第九十話:異変
更新再開していきます。
前回のあらすじ:次元の境穴を抜け、ソラクロに別れを告げ、地上へと向かった。
白い門を抜けた先は真っ暗な闇が広がっていた。門は音も無く閉じてしまい、自分が前進しているのか曲がっているのかも分からないまま歩かされる。門を抜けた瞬間、自分の中から何かが抜けた気がしたけど、体に異常は感じられない。少し歩いている間に、何かが抜けた感覚が本当にあったかどうかも忘れてしまった。
なんの説明も無かったから門を潜れば直ぐに地上かと思ったけど、どこに向かって歩けばいいんだ?
暗闇の中で自分の足音だけを聞いて歩いていると、いつの間にか視界には明かりが広がっており、先に来ていた二人の姿が目に入った。
「あ、来た!」
「もういいの?」
薄暗い洞窟の中で、そこだけ生命が宿るのを許されたかのように、円形に整えられた芝生と一本の木が生えていた。二人は芝生の上に座っており、頭上に伸びている木の枝には白銀のリンゴが実っていた。
「えっと……」
地上に戻って来た筈なのに頭は混乱する。どっちから聞けばいいのだろうか……この場所? それともリンゴの木について?
「ここはどこかの魔窟の最深部だと思うよ。魔窟の奥には白銀のリンゴがあって、それを食べると魔界に行くことができるって話だし」
俺の疑問符を浮かべている様子に気付いたシオンが説明してくれた。黄金のリンゴだけじゃなく白銀のリンゴなんてのもあるのか……。こんな場所に生えているってことは誰かが植えたわけじゃないだろうし、謎の存在だな。
「魔界には用ないんだし、出口探そう」
大太刀を背負い直したアクトに促され、魔窟の出口を探すことになる。ヘルゲートを抜けた後、どこに繋がっているのか聞いておけばよかったな。オーバーフローのことだとか、黄金のリンゴだとか、幻獣のことだとか聞いて忘れてしまった。
クロッスの西にある魔窟から魔界に入ったと言うか転送されたわけだけど、都合よく同じところに帰って来れてるのかな? マナの流れで形を変えるし、あの時初めて来た場所だから判別できん。
「どんな魔物が出て来るか分からないから、慎重にな」
次元の境穴じゃないから魔獣ではないし、鎧武者やワイバーンみたいに強力な魔物とそうそう出くわすとは思えない。けれどそれは何の根拠もない、俺の中にある弱気な部分が生み出した希望的観測でしかない。ハデスの餞別の効果も適用外になっているだろうし、ここでは死んだら終わりなんだ。
「っ!?」
突然重くなった心音に戸惑って胸を掴む。
「大丈夫?」
隣りを歩いていたシオンに気遣われ、前を歩いていたアクトにも気付かれて進行が止まった。
「少し……動悸がしただけだ。大丈夫、先に進もう」
死に戻りの後遺症かと思ったけど二人は何ともないようだし、単純な疲れだろうな。こんなどこか分からない魔窟はさっさと抜けて、ちゃんと落ち着ける場所で休みたい。
胸の違和感は直ぐに消え、暫く魔物と遭遇することなく魔窟を進めたが、出口も中々見つからない。
「ブオォ!」
「フガッ!」
「ブオォォォォ!」
洞窟の景色が草原に変わった途端に魔物の咆哮が聞こえた。
この声はオークか。
間も無く姿を現した豚顔の人型と答え合わせをしつつ数を確認する。草原に生えた草は膝くらいまで伸びているが、姿を隠すには不十分だから、今見えている六体が全てと思っていいだろう。陣形も無くバラバラに正面から突っ込んでくる。
何度も死んだとはいえ、次元の境穴で鍛えられたんだから、俺だって少しはやれるようになっている筈だ!
戦意を高ぶらせて翔剣の柄に手を伸ばすが、抜くことは疎か柄を握ることすらできない。手に思うように力が入らない。
俺が指示を出すまでもなく、アクトが前に出てシオンがサポートするといった連携により、オークは取り漏らされることなく各個撃破されていく。
なんで……なんでっ!! こんなに手が震えるんだよ!?
