28、危険と隣合わせ
翌朝。
私はすっきりとした気分で食堂に向かう。
やー、風邪だと思っていたから、体調が元に戻っただけで足取りが軽い。
発情と風邪、似てるから気をつけなきゃなーなんて考えていると、「おはようございます、ヴァーリア様」とエーベルに後ろから声を掛けられた。
「おはよーエーベル……ぅ?だ、大丈夫!?」
エーベルは、身なりはしっかりしているものの、目の下に大きな隈が出来た状態でフラフラとこちらに向かって来る。
「どうしたの?何かあった?」
「な、何かって……」
エーベルは愕然とした表情でこちらを見る。
え?何??
訳がわからなくて、首を傾げる。
「ヴァーリア様は……あの後、しっかりお休みに……なられましたか?」
「うん!ぐっすり眠れて気分爽快!いやー、本当に助かったよ、ありがとうねエーベル」
体調戻ったら顔面がめっちゃ臭かったから、洗顔は入念にして更にお目めぱっちりさ。
「そ、そうですか……それは本当に良かったです」
エーベルは歯切れ悪く返事をする。
「エーベルは眠れなかったみたいだね。今日の調教気を付けてね」
「はい、ありがとうございます」
調教師の資格を取れる程の能力がある者ならば亡くなる事は稀だが、猛獣の調教は常に危険と隣合わせだ。
命掛けだといっても、エーベルは猛獣調教師としての能力が非常に高く、そこまで本気で心配する事はなかった。
毎日学校や仕事に行く人に、「気を付けて」と挨拶を兼ねて声を掛けた程度の軽い言葉。
だから、まさかエーベルの身に何か起きるなんて、想像もしていなかった。
***
急激な猛獣の繁殖の理由がわかったところで、私の仕事は一気に森への調査よりも勉強の比重が大きくなった。
元々、天気が良くない時には私の部屋まで講師の人が来てくれて色々教えてくれていたのだけど、狼相手に真面目に講義をしてくれる人は稀で、私も頭を使う事が苦手だったから、特に興味のない分野はサボったりちょっと居眠りしたりしていた。
で、今日は世界史の授業だったのだけど、この講師は大変真面目なタイプの先生だったからこちらも珍しく真面目に講義を受けなければならなかった。
とはいえ、彼女の教えてくれる授業は大変面白いものだったから、嫌々という訳ではない。
「……ですので、それが今の帝国のある言葉の由来になったと言われているのですが……何だと思いますか?ヴァーリア殿下」
「えーっと……何だろ……?先生、ヒント下さい」
「ヒントですか?では、最近の」
先生の講義中に、部屋の扉がドンドンドン!!と叩かれた。
先生の肩がビクッとしたので、先に伝えておけば良かったと反省する。
廊下をバタバタ走る音は聞こえていたし、何やら外の様子が騒がしくなったなー、と思っていたから。
「ヴァーリア殿下っ!!大変ですっ」
隊員の声。その声は焦燥感に駆られていた。
「入っていいよ、どーしたの?」
私はのんびり返す。
「失礼致しますっ!!」
その人は、ガチャリとドアを開けると、敬礼したまま言った。
「エーベルハルト殿がっ……、猛獣の調教中に、大怪我をなさったと、報告を受けましたっっ!!」
「……え?」
その連絡が耳から入り脳まで到達した途端、私の毛がボワッと全身逆立った。
気付けば、窓から飛び出していた。
町の人達と接触しない様に気を付けながら、町の外にある、猛獣隔離室に全速力で向かう。
施設が目視出来る距離になった頃、エーベルの血の匂いが微かに鼻をついた。
私はエーベルの血の匂いを辿って、隔離室ではない建物の方へと急いだ。
たどり着いた先は医務室で、エーベルは右足を包帯でぐるぐる巻きにされたまま、気を失いベッドに寝かされていた。
***
命に別状はないみたいで、少しだけ安心する。
「ヴァーリア殿下っ!!」
「ヴァーリア殿下、お呼び出しして申し訳ありません」
私が息を整えていると、隊長と副隊長が駆け寄ってくる。
「……これは、どういう状況?報告を」
「はっ……!」
目の前に横たわるエーベルを見て、胸が締め付けられる。私はいつの間にか、エーベルをしっかりと番として認識していたらしい。
泣き出しそう。けど、泣いて取り乱しても何の解決にもならない。
「エーベルが調教中の猛獣がいくつかいるのですが、中でも温厚な部類の猛獣の子供が、女性に攻撃しようとしたところを助けたと聞いています」
「……女性?シューヴスリは、隔離室から脱走したの?」
「いいえ。エーベルが調教中に、その女性は隔離室に勝手に入ってしまわれた様です」
「……鍵の管理が疎かになっていたって事?」
エーベルらしくない。
「いいえ。……あの、その女性はこの町で一番裕福な商人の娘さんらしいのですが、昨晩、管理室から鍵を盗んで合鍵を作らせたらしく……」
……はい?意味がわからない。
「シューヴスリを盗もうとしたって事?」
「いいえ……その、理解致しかねるとは思いますが……エーベルと話したかったようです」
なんじゃそりゃ!!
