かくれんぼ
篠崎加奈子は、その日、田舎にある、先日亡くなった祖母の家に来ていた。
葬式に通夜、人が亡くなると、残された者は、往々にして忙しい事になる。
しかし、一番大変で、案外、表では言われない事は、遺品の整理であった。
このご時世、ごみ一つ捨てるにも、分別などで大変だ。
それが、故人の遺品、生活物資、まるまるとなれば、1週間かかっても、その整理は終わらない。
今年、27になる加奈子は、会社に貰った慶弔休暇で葬式通夜を済ませ、そこで一度、会社に顔を出し。
後日、溜まり始めていた有休を使って、遺品の整理を始めたのだ。
明日には、加奈子の父と母も合流する。
祖父は既に、他界していた。
最近、何かと物騒であると、取り換えて、鍵ばかりが新しい誰もいない、古い日本家屋。
加奈子はカチャリと、母から預かっていた鍵で、扉を開けた。
空き家である為、おかしな者が住み着いてしまわない様に、雨戸は全て閉じられている。
故にまだ、昼前だというのに、加奈子の前には、真っ暗な玄関廊下があった。
明かり取りの為、玄関は開けたままにして置く。
祖母の家の間取りをあまり覚えておらず、此処へ来るのは、何時ぶりであろうかと、加奈子は考えた。
葬式は、ここではなく、加奈子の父の家で行った。
そして、大学を卒業して、就職してからは日常が忙しく、来る機会は無かったように思い出される。
(もう、7年? ……近いくらいかしら? そう思うと、そんなつもりは無かったけど……私って、薄情な孫よね……。)
加奈子は、切なげに目を細めた。
亡くなる前、病院で最後にあった祖母の姿は、それまでの記憶とは、随分違っていた事を思い出す。
今思えば、7年も、ろくに会わなければ、そう感じるのも不思議はなかった。
玄関の土間を上がってすぐ、左手には居間がある。
ここも、真っ暗だ。
加奈子は、居間に入ると、部屋の中央にある、少し大きめの卓袱台に、自らが持ってきた、大きめのトートバックを立てかけた。
部屋の奥へ行き、うち鍵を開けると、閉じられた雨戸をガラガラと開いて行く。
途端、部屋の中に明かりが射して、その明暗の緩急に、加奈子は目を細めた。
-----ドサ。
(?)
何か、物音がした。
何だろうと、部屋の中の方へ振り替えると、加奈子が今、立て掛けたばかりのバックが逆様になって、宿泊用の服や、荷造り用の紐など、荷物が外へこぼれ出ている。
倒れただけでは、こうはならない。
まるで誰かが、ひっくり返した様であった。
「え」
おかしな事だ。
この家には今、誰も居ない。
あり得るとしたら、薄暗闇の中、加奈子が立てかけたつもりで、実は高さのある卓袱台の上にカバンを置き、それが、倒れて下に落ちたか、である。
そんな事が、本当にあるのだろうか。
加奈子は不思議に思いつつも、カバンに向かってしゃがみ込み、荷物をしまっていく。
そして、ふと、気になって右を向くと、そこには一つ、中くらいの棚があって、その上には、空の人形ケースが置かれていた。
何故、空のまま置かれているのか。
祖母は古い人だし、かつては、日本人形でも飾られていたのであろうか、そう加奈子は考えた。
(これも後で、何処かにまとめて、片付けましょう。)
加奈子は、今度こそ、荷物を卓袱台の脇に置くと、他の各部屋に明かりを入れるため、再び玄関廊下へと戻った。
玄関は開いたままであるため、手前の方は十分に明るい。
しかし、それが逆に、廊下の奥側、暗がりの部分が、強調されている様に思えて、加奈子は少し、顔を強張らせた。
(なんだか、気持ちが悪いわ。)
祖母の家といっても、故人の家には違いない。
先程の事もあり、加奈子の内心に僅かな怯えが産れていた。
加奈子が、暗がりの方を見つめていると、なにやら、その先に着物の袖のような物が見える気がした。
暗所の為にハッキリとはしないが、錦を思わす、赤地布。
