8、早朝、騒動
日の出は朝の五時頃で、私が目覚める頃には既に狼型になっている。
起床は六時の予定だったが、外の騒がしさが耳に入ってそれよりずっと前に、目が覚めた。
人型の時には聞こえなかった音が狼型になった瞬間に飛び込んでくる事はたまにあるが、大抵早番の侍女のおしゃべりだったり夜警員のトランプ対戦の音だったりする。
しかし今回はちょっとした揉め事の様だ。
一瞬王城にいるつもりで二度寝をしようとした私は、普段の自分のシーツの匂いとは違った嗅ぎ慣れない香りでパチリ、と眼を開ける。
そうだ、ここは王城ではない。
では、この騒がしさは何だろう?騒がしいとは言っても、私の耳には聞こえるものの、人間の耳には聞こえない距離。
この音を聞いて起きる者はいないだろう。
ふぁ~、と欠伸をして、伸び伸び~~!うーん、気持ち良い。
我ながら器用に前足で窓の鍵を開け、いざジャンプ!……と。
「ちょ、エーベル!エーベル!退いてぇぇ!!」
こんな時間に誰もいる筈がない、と信じて飛び降りた先に、何故かエーベルが座り込んでいた。
「……ヴァーリア様!?」
明らかに寝惚けた様子で顔を上げたエーベルを必死で踏むまいと両手両足を目一杯広げ、ムササビの様に着地する私。
予期していない格好で着地した足から、じ~~~ん!と痺れが広がる。コントかよ!
「……エーベル、大丈夫?頭打ったりしてない?」
私の身体に押し倒され、仰向けに寝転んだエーベルに恐る恐る問いかける。エーベルは、私の胸の下でスハー、スハー、と鼻息荒く空気を吸い込んでいた。
「……ああ、ヴァーリア様の胸毛の香りが……銀の煌めきが、目の前に……!!」
「大丈夫そうだね」
よし、通常運転だ。安心した。
でもうら若き乙女に向かって胸毛呼ばわりは止めようね。まぁ、胸の辺りの毛だから正解なんだけど。
「ちょっと外が騒がしいから、見てくるよ」
私がエーベルの上からひょいと退くと、町の出入口に向かう。
「お待ち下さい、ヴァーリア様!!私もご一緒……」
致しますぅぅぅ……と、エーベルの声がどんどん遠くなっていく。そりゃそうだ。ペガススなしで私に着いてこられる訳がない。えへん。
とはいえ、狭い町だ。
出入口近くの宿を取っていた事もあり、直ぐ様その現場にたどり着いた。
「……どうかしましたか?」
町の外、猛獣隔離室。私はその前で、隔離室の関係者と思われる人達が集まっているところに、ちょっと距離を置いて話し掛けた。
猛獣隔離室の人間であれば流石に私の事は知っている筈であるが、必要以上に近付き、間違えて攻撃でもされてしまえば、あちらが罰を受けてしまう。
「これは……ヴァーリア殿下、お騒がせして申し訳ございません」
一瞬こちらを見てギョッとした様だが、直ぐに隔離室の責任者らしき人が敬礼したので、周りの人達もそれに合わせて敬礼してくれた。
よしよし、もう近付いても大丈夫かな?
