5、川辺での悪戯
父の代になってから、銀狼の治める国、と他国から畏怖や尊敬、皮肉を込めて呼ばれる様になった我が国はそんなに大きな国ではない。
ただ、五つも森があるお陰か、猛獣調教師の質は他国に比べて非常に優れていた。
この世界では戦争にも参入して戦況を覆す程の猛獣達であるが、我が国は猛獣達を巧みに操る事に長けているので今のところ建国した当初の国土を守り続ける程には堅牢な防御力のある国である。
また、我が国は基本的に周りの国とは不可侵条約を結んでおり、こちらからは猛獣達をけしかける事なくそれを忠実に今まで守っているからこそ他国から信頼を得ている。
むしろ、猛獣関係でトラブルが起きた時に秀でた猛獣調教師を派遣する等、隣国同士の関係はなかなか良好であった。
で、そんなに大きくはない国ではあるが、中央から北の森まで馬を常歩で進ませて二週間程はかかる。
「じゃ!お先に失礼しま~す!!」
集団行動は足並みを揃える事が大事だ。しかし、馬の常歩に着いていくのは暇すぎて辛い。暇すぎというより、森以外の平地を駆けたくて堪らないのだ。
風をきって思いきり走りたい!!
旅路を先行して危険がないかを確認しないとね!
……と私は軍を率いる隊長に一声掛け、そそくさと一人、全速力で駆けてはじめの休憩地点へ向かう。
うほー!!気持ちィーー!!サイコー!!
見晴らしの良い平地に続くカントリーロードは、地面はちょっと凸凹しているけれども、森よりはずっと足場が良い。
少し走ると、左右の草の背丈が変わった。道を外れて、草っぱらに身体ごと突っ込む。ザザザザサ、と草を薙ぎ倒しながら進めば、驚いた虫達や小鳥が皆跳ねて行った。
たーのしーい!!
「ヴァーリア様、毒蛇もいるので危険ですよ」
……え?
私は、ついてこられる筈のないエーベルの声を聞いた気がして、立ち止まってキョロキョロと辺りを見回す。
どこを向いても、草、草、草。
んん?
私が首を傾げた時、何かが太陽の光を遮った。
「エーベル……マジかー」
「絶対ヴァーリア様は先に行かれてしまうと思いまして」
エーベルは、非常に希少価値の高い猛獣ペガススに跨がり、上空から私を見下ろしていたのである。
***
「ふ、二人っきりですね、ヴァーリア様……」
「そうだな。エーベルは入らないのか?気持ち良いぞ」
私が休憩地点の小川でザブザブと水浴びしていると、エーベルは何故かもじもじしながらじーっとこちらを見ている。
ペガススは調教済みの様で、大人しく川の水を飲んだり、周りの草をモグモグとしていた。
肉食ではないが、ペガススは縄張り意識や仲間意識が強い為、ひとたび敵と認定されるとその頭の一角を使って威嚇や攻撃を仕掛けてくる。
よって、人体に対して危険な大型動物という立ち位置で、猛獣指定を受けていた。
うーむ、私も一度乗ってみたい。空飛んで欲しい。羽とかもう一度広げてくれないだろうか。水浴びしながらチラチラと熱視線を送ってみるが、ペガススは知らん顔だ。
どうやら狼とは関わり合いになりたくないらしい。まぁ、賢い選択だ。
ペガススに熱視線を送る私に、エーベルが熱視線を送ってくる。
ええい、鬱陶しいわ!!
