溺れる者は糞情報をも掴む
貴族の子弟が騎士になるためには、よその騎士のもとで家臣として仕えることで修行する。これを「従士」と呼びます。「銃士」とは違うのでお気をつけて。
カッペル侯のところにもこの従士が何人かいて、このときはブツブツ文句垂れながら臭い厩舎で馬たちの世話をしていた。そこへフロードリがやってきて、侯爵が呼んでることを伝える。
面倒くさがって顔をしかめた従士たちだけど、近くの町の教会への使いと聞くといきなり目が輝き、先を争って走っていった。
おそらく、役目を果たした後でドロボウ市場か酒の出る店でも冷やかしてから帰って来ようという料簡だ。まあ娯楽の少ない社会だったし、しかたないっちゃしかたない。
なんやかやで司祭様の代理の学生が来て、侯爵の口述による手紙を書いた。
……これ内緒なんだけと、父上、多少は字を読めても公式文書を書けるほどの能力はなかったらしい。もっともこのころの貴族なんて多くがそんなもんだから、許してあげて。
翌日にその手紙を、また別の従士が使者となってシルヴァンタワーへ届けることになった。もちろん手紙だけでなく、出陣に際しての餞別と言うか多少の贈り物と一緒に。
朝方、使者に選ばれた従士が馬の支度をしているとフロードリが厩舎にやってきた。ドレスではなく男装に近い乗馬服姿で。
「え、姫様……」
「私も行きますよ。フロリマー様にはしばらく会えないのですし、元気づけて送り出さなきゃね!」
「いやいやいやいや!」
従士は必死に首を横に振る。
「護衛が私一人じゃ、危険です!」
中世ヨーロッパは警察組織など無い「力こそパワー」の世界。城や村から一歩外に出れば弱肉強食の無法地帯が広がっている。シャルル王の治世になってから、ならず者や盗賊騎士はだいぶ減って来てはいるが、それでもまだ皆無じゃあない。
女性が集落の外へ出るなんて、信頼できる護衛のエスコートがなければ危険極まりない行為だった。
そして護衛は自分だけでなく対象者も守らねばならないから、戦闘能力が半減する。これを唱えて「足手まとい」という。普通の男が一人だと、半人前の敵一人でやっと互角という計算……こりゃあまずい。
けれどフロードリは自信満々だった。
「これでも槍には憶えがあるわ。あなたにだって勝ったじゃない」
「いやいやいやいや! いやいやいやいや!」
従士は、相手が姫様だから手加減して勝ちを譲ったのだ。本人には、言いたくてもぜったい言えない、そりゃあああ苦しい胸の内……。
「とにかく、責任持ちきれません!」
「責任なんか求めないわよ。私が責任持てばいいんでしょ」
「いやいやいやいや! いやいやいやいや! いやいやいやいやぁっ!」
姫様に何かあれば、誰が何と言おうと同行した者が責任を取らされる。そんな重責に見合うほどたくさんの俸禄はもらっていない。
「とにかく、絶対にダメです! どうしてもと言うなら、侯爵閣下に命令をもらってください、代筆を呼んで、文書で! そして、少なくとも十人くらいの護衛を手配してください!」
「おおげさねえ……」
「何か起きてからでは遅いんです!」
「だから、それがおおげさだって言ってるの」
完全に押し問答だ。
こんな言い合いを続けているうちに日が高くなってきた。
従士仲間がこの口論に気付いて侯爵に報告……その一分後に老騎士の拳骨一発がフロードリの脳天にさく裂し、ようやく従士が出発できたときには、もう昼近くなっていた。
(注 拳骨は物語的表現です。1980年代以前には日本でもこのような体罰がしばしば行われていたものの、現代ではほぼ禁じられております。なお時代考証的にいうとヨーロッパでの子供への体罰は鞭打ちが一般的だったと思われますが、日本人にはなじみが薄いので、イメージしやすいよう拳骨と表現しました。)
「ひどいわ、父上……」
「ひどいのはどっちじゃ! ワガママで従士たちを困らせるんじゃあない!」
「ぶー!」
「そういうところを直せ、と昨日、言ったのじゃ」
「だって、もう十日もフロリマー様にお会いしてないのですよ!?」
「戦争が始まりゃあ何か月も会えないのが当り前じゃ」
「だから、ここでお会いしときたいと……」
「向こうは出陣前で忙しいんじゃ、邪魔するな! そんなんで騎士の奥方になれるつもりか!」
「いいえ、奥方なら毎日会えますし」
「屁理屈を言うな!」
もう一発、拳骨炸裂。
(注 あくまで物語的表現であり、体罰を推奨するものではありません)
「痛っっっ、たぁ~~~……」
「敵騎士の騎槍や賊のナマクラ剣が当たればもっと痛いわい! 何事も行動する前によく考えろ! どういう結果になるか、どういう間違いが発生しそうか、こうなったらこうしよう、ああなったらああすれば何とかなる、と思いつく限りの可能性をよーく考えてから、行動を決めるんじゃ!」
