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放て槍の一撃を、あとは文字通りやりっぱなし


 突然に名前を呼ばれてフロードリは我に返り、さらに腹を立てた。


 いま、わたくしはアストール王子のはず。そして、仮に正体がバレても中級貴族のお嬢様よね? なんで酒臭い市民の男に呼び捨てにされたわけ?


「フロードリ!」

 また名前を呼ばれた。聞き覚えのある喉声だ。

「急いでるから返事はいらない、ただ聞け!」


 誰だっけ? と考える間もなくその男はまくしたてた。


「それがしの槍を預ける、存分に使え。見たところグラダッソ王は肩や頭など上段を狙ってきている。梃子の原理で吹っ飛ばすつもりと思う。けれど、名馬バヤールの乗り手にその手は通じない。だから安心して、それに応じるふりをしといて寸前で姿勢を落とし、腹から下を槍で狙ってみるんだ。楯は傾けて、敵の槍を上方気味に流せ。両足で馬の腹をしっかり抱きしめるのも忘れるなよ!」

 驚いて振り向くと、ニッと笑った酒臭い男は……庶民の服を着ているが、アストール王子だった。

 どうやら、寝覚めに事情を聞いて駆け付けてきたと見える。アル中気味ではあってもイケメンの笑顔はまぶしかった。

「それがしの身代わりなんだ、惨敗は絶対に許さないぞ!」

 そして彼は後ろにも聞こえるように叫んだ。

「見目麗しきイングランドの王子、この世でもっともイケメンなアストール殿下に御武運を! 神も照覧あれ! セントジョージ!」


 フランスのバンザイは「モン・ジョワ!」だが、イングランドのそれは「セント・ジョージ!」だった。ドラゴン退治をやり遂げたと伝わる人物の名で、イングランドの守護聖人である。たしかにアストール王子ならこっちの方がふさわしい。

 城壁の騎士や市民たちも「アストール王子」を応援するため、フランス訛りで「サン=ジルジュ!」とかなんとか連呼し始めた。


「ったくう! 他人事だと思って好き勝手言ってくれて……」


 兜の中で悪態をつきながら、フロードリはふと、右手の重さに気が付いた。

 今までの槍より重量感があり、しかも手に吸い付くような感触もある。見ると、黒光りした騎槍だ。そういえばアストールは「それがしの槍」と言っていた。


 隕鉄の槍……。


 絶対に折れないというチートアイテム。

 今までの槍は、当たった時にわずかでも直角からズレればポッキリと折れてしまい、充分な打撃を与えることができなかった。けれどもこれなら……


 決闘を再開する約束の刻限となり、角笛が聞こえてきた。

 フロードリは水の革袋を投げ捨て、小脇に槍を抱えて楯を構える。再びドラゴンの紋章の楯だった。

 アストールの鎧にアストールの楯、そしてアストールの槍……。

 そう、自分は今、アストールだ。イングランド王子にしてシャルル王陛下の妹の子息、十二勇士の一人で、剣ではブラダマンテには敵わなかったが、ローラン伯やルノー伯に次ぐ勇者としてその名も高い騎士、隕鉄の槍を使えば負け知らず。ベストコンディションであれば相手がグラダッソであっても馬から突き落とせるだろう。

 わたくしは今、そんな強力な騎士になったんだ……。


 角笛の音がやむ。バヤールが疾走を始めた。

 馬上でフロードリはアストールの言葉を反芻する。

 そして、身をかがめる準備をしつつも背を伸ばして見せ、突進してくる黄金色の鎧の騎士の中段に狙いを定めた。


 フロードリの声で「聖ジョージ!」の絶叫が響き渡り、激しい衝撃音が続いた。


 突然だが、仏教の一派に「三密加持」という概念があって……身(外見や行為)/口(発言や発音)/意(意識や考え方)の三つを対象の人物と密になる(完全に一致させる)ことに成功すれば、その人は対象と同じ力を発揮できると言っている。宗教ではその対象が神仏とされるためこの状態を「三密加持で即身成仏する」と言う。

 俳優も、ある人物の役を演じてるうちに、実在/架空に関係なくその本人が演者の中に下りてくることがある。これも、演技(身)/台詞(口)/意識の集中(意)による三密加持だろう。

