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ワイルドサイドを歩け

作者: 山羊アンテナ木村

高校の時の担任が亡くなった。

卒業してから10年。随分と良くしてくれた先生だったので、その時の仲間3人ほどに声をかけて通夜に行くことする。

そいつらと会うもの6、7年振りぐらいだろうか。

雨が強く、駅から10分ほど歩く葬儀場に行くにもスーツが濡れる。参列者は当時の生徒や現役の生徒でかなりの人数だ。男子校なのでほぼ男。雨のにおいと思春期特有の匂い、そして僕らから匂い立つもので息が詰まる。人数が多いので焼香だけして引き上げる。


4人で駅まで向かう。雨が傘を強く叩く。

誰が言うわけでもなく、街中華に入ることにする。

油で滑る床、煤けた換気扇、2/3しかついていない蛍光灯。

客は僕ら以外に2人。

餃子と回鍋肉、酢豚。そして瓶ビールを2本。皆、黒のネクタイを外す。

「高校の時ならさ、だいたいラーメンセット大盛りだったよな。それか炒飯セット大盛り」

「一品料理なんて頼まなかった」

「今は一品料理と瓶ビールかよ。随分変わったな」

「大盛りって最近頼む?」

「俺は頼むよ」

「会社の上司でさ、40超えてからも大盛りなんだよ。身体緩んで腹が出て。ああはなりたくないよな」


瓶ビールが来る。街中華でしか見ない小振りのコップにお互い注ぐ。

「先生、62だろ。若いよな」

「大盛りなんか頼まない感じの体形だったけど」

「大盛りだけが寿命を縮める訳でもないだろ」

一人が煙草を吸いに外に出る。

「あいつ、煙草吸うのかよ」

「よくこんな雨の中、傘までさして吸うよな」

「いつから吸ってるんだよ」

「知らねえよ」

油で画面がくすんだテレビにサスペンスもののドラマが映っている。

誰も見ていない。


「先生は修学旅行の帰りがハイライトだったかもな」

「あのフェリーで九州から東京に帰る時か」

「そうそう、お前が風呂でやらかしたやつ」

「何だっけ?」

「フェリーの風呂。フェリー、スリッパとか用意されてなかったよな。だから風呂から上がる時、革靴履かなきゃいけなくてさ。覚えてる?風呂上がりに裸足で革靴なんて。そしたらお前がそこにあった他人のスリッパ履いてきて。それがヤクザさんのスリッパで。ヤクザ怒鳴りこんできたんだよな。先生、そのヤクザさんの部屋まで行って土下座して謝ってくれたんだよ」

