2、少年の引き渡し
「この子の師匠が、試験として一人で王城裏の森で猛獣を手懐けてこいとこの子に言ったらしいんだけど、どう思う?」
私は目の前の厳つい男性に聞いた。
彼は、この国で一番の猛獣調教師と言われている男で、王城に勤めている人間だ。名前はドゥランテという。
一際大きい体躯をしており、その姿はまるで熊の様。無口ではあるが、猛獣を調教する事に非常に長けていた。
猛獣遣いと猛獣調教師は、この国では同じ様でいて少し違う。
街や村に現れる害獣と見なされた猛獣を、鞭や槍で痛めつける事によって住処へ帰したり、恐怖を植え付け従わせるのが猛獣遣いだ。
これはそこまで難易度の高い知識を必要とはされない有資格の職業ではあるが、場合によっては猛獣遣いが命を落とす事もある。
それに対し、猛獣調教師はその名の通り、猛獣をただ恐怖による支配ではなく、その特性や心に寄り添い人間や家畜を襲わない様に調教していく。
調教された猛獣は、村や町を他の猛獣から守ったり、兵士に紛れて戦争で活躍したり、空を飛ぶものは様々なものを運んだり、力の強いものは農業や林業を手伝ったり、ともかく国にとってなくてはならない大事なパートナーへと変化するのだ。
猛獣調教師は、猛獣についての知識が豊富で、また寝食を猛獣と共にする事も多い。
そんな一流の猛獣調教師を前にして、少年は恐縮した様にカチコチに固まっていた。
「……死ねと言われた様なものだ」
「だよね。やっぱり変だよね?ちょっとこの子の師匠色々裏がありそうで、今すぐこの子を帰してもまた裏の森に連れて行かれる気しかしないから、調べて貰ってる間だけこの子の事預かってくれないかな?」
私がそう頼むと、ドゥランテはのそりと動いて視線をエーベルハルトに向ける。
「……この猛獣の名前はわかるか」
そして厳重な柵の中にいる猛獣の首を撫でながら、ぼそり、とエーベルに聞いた。
「見るのは初めてですが、ガルグイユ……でしょうか?」
「特性は」
「口から火を噴きます。苦手なものは水で、騒音を好みません」
私は二人の会話をほぅほぅと頷きながら聞いていた。ガルグイユは、長い首が特徴で、背中から四つの羽を生やしながらも飛べない猛獣である。
水が苦手な為橋の建設には向かないが、それ以外の土木関係の仕事でよく活躍する猛獣だ。
「では、あの猛獣の名は」
ドゥランテは、今度は対面する檻を指さした。猛獣が丸くなって寝ている。
「あちらは……非常に珍しいですね。アスピドケロ……ですか?もし、お腹の色が違うならアスピドケンかもしれませんが」
大きな亀の様な形をしたそれは、温厚でゆっくりとした歩みをするが、肉食だ。
非常に力が強いため、せっかく建設した家などの建造物を普通に壊してそこで流された血の匂いに反応して捕食する。なお、死肉の匂いにも敏感で、それらも食糧としている。
調教師は、人工物の破壊行為をやめさせると共に、重量のある荷を運ぶ為にこの猛獣を調教する。
「猛獣に対してどう思う」
「好きです」
「……好き?」
ドゥランテは、聞き直した。猛獣が好き??どういう意味だろうと思いながらも私は聞き役に徹する。
「好きです。恰好良いです。特に……」
そう言いながら、エーベルはこちらをチラリと見た。
特になんだ?まさかこの私を猛獣扱いするつもりじゃないだろうな?