どうせ、灯り入れの為に、この暗がりの中へ進まねばならない。
加奈子は、それが気になって、家の奥へと歩いていった。
-----ギ、ギュイ、ギュイ。
板張りが軋んで、加奈子が歩けば、そこが音を立てる。
活発であった幼い頃であれば、面白がってギシギシ鳴らし、乱暴に歩くなと、大人たちに叱られたかもしれない。
しかし、大人になった今、分別を覚えた加奈子は、それを面白いとは思わない。
そして、思えない事が、何だか加奈子自身を、寂しい様な気持ちにさせた。
祖母の死に続き、自らの、時の流れを感じさせる出来事。
感傷的になっている加奈子は、それを「成長」とは受け止められなかった。
暗がりの中を進む。
ほんの数メートルほど。
すると、そこには襖扉があって、扉の端、挟まる様に赤く、装飾派手な布地が飛び出している。
-----ズ、スゥーーーッ
埃臭い匂いがする。
しかし、加奈子が襖を開けると、そこは狭い納戸になっており、中は空になっていた。
ただ一つ、此方に横向けて佇む、日本人形を除いては。
廊下に飛び出た錦の布地は、この人形の着ていた着物であった様だ。
加奈子は、それをひょいと抱えあげる。
軽い。
背丈は30cm程であろうか。
古い物なのか、手や、顔の一部に傷がついている。
加奈子には、祖母が何故、こんな所に人形を置いておいたのかは、全く分からない。
しかし、居間にあった人形ケースは、この人形の為にあった物なんだろうなと、そう考えた。
(どうしよう……。)
片づけに来た以上、このまま此処に置いておくのも、おかしな話。
しかし、加奈子の勝手なイメージだが、日本人形と言うと、何だか少し気味が悪く感じられた。
数秒、そのまま逡巡するも、”対”があるのだから、と。
加奈子は、人形を居間に持って行き、人形ケースの中に、それを収めた。
そうして、その後は順調に家の中を整理していく。
田舎の夜は早い、そんな風に加奈子は聞いていたけれど。
少なくとも、整理が済むまでは、ガスや電気の料金は、加奈子の父が継続で払っており、外が暗くなっても、問題なく作業は進んでいった。
適当に用意した夕食を食べて、加奈子が丁度、段ボールや、もう使われない布団、新聞などを、荷造り紐で纏めている時。
-----ボーン……ボーン……。
廊下にあった、振り子時計が鳴った。
普通、振り子時計というと、一時間置きに鳴る物と、加奈子は思っていた。
しかし、詳しい仕組みは解らないが、この時計は3時間置きに鳴るらしい。
先程、18時に鳴って、今は21時。
お昼にも鳴っていたし、15時も、加奈子が聞きそびれただけで、恐らく鳴っていたのだろう。
流石に、一日中、片付け物をしていれば、加奈子もクタクタに成っていた。
お風呂の掃除は終わっていないが、シャワーくらいは使える。
両親が来るので、明日は今日に比べれば、楽になるかもしれないが、まだまだ、やり切れない作業が沢山残っていた。
今日はもう寝ましょうと、加奈子は、昼間のうちに干しておいた、客用布団を引いて、10時過ぎには就寝した。
加奈子は気が付くと、居間にいた。
居間には卓袱台があり、寝るには適していない。
だから、別の部屋で就寝していたはずであったのに。
(なんで、私、ここに居るのかしら……?嫌だわ……寝ぼけているの?)
加奈子は、目を手の甲で擦る。
そして、最初に目に着いたのは、あの、人形ケースであった。
中の人形が居ない。
(あら?……確か、私。……人形をここに入れたわよね? 如何したかしら?)
いまだ半覚醒の頭で、その様にしていると。
-----ボーン……ボーン……
振り子時計が鳴っている。
加奈子の思考が途切れ、今、何時なのかしら、そう思った。
時計が鳴り止む。
すると、0時か、3時か、その答えが出る前に、加奈子の頭の中で声が聞こえ始めた。
-----……じゅーう……きゅーう……。
(え?)