 なり切って必殺技のポーズと決め台詞を発したコスプレイヤーが、キャラとは似てない顔のはずなのにそのキャラ本人に見えたなんてこともたまにあるし、さらには、灼熱に焼かれるキャラで迫真の演技をしたあるアニメ声優が、スタジオには別に熱はなかったのに実際にひどい火傷を負ってしまっていたという逸話も有名だ。

 どうやら人間にはそういう、他者に同期し乗り移らせる力があるらしい。


 この時はフロードリにも、「武具(身)/叫び(口)/戦術(意)」の三つが完全に一致してしまったことで、「チート槍を装備して無敵となった騎士・アストール」と同じ力が無意識に発揮されたのだった。

 ……いわば必殺、即身成無敵!!!


 グラダッソ王は、予想してなかった下腹部へ激しい激突に……頑丈なチートアイテムの鎧のおかげて貫通はしなかったものの、重心が崩れて体が鞍から浮きあがってしまった。

 そして、踏ん張りの利かなくなった体は槍先に押されるまま、馬の後方へと飛んでいった。


 一瞬遅れて、セリカン軍から起こる悲鳴と怒号、フランク軍から起こる大歓声。


 意識が「無敵の騎士」から「田舎貴族のお嬢様」にもどったフロードリは、バヤールが歩を緩めてからも自分のやり遂げたことに自分で驚いて、しばし呆然としていた。

 が、やがて馬首を返し、城壁の前に戻ってきて、高々と槍を掲げてみせた。

 そして、


「モンッ・ジョワーッ!!」


 全力でそう叫んだ。

 するとそれに続くように、城壁の味方から無数の「モンジョワ!」「サンジルジュ!」が大空に放たれた。


 意識を取り戻したグラダッソ王は、落馬して地べた転がっている自分に気づいた。

 ユーラシアを股にかけた歴戦の剛勇ゆえ、さいわい落馬の怪我は軽かったという。 

「一騎打ちで負けたのは久しぶりアル、上には上がいるアルネ。しかし教訓は得たアル。戦士は敗北から学んでさらに強くなるアルヨ……最強を目指してもっと技と体を鍛え、さらなるチートアイテムを装備するヨロシ。さしあたっては宝剣デュランダルをゲットするアルネ!」

 グラダッソ王はあらためて決意し、この敗北から更なる闘志を燃やした。英雄の資質とは、こういうくじけない心のことなのかもしれない。

 この決意と闘志がはるか後、フロードリに最悪の悲劇をもたらす原因となってしまうのだけども。


 ともあれ、この時はフランク王国とセリカン国の間に休戦条約が成立し、グラダッソ王は約束どおり捕虜と占領地を返還して、軍を帰国させることにした。


 この後、グラダッソは単身で地中海地方を遍歴し、高名な東西の騎士たちや魔法使いと次々に戦って武名と実力を高め、やがては偶然にだがデュランダルをも手に入れて、本来の持ち主であるローラン伯と血で血を洗う三騎VS三騎の対決を繰り広げることになる。

 この際にローランがもっとも信頼できる味方として呼んだのが、副将オリヴィエともう一人、親友たる従弟の騎士フロリマーだった。

 フロリマーは、別の敵と死闘していたローランの背を守り、デュランダルを振るうグラダッソ王と壮絶な剣戟を展開したのだが……いや、これはまだずっと先の話だから、いま語るべきじゃないな。詳しくは『シャル…』以下略。


 とにかくフランク王国の当面の危機は去った。この戦争は、セリカン軍が国外へ退去し、捕虜も全員が解放されるという、フランク側にとってもつとも望ましい終幕を迎えたのだ。

 パリでは、まさかの逆転勝利に貴族も市民もお祭り騒ぎ。その「立役者となった」アストール王子は救国のヒーローとしてモミクチャにされて、皆から酒を飲まされてさらにベロベロになっていた。


 国王の借り切った屋敷に、セリカン軍の捕虜となっていた騎士たちが三々五々と戻ってくる。

 日本と違って西洋では一般に、捕虜を「勇敢に戦い、敗れはしたものの義務を果たして生還、そして再び戦うだろう勇者たち」と認識している。だから堂々と帰還して、称賛も歓迎も受ける。

