6、魅惑のブラッシング
私がそのまま固まっていると、遠くから私達の所属する軍が声を張り上げこちらを呼んでいるのに気付いた。
「お待たせ致しました、ヴァーリア殿下、エーベルハイト殿」
良くこのタイミングで合流してくれましたああああっ!!
エーベルの真剣な告白に、「狼型相手に勃起宣言する変態」と捉えるべきか、「狼型でも愛してくれる一途な相手」と捉えるべきか悩みに悩んでいたところだったから、本当に助かりましたっ!!
エーベルは、声を掛けてきた軍隊長に、「今、雰囲気良いところだったんですから少しは声掛けるの遠慮して下さいよ」と軽口を叩いていた。
私の前だといつも傾倒した言葉しか聞けないから、何だか新鮮だ。
エーベルはドゥランテの弟子という垣根を超えて、とっくに猛獣調教師として誰からも認められる立場になっていた。
そろそろとエーベルの傍を離れ、ペガススのパーソナルスペースに近付き過ぎない様にしつつ、全身で「あなたに興味津々です」アピールをしながらお昼の配給を待つ。
私のお昼を持ってきたのは想像通りエーベルで、笑顔で二つの皿を両手に近付くなり、べったりと私のパーソナルスペースに侵入してきてあれこれ世話をやかれた。
「どうぞ、お召し上がり下さい」と箸で一口一口やられるのは非常に時間がかかって仕方ないのだけど、一応狼型とはいえ、この国の王女だ。
狼型相手にマナーなんか言い出す輩もいないだろうが、有り難く口を開けて咀嚼、を繰り返す。
鶏肉を骨ごとボリボリ食べたら、「何と猛々しく、精悍な……っ!!」と頬を染めてうっとり見詰められた。
私はそれをスルーしてペロペロと口元を舐める。
「ああ、私がお拭き致します」
エーベルは、綺麗なハンカチで私の口元を拭った。肌触りの良い布地が優しく汚れを落としていく。
おぉ、ありがとー。
じっとそのハンカチを見詰めるエーベル。
……エーベル、何か変な事考えてないよね?まさかと思うが今あなたの股関はもっこりしてないよね?
チラリと見たけど、プロテクター自体がもっこりしていて良くわからなかった。
「ヴァーリア様、食後のブラッシングは如何ですか?」
「ブラッシング?」
そう言えば、小さな頃は母がよく私達をブラッシングしてくれたなぁ、と懐かしい記憶が蘇る。
「じゃあ、少しお願いしても良いかな?」
「畏まりました」
エーベルは、せっせと獣毛ブラシでせっせと丁寧に毛の表面をといていく。
うーん、気持ち良い。
ちょっと瞼を閉じて、前脚に顎を乗せ、その場で寛いだ。兵士達のたわいのない会話、川のせせらぎ、風が草を揺らす音……様々な音をキャッチした私の耳がピコピコ動き、その耳もそっとブラシを通される。
「んっ……」
私の耳は、優しく触られるとくすぐったい。今は心構えをしてなかったから尚更だ。くすぐったくてつい声を漏らせば、今度ははぁ、はぁ、という荒い息を私の耳がキャッチした。
……?
何だろう、と片目を薄く開ければ、エーベルの鼻が伸び、紅潮した顔が目の前にあった。イケメンが台無しの気持ち悪さだ。いや、何も知らない人が見ればまた違う感想なのかもしれないが。
……見なかった事にして、私は再び目を閉じる。
「美しい……私の手で、美しいこの毛に更なる艶を出せる日が来るなんて……ああ、ヴァーリア様の全てが神々しい……っっ」
ツン、と妙な匂いがして私はパチリと両目を開ける。嗅いだことのない匂い。クンクン、と匂いの元を辿れば、私の視線は再びエーベルの股関へと着地した。
漏らした?いや違うな。ん?え?……まさか??
