21、脳裏に浮かんだ人
そこまで思い出した私は、訪れた頭痛に「くぅっ……」と呻いた。
エーベルの助言を思い出す。
『いくら銀狼といえども歯が立たない硬い甲羅を持つ猛獣もおりますし、強力な毒系や痺れ系の能力を持つ猛獣もおります。そして猛獣を使わなくとも、ヴァーリア様を眠らせてしまう様な強力な薬も我々は手に入ります……』
そうだ。間違いなく、私は自分の力を過信していた。
猛獣は一対一で戦うか、もしくは同種同士で戦う事が多い。だから、必ずどこかには弱点があるから、銀狼である私達は頭を使って強い敵でも倒していた。
まさか、そうした猛獣の素材を使用して作られた捕捉具で人間に捕まるなんて、考えてもいなかったのだ。
エーベルが先に、気を付けろと言ってくれていたのに。
今の状態は身から出た錆だが、反省するのは後だ。
とにかく、何とか現状を突破して、心配している筈の皆のところに戻らなくては……。
「私の、護衛達は?」
怪我をしていなくても、私と同じく捕まってしまったのだろうか?そう思って問えば、「ああ、今頃森の中を探し回っているんじゃないですか?」猛獣遣いはニヤニヤしながら教えてくれた。
「あの後に王女さんが急に暴れて逃げ出した事になってるからな。それには、俺達じゃなく王女さんの護衛がそう証言するのが一番信憑性があるだろう?俺達がそう言って疑われるのもなんだしな」
それを聞いて私は胸を撫で下ろす。
良かった、彼らが用意周到でいてくれたから、逆に流血沙汰にはならずに済んだ。
護衛達には、猛獣に発情を引き起こす花が私にどんな効果をもたらすかわからないから、私にもしもの事があれば、護衛の任務よりもまず先に隊長とエーベルに報告しに行くことを優先してくれとお願いしておいた甲斐があったというものだ。
「今頃森の中を」という事は、ここは森の中ではないのだろう。
グデーラ伯爵の家には沢山の猛獣隔離室が設置されていたが、もしかするとこの部屋もその中の一部なのかもしれない。
……恐らく、公に出来ない猛獣の売買をする為の檻だ。
その時、扉を開けた音が再びして、知らない男がバタバタと伯爵の耳に囁いた。
「猛獣調教師の姿が朝から見えないらしいです」
私に聞こえない様に小さな声で言ったつもりなのだろうが、私の耳にはしっかりと入っている。
男の言葉を聞いて、グデーラ伯爵は髭を触りながら眉を潜めた。
「誰か付ける様に言っただろう」
「それが、ペガススに乗って空へ行ってしまった様で」
「ちっ……!だからさっさとペガススを奪えと言ったんだ!」
グデーラ伯爵の放った言葉に、頭がくらくらする。
伯爵は苛々しながら檻とは反対の方へ足を向けた。
「今すぐの移動はやはり危険だな。また明日の朝、様子を見るとしよう」
「す、すみません……」
そこで、私の存在を思い出したかの様にふと振り返る。
グデーラ伯爵は私に恭しくお辞儀をすると「私の大切な王女殿下、お腹が空いたり、何か欲しいものがございましたらその男に遠慮なくお申し付け下さい。出来る限りお応え致しますので」と笑いながら言い、檻の前に一人見張りを置いて取り巻き達と共に去って行った。
私は愕然とする。
どうやら今は、本当に夜らしい。……なのに気絶した筈の私は人型になっていない。
これはどういう事だろう!?
まさか、あの変異種の花が原因なのだろうか?
自分の身体が、勝手に震え出すのを感じた。
もし……もし、二度と人間になれなかったら、私はどうなるのだろう……両親も兄妹も変わらず接してくれるだろうが、私は…これからの私は、人間ではなく猛獣としてしか生きられないのだろうか?
猛獣のまま、で人間になれない事と、猛獣と人間になれる事はこんなにも違うのか、と改めて気付かされた。
人間として国民の為に尽くす事と、猛獣として国民に尽くす事は明らかに違う。
人間としての尊厳を、人間になれない銀狼に皆は与えてくれるのだろうか?
