運命の味方にして最悪の天敵、あらわる
ベッドにうずくまりフロードリは、ため息と嗚咽を嵐のように激しく漏らしていた。
婚約者が、全滅していた部隊の副隊長……逃走してなかったとしたら討ち死にか捕虜かしかない。フロリマーはまだ二十歳前はいえ、誇り高いフランク貴族の騎士だから、敵に後ろを見せて逃げたとは考えにくい。とすると…。
「うわぎゃぎゃらばばばらぐぁぎゃふげらもももぐちょーっ!」
言葉にならない悲鳴が喉の奥から漏れた。
あのイケメンで上品で、イケメンで優しくて、イケメンで強くて、イケメンで頭もいい、イケメンの彼が、イケメン……
(注 彼女は混乱して気が昂っているので、多少聞き苦しくても許してあげてください)
「はにゃふにゃほにゃくにゃへにゃあああっ!」
涙がこぼれて自分でも何を言ってるのかわからない。一年もつきあっていないけれど、フロリマーとの思い出が走馬灯のように……というより四方八方から飛び込んでくる十字砲火のように脳内を駆け回って気持ちを揺さぶる。
あの時の川魚のあぶり焼き、美味しかったな……彼のお城を案内してもらってて偶然に隠し通路を見つけて、二人で大笑いしたっけ……広い草地で彼の腕枕にお昼寝して気持ちよかった……それから、もうちょっとで最後まで行きそうになったけど、正式に結婚するまでは我慢しようって話し合って、触りっこだけで我慢して……。
「うぶぁわあわあわあわあ!」
また涙があふれてくる。
あのイケメンの優しい手に触れることはもうできない、あのイケメンの鍛えた体に抱きしめられてドキドキすることはもうできない、あのイケメンの頬にちゅうってすることはもうできない……あのとき、我慢しないであのイケメンと最後までやっとけばよかった!
(注 彼女は気が昂ってるので(以下略))
もう喉が枯れて声も出なくなった。
死のう……。
マジでフロードリはそう考えだしていた。フロリマー様のいない世界なんて、色も香りも何も感じられない。こんな世界よりも天国で彼に会いたい。
けれども、キリスト教徒なので自殺すると地獄に行くことになる、という話を思い出した。
フロリマーは使命を果たしたのだから死んでも天国へと迎えられるだろう。一方で自分は……自死したら自分は……自分はフロリマー様に会えない!
なら……殺されるのはどうかな? たとえば故国に侵入してきた異教徒と戦い、戦場で死んだら? それはきっと、使命を果たしての誇り高い死に違いない。ならば天国へ行けて、あのイケメンなフロリマーにイケメンでまた会えてイケメンイケメンクイケメンっっっ!
(注 彼女は気が狂(以下略))
ガバッ、とフロードリは起き上がった。すぐにでも、セリカン軍が進撃してくる最前線へ向かおうと心を決めた。
父上の発病以来、武具の管理や手入れを自分が代行しているからすぐに取り出せる。あれを借りれば、いっぱしの騎士の姿で戦場に赴ける。
そして敵の大軍に一騎で突入して、華々しく討ち死にできるはずだ。
そうしたら英雄として後世に名前が残り、武勲詩に歌われて、千二百年くらいするとネトゲに自分とフロリマーが登場して、薄い本も出されて二次創作の物語中でついに念願が……いや、それどころか二人ともイケメン同性という設定になって、彼が受で自分が攻という腐 以下削除。
……よしっ!