「ヴァーリア様、すみません。……興奮し過ぎて、イってしまいました……」
マジかー。
私は今度は聞かなかった事にして、耳をパタリと閉じた。
川の傍で良かったね、洗ってこい。
***
「ヴァーリア様、一人じゃ町の方々が驚かれますよ」
「む。そうか。確かに、そうだよね」
狼型の私は、大型犬より更に一回り大きい。父に比べたらまだ小さいが、私達の姿を見馴れている中央以外の町で、軍に紛れて歩くならまだしも、一人で町に入れば確実に人々を混乱に陥れるだろう。
うーむ。出入口より少し離れたところで、軍の到着を待つべきか。しかし、宿に直行でなく少しは町の様子も見てみたい。遊びじゃないのだから、軍の到着を待ったら町の様子が~なんて言えなくなる。
じゃあ、王女でーす!狼型だけどよろしくね!なんて公言しながら歩けるかと言うと、見世物になりたい訳じゃないから却下だ。
ぬぬぬ、と頭を悩ませていると、「ヴァーリア様……私と一緒に入りますか?」と聞かれたので、エーベルの方を向く。
その手があったか!
一人では無理だけど、地位ある猛獣調教師が傍にいれば問題ない。
「ペガススはどうするの?」
「町の外の、猛獣隔離室に今晩だけ泊める予定です」
よしよし、じゃあ早速町探検だ!!
──うん、甘かった。
森の近くではない町では、そもそも猛獣調教師自体が珍しい。つまり、よく知らない。よって、私 (とエーベル)が現れるなり、蜘蛛の子を散らす様に街道を歩いていた人々はキャーキャー言いながら近くの店の中へと避難していった。
……こ、こんな筈じゃ……!!
噴水の前でキョロキョロしていると、逃げ遅れたのか、逃げる場所がないのか、蝋燭売りの少女が震えながら立ち尽くしていた。
悪かった、私が悪かったよ!!
こっちも涙目になっていると、「こんな事もあろうかと」とエーベルが鞄から何かをそそくさと取り出す。豪華絢爛な首輪とリードがその手のうちにあった。
「……」
「お気に召しませんか?ヴァーリア様の為だけに作らせた特注品です」
「……」
本人の預かり知らぬところで作られた特注品って何だろう?これで首にぴったりだったらある意味怖いんだけど。
「ヴァーリア様の美しい銀にぴったりな、紫水晶を中心に作らせて頂きました」
あ、そっちね。でもちょっと待ってくれ。私は今、人間&狼としてのプライドと、町を自由に怖がらせずに歩きたいという欲望の狭間で葛藤しているんだよ。
ぐぬぬぬぬ。
悩んでいると、震えていた少女が、距離は詰めずに大きな声で話し掛けてくる。
「……この、町、ペットは、必ず、リード必要、です」
ぺぺぺペットぉ!?!?
私は頭をガン!と殴られた気分だったが、いやしかし。これには私が、いや我々王家が悪いのだろう。
この町は、一番城下町に近いにも関わらず、狼王や王家を知らない。それは、訪れる事がないからだ。王城や中央をしょっちゅう私達は自由に動き回っていたが、父の代に比べたらそれでも大きな進歩だった。
「エーベル、頼む」
「……畏まりました」
エーベルは、震える手つきで私の首に首輪を嵌める。
うん、想像通り、実にぴったりだー。でも、エーベルが震えているからなかなか装着が最後まで出来ない。
くそ、笑うなよエーベル……っっ!!と思って見上げると、エーベルは顔を真っ赤にして「私の作った首輪を……ヴァーリア様がお召しに……これは夢か、夢なのか!?」と呟いていたから、エーベルの震える理由は別にあったらしい。
きちんとリードも短く握って貰い、「これで怖くないかな?」と、私が少女に聞くと、少女はキョトンとした顔をした。
「うん。もう、大丈夫……だけど」
「じゃあ、怯えさせちゃったお詫びに、その籠の蝋燭買わせてくれないかな?」
「えっ……い、いいの?」
「うん。旅の途中だから、助かるよ」
「えと、何本ですか?」
少女が笑顔で聞くので、私も笑顔で「全部」と答えた。