自分の事は棚にあげて、エーベルに聞いた。
「どうしたの?さっきから。何か言いたい事あるなら言ってよ」
「いやぁ……神々しいお姿だと、思っていただけです」
「ふーん」
水浴びに満足して、川縁に移動し、全身をブルブルと振るわせて水気を取る。
こんな暑い日に水浴びしないなんて、勿体ない。
私は悪戯心で、エーベルを驚かせようと彼を呼ぶ。
「エーベル、きてきてーこっち、小魚いるよ」
嘘は言ってない。
足元に、食糧にすらならない三センチ程の小魚がうろちょろしているのは事実だ。
良かったな、お前達。私が鳥だったら、食われてるぞ。
「はい、ヴァーリア様!今直ぐ参りますっ」
エーベルは、靴すら脱がずにばっしゃばっしゃと水を蹴散らし真っ直ぐこちらに向かって走ってきた。
……え、あの、長靴じゃないんだし、靴は脱いだらどぉ?そんなに急いで来なくても私も魚も怒らないし。むしろ魚逃げるだろ、それ。
私が唖然としている間にも、ニッコニッコと笑顔を浮かべてエーベルが傍に侍る。
その瞬間、私はエーベルに頭突きを食らわせた。
くらえっ!強制水浴びじゃー!!
バシャーン!!
「……いったああああ!!!」
悲鳴を上げたのは、私の方だった。
イタッ!私の頭、イタッ!!
「大丈夫でございますか、ヴァーリア様!?」
エーベルは、頭を抱える私の横で尻餅を着いたが、直ぐに立ち上がって私の頭をそっと覗き込んだ。
「触れるご無礼をお許し下さい……」
エーベルの手が、優しく優しく頭の毛をかき分ける。
手が震えているけど、悪いのは私だから罰なんて与えないよ?大丈夫だよ?
「……たんこぶ、出来た気がするぅ……」
「本当に、申し訳ございません……血は出ていないようですが……」
「ちょっと聞いて良い?……そこ、何付けてるの??」
私は、エーベルの股間を見て言った。
いや、こっちがこんな痛い思いするなんて思っていなかった。
腰を狙って押し倒したつもりが、エーベルの足が想像以上に長くて、私の頭は股間に直撃したのだ。
普通悶絶するのはエーベルの筈である。
「股間用プロテクターです。調教時にしか普通は着けないのですが……」
「が?」
へー、そんなのあるんだ。確かに、調教時に猛獣から股間狙われたらアウトだろう。悶絶している間に食われるか逃げられてしまう。
「今日は、たまたま着けておりました」
「まぁ、ペガススに乗るならねぇ」
私は、こちらがこんなに賑やかにギャーギャーしているにも関わらず、我関せずで変わらずモグモグしているペガススを見る。
うーん、動じないな。
良いな、あのこ。良いなー!!
「いえ、そうでなく……」
「?」
「恥ずかしながら、ヴァーリア様が傍にいらっしゃるだけで私の息子が勝手に暴れる様になっ……」
「ちょっと黙れ、エーベル」
「はいっ」
エーベルは分かりやすく、口を両手で塞いだ。でかくなったのは図体だけか?
「……エーベルは、狼に……その、欲情するの?」
「え、まさか。しません」
だよねー!!良かった、しないよねー!!
「私がするのは、狼ではなく神の化身でいらっしゃるヴァーリア様だけです」
ヒイイイイ!!私の安堵一秒とか何!?狼型で貞操の危機とかあり得ないでしょ!?
「……じょ、冗談、だよね?」
「私は誓ってヴァーリア様に嘘は申しません。今日は、長い間その美しい姿や愛らしい仕草を拝見する事が出来……胸の高鳴りを止める事が出来ません」
「へ、へー……」
何となく、じりじりとエーベルから距離を取るために後ろに下がってしまう。戸惑いが大きすぎて、尻尾が勝手に脚の間にヒュン、と入った。
「私の気持ちは本物です。今、私のこの高ぶりを、プロテクターを外してご覧頂く事もやぶさかではございません」
いややややや結構ですっ!!やぶさかってくれ!!ためらって下さいっ!!
「わ、わかった、信じる、信じるから……!!」
自分が下がった分以上にエーベルの長い脚で距離を詰められ、焦りで私の耳が勝手にピコピコと忙しなく動いた。
「……お慕いしております、ヴァーリア様。私はヴァーリア様の下僕ですが、また一方で狂おしい程にあなたを求めているのです……」
エーベルの長い指が私の前脚に伸びて、右手をスイと掬われる。
エーベルは、陸地の泥が付いたその脚に、恭しくも、躊躇なく口付けた。
恋い慕う王女の手の甲への接吻のつもりらしいが。
──傍から見たらお手!