思い込んだら一直線、それがフロードリのいいところであり、欠点でもあった。
すでに夜も更け、屋敷中の人が寝静まっていた。
彼女は手早く旅支度をすると、含灯に……新品は高価だから小さな燃えカスを集めた再生ローソクを灯し、部屋を出た。
含灯とは片面をふさぎ一方だけ開いた金属の筒で、中に火皿かローソクなどを灯すと、ランプとは違って光が一方向にだけ照らされる照明器具で、大型懐中電灯の原始的なやつ。
それを手に慣れた屋内を通り難なく納戸へと入る。
室内には父上の鎧が革袋に包まれ、楯と槍、予備の剣などもある。
ここで鎧を着用していくと物音でみんなが目を覚ましてしまうだろうから、革袋に入ったま持ち出すことにした。
何往復もして、必要なものをすべて厩へと運ぶ。
どこか遠くへ行ってから鎧を着よう……。そう決めて、馬具を用意する。フロリマーに教えてもらって練習したことがあるから、暗くて手間取りはしたけれど何とか鞍やハミを取り付けた。そして荷を縛り付けて、栗毛の馬の口を押えながら、静かに屋敷から出ていった。
半月の照らす夜だった。どこかから遠吠えが聞こえる……犬かな。もし狼だとヤバいな、天国には行けるかもしれないけど食べられて無駄死にはしたくない。だってそんなことになったら、遠い未来で彼と二人、腐った薄い本という野望が 以下削除。
暗いが、シルヴァンタワーへ向かう通い慣れた道はわかった。しばらくはその道を進んで、屋敷から離れたところで一休みし、明るくなってから南へ向かえばよい。
そうだ、鎧も着なきゃ……。
領地の境目に小川が流れている。もう少し下流に行くと開けた平地で、シルヴァンタワー領内の農村もある。空がうっすらと明るくなってきた。
彼女は知らなかったが、女性が一人でこんなとこまで来れただけでも神様の御加護があったと言っていい。この治安度の低い時代に、しかも本編では魔法使いとかモンスターとかも登場し騎士が月に行ったりまでする冒険活劇のファンタジーヨーロッパで、野盗にも野獣にもでくわさず、何時間も馬を引いて歩いてたのだ。
この川べりで少し休むとしてよう。彼女は馬を灌木に繋ぎ、そのまま崩れるように眠ってしまった。
空が明るくなってきていた。フロードリは眠気の去らないまま目をこする。
昨日は勢いで屋敷を出てきてしまった。
書置きは残したけれど、父上に陳謝の言葉を残しただけで、どこへ行って何をするとは書いてない。俗にいう「旅に出ます探さないでください」的な。
血圧が上がるまで、座り込んで川沿いの景色をぼーっと眺めているうちに、いろいろな考えが浮かんでは流れた。
寒いし汚いしもう帰りたいっ、という考えも浮かんだ。
一刻も早く敵陣に突入してとっとと死なないと、という考えもあった。
だが、もう一つ……まだ、フロリマー様の死を確認していない、という考えが浮かんで、フロードリは思わず「あっ」と声を上げてしまった。
ふと、父上の「行動する前によく考えろ!」と言う言葉が脳裏に蘇る。
そうだ、自分はどうも感情で突っ走ってしまう傾向がある。ここはじっくりとよく考えてみよう。
まずフロリマー様の現状について。
可能性は三つ。
A、セリカン軍との戦いで討ち死にしてしまった。
B、気を失うか怪我するかして捕虜になってるかもしれない。
C、体調不良とか所用で陣を離れたなどで、参戦してなかった可能性だってある。
単純計算すると討ち死にの可能性は1/3……とすると、ここで自分が死んでも全然意味ないどころか、フロリマー様をも悲しませる可能性が2/3。
女の恋はデリート処理だが男の恋はバックアップ保存という。とすれば、イケメンの彼はきっと、思い出すごとにイケメン悲しんでくれるだろう。それはそれでちょっと嬉しくはあるけど、生きて再会するほうが何倍もイケメン嬉しい!