狼のままの私を、こんな私を……誰か愛してくれるのだろうか?
「……」
私の脳裏に浮かんだのは、たった一人だった。
***
しばらくショックを受けていた私だったが、エーベルの顔を思い出した後は少し落ち着けた。
大丈夫、ではないけれども、先程の伯爵の言葉──人型になれればまた使い道が変わった──という言葉を考えると、自分が気絶している間に人間にならないのは逆にラッキーだったのかもしれない。
人間になれないと相手が思い込んでくれれば、また脱出する時に向いてくる運もある事だろう。
それにしても、夜の森は大変危険だ。
エーベルもおらず、猛獣遣い達の中には裏切り者。
軍隊の皆が無事でいてくれれば良いがと願わずにはいられない。
それも、そんな夜中に探している人が自分なのだから、もう本当に申し訳ない。
私がそんな事を考えていると、扉が開いた音がし、暇で寝そうになった見張りがしゃんと背筋を伸ばした。
私は、聞き慣れたその靴音に涙が溢れそうになる。
「伯爵様が食事をお届けする様にと」
「えっ!……何だよ、俺の分じゃねーのかよ」
「直ぐに……お持ち致します」
「お、気が利くじゃん!新人か?」
見張りが食事を運んだ人物の顔を覗き込もうとしたので、私は両手足を思い切り引っ張り、ガチャンガチャン!!とわざと激しい音を立てた。
「……毛布も下さい」
グルルルル、と口輪の中で最大限鼻っ柱の筋肉を中央に寄せて威嚇する。口まわりが口輪に圧迫されて痛い。
私に背中を向けていた見張りの男は、私の動きにビクッと飛び上がる。
「うわっ!……あー、丁度トイレも行きたいし、毛布は俺が取ってくるから、お前エサやっといてくれよ。檻の鍵は俺も持ってないから、隙間から手で口輪外すんだと」
私は心の中でガッツポーズをした。幸運の女神様が私に微笑んだ気すらする。
「はい」
見張りの男はその返事を聞いてよろしく、と言いながらさっさと檻から離れて行った。
エーベルは「ごめんなさい」と謝った私の背中を撫でて、「ヴァーリア様……ご無事で何よりです」と私を責める事なく腕を伸ばして口輪を外してくれた。
なんかもう、本当に泣きたくなってくる。
「今すぐ助け出したいのですが……警備はまだしも、設備が想定以上に頑丈で、直ぐには無理そうです。必ず助け出しますので、もうしばらくだけご辛抱下さい」
「うん、本当に迷惑と心配掛けてごめんなさい。あと、ありがとう」
猛獣を閉じ込めておく為の設備が簡単な訳がない。
檻と檻の間は結構広いから、人間の姿なら何とか脱出出来そうだけど……と、そこまで考えて私は思い出した。
「あ!エーベル、私……夜なのに、人間になってなかったみたいで。も、もしかしたら……もう……人間に、なれないかも……」
私は崖から飛び降りる位の覚悟でそうエーベルに伝えたが、エーベルは想定内だとでも言うように頷いた。
「大丈夫ですよ、ヴァーリア様」
「え?」
「今のヴァーリア様は、恐らくあの花の効果で猛獣としての本能を無理に維持させられた状態にあるのです。このお食事に、その花の効果を相殺させる薬が入っていますのでお召し上がりになれば……」
その時、見張りの男が扉を開けた音が聞こえてきた。思っていたよりも早い。私は焦って言う。
「エーベル、もう戻ってきた!」
「すみません、ヴァーリア様」
「いいから、早く行って!」
エーベルは一度、私の身体を再び撫でてから呟く。
「……ヴァーリア様がもし万が一今のままでも……愛しています。貴女はどんな姿でも、私の唯一の女神です」
「……」
私が何も言えないでいるのに、エーベルはそのまま優しく微笑んで。
「お、サンキュサンキュ。なぁ、悪いんだけどこれも投げ入れてくんない?手とか間違えて入れたら、噛み千切られそうでさぁ」
「はい」
見張りの手前、エーベルは恐る恐るといった体でぽいと毛布を私の身体の上に投げ落とし、「では失礼致します」と言って去って行った。