 フロードリは武装を解き、中級貴族の娘らしいやや地味なドレスを着て屋敷の門の中でずっと立ちっぱなし。騎士たちが返ってくると、楯を凝視して見覚えのある紋章じゃないか、あのイケメンな顔じゃないか、と一人一人確かめていた。

 そして……。


 ついにみつけた。兜を失ったのか素面のままで、甲冑の上に戦塵で汚れた外套をまとった、フロリマーのイケメンな姿を。とくに怪我をしているような様子もない。


 あふれだす歓喜にフロードリは思わず走り出した。

「フロリマー様!」

 イケメンらしく鮮やかな仕草で馬から降りたばかりのその騎士に、飛びついて抱き着こうとした。

 だがフロードリに気が付いたフロリマーは、一瞬だけ歓喜の表情を浮かべたものつかの間、すぐに厳しい顔つきになり、フロードリが抱き着く直前に、


 パン!


 平手を彼女の頬にたたきつけていた。


 全力ではない。実戦のために鍛えている騎士の彼が本気で叩いたら小娘など数メートル吹き飛ばされて骨折してしまうだろう。あくまで、心理状態を変えるために軽いショックを与えるというだけ程度の力加減で叩いていた。それでも平手打ちは平手打ちだ。


 突然の展開に周りもびっくりしたが、フロードリはさらに混乱した。


 なぜ? なぜ? なぜ!!?


 涙が溢れてくるが、何を言ったらいいのか、どうしていいのか、まったくわからない。ただ座り込んで、叩かれた頬に手を当て、涙ぐんだ目でフロリマーを見あげるだけだ。

 ようやく、フロリマーが口を開く。

「ブラダマンテ殿から聞いたよ」


 な、何を?

 ……お父様に許可を得ずに飛び出してきてしまったこと?

 女が一人でパリまで旅するという無謀な行為をしたこと?

 いえ、まさか……まさか、アストール殿下に迫られて、イケメンで王子様だからってちょっと心が揺れてしまったことを、チクられたとか……!!!?


 そう考えが至るとさらに涙が溢れ、嗚咽まで漏れきた。


 違います違います! 確かに殿下もイケメンだったし、女の子だから王子様という肩書には弱いけれど、フロリマー様の方がイケメンです! 僅差で……じゃなくて、圧倒的にイケメンです! 少なくともわたくしにとっては!


 嗚咽しているため言葉にならなかったけど、心の中では全力でそう叫びつづけた。


 そんなフロードリの肩に手をかけ、フロリマーは手を貸して彼女を立ちあがらせる。

 そして、まだ泣いてる彼女を軽く抱きしてめてから言った。

「ここでは人が多くて話せない。……中に入ろう」


 フロリマーに与えられた部屋に入ると、彼はフロードリをベッドに座らせる。

 そして敵将から贈られた土産物というセリカン産の茶を出して、彼女が少し落ち着くまで待っていた。


「ごめんなさい……ごめんなさい……」

 フロードリは泣きながらつぶやく。そして、絞るような声で

「お願い、嫌いにだけはならないで! ……愛してます。たとえ婚約破棄されても、わたくしはずっとフロリマー様を愛し続けます! だから……嫌いにだけはっ!」

「いや、嫌いになったり婚約破棄したりはしないけどさ」

 フロリマーはため息をつきながらフロードリの額を撫で、自分も彼女も落ち着かせようとした。

「僕の気持ちも考えてくれ。君に何かあったら、自分が死ぬよりつらい」

「わたくしだって!」

 彼の言葉を遮ってフロードリがまくしたてる。

「フロリマー様のいた先遣隊が壊滅したって聞いて……討ち死にしまったのかもと思うと、もう、もう、居ても立ってもいられなくなってっ……」

「壊滅はしてない。敵の大軍に包囲され、一戦した後、臨時指揮官のドードン殿が降伏すると決めたんだ。彼の決定に従って全員が捕虜になった」

 フロードリは呆然と泣き顔をあげてフロリマーを見つめる。

「あいつらしい戦略的判断だった。あの状況では徹底抗戦しても無駄死にだからね。それより、いったん捕虜になってでも解放されてからまた働いた方が、王国のためにずっと役に立てるって……たしかにその通りと思う」