現状の分析がひと段落すると、彼女は、自分がするべきことを考え始めた。
敵陣に単騎突入して討ち死にするプランはとりあえず延期とする。はるか未来の薄い本もまあ捨てがたいけど、生身のイケメンに会える可能性があるならそっちの方に賭けたい。
とすると、生存を確認するには……シルヴァンタワーのお城は? 留守居の人に尋ねてみたら……いや、カッペル侯爵以上の情報が入ってるという期待はあまりできない。それどころか、つかまって屋敷に連れ戻され、父上の体罰百連発となる可能性の方が高い。父上の体罰だけは嫌だ。
すると……そうだ、軍勢の指揮官、国王陛下やその側近の方々なら多くの情報を持ってるはず。捕虜には身代金を出すのだし、戦死者の遺族や負傷者には慰労金も必要だから、誰がどうなったかの情報をあるていどは集めてるはずだ。とすれば、国王陛下の軍勢に合流するのが一番確実……。
父上はパリに行くと言っていた。たぶん、パリの街の近辺でシャルル王陛下の軍勢が集結しているんだろう。
ならば……。
行き先が決まった。
フロードリは川べりで口を漱ぎ、水を飲んでから荷を解いた。
乗馬服を脱いで、まずはギャベゾン、厚い布の鎧下を着用する。それから鎖鎧を身に着け、手甲、脛当、腰摺、胸当……。
時間はかかったけれど、フル武装の騎士が一人、出来上がった。父上の鎧だからちょっと大きいものの、なんとか動けないことはない。
あ……でも、馬に乗れない。
重い鎧を着た騎士の騎乗には、それなりの手練れでなければ踏み台か従士の介添えが要る。しかし自分はどっちもないローンライダー……。
困ってしまったがどうしょうもない。このままいくしかない……。
ということで、フル武装の騎士が馬を引いて街道を歩いていくことになった。
商人の馬車とすれ違ったが、どうしたんだろうといぶかしげな目を向けただけで去っていった。余計なことに関わりたくはないから。
フロードリは、自分の異様な状況を思い浮かべてちょっと泣きそうな気持になった。
……泣いてもいいよね、女の子だもん!
(注 物語的表現であり、男女差別の意図はありません)
ぐすんぐすん泣きながら、誰もいない街道を一人、槍を肩に馬を引いてがっしゃんがっしゃんと歩いてるフル武装の騎士……異様さがさらに増してゆく。
谷を渡り、森を抜け、橋を渡る……橋では通行料を請求されたが、旅支度で多少の銅貨は持ってきている。そこから、草に覆われた丘を登っていった。
鎧を着ての登り道は疲労が増加する……はあはあと息を荒げながら登り続けた。
ふと……何か光るものが視界に入った気がした。
見上げてみると……丘の上に人がいた。横の方向から登って来て一休みしているらしいが、騎乗した鎧姿の騎士だ。戦塵か長旅によるものか、鎧も外套もかなり汚れてはいる。でも高価で質のよさそうな外套だ。鎧も、上品デザインながら頑丈そうな光を放ち、馬も筋骨隆々。フロードリには初めて見たような高級外套と高級甲冑と高級軍馬だ。
身分の高い騎士かもしれない。
兜に隠れていて表情までは解らないけど、こちらを見おろしている。
…………。
もしかして。王国軍の騎士? いや、それ以外の可能性は少ない。もう少し先に行けば軍の主力が集結しているんだから、敵が一騎でうろついてたら袋叩きにされるはず。
そうだ、味方に違いない。なら、あの人に手伝ってもらって騎乗しよう!
考えをまとめると、フロードリは疲れた身体を叱咤して登り道を急いだ。
そして、
「よいお日和です」
声が聞こえそうなところまで近づくと、謎の騎士にこちらから声をかけてみた。
……返答の挨拶はない。だが、少し早口の喉声での、聞きなれない訛りのフランス語で問いが飛んできた。
「なぜ馬を引いている? 乗らないのか?」
「す、すみません、従士がいなくて一人では乗れなかったんです……大変に申し訳ないのですが、もし御迷惑でなければ騎乗を手伝ってはいただけませんでしょうか」
「チッ、新米の騎士か」
謎の騎士はやれやれというしぐさを見せた。
ふと、謎の騎士の楯が目に入る。
……え、火を吐くドラゴンの紋章……?
