微々たる怯えも後悔もなかったからだ。


恐れのない真っ直ぐな姿勢。前を見据える勇気に満ち溢れた黒い瞳。

穢れを知らないかのように澄んだ空気をまとわせ、上品で理知的な、あまりにも美しすぎる顔立ちと、穏やかだが孤高のような威厳を持っていた。

それは今までに見たことのない、確固たるものとして強く洗練された印象であった。それが無性に羨ましかった。嫉ましいと言ってもいいくらいに。

暗い世界の中で、エメザレの周りだけが明るくなった。


エメザレのその様子には、グセルガも一瞬言葉を失った。


「ふん」


しかし、すぐに侮蔑するようにして鼻で笑った。


「お前をここに招いたのは、四百年にもわたる黒い髪への支配を続けるべきか否か、わたしが自分の目で見て判断したかったからだ。

お前の行動一つで黒い髪の歴史が変わる。それを自覚し慎重に行動しろ」


「はい。陛下」


「エメザレ。お前はわたしに絶対の忠誠を誓うかね」


答えを信じるはずがないのに、グセルガはきいた。


「はい。陛下。全て陛下の仰せのままに」


「よいか。今お前がここにいられるのは、わたしの善意によるものだ。

けして黒い髪には開かれることのなかった、宮廷への扉をお前にだけ開けてやったのもわたしだ。

わたしに感謝し、絶対に服従し、どんな事があろうとも、一切口答えはするな。

わたしだけではなく、白い髪の誰にも反抗してはならん。口数は少なく、余計なことはするな。そして、何があっても仕事を休んではならない。

お前は黒い髪の中で最も有能なのだから、これくらいはできるであろう。

これらが守れなければ、即刻宮廷を去ってもらう。わかったな」


「はい。陛下。承知いたしました」


イウはグセルガの勝手な決め事に、心の中で異議を唱えたが、エメザレの口調は変らない。特に驚いた様子もなく、すんなりと承知した。

あまりにもあっさりと承諾するので、イウのほうが驚いて目をしばたかせた。

これでは自ら進んで煉獄の惨苦に身を捧げると宣言したと同じこと。その結末は明らかだ。


「よかろう。ではお前の監視をする者を紹介しよう」


「ジヴェーダを呼べ」


「ジヴェーダ…!」


イウは驚いて声をあげた。その名はあまりにもこの国では有名だったからだ。

ジヴェーダはこの国で最も恐れられている拷問師である。

純潔な白い髪ではなく二代前の片方が黒い髪であったが、ひとを従わせる術を知り尽くしており、その残酷無慈悲な振る舞いは忌み嫌われると同時に、敵に向けられるには極めて都合のよいものであった。

その劣悪なる才能のために彼は宮廷に入ることを許されたのだ。


しかし、存在が邪悪の象徴であると揶揄されるジヴェーダは、王子の前に姿を見せることを硬く禁じられていた。

まるで化け物のように扱われ、影で悪口を叩くものは多いが彼を前にしては誰もが口をつぐみ、関わりを持たないよう気をつけるのが常だと聞いている。


グセルガは黒い髪の監視役にあろうことか拷問師をつけるつもりでいるのだ。

そうとわかると、黒い髪への同情がよりいっそう深まった。


「どうかしたのか、我が息子よ」


王の口は笑っていた。


「い…え、何でもありません…」


なんと酷いことを!


出かかった声を無理に押し込めた。

哀れなエメザレに目をやると視線が合った。彼は微笑んだが、イウはそれを無視してうつむいた。


「お呼びでございますか。陛下」


王の間に現れたジヴェーダは噂通りの粗暴をにおわす顔立ちだった。

白い髪には珍しいくらいの長身で、がたいもよくがっしりとしていて、軍人にしては華奢なエメザレより確実に一回りは大きかった。

無作法極まりない無造作な髪には潤いがなく、だらしのない制服の着こなしでわかるように、彼が褒められた人物でないのは確かだった。


「お前の監視と面倒は、そのジヴェーダがみる。わからないことは彼にききたまえ」


せせら笑いを浮かべながらグセルガは冷たく言った。


「はい。陛下」


「では、さっそく床を拭く仕事に取り掛かるといい。ジヴェーダ、頼んだぞ」


その言葉にジヴェーダは意味ありげにうなずいた。

二人がいなくなってから、イウは恐る恐る声を出した。

沈黙の心地よい父との関係のなかで、自ら口を開くのは本来遠慮すべきことであったが、それよりエメザレのおかれる立場と現実が知りたかった。


「あの、父上……」


「なんだね」


「ジヴェーダというと、拷問師のあのジヴェーダですか?」


「そうだ。ジヴェーダはひとを従わせる術を知り尽くしている。エメザレもまた、彼の思うがままとなるだろう。

第一エメザレは我等より劣等した黒い髪だ。尻を叩く役くらいつけねば、床一つ満足に磨けまい」


「……そうですか」


エメザレを完全に見下した態度に苛立ちを覚えたが、イウは心の口を閉じた。例えイウが意見したところで、状況は変らないだろうし、無意識にグセルガとの関係がこじれることを恐れた。

彼は一人では何もできないのだ。


「何か不満かね」


「いえ。ただ…その、父上はエメザレを……その…殺すつもりでいるのですか?」


イウがそうきくと、グセルガは突然大声で笑い出した。


「なぜ、そう思うのだね?」


怒りは含まれていなかったが、意地悪く試すようにきいた。


「いえ…。なんでもありません」


「エメザレを。殺すつもりはない。愛しい息子よ、わたしはそんなにも残酷にみえるのか。殺す理由もない。殺す必要もない」


「すみません。余計なことをでした…」


イウは慌ててうつむいた。これ以上、グセルガの顔を見たくも話したくもなかった。

ただ憎しみに似た何かが、イウの胸の中を激しく駆けまわっていた。

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