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第一章

どうしてぼくを殺すんだ。エメザレ。


声にならない声で彼は叫んだ。口を動かしても血が吹き出てくるだけで、音にならない。

唯一、涙だけが彼の気持ちをエメザレに伝えた。

すまない。ぼくはお前に嘘をついた。

彼はエメザレの服を引っ張って耳を引き寄せ、最後の力で口を動かした。それでもやはり声は出ずに、口の中の血が泡立つだけだった。

エメザレはそんな彼に哀れそうな眼差しを向け、そして彼を一度貫いたその剣を再び掲げた。


ぼくはちゃんと約束を覚えていたのに。

約束を果たそうと思っていたのに。


制裁の刃が振りかざされるその時ですら、まだ諦めきれずに

頭の中で叫び続けていた。


大好きだったのに。

おまえのようになりたかったのに。

ぼくは大きくなったのに。

おまえの力になれると思ったのに。


エメザレ。

ぼくは――――


今まで抱いていた、エメザレへの尊敬や憧れや思い出やいろいろなもの、その全てが、巨大な何かに変わろうとした瞬間、彼の心臓に剣が突き刺さった。

ぼくは――――


急激に冷たくなり、ぼんやりと霞んでゆく世界のなかで、エメザレの漆黒の髪色と血に濡れた悲しそうな微笑が目に焼きついていた。


◆◆◆



この国、クウェージアはエクアフという種族が暮らす小さな国だったが、到底暮らしやすい国とはいえなかった。

クウェージアでは白い髪のエクアフ、ユグリヴェ族が、黒い髪のエクアフ、ウェリアシア族を劣悪な方法で支配していた。

王族をはじめ、貴族はすべて白い髪のエクアフで、黒い髪のエクアフは市民の位すら貰えなかった。

クウェージア建国から約四百年、白い髪はその体制を維持し続けてきたが、限界はすぐそこまでやってきていた。

黒い髪の反乱が頻発し、彼らは白い髪の国外追放を要求したのだ。

もともと白い髪のエクアフは、北の国スミジリアンからきた移民だったのだから、もとの国へ帰れという黒い髪の主張は当然のものだった。


しかし、白い髪はスミジリアンに帰る気などさらさらなく、黒い髪を白い髪と平等に扱うか、それともさらに厳しく差別を行なって弾圧するかで、意見が二つに割れ、白い髪の中では内部分裂が起こっていた。


クウェージアの国王グセルガは熱烈に後者を支持していたが、少数の力を持つ貴族が反対したことで、王の意見はすんなり聞き入れられなかった。

崩れ行く足場が実は認識しているよりも、はるかに巨大であることにようやく気付いた魯鈍な王は、哀れにも王権を振りかざして喚き、検討中という理由で国内会議を勝手に中断した。


しかし、その対処は当然だが、なおさら国の安泰を害した。国全体に倦怠の念がたち込め、すべての都市は静寂と暗澹に支配されて、いずれ起こるだろう巨大な時代の荒波を恐れては皆、息を潜めて暮らしていた。