「……ところで父上。それだけ怒鳴り散らして人を殴れるなら、出陣くらいできるのではないかと存じ上げ奉り候にございやがりますが」
しばし沈黙。
「うっ……じ、持病の頭痛が……」
「痛いのは腰じゃありませんでしたっけ?」
「う、うるさい! とにかく、お前はワシから別命あるまで屋敷から出ることを禁ずる!」
「うわ、父上、横暴!」
「問題起こした奴は処罰して懲りさせ再発を防止する、これ領主の仕事! 憶えておけ」
こうしてカッペル侯爵は、腰と間違えて頭をさすりながら去っていった。
しかしフロードリはぜんぜん懲りてはいなかった。そのせいであの伝説が生まれ、後のヨーロッパ史も百八十度変わることになってしまう。
それから何日かが過ぎた。
時は戦争中で、外敵がすでに国内に侵入している。だから各地に情報が行きかっていた。この時代は騎馬の使者と人の噂だけが情報源だ。
「ねえ、何か聞いてない?」
フロードリが問いかけると、屋敷の下女が答えた。
「毎日言ってますけどね、お嬢様」
あきれたため息が混ざる。
「炊事場や洗濯場に来て毎回同じことを尋ねるのはおやめください」
下女の前の大釜の中では謎のスープがぐつぐつと煮立っていた。
「だって、情報収集は大切よ?」
「情報ったって、私たちが知ってるのは屋敷の関係者や村の市場で聞いた噂話くらいです」
「それだって、旅商人の話や、使者の人が宿屋でポロっと言っちゃった内容なんでしょ?」
下女が木製の大しゃもじで鍋をかき回しながら、またため息をつく。その様子を見てフロードリは諦めの気持ちになってきた。
「今日も、たいした話はないということね」
「いえ……本当かどうかはわからないんですがひとつ動きはあったと聞きました」
「!」
「王国軍のわずかな先遣隊が、セリカン国王本隊の大軍と戦ったそうです」
「え……兵力の逐次投入!?」
「威力偵察が目的だったのかもしれません」
「……中世の下女のくせに近代戦術に詳しいわね?」
「物語進行上の都合です。その種の用語を使うと説明が早いのです」
メタ発言を挟んで下女が続ける。
「ということで……『騎士は敵に背を向けてはならず、攻撃を三回受けるまでは反撃もしてはならない』という掟でもあったのか、『会敵ニ於イテハ兵力ノ多寡ニ関ワラズ必勝ノ信念ヲ以テコレト勇戦シ必ズ撃滅スベシ』という作戦命令だったのは存じませんが、とにかく先遣隊は敵主力に正面から猛烈に勇敢に徹底的に突撃したのです……そして衆寡敵せずお味方全滅」
「バンザイ!!? ……まあ、普通全滅するわね」
「かなりの討ち死にを出して、半数以上の騎士が捕虜になったとか」
「うわあ……」
「捕虜の中には十二勇士の方もいたそうで」
「え! だ、誰!?」
「宮廷の騎士ドードン様ほか2~3名とのことです」
「ドードン卿……よくフロリマー様と一緒の戦場で戦ってる方だわ。他には?」
「さあ、私は下女ですので詳しいことなど知りません。本当かどうかもわかりませんし……セリカン軍はじわじわ前進してきてるという噂くらいしか」
「セーヌ川あたりまで来るのかしら?」
「それどころかレーム、果てはアーヘンまで行っちゃうかもしれませんよ」
「そんなことになったら、レーム司教区が陥落して絶望のアーヘン首都決戦じゃない! うーん……国王陛下はどこで迎え撃つおつもりなんだろう?」
「ですから、一介の下女に国家レベルの戦略情報などは……」
話しているうちに、フロードリはどんどん煮詰まってきた。表情に苦悶が生じる。
下女はその顔を一瞥して、
「下女なんかより、侯爵閣下にお尋ねしたらいかがでしょうか?」
「父上が教えてくれるかしら?」
「そうですね……教えてもらえないなら自分で確かめに現地まで行くしかない、とでも言って脅かしたら……」
「! それ最高!」
興奮したフロードリが反射的に下女に抱き着いた。
「きゃっ、危なっ!」
大しゃもじが引っかかって窯にぶつかり、グワンと音を立てて倒しかける。
窯はグラングランと揺れて多少の熱湯が床にこぼれたが、さいわい二人ともヤケドするほどではなかった。
「お嬢様! 炊事などの作業場では危険にお気を付けを! ちょっとの間違いで神に召されるのですよ!!」
「は、はい……」
まだドキドキしている。
ふと、侯爵の「行動する前によく考えろ」という言葉が脳裏に蘇る。こういうことなのかな、とフロードリは思った。けれど、それはほんの一瞬だけだった。
「なっ、な・ん・じゃとぉぉ!」
カッペル侯爵の声が屋敷中に響き渡る。
「許さん! 絶対に許さんぞ!」
「ですから父上」
フロードリは対照的に落ち着いて、上品なお嬢風のしぐさで問いかける。