私は怒りで牙を剥いた。
「その女性は無事なの?」
「はい、怪我一つしておりませんが……先程から、エーベルに会わせろとうるさ……おっしゃっています」
「ふーん」
調教中の猛獣の隔離室に勝手に入室するなんて、正気とは思えない。エーベルが庇わなければ、そして間に合わなければ、猛獣の子供とはいえ下手をすれば死んでいただろう。
エーベルと話すなら、普通に街中で声を掛けようよ!!なんでよりによって、隔離室なんだよ!!
「いいよ、その人呼んで」
「……本当によろしいのでしょうか?」
「うん」
自分が仕出かした事で、エーベルがどれだけ酷い目にあったのかその目に焼き付けて反省して貰わなきゃ!
……と思ったんだけど。
「ああ!!エーベルハルト様……!!私を庇い、私の為に、こんなお姿に……!!私が誠心誠意、お傍で不自由ないようお世話させて頂きますわ……!!」
ふらふらとよろけながら入って来た女の人は、エーベルにすがり付いてポロポロ泣きながら言った。
これは、反省というより……むしろ猛獣に襲われた被害者意識の方が強そうだ。
非常に独特な思考回路をしていそうな女性で正直会話が成り立つとは思えなかった。
どうしてくれよう、この女……!!
***
ぐるる、と私が唸ると、その女性は振り返り、私を目にして「きゃあああっ!」と叫んだ。
……や、私見て悲鳴上げる位なら、猛獣隔離室に入る前に色々気付く事あるんじゃない!?
綺麗な人なんだけど、つける香水の量が多過ぎて私の鼻はひん曲がりそうだ。
「第一王女殿下に対して失礼極まりないな」
隊長がそう言うと、女性は「まぁ!」と一度口を押さえ、私に向かってガバッと平伏した。
そのあまりの変わりように、私も隊長も隊員もポカーンだ。
「し、失礼致しました、ヴァーリア殿下……」
綺麗に揃えられた指は震え、唇もわなわなと震え、肩もフルフルと震えている。
……私、魔王みたいな扱い受けてない?
いやいや、短気は損気だ。ともかく話を聞かなければ。
「……なんで、隔離室に入ったの?」
「わ、私はただ、エーベルハルト様と二人きりでお話をする機会を設けるように、と命令しただけですわ……」
そこで隊員がこそっと隊長に耳打ちした。
勿論、私にも聞こえている。
「……どうやら、エーベルハルト殿に一目惚れした彼女があの手この手で話し掛ける機会を作ろうとしたところ、全く隙なく相手にされず、命じられた者が焦ってこんな暴挙に及んだようです。この町では有名なお嬢様らしくて……」
私はため息をつく。
「わかった。じゃあ、エーベルの目が覚めたら呼ぶよ。それでいい?」
私以外の全員が「え?」という顔をした。
ん?何かおかしい?