 言われてみれば、ドードン卿は今まで何度も捕虜になった話がある。けれど勝てる可能性があるときは勇敢に戦うし、降伏しても絶対に寝返ったりはせず、そのつど無事に生還して、また軍事に外交にと奔走する忠義の騎士なのだ。


「それよりも……本当に肝をつぶしたよ。あの剛勇グラダッソ陛下と一騎打ちしたのが、実はアストール殿下ではなくフロードリだったっなんて。両者の名誉のために緘口令が敷かれてるから、ほとんどの人は知らないけれど」

 フロリマーの顔が真っ青になっている。あの激しい衝突の応酬を思い出してゾッとしたのだろう。


「そ、それは……フロリマー様を取り戻す方法が他になくて……」

「フロードリ、君は考えなしに動いてしまいさえしなければ最高の女性なんだ。だけどこんな調子じゃ、君を守り通す自信が、僕にはない……」

「なおします!」

 フロードリは間髪を入れず叫んだ。父親に言われたら反抗心も芽生える言葉だけど、愛する彼から言われると、なんとしてでもそうしなければという気持ちになる。

「わたくし、この性格をがんばって直します。だから、だから、棄てないで! 嫌いにならないで!」

「なるわけないだろ」

 フロリマーは隣に座り、優しく肩を抱く。

「自分には助けられない状況で愛してる女性が危険な目に遭うなんて、たとえ自分のためだって言われても喜ぶ男なんかいない。それをわかってほしい」

「わかりました……でもわたくしも、自分に何もできない離れた遠くでフロリマー様が危険に遭うのはイヤです!」

「そうだね……」

 しばらく考えてからフロリマーが言う。

「じゃあ、伯父上……シャルル王陛下に証人をお願いして、すぐにでも結婚しようか」


「え……」


「結婚したら夫婦だから、ずっと一緒にいられる」

「……約束してくれますか?」

「うん。ずっと一緒だ」

「ずっとですよ!? 遍歴の旅だろうと戦場への出陣だろうと、ずっと一緒ですよ!!?」

「えっ……」

 騎士の旅は危険が伴う。冒険だの決闘だの、いろんなことが起こるものだ。戦争などなおさら……。

 フロリマーはため息をついた。けれど力強く言った。

「わかった。君からのお願いだからね。結婚したら、旅でも出陣でもずっと一緒にいよう」

 そう言って額にキスする。

「ああああっ!」

 歓喜のあまりフロードリはフロリマーに抱き着いた。

 身体を包まれる彼の匂いに懐かしささえ感じる。この匂いが一生、離れずに傍にいてくれる……。そう思うと歓喜がひとしおに盛り上がった。

「その代わり、フロードリも約束してくれ……二度と、甲冑を着て一騎打ちなんかやらないって」

「絶対にやるわけありませんっ、あんな恐いことッッッ!!!!」

 あまりの大声にフロードリ自身も驚いて、お互いに顔を見かわす。

「恐かったんだから……ほんとに恐かったんだからーあっ!!」

 そしてフロードリがまた泣き出した。今度は思い出し泣きだ。

 フロリマーは彼女の背に手を回し、やさしく撫でて落ち着かせる。

「フロリマー様のためじゃなかったら絶対にやりませんでした!」

「僕のためでも二度とダメ」

「決闘なんかもうこりごりです!」

「そう、それでいい。僕も槍を教えることにはためらいがあったたんだ、自信過剰になっちゃったら危ないからね。だから、君の槍はあくまで趣味。そう心得てくれ」

「はい。でもその代わり、守ってくださいね? これからはわたくしのこと、フロリマー様がずっと守ってくださいね?」

「それはもちろん。」

 フロリマーが身を離す。

 そして立ち上がってからやおら剣を抜き、床にひざまずいた。フロードリに向ってその剣を両手で掲げ、柄にキスをする。


「フランク騎士の名誉にかけて、また王陛下にささげた我が剣にかけて、この命尽きるまで、愛するフロードリ姫のことを守りぬくと、誓います」


 力強くそう誓って、フロリマーは剣を鞘に戻した。


 二人は笑顔で見かわす。

 そしていつしか、どちらからともなく唇を重ねていた。



 ……フロードリの念願の「野望」とやらは、結婚してからという約束があったせいでもうしばらく我慢になったんだけれどね。



 つづく -


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