「大丈夫です、それより何かありました?」
「それが……その……」
私が近寄ると、固まっていた集団は私の為に左右にばらけて道を開けてくれた。
その先には、壊そうとしてぎりぎり壊されなかったと思わしき鍵がある。
中にいるのは、エーベルのペガスス。
ペガススは、夜中だか早朝だかの騒ぎに気が昂っているらしく、前肢を何度も蹴ってこちらを威嚇していた。
ペガススは昼行性だ。そりゃ、寝たいところを怪しい人達に邪魔されて、最終的にこんな多くの人間の集団に囲まれたら良い気はしないだろう。
うーん、エーベルを連れてくるべきだった。
お待ち下さあああぁぁぁいぃぃぃ……と言うのを平然とぶっちぎった事が、後になって悔やまれる。
というか、何故エーベルは割り当てられた部屋で寝ていなかったのだろう?もしかして、夢遊病でも患っているのではないかと思考を全く関係ないところに巡らせていると、今考えていた人物の声が真後ろからして驚きに尻尾がビビっと伸びた。
いつもは足音で気付くのに、舗装されてないから人物の特定が出来なかった。私もまだまだだ。
「ヴァーリア様、お待たせ致しました」
ぜー、はー、と額に汗を浮かべて全力疾走してきたらしいエーベルを見やる。
「エーベル、ペガススをここに預けるのは初めて?」
「いいえ、以前も一度お預けした事がございます」
「ふーん。そっか」
事態に気付いたエーベルは、直ぐ様ペガススの状況に気付いたらしい。
「ペガススの状態を見させて頂いてもよろしいでしょうか?」
エーベルの顔つきが一瞬にして猛獣調教師のそれに変わる。
エーベルが管理者に問えば、慌てて彼らは恐る恐るしつつも解錠してくれた。
大きな大きな鳥籠の様なその中に、エーベルは常に腰に掛けている鞭ひとつを携えて中に入る。興奮した様子のペガススに、エーベルは鞭を使う事なくスッと片手を揃えて水平に差し出す。
ペガススが、その場で伏せた。
「凄い……」
猛獣隔離室の関係者は、ほぅ、とその様子を見ながら感嘆のため息を漏らすが、私にはそれが凄いのか何なのかよくわからない。
エーベルが他にも幾つかの指示?をペガススに出し、ペガススが幾つかの行動を示して、やっとエーベルはペガススに近付いた。
そして落ち着かせる様にその首筋を優しくポンポンと叩く。
いつも変態だ変態だと思っていたエーベルが、その顔以外で格好良く見えた瞬間だった。
エーベルを見て安心したのか、先程までの態度を一変させたペガススは甘える様にエーベルに顔を擦り寄せる。
「よし、一駆けしてくるか」
エーベルはそう言って、ペガススに股がった。
ペガススはその大きな羽をバサバサッと何度か羽ばたかせる。
「ヴァーリア様、大変申し訳ありません。朝食の時間に間に合わないかもしれませんので、」
「隊長に伝えておくよ」
私がエーベルの言葉を遮ってそう返せば、エーベルは恐縮した様に頭を下げて、猛獣隔離室からゆっくりと出ると、そのまま空へと駆けて行った。
私を含め、残された者は空を見上げ、大きく羽ばたくペガススの陰が小さくなるまで眺めたのだった。
***
一日目の町を出発すると、しばらくは野宿でテントでのお泊まりになるらしい。
狼型の私は、町の外では自由にして貰えるけど、町中では不自由だ。
初日にそれを思い知った私は、そそくさと町民が本格的に目覚める前に、宿へと全速力でひた走る。
途中で新聞を配る少年と衝突しそうになり、その頭の上をジャンプでかわしてから「ごめんなさい~」と謝っておいた。
尻餅をつき、ポカンと口を開けたままの少年は私の姿に驚いたのか、ジャンプに驚いたのか、それとも人語を話した事に驚いたのか。
怪我がなくて何よりだ。
起床の六時まではまだだったが、流石に騎士の朝は早い。何人かは既に起きて、各自筋トレや素振り、ジョギングをしている姿がちらほら見えた。
「おはようございます」
「おはようございます、ヴァーリア殿下」
「おはよ~。あのさ、今朝エーベルが朝食までに戻れないかもしれないから、簡単な軽食包んでおいてくれないかな?」
「畏まりました!」
「お伝えしておきます」
「よろしく~」
町を一人で回れなかったのは残念だけど、遊びではないので気を引き締める。
猛獣調教師が一緒でないのにこんな大きい狼がうろちょろしてはいけないだろう、と自粛して町を出発するまでは軍から離れずに行動した。