だがそれが何を意味するのか思い出す前に騎士はサッと下馬し、歩み寄って手を差し出してくれた。
「感謝いたします」
一礼して手を借り、そこに足を載せてフロードリはようやく騎上の人となった。
景色がいっべんに変わる。地べたが遠くなって、はるか彼方までが視界に入るようになった。全身でそよ風を感じ、体が空気で押されるような感覚。鎧を着て馬に乗るのは初めてではないけれど、改めてその気分を満喫した。
「キミみたいな新米が真っ先に討ち死にするんだ。なんの功績も上げないまま、無駄にね」
風に乗って騎士の声が聞こえてくる。喉声で妙な訛りはあるが、なんとなく落ち着きも感じ、さわやかで気持ちのいい響きのある声だった。いわゆるイケメン声である。
「御忠告痛み入ります。気を付けて、討ち死にしないようがんばります」
馬を落ち着かせながら、なんとか答えを口にする。
謎の騎士は一人で鮮やかに騎乗した。実に慣れた仕草だった。歳は若く、どちらかといえば細身ではあるけれど、かなりのツワ者のような自信のある雰囲気を纏う。こういう騎士が味方なら心強い。
そう思ったのもつかの間、謎の騎士は槍をこちらに向けた。
「え……」
フロードリは思わず固まる。
「何を驚いているんだ? 騎士と騎士が出会えばまず決闘! 決着が付いたら負けた方は武具を渡すか身代金を払うかして、それからどこの誰誰でございます、と名乗るものだろ」
「えええっ、そんな習慣……」
……そういえば聞いたことあったわ。フロリマー様が言っていた……騎士の中には乱暴なやつがいて、出会ったらまず槍でぶん殴って、どっちが強いか確かめてからやっと名乗る。先に名乗りあうと目上の人だった場合に殴りにくいから。そうやって荒稼ぎした旅費で旅を続けてる、と。
男と男が出会ったらまず勝負、互いの優劣を確かめる……正々堂々と争って互いに相応の実力を認めたどうしは、勝ちか負けかどちらであってもリスペクトが生じて仲良くなる。そういう、闘争本能から起こる心理は現代でもスポーツに限らずビジネスやSNSの人間関係、国家間の関係にまでしばしば見られるけれど、中世が始まったばかりのこの時代はやり方が野蛮で、騎士と路上強盗は紙一重だったのである。
フロードリは慌てて槍を構えた。
「へえ……一応サマにはなってる。けれど、場数は踏んでないようだね」
当然だ。稽古は多少やってきたが、実戦経験はない。
「それなのにそこそこ使い込まれた武具……父上か兄上のおさがりかな? だが残念ながらその鎧も槍も、キミが使えるのは今日までという運命」
冗談じゃない! 父上から黙って借りてきた武具は、戦争が終わったら返さなきゃならない。それを、戦場にも出ないうちにこんなところで奪われたらたまらない!
フロードリの全身に緊張が走った。
「フ……」
謎の騎士は笑みを漏らして馬首を廻らし、距離を取る。決闘の作法だ、こちらも得同じようにしなければいけない。
だが馬も強力そう、場数も踏んでいそう……この騎士は強敵だ。喋り方に妙な軽さも感じるけれど、突進力はフロリマー様級かそれより強いのでは思える。
丘の上で、二騎が充分な距離を取って向かい合う。
お互いに一礼する。普通ならここで
「バンザイ!」
もっと正確に訳せば「我が喜び(または、歓喜の山)」という叫びが上がって突撃の合図なのだが、謎の騎士はなぜか違う言葉を叫んだ。
「聖ジョォーーージ!」
途端に草地に馬蹄が響き、両騎がみるみる接近する。
謎の騎士のとがった槍先がフロードリめがけ、ものすごい勢いで目の前に近づいてくる。
彼女の口から出ていたのは
「バンザイーーー!」
だが心の中では
「かっ、神様ぁぁぁーーーぁあぁあぁっ!」
と絶叫し、迫りくる激痛と死の予感に恐怖のあまり、フロードリは上からも下からも盛大に涙が噴き出してしまっていた。
つづく -