「このスリッパ、9万円だって言われたやつだよな」

「ぼろぼろの汚ねぇスリッパが9万円」

泡の消えたビールをすする。

「それって、上田がやらかしたやつだろ、俺じゃねぇよ」


回鍋肉と酢豚が来る。一人が取り箸と取り皿を無視して直接食べる。

「お前、その箸と取り皿使えよ」

「なんだよ、随分よそよそしいな」

「まあ、いいじゃねえか」

「普通、餃子が先に来ないか?」

「確かに」

一人客が入ってきた。雨でスーツがよれよれのサラリーマン。

皆がその客を見る。


「最近、どうなの?」

「何が?」

「仕事とかさ」

しばらくしてから一人が餃子を口に入れながら言う。

「俺、地方に飛ばされそうでさ」

「どこに?」

「琵琶湖」

「なにそれ」

「滋賀だよ」

「滋賀って何があんの」

「だから琵琶湖だよ。俺も行ったことないからわかんないんだよ」

「そもそもなんで転勤なの?飛ばされたのかよ」

「いや、こいつの業界は程々に転勤して結果出せば中枢にいけるんだよ、そうだよな?」

「まあ、そう言われているけど、実際わかんないよ」

「お前はどうなんだよ」

「むかつく上司がいるぐらいだよ」

「そりゃ、みんなそうだろ」

「お前の会社、すげぇ給料いいらしいじゃん、実際どうなんだよ」

「すげぇ事聞くな。ファミレスでメニューの値段気にしないで注文出来るぐらいだよ」

「それさ、家庭もって子ども出来たら出来ないってよ。またメニューの値段気にして注文だって。子どもの教育費とか家のローンとかで」

「マジかよ」

湿度が高く、天井につるされたエアコンから出る冷気が霧になっている。


「しかしこの4人、誰も結婚とかしないな」

「そういえばさ、この間の小島の披露宴なかなかだったぜ」

「何あったの」

「俺と大沢と木村が披露宴呼ばれたんだ。始まる前、大沢が知らない人が大勢いるロビーのテーブルでコンビニで買った祝儀袋、レジ袋から出すの」

「マジで?」

「祝儀袋が包まれているポリの包装もべりって剥がして。カウンターからボールペン借りて」

「ボールペンかよ」

「そう、ボールペンで名前とか書くの。でさ、自分の財布からみんなの前でくたびれた万札だして祝儀袋に入れるんだよ。隣の木村に、いくら?一万ぐらい?とか聞くの」

今日初めて4人が笑った。

「木村すげぇ嫌そうでさ。まあそりゃそうだよな。周りの知らない人たち、みんな見てるの」

4人の笑いはまだ続く。

「披露宴始まったら俺の席、大沢の隣なの。地獄しか待ち受けてない」

「いやぁ、俺もそこ座りたくない」

「俺も。でも、アイツ、育ちとか悪かったっけ」

「アイツ凄いボンボンだぜ。それも成金とかじゃなくて。俺一回お茶とか呼ばれたんだよ」

「お茶?」

「そう。あいつの家に。古風な歴史を感じる家でさ。母ちゃんとか着物着てるの。大沢、背筋伸ばしてちゃんとしてるのよ。俺に作法教えてくれて」

「ホントかよ、信じがたいな」


「それで披露宴はどうなったの」

「新郎新婦入場の前に大沢が俺に言うの。『新婦ってウェディングドレスだろ?長いの引きずって来るよね、あれ、踏んだら面白くね?』って」

全員で黙る。

「大沢、やったんだろ」

「やった。椅子から脚伸ばして。まあ、踏んだのがドレスの横の端だったのと、タイミングが良かったのか新婦がほんの一瞬ちょっとだけバランス崩しただけ。俺のテーブル以外は誰もわかんなかった。俺のテーブル以外はな。その後、披露宴終わるまで地獄だったよ」

店の窓は油とかわけのわからないものが付いている。外など見えやしない。


「大沢、何やってんだよ。高校の時まんまじゃねぇか」

「あいつ、今何してるの」

「行方不明」

「なんだそれ」

「どっか行ったまま帰って来ないんだって」

瓶ビールは2本とも半分残っている。外の雨の強さは変わらない。店の親父はカウンターの中からテレビを見ている。客はいつのまにか僕たちしかいない。誰が言いだすまでもなく、席を立つ。


さして話もせず、強い雨の中駅に向かう。革靴の中まで雨が入り込む。

逆方向の二人と別れる。


電車はほどほどに混んでいる。人いきれと湿度で車内の空気がどうかと思ったが車両が新しく冷房が効いているのでさほど不快ではない。

「高校の時の話、一つしか出なかったな」

「まあ、そんなもんだろ。昔話って続かないよ」

「なあ、今日武田ってなんか話した?」

「話してない」

「武田、どうしたんだよ」

「この前までうつ病だったんだよ。職場も変わって大変みたい」

「なんかやるせない話しかないな」

着いた駅でかなりの客が降りた。


「言うか迷ったんだけど、俺、今度NY支社に転勤なんだ」

彼が切り出した。

「おお、すごいじゃないか。お前高校の時からアンディ・ウォーホルとかヴェルヴェット・アンダーグラウンドとかジョン・マッケンローとかNY、NY、うるさかったもんな。おめでとう」

僕は自然に右手を差し出した。彼も右手を差し出し握手をした。

「ああ。今日はさ、琵琶湖に行くとかいうやつの前で言えなくてさ」

「でも、琵琶湖も栄転みたいなもんなんだろ?支店の融資課長だろ」

「いや、ちょっと違うみたいなんだよ。あいつ、やっちゃったんだよ。銀行の本店にいただろ。出世コースだったけどでかい融資が焦げ付いて」


僕らは座席が空いたけど、そのまま乗降口近くで立って話す。

「お前、NYに行ったらあれだろ、ルー・リードのワイルドサイドを歩け、歌いながら歩くんだろ」僕は笑いながら言う。

「当たり前だろ。俺のバイブルみたいな唄だ。くそ寒い冬の晴れた日に誰もいないコニーアイランドのボードウォークで歌うんだよ。最高だ」

彼は穏やかな目で僕を見ながら言う。


次の駅に止まる。時間調整で少し停車するそうだ。ホームではお父さんと小学校2年生ぐらいの女の子が手をつないで歩いている。ベンチでは大学生らしい男の子たちが楽しそうに話している。その横を背筋を伸ばした40代の女性が笑顔で誰かに電話しながら歩いている。雨はやんだ。


「俺さ、お前の事好きだったんだよ」

彼は外の景色を見ながら言う。僕は何となくそれを知っていた。一緒にいる時間の長さ。体育で汗まみれになった時にタイミング良く彼から渡されるタオル。そして彼のまなざし。

でも僕はそれに答えることはできない。

「何となく、知ってた」

「俺もさ、何となくばれているんじゃないかと思ってたよ」

二人で笑う。何にも捕らわれるものがなく、笑う。僕は彼の肩を叩いた。

「こんな事さ、高校の時は言えなかったな」

「俺もさ、高校の時に言われたらパニックだよ」

もう一度、笑う。

「年をとるってこういうことなのかな」彼が言う。

「捕らわれるものが昔と変わるんじゃないかな」

「じゃあ、もう一度言おうかな、俺さ、お前の事好きだったんだよ」

ダイヤが乱れているためもう少し停車すると車内放送が入る。

僕は彼の体を引き寄せて抱きしめた。彼も腕を僕の背中に廻した。

しっかり抱き合った。


電車が動き出した。彼は次の駅で降りる。

「NYに行ったらフラッシングメドウでテニス見るんだろ?」

「当たり前だよ。世界最高のテニスを世界最高に騒がしい観客の中でな」

「ジョン・マッケンローに会ったらサインもらってくれよ。あいつ今解説やっているからさ」

「ああ。そうする。お前も何とか頑張れよ。よくわかんない落とし穴がそこら中にあるからな」

彼はそう言い、ホームに降りていった。降りた時に僕の顔をしっかり見据えて手を振った。それからは彼は振り返らずに人ごみに消えた。


頑張れって何を頑張るのか僕にはわからない。

雨の中でも、濡れた革靴を履いてアクセルを踏み込んで行くことなのだろうか。多分それしかないってことなんだ。

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