「わたくし、詳しく知りたいだけですわ。戦争がどう推移しているのかを。だから、教えてさえいただけるなら、こっそり前線に行ってみたりなんてことはいたしません、危険が危ないですもの」
「戦争の推移など、女子供の関知するところではない!」
(注 19世紀以前にはほとんどの国で女性の権利が男性に比べ制限されていることが普通でした。これは時代的表現であり、男女差別を推奨する意図はありません。)
思いっきり罵倒を返したい気持ちを抑えて、フロードリは問い続ける。
「しかしフロリマー様がどうされてるのか、気になって夜も眠れず、涙にくれているのです」
「寝不足で?」
「哀しみで!」
無粋なツッコミに胸ぐらを掴みたい気持ちが起こるが、これも必死に抑える。
「父上には知らないのですか? 恋する乙女は何するかわからないんですよ?」
「いやね、天国にいるお前の母親も暴走ぶりはちょっと凄かったけど、しかし……」
「恋する乙女に理屈は通用しないのです。感情のままに突っ走り、何もかも破壊してしまいかねません」
「は、破壊だけはやめなさい! 母娘二代で屋敷を全壊させられたりしたらたまらん! とにかく落ち着いて、リラックス、リ・ラ~ックス!」
「ですから、詳しい状況を教えていただければ納得して引き下がります。それ以上のことは求めておりません。」
「しかしな……女のうわさ話は恐いし」
「男のマウンティング欲も恐いです」
(注 物語上の表現であり、男女差別の意図は(以下略)。)
フロードリはもういちど深呼吸して、それから笑顔を作って見せた。
「……父上。父上をやりこめようとか論破しようとか、そういうマウンティング欲はわたくしにはありません。仮にあったとしも、失礼と知ってますから全力で抑え込みます。ただ、状況がわからないとイライラしてきて自分が何やらかしゃうかわからないので、そうなってしまわないよう、どうなってるのか教えていただきいと申しておるのです」
カッペル侯爵は自分の一人娘をまじまじと見つめた。笑顔だが、黒い炎のような激情が感じられる。そういえばあのときはこいつの母親も……過去の教訓は活かさなければ。
「……わかった。軍事機密に触れないことならば答えよう。何を知りたい?」
「まず、国王陛下はどこで決戦するおつもりなのかです」
「ワシの知ってるところでは……パリの町とプロヴァンス地方の間のどこかじゃ」
「範囲、広すぎ! フランスのほとんど半分じゃないですか」
「とにかく、セーヌ川より南で敵をやっつける。そして籠城戦はせず、積極的に攻撃して撃破する方針と言うことじゃ」
カッペル侯爵はドヤ顔でシャルル王の戦略を語りだした。けっこうヤバい範囲に踏み込んでいるが、相手の知らないことを知っていると自分の方が偉いという気持ちになるためついつい自慢気に語りだす……そして、相手の関心を惹きたくてついつい秘密のことまで喋ってしまう。特に男性が女性に対してしばしばやらかす、マウンティング行為のひとつである。
こういう欲求は、上手に使えば信頼関係を深めたり双方の教養を涵養したりの役立つが、下手にやらかすとただの自慢話となりイヤな奴になってしまう。
(注 男女差別は(以下略)。)
「父上はパリあたりへ参陣するようにと指示を受けたのですか?」
「うむ! 軍勢は無理せず何人でもいいとのことだったがな」
「ではフロリマー様もパリに……」
「いや。フロリマー殿は先遣隊の副隊長を拝命して直接、最前線に向かったそうじゃ」
「え……」
フロードリの脳内に、低い金属音が鳴り響いた。心臓が早鐘を打ち出す。
先遣隊? 先遣隊って、たしか全滅……
フロードリの焦りには気づかず、カッペル侯爵は続ける。
「国王シャルル陛下への手紙を預けようとしたのだが、それはもともと無理な話じゃった。さらに言えば使者は部隊の進発に間に合わず、フロリマー殿に会えなかった……お・前・の・せ・い・で・な。」
「あ……は、はい、それについては反省しております」
頭が混乱して、考えがまとまらない。なので父上のマウンティングにもつい素直にへりくだってしまうフロードリだった。根は素直な少女なのだ。
だが相手が素直な反応をすると、無意識でどんどん態度がでかくなってしまうのがマウンティングというカルマ、人間のサガなのだ。
「ともあれ、指定された期日に間に合うよう手紙を届けるには、明日の昼までに使者をパリへ送らねばならん。ワシは今、使者の人選と準備とでいっぱいいっぱいなんじゃ。何日もかかる上に国王陛下への直接の使者を一人で行かせるわけにもいかんしな。これ以上、面倒をかけるでない」
「は、はい……」
フロードリの返事は完全に上の空。
父親との会話を終えると、彼女は足取りもおぼつかなく、歪んだ視界の中をふらふらとしながら自分の寝室へ帰っていった。
つづく -