時代の再到来
――千年、経った。
霧の向こうの奥深く。真っ暗闇な空間の中でソイツは目を覚ました。
永らく動かしていなかった巨体の細部細部へと力を込める。
右脚、左脚、右腕、左腕、右翼、左翼、尻尾……それぞれに力を込めるたびに空気が震え、空間を揺るがした。もしここに、ソイツ以外の何かがいたとしたら、この時点で既に逃げ出していただろう。
ソイツは、龍の姿を模していた。全身を堅固な鱗に覆われ、頭部に立派な角を日本備えた、全高何十メートルにも及ぶ身体を持つ、「天龍種」。
最期に、両の瞼を押し上げる。瞳に黄金の光が戻る。
そして、天に向かって咆えた。
――――――――ッ!!!!!
その咆哮は、その空間に小さな歪みを生じさせる。次の瞬間、それに耐えられなくなった天井部分が崩れ落ちた。
大崩落。大量の岩盤がソイツを押しつぶすように降り注ぐ。
だが、ソイツはそれを前にして、指一本、動かさない。
直後。
激しい閃光と共に、落ちてくる大量の岩盤が消滅……否、気化。
瞬時に膨張する空気。それが今度こそ真上の岩盤を吹き飛ばし、地上までの道を開通させる。
紛れもなく、ソイツの仕業だ。千年振りだが衰えていない力に、ソイツは満足の笑みを心の中で浮かべた。
頭上の大きな穴からは、美しいほどに澄んだ青が覗いている。
ソイツは懐かしむように遥か上の青い空を見上げ、翼を大きく広げた。そして、大きく羽ばたく。暴風が辺りに吹き荒れ、その巨体を空中へと押し上げる。
そのまま遥か上空へ。
恐るべき速さで大空へと舞い戻ったソイツの全身の純白の鱗が、日の光を反射して輝きを放つ。
そしてその頭部を高く持ち上げ、再度大空に咆える。
不思議なことに、「天龍種」のソイツには角が一本しか無かった。本来あるはずの右角は、半ばからへし折られたように失くなっている。
ソイツはそのことを思い出す。何故、世界最強種と呼ばれる自身が、角を失っているかを。
そして、その瞳を怒りに濁らせ、「人類語」でこう呟いた。
「――手始メニ、アノ精霊クズレノ人間ヲ滅ボストスルカ」
まるで、どこかにいる右角の仇に語り掛けるかのように。
そして、千年の間眠っていたねぐらに別れを告げて、その場を大きく旋回した後、彼方へと飛び去っていく。
◇◇◇◇
昼間なのに光がほとんど入っておらず、薄暗い建物の中。緊迫した空気の中、二人の男女が会話をしていた。
「あやつが動いたわ」
「そろそろだとは思っていたが……よりによって今か」
男……ルーデン・ディセウザーは神妙な顔で頷く。
「さて、どうするかね……」
あやつ……世界を滅ぼしかねない化け物。破滅の象徴。
その正体はすぐ隣、「霧の大陸」のどこかで眠っているといわれる《《巨龍》》。
存在している時点で既に、世界の平和を、種族の均衡を崩しかねないと言われていた。
なら、眠っている間に倒してしまえばいい、普通そう考えるだろう。だが、それは叶わない。眠っていることはわかっていても、肝心の「どこで眠っているか」、そこに問題があった。
眠っている場所は、目の前の女が三十年かけて特定した。だが、問題はその場所だ。
――今の人類では、そこまで行くことができない。
ルーデンは、仕方ない、そう言うと顔を濁らせた。もう少し、あと《《二十年程》》遅かったら状況は変わっていただろうか。
「あの作戦を使うしかないのか」
あの作戦……人の身だけでは敵わない相手に、人の身で挑むのは無謀、というか自殺行為だ。
ならどうするか。簡単だ。最高の舞台を用意すればいい。こちら側の《《全技術》》をもって相手出来る舞台を。
「舞台は俺達で用意しよう。問題は……」
どうやって、あやつを舞台に参戦させるか、だ。
つまり、「餌」が必要になる。だから、ルーデンはこの作戦は使いたくなかった。
だが、世界の存亡がかかっていると言っても過言ではないこの状況で、そんなことを考えている暇はない。
――さて、「餌」の確保をどうするかだが……
ふと、いつでも手が空いていて、またそれをするに相応しい人物に思い当たった。
「グランを呼べ。あいつに行かせるぞ、適任だろう」
「わかったわ」
そして目の前の女は踵を返す。
ルーデンもまたその場から立ち去り、次は書庫へと向かった。
そこで探し出したのは一冊の英雄譚。
そのとある部分を開く。
その部分から、不自然に続く白紙のページ。それを見て彼は笑う。
「ふふ、この白紙、埋まればいいのだがな」
◇◇◇◇
同刻。
「行くぞ」
特大の大剣を構えた大男が、仲間を連れて霧の向こうへと歩き出した。
「では、行ってきます、父上」
装飾の施された金色の剣を、胸の前で握った青年が親に別れの挨拶を告げる。
「仕方ないな、全く。それにしても何でそんな端くれの街に行かなきゃならんのかね?」
商隊の荷車の上で、面倒事を吹っ掛けられた男がため息をついた。
「シア、僕はどうすればいいの?」
最果ての村で、大切な人を失って心を壊した少年が大空を見て呟く。
「今日もギリギリ……食べ物を手に入れられたよ、母さん」
どこかの路地裏で、ボロボロの服を着た少年はそこにいない誰かに語りかける。
「――――」
最強の男は、今もまだ結晶の中で長き眠りについたままだった。
かくして、役者は出揃った。
今、「止まってしまった時代」が再度、動き出す。
そう、それは「英雄時代」。
波乱の時代の――幕開けだ。
読みにくいところや質問などあればどうぞ。
ちなみにまだ本編には入ってないです。