震える右手を押さえ付けようと左手で掴むが震えは止まらない。震えているのが右手だけでなく左手もだったと気付いたのは、六体全てのオークが地面に伏した後だった。
「いえ~い! 楽勝!」
「レイホ、魔石は……レイホ?」
オークが迫って来た時よりも緊迫した空気が流れる。二人が駆け寄って来る頃には震えは治まっていたが、隠しておけるものじゃないし、隠しちゃいけないことだ。
「悪い。原因は分かんないけど、体がおかしい」
「少し休もう。ここなら草を踏み倒せば横になれそうだし」
「いや、気分が悪いわけじゃないし、歩く分には問題ない。戦いは二人に任せることになるけど、早くここから出よう」
元々戦力としての期待値は低いんだ。俺が戦えなくて困るってことはないだろう。
深呼吸を一つして、自分の体に異常がないか問いかける。……息苦しくもないし、どこも痛くない。ここまで歩いて来た分の疲労感はあるけど怠さはない。思考もちゃんとしてる。
「大丈夫。いける」
「ん、わかった。敵はさっさと倒すから」
「きつかったら直ぐに言って!あたいが背負ってでも町まで連れて行くから!」
「ああ。頼りにしてるよ」
ガラにもないことを言った。まだ動揺してんのか? 落ち着け、オーク程度なら大群でもない限り二人の敵じゃない。戦えないって分かってるなら逃げに徹するまでだ。
魔石については回収する時間が惜しいので放置することにして、アクト、俺、シオンと一列になって出口を探す事になった。二人の警戒心が異様に高まっていたので、妙な歩き辛さを感じたけど我慢だ。
その後、ラミアやコボルトが出て来たが、集中力の塊になっている二人の前ではただの雑魚でしかなかった。
二人が自覚しているかは分からないが、次元の境穴を潜り抜けて更に力を付けたんだろうな。
「グァン!」
コボルトの群れを倒し切ったと思いきや、俺の背後から怒気と殺気の入り混じった爪が襲い掛かって来た。
「ぅっ!」
振り向きざま、横か後ろにステップして回避しようと思ったが、足が縺れて転んでしまう。結果的にコボルトの爪を回避することはできたが、ただのその場凌ぎでしかない。
どうする……次はどう来る!?
尻もちをついた状態でコボルトの動きに集中する。縦に切り掛かって来たら横に身を捻る。薙いで来たら上半身を反らす。
「グアァァ!」
両手を広げて跳び掛かって来るコボルトに対し、俺は体を横に転がそうとして、そこで漸く体の異変に気付いた。
脚にも震えがっ!?
自由の利かない体に歯噛みした瞬間、背後から空を裂く風と声が飛んで来た。
「伏せて!」
シオンの言葉に体が反応した時には既に、投擲されたショートソードがコボルトの下顎に突き刺さっていた。致命傷になり得る一撃であったが、飛び掛かって来たコボルトの体は止まらない。体を倒し切った俺に覆い被さるように跳んで来るが、コボルトより先に俺の頭上を跳んだのはシオンだった。跳び膝蹴りでコボルトを吹っ飛ばし、刺さったままのショートソードで喉を切り裂いて絶命させた。
「ふぃ~。危なかったぁ。一匹隠れてたか」
掻いてもいない額の汗を拭いながらショートソードに付着した血を振り払う。
「大丈夫?」
遅れてやってきたアクトが、顔の前に手を差し出して来た。俺はそれを握る前に脚に力を入れてみると、さっきまでの震えが無かったかのように動いた。
「ん? どっか怪我した?」
「あ、いや……大丈夫だ」
アクトの手を借りて立ち上がり、シオンへ助けてくれた礼を言ってから再び出口を探し始めた。
敵が出てこない状況であれば、翔剣を抜くことも振るうこともできる。振りの速さや体重移動なんかは以前よりも良くなっているぐらいだ。なのに、魔物を目の前にすると手足の震えが止まらなくなる。
戦闘時だけ体に異変が起きる呪いでもかけられたか? でもどこで? シオンやアクトは平気そうだし、鎧武者やワイバーンと対峙した時は、力の差を感じはしたけど震えることはなかった。ワイバーンの後は何とも戦っていないし……なんだかよく分かんないけど、厄介事が一つ増えやがったな。
体に異変が起きてしまったが、強力な魔物に出くわす事なく、無事に魔窟の出口まで辿り着けたのは幸運だったと言えるだろう。