一瞬にして、加奈子の頭が覚醒する。
加奈子とは違う、少女の声。
どうやら、10から下に向かって、数を数えているらしい。
-----……はーち……なーな……。
しかし、おかしい。
その声は、加奈子の頭の中に流れている訳で、それは加奈子の思考であり、彼女の意思で止められるはず。
-----……ろーく……ごー……。
止まらない。
そして、何故か、この声を聴いていると、加奈子の中に、物凄い勢いで不安が膨らんでいく。
怖い。逃げたい。
このカウントが0になった時、何か、途轍もないものがやって来る。
そんな予感が、加奈子の頭の中に現れた。
-----……よーん……。
加奈子は、居間を飛び出した。
しかし、もはや限られた残り時間。
-----……さーん……。
何処へ行けばよいというのか。
-----……にー……。
加奈子は咄嗟に、昼間、人形が居た納戸の事を思い出し、そこへ向かって飛び込む。
-----……いーち……。
バシンと勢いよく扉を閉めて、その中に隠れた。
その音で、今から来る”何か”に気付かれてしまうかも知れない。
そのような事を考える余裕は、彼女には無かった。
-----……ぜーろ!
加奈子の頭の中の声は、楽しそうに、弾んだ調子で、最後の数字を宣言した。
途端に、静寂。
何から隠れているのか、加奈子自身、解っていない。
しかし、彼女は必死で息を殺した。
-----ズ、ズァァァァ……。
加奈子の心臓が跳ね上がる。
加奈子しかいない、この家で、何処かの襖が開く音がした。
”何か”が家の中を徘徊する音なのか、それとも、泥棒でも来たか。
そんなもの、加奈子にしてみれば、どちらにしても、怖い。
加奈子は暗闇の中、涙を流してじっと耐えていた。
-----ギ、ギュイ、ギュイ。
何かが、廊下を歩いている。
-----ギ、ギュイ、ギュイ。
ゆっくりと。
歩を進めるたびに、床が鳴っている。
まだ遠い。
-----ズズズッ、ザーーー……
何処かの部屋を開けた音がした。
暫くまた、静寂が訪れて、
-----ギュイ、ザーーー、タン。
再び、廊下に出て来て、扉が閉められる音がした。
-----ギ、ギュイ、ギュイ。
また、廊下を歩いている。
廊下を歩く、その一歩一歩を聞くたびに、加奈子の心臓は、ドキン、ドキン、と音が聞こえるのでは無いかと思えるほどに、動悸打っていた。
-----ザ、ガラガラガラ……
(もうやめて……!!)
加奈子は懇願する。
今の音は、本来、加奈子が寝ていた筈の部屋の扉が開かれる音だ。
あの部屋の扉には、板ガラスが嵌っており、開けるとそれが震えて、ガラガラと鳴るのであった。
あのまま、あの場所で、加奈子が寝ていたのなら、徘徊の主と出会っていた。
そうならなかった事に幸運を感じ、しかし、未だに、何の脅威も去ってはいない。
「ふ、ぅ、ぅ、ぅ、ぅ……。」
思わず吐いた吐息が、恐怖に震えていた。
先程よりも、だいぶ長い間。
徘徊の主は廊下に戻ってこなかった。
加奈子の痕跡を見つけて、彼女を念入りに探しているのだろうか。
もう、自分は朝まで、ここからずっと出れなくてもいい。
だから、そのまま、ずっとそこに居て、永遠に出てこないでほしい。
加奈子はそんなことを願った。
-----ギュイ、ガラガラガラ、タン
しかし、思い虚しく、それは出て来た。
----ギィ、ギュイ、ギュイ。
もう、すぐ近く、それは、加奈子のいる納戸の前を歩いている。
-----ギ、ギュイ、ギュイ
しかし、それは納戸ではなく、扉が開け放たれたままの居間へと行った様だ。
やはり、あれは加奈子を探している。
彼女の痕跡を探っているのだ。
加奈子は口を両手で押さえる。
心臓の音が喉を通って聞こえないように。
恐怖に震えて、ガチガチと音を鳴らしそうな、歯音が外に漏れないように。
またも、随分と長い時間。
加奈子を探して回っているらしい。
もう、加奈子は何も考えない。
涙が零れる目を固く瞑り、頭を真っ白にして、ただ、ひたすらに耐えていた。
-----ギイ。
それでも、再び、廊下に出る音が聞こえてくると、ドキリと心臓が跳ね上がる。
-----ギ、ギュイ、ギュイ。
居間の先は玄関だ。
そのまま、外へ行ってくれれば良いのに。
足音は、加奈子の方へと近づいてくる。
-----ギ、ギュイ、ギュイ。
-----ドクンドクンドクンドクン。
心臓の音が、はっきりと胸の奥から聞こえる。
-----ギュイ
加奈子がいる。
納戸の前で、足音が止まった。
-----ズ、
納戸の襖が、3センチ程ずらされて隙間がうまれる。
(やめて! やめて! やめて!)