もはや希望からは見放され、完全なる失望に狂乱した黒い髪は残虐かつ冷淡に、今以上のものを希求した。


それでもグセルガは、黒い髪の切なる願いを拒絶し、亡き王妃セレイリスとの間に生まれた一人息子に、自分の屈折した神聖なる思想を継承させようとしていた。


その息子の名はイウといった。

純潔なユグリヴェ族の子であったから、髪も肌も雪のように白く、気持ちの悪いくらいに血管が透けて見えた。

白色に近い、淡い灰色の瞳はいつも憂いに満ちていて、明るい雰囲気はまとわせなかった。

十になるが、意思はグセルガの厳格な教育に打ち消され、満足にものも言えない臆病者で、およそ王の器にはふさわしくない脆弱な少年だった。


しかし、彼の稀有な意思をいわせれば、彼は黒い髪との平等を望んでおり、けして強圧的な支配を行いたいわけではなかった。

悲惨なことだがこの少年は、グセルガと根本的に異なる価値観を備えて生まれてきてしまったのだ。


それが本格的な悲劇へと繋がったのは、国内会議の中断から約三ヶ月後、宮廷で黒い髪が働くことを正式にグセルガが許可したことが原因だった。


本当に突然であったから、イウをはじめ大臣や宮廷中の召使は少なからず驚いた。

黒い髪嫌いのグセルガが、黒い髪を宮廷で働くことを許したというのは、喜ばしいことのようであったが、その目的が黒い髪と白い髪の平等でないことは、グセルガの身近にいる人物に限らず誰の目からみても明らかだった。

建前としては、黒い髪の能力を自身の目で直接量り今後の方針を検討するとのことだったが、宮廷で働くことを許された黒い髪はたった一人であり、その内容は雑用と掃除であった。

たかだか一人の掃除の仕様で、黒い髪という種族の何が量れるのだろうか。


イウはそのやってくる黒い髪を、ひどく愚かしく思った。常識で考えれば、ひどい扱われかたをされることくらい理解できるだろうに、それでも勝ち目のない戦いに挑もうとする黒い髪は何を思っているのか不思議でならなかった。


「…父上」


重苦しい空気をさらにひどくするような弱々しい声で、イウは夕食を前にして口を開いた。

父と呼ばれた偉大であるべき王は、その仮面のように固い表情のままで息子の方を見た。愛の欠片もない眼差しに息が詰まって、彼は口を開いたことを後悔するように、グセルガからテーブルに綺麗に並べられた夕食へと目をそらした。


出来うる限りの孤独を望むグセルガの意向で、食事時には一切、大臣も召使も部屋の中には入ってこない。

普通なら苦痛この上ないこの時も、誰にも聞かれたくない話をするのならば都合がいい。


「なんだね」


広く静かな部屋にグセルガの無機質な声が響く。


「黒い髪が……来るのですよね?」


「そうだ。時代の流れには逆らえぬ」


その答えは意外だった。めずらしく本音を口にしたのだろうか。グセルガの表情は厳しいものだった。


「どのような経歴の者なのですか……?」


「なぜそんなことを訊く。そうお前と関わることはなかろう」


グセルガは夕食の前菜を口に運びながら言った。


「それは…そうですが……」


「まぁいい。奴は軍人だ。前線で戦って何度となく功績を挙げている。黒い髪曰く英雄であると」


「軍人…ですか? 軍人に城の掃除を?」


心の中で小さな怒りを感じた。

戦場の前線で国のために命をかけて戦ってきた軍人に対して、その能力の量り方が掃除とはどうしたものか。

長けているであろう武術でも剣術でもなく、床を磨くことで黒い髪の今後を決めるなど。屈辱もいいところだ。


「孤児院育ちだからな。悪しき黒髪の象徴としては素晴らしい経歴の男だ。お似合いの役職だと祝いの言葉でも送ってやりたいものだ」


なぜそんなに憎むんだ!


彼の心は叫んでいた。けれどもこの言葉を口にしてしまったら、かろうじて繋がっている絆のようなものは断ち切れて、この先長い人生を無言と無関心に耐えて生きなくてはならなくなる。王が死ぬまで。

永遠のように長い時間を、常に畏怖しながら生きながらえるのは嫌だ。

これ以上の重圧を支えて生きるのは、このひ弱い王子には不可能な話だった。

悔しくて、彼はただただ肉きりナイフを力いっぱい握り締めていた。


「孤児だと何か悪いことでもあるのですか?」


「ふふ」


気持ち悪いことに鉄仮面のまま、口の片端だけ引きつって王は笑った。


「これ以上、お前が関わることはなかろう」


また部屋の中に静寂が戻った。美味であるはずの食事を味わうこともなく、なにが変わったわけでもないこの環境に毎度ながら嫌気が差した。

 

また何もできなかった。


弱い少年の心は悲しかった。

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