私が牙を剥くと、エーベルは震え上がった。……頬が紅潮していて息が乱れている。脅しすぎたか。
「見て下さい、この完璧な!ヴァーリア様の完璧な美しさを……!!今見せて下さった牙の鋭さといい、このスラリと座られたスタイルといい、銀色の艶めきといい、ふさふさの尻尾といい、この方こそ、まさに王!!」
「いや違うけど」
「シュッとした切れ長な吊り目、私はこのおみ足に踏まれたいです……!!そして一生下僕として」
「ちょっと黙って、エーベル」
私がぴしゃりと言えば、エーベルはわかりやすく両手で口を塞いだ。
この子が余計な事を言ったせいでドゥランテがドン引きしたんじゃないかと思って顔色をうかがう。
「まぁ、気持ちはわかる」
わかるんかーい。
「ヴァーリア様は勿論、我が国の殿下達は我々調教師が何も考えずにかしずきたくなるような神々しさをお持ちだからな」
話があらぬ方向へ向かった。私は会話の強制終了に入る。
「……じゃあ、頼んでも良いかな?」
「畏まりました、ヴァーリア様。……ところで、エーベルハルト。その鞭は何処で手に入れた?」
私達全員の視線が、エーベルの手元に集中する。
非常に使用感のあるその鞭は、見た時から何となく嫌な感じがするものだ。尻を叩かれたから、怒り倍増なのかもしれない。
「これは……猛獣調教師だった父の形見でございます」
「なるほど。よく取り上げられずに済んだな。それは手入れをすれば、間違いなく化けるぞ。……差し支えなければ、父上のお名前は?」
エーベルが答えれば、ドゥランテは前髪の奥で軽く目を見張った気配がした。
「そうか……猛獣調教師としては、かなりの実力者だとは聞いていたが……」
「父は酒に目がなくて、借金も凄かったので……父が死んだ後に遺されたのは、これだけでした」
「ふむ。……エーベルハルトの師匠や借金取りにはわからなかったかもしれないが、その鞭がいずれ……お前を立派な猛獣調教師にしてくれるかもしれない。いずれにせよ、まともな師の下で励む事だ」
「はいっ」
その後、結局エーベルの師事していた猛獣遣いは無資格である事が判明し、数年の禁固刑が確定した。
一時的に面倒を見ていたドゥランテは、自分の下で猛獣調教師としての能力を開花させるエーベルを弟子として引き取る事になった。
元々私達兄妹は猛獣調教師であるドゥランテとの親交が深い。王城の裏の森で猛獣に会う機会が多いため、互いに情報のやり取りをしているからだ。
だから私達も、初めて会う猛獣であっても落ち着いて対処出来るし、逆に私達がドゥランテと情報交換をし出してからは、効率的かつ合理的に調教が進むようになり、絶対的に数が足りなかった国内における調教された猛獣の数もだいぶ増えた。
ドゥランテと会うと、必然的にその弟子であるエーベルと会う回数も多くなる。
いつもドゥランテに忠実かつ従順なエーベルであるのに、私が行くと落ち着きがなくなり集中出来なくなるらしい。
最終的には師匠としては弟子に甘いドゥランテが、「たまには息抜きしていいぞ」と苦笑いしながら、私がいる時だけエーベルの訓練を中止する程だ。
エーベルを拾ってきてしまった張本人として、私は当初極力エーベルを取り巻く環境は如何なものかと、邪魔にならない様に訓練の時間を避けつつ、様子を見に行っていた。
……エーベルが鞭を振るうのを見るまでは。
温厚で真面目で優しいエーベルは、鞭を持つと別人の様に鋭さと冷たさを持つ人間に変化した。
一度調教中に視線が合ってしまい、全身が総毛立った事がある。
エーベルは直ぐに気付いて鞭を手から離し、「ヴァーリア様!」と息急ききって駆け付けてくれたが、どうにも鞭を持ったエーベルは苦手意識が拭えなかった。
……お尻を叩かれたせいか?
その時の私は、そんな風に考えて自分を納得させていた。
ドラゴンなんかは別として、猛獣の中でも頂点に立つ自分は常に捕食者側であり、被食者側に立った事はなかったからである。
そして、それに気付いた時には時既に遅しだった。