第八十八話:片翼の装甲飛竜
投稿遅れました。申し訳ありません。
「ギシャァァァァ!!」
洞窟から広間へ走り出した瞬間に見つかり、威嚇の咆哮を全身に浴びることとなった。
広間は全体が熱を持った岩盤に囲まれているので強い熱気を感じるが、そんなことで足を止めるわけにはいかない。
俺たちを見下ろすワイバーンの姿は体長や翼の大きさなど、おおよそ予想通りであったが、その鱗は鋼鉄に似た銀色をして体全体に鎧を纏っているかのように見える。威嚇の為に広げた翼は片翼しかなく、長くある筈の尻尾は根元から切れていた。
何故手負いなのか、そんな事を気にする余裕はない。早く、早くと足を動かし、遠い出口へと急ぐ。
出口に入ってしまえばワイバーンの体では、追って来れない。火炎のブレスを放たれたら一溜まりもないが、正面切って戦えば俺の命は更に儚く散ってしまう。
「ギシャアッ!」
何か仕掛けてくる。首だけワイバーンへ向けて確認すると、足元に転がっていた岩石を片足で持ち上げるところだった。
「岩が来るぞ!」
俺の声に呼応し、ワイバーンは足で岩石を投擲した。人間を容易に押し潰せる質量の岩石は、放物線を描きながら俺たちの頭上を越え、出口の直ぐ上にぶち当たって破砕した。
道を防がれた訳ではないが、細かく砕けた岩が障害物と化している。
「ちっ、レイホ先行って!」
前を走っていたアクトが横にずれたと思うと反転し、ワイバーンと向かい合った。
「アクト!?」
最も弱い者を先に行かせる。全員が生き延びる為には必要な選択だと思うが、今回に限っては無謀だと言わざるを得ない。
手負いだが……いや、手負いだからこそか、鬼気迫る眼光で俺たちを射殺さんとするワイバーンを相手にして、無事で済む筈がない。
けれど、俺に何が出来る? 力も速さも技術もない俺が……。
動きが緩んだ足を、奥歯を噛みしめて再加速させる。
何もできない……俺が居たって何もできない。少し前、鎧武者と対峙して身にしみて理解したじゃないか。俺に出来ることがあるとすれば、一秒でも早くこの広間を抜け、アクトが撤退できるようにするだけだ。
振り返らずに走る俺の背中を追う足音が無いことには気付いていた。
「ギシャァァ!」
振り返ったアクトがワイバーンの咆