加奈子は、無意識に首を振り、しかし、そのずらされて出来た隙間から、視線だけは離せない。
「!?」
隙間から指が入ってきた。
真っ白い、しかし、所々、怪我の跡が残る指。
本当は襖を押さえつけて、開かない様にしたい。
しかし、その指を見た途端、加奈子の身体は、凍り付いた様に動かなくなった。
そうして、さらに
-----ズ、スゥ
----------ボーン……ボーン……。
今、襖がまさに開かれそうになった瞬間。
振り子時計が鳴った。
白い指はピタリと動きを止める。
加奈子がよく見ると、少し開いた襖の隙間から、赤い、装飾派手な着物の裾が見えていた。
(あの人形だ……。)
昼間の背丈とは違い、恐らく加奈子と同じ程。
しかし、加奈子がそう思った瞬間に、白い指が廊下の方へと引っ込んだ。
-----ギ、ギュイ、ギュイ、ギュイ、ギュイ。
遠ざかっていく。
-----ギュイ、ギュイ・・・・・・。・・・・・・。
そして、遂に音も、気配も消え去った。
納戸の中、加奈子は脂汗と涙でぐっしょり濡れた姿で、茫然としていた。
自分は助かったのだろうか。
であれば、ここから出ても良いのだろうけれど、
何故だか、加奈子は朝になるまで、ここから出る気にはなれなかった。
もう一度、振り子時計が鳴るのを聞いて、加奈子は納戸から、恐る恐る外へ出る。
時計を見ると、朝の六時だった。
加奈子は、寝室としていた部屋に戻ると、携帯と、財布が入ったカバンだけ引っ掴み、家の外に飛び出した。
両親に電話をしようかと思ったが、この時間では、恐らくまだ、繋がるまい。
また、繋がったとして、寝起きに、自らに起きた、荒唐無稽な話を聞かされた両親がどう思うのか。
一旦は、自らも落ち着くことにした。
しかし、これから両親が来る以上、勝手に帰ってしまう訳にも行かない。
かと言って、これ以上、一人であの家に居る勇気は、加奈子には無かった。
車に乗り込んで、一番近くの駅、そのビジネスホテルの部屋に、飛び込みで部屋を取った。
昨夜の疲れか、加奈子は、14時過ぎまで、
連絡がつかないまま、眠りこけてしまい、両親を大いに心配させた。
それは、そうだ。
一人娘が、荷物だけ残して、忽然と姿を消したのだから。
しかし、それが逆に功を奏したのか、加奈子の言う事を、両親は真面目に取り合ってくれた。
家を出るときは、恐くて確認しなかった。
加奈子が、祖母の家に戻り、居間に入ると、あの人形は昨日、加奈子が”そう”した通り、人形ケースに収められていた。
しかし、加奈子には、あれは夢であったとは思えなかった。
両親にその人形の事について聞くと、随分と驚いた様子で話してくれた。
この人形は、加奈子が生まれた時、とあるお寺で、子供の身代わりの人形として、祖母が作ってもらっていた物なんだそうだ。
ただ本来、こうした身代わり人形は、近くに置き、またある程度、子供が大きく育った時には、感謝と共にお焚き上げるの普通らしい。
人形の顔や、手などに傷がついている理由は、一先ず理解できるが、どうして、祖母の家に、そのまま置かれていたのか。
昔は、祖母の家ではなく、ちゃんと加奈子の実家に置いてあったそうだ。
人形は、その後、お寺へ持って行き、ちゃんとした手順をもって、お焚き上げを行った。
しかし、自らの身代わりの人形が、何故、加奈子を探し回っていたのか。
何故、その人形を、祖母が何時までも、持ち続けていたのか。
今となっては、永遠に解らない事である。
余談であるが。
その後、加奈子が結婚して、子供が生まれる。
しかし彼女は、子供の身代わりの人形は用意しなかったし、子供と一緒に遊ぶにしても、「かくれんぼ」だけは、絶対にやらなかったそうだ。
始めまして。
普段、ファンタジー小説を書いております、皆月夕祈です。
今回、少しの息抜きに、ホラー企画に参加させていただきました。
二日ほどで、さらっと書いたため、
粗い部分もあるかと思いますが、お楽しみ頂けたのであれば幸いです。
では、またどこかで。
2021 8/2 皆月夕祈