第九十四話:世界蛇
購入したフードの付いた黒いマントで全身を包んだシオンの姿は、それはそれで注目を集めそうな怪しさであるが、冒険者の中には同様に全身をマントやローブで覆っている者もいるので、ダークエルフであることよりも珍しくはない。
昨日の雨で地面は濡れていたり水溜まりができていたりしているが、今日の天気は概ね晴れと言えるものだった。
エディソン鍛冶屋から銭貨通りを引き返して預かり屋に鉱石を預け、北門通りを通り越して間道通りの入口までやって来る。薬屋アヘッド。目的地で間違いないことを確認してから扉を開けると、青臭いとも清涼とも言えない独特のにおいが懐かしい。
「いらっしゃいませ……っ!」
カウンターの奥で慎ましく店番をしていたタバサさんは、俺の姿を見るなりマスクに覆われた口元に両手を当てて驚いた。
「お久しぶりです」
想像以上に驚かれたのがなんだか照れ臭い。今日、俺が店に来る未来は見ていなかったのか?
店内を進み、カウンター越しに対面したところで、タバサはようやく驚きから解放されたようだ。三角帽子とマスクを外して微笑みかけてくれた。
「お久しぶりでございます。よくぞお戻りくださいました」
「少し遠出していました。その甲斐あって、良い物を持ってきました」
ハデスから貰った袋をバッグから取り出し、カウンターの上に置いて紐を緩めた。口から覗く赤、青、黄緑、黄の四色の玉を目にした瞬間、タバサさんは目を見開いて放心状態となった。
「マナ結晶です。どうか受け取ってください」
「あぁ……ありがとうございます。ありがとうございます!」
感極まった様子でお礼を言うタバサさんの目尻には涙すら浮かんでいる。
え……あれ、これ、なんか言った方がいいの?
「これだけいただければ、わたくしの目的も果たせます」
「目的ですか?」
あ、しまった。何か言おうとする気持ちが逸ってしまった。
「はい。子供の頃からずっと……ずっと目指していた事です」
目を伏せ、感慨深くマナ結晶を見つめる姿に俺の心臓はドキリとした。ただし、それは好意的なものではなく……何か良からぬ事が起きる予感のようなものだった。その予感をどう口に出そうか、目的について詳しく聞けないかと迷っている内にタバサさんが顔を上げた。
「失礼いたしました。こちらのマナ結晶のお代を用意いたしますので、少々お待ちください」
そう言ってから直ぐに差し出されたトレイには、見慣れない大きさの銀貨が四枚。
「…………」
「非常に状態が良い物でしたので、一つ千ゼースで買い取りさせていただければと思います」
一つ千。四つで四千。
「さ、流石に高すぎませんか? 失礼かもしれませんが、お店の経営とか、生活に負担は掛かりませんか?」
大金にビビる俺を見て、タバサさんはクスリと笑んだ。
「お気遣いありがとうございます。ですが、問題ありません。価値ある物に相応の対価を支払うのは当然でございます」
それはそうなんだけども……。
「シオン、代わりに受け取ったら?」
「え、あたい?」
「レイホはビビってるし、おれだと失くしそうだから」
「まぁ、持っておくだけなら別に構わないけど。はい、ちょっと失礼するよ」
横から伸ばされた手に大銀貨四枚が取られる様を見ることしかできない俺は、この上なく情けない存在であるだろう。
「レイホさん」
「は、はい?」
「誠に勝手ではございますが、マナ結晶回収のお願いはこれにて完了とさせてくださいませ」
「あ、はい。分かりました」
必要数に達したのならば当然の話だ。思っていたよりも早く……いや、まさか達成できるとは思っていなかったけど、役に立てたのなら良かった。
「しがない薬屋ですが、わたくしにできることであれば協力させていただきますので、何なりとお申し付けくださいませ」
「ありがとうございます。タバサさんの薬にはいつも助けられています」
「それは何よりでございます」
「早速なんですが、煙幕に使えそうな薬はありますか?」
「煙幕でしたら……そちらの棚にある薬がそうでございます」
示された先にある棚を見ると、そのまんま煙幕薬と書かれている瓶を見つけた。少し濁った液体の下に灰色の砂が沈殿しているような薬だ。
「使用する際は振って混ぜ合わせる必要がありますが、よほど大きな魔物相手でない限りは有効な煙幕が張れます。煙幕薬自体に毒性は有りませんが、他の毒薬と合わせることが可能となります」
「これも小分けにしてもらうことはできますか?」
「はい。もちろんです」
予想通りかつ理想的な煙幕薬だったので購入を決定し、他にも回復薬や毒薬を買い足す。シオンとアクトもそれぞれで必要となる薬を購入したようだ。
「タバサさん、一つ聞いてもいいですか?」
「なんでしょうか?」
「プリムラという少女について、なにか聞いたことはありませんか?」
「プリムラさん、ですか……いえ、申し訳ありませんが、存じ上げません」
やはり、というのは聞いておいて失礼だけど、そう簡単に情報は得られないか。
「その方がどうかされたのですか?」
「どう……したのか、俺もよく知らないんですが、助けを求められまして……」
「そうですか。……特徴など、差し支えなければ教えていただけませんか? わたくしでお力になれるかは分かりませんが、何か分かればお知らせいたします」
普段の穏やかなものではなく、力強さすら感じる真剣な表情に思わず圧されそうになったが、俺はプリムラについて知っていることは全て伝えた。
「かしこまりました」
念入りにメモまで取ってくれるタバサさんは、やはり別人のように気合いが入って見えた。なんでだろう……?
「それでは、そろそろ冒険者ギルドに向かおうと思いますので、失礼します」
「あ、はい。ご利用とマナ結晶の件、本当にありがとうございました」
いつもの穏やかな笑みと、丁寧なお辞儀に見送られて薬屋を後にした。
「……さて、少し忙しくなるかもしれませんね」
扉が閉まり静寂が訪れた店内に浮かんだ言葉は、誰の耳に届く事もなく消えて行った。
間道通りをひたすら南下し、途中でアクトにせがまれて屋台で串焼きを買い、参集通りを進んだ先にある赤レンガの建物――冒険者ギルドに到着した俺たちは、居合わせた冒険者たちに包囲されながらエリンさんに魔界での件を報告していた。
事の発端は、ギルドに踏み入って直ぐだった。いきなり銅星の希望の三人に出くわし、うっかり魔界に行ってきたことを口にしたのがいけなかった。魔界という単語に、喧騒とも取れるギルド内が一斉に静まり返った。それから見たことも話したこともない冒険者連中が群がって来たわけだが、銅星の希望が人避けとなってエリンさんの下まで辿り着くことができた。
「えーと、これで、以上、です」
蛇の抜け殻と出発してからクロッスに戻ってくるまでの顛末を、魔界の鉱石を貰ったこと以外、洗いざらい吐き出して圧迫尋問とも言える報告を終えたが、包囲は解かれない。「大したもんだ」と讃えてくれる声もあれば、「本当にあんな奴が?」と疑う声もある。また、「なんであんなのが」と妬む声もあれば、「あれダークエルフだろ」と卑しむ声もある。
騒然としてくる雰囲気だったが、エリンさんが手を叩いたことで一蹴された。
「はい、騒ぐなら解散しなさい! っていうか散りなさい!」
エリンさんが声を張り上げると、冒険者たちは蜘蛛の子を散らすように去って行く。
「はぁ……」
振り返らずとも包囲が解かれたことが分かり、思わず溜め息を吐いた。
「ごめんなさいね。初めから聞くなって言っても、その辺で聞き耳立てられるだけだから野放しにしちゃって」
近くで圧迫されるか、至る所から聞き耳と意識を向けられるか……どっちもどっちだな。
「いえ、エリンさんが謝ることじゃないです」
「ありがと。それにしても……えぇっと、ちょっと待って、情報量が多くてあたしも上手く整理できてないわね」
苦笑して額に手を当てているエリンさんであったが、やがて意を決したように頷いた。
「あなた達、よく帰って来てくれたわ。魔界へ行き、情報を得て生還した。あなた達は間違いなく冒険者の誇りよ」
面と向かってそう言われると恥ずかしいけど、エリンさんが真面目に言ってくれている手前、情けない姿はできない。毅然とした態度で賛辞を受け取った。
「今話してもらったことは、ギルドの方で情報として記録させてもらうわね」
「それは構いません」
嫌だと言ったところで、もう話してしまったし、その他大勢にも聞かれてしまっているから何の展開も見込めないだろう。
「うん。情報料はこっちで査定してから支払うから、何日か待ってちょうだい」
「分かりました」
「これだけの成果を上げたのだから、三人とも昇級は間違いないのだけど、これもあたしの一存じゃ決められないから……明日また来てくれる?」
「はい」
昇級か……能力値の更新はその時にまとめてでいいか? あ、でもシオンをパーティに追加するから今日やっておくか。
「レイホたちからは何か質問ある?」
質問か……プリムラのことや、不在だった三週間で何か起きていないか、聞きたいことはいくつかあるけれど、ギルドで聞きたいことと言えば……
「蛇の抜け殻の人たちはどうなりましたか?」
「彼らね……今はもう蛇の抜け殻ではなくなっているわ」
思わせぶりな言葉だったので質問を重ねようとしたが、エリンさんの目に制される。蛇の抜け殻ではないって……全滅したわけじゃなさそうだな。確かアルヴィンは俺をユニオンの勧誘に来ていたし、まさか……。
「複数のパーティと連合を組んでユニオン、世界蛇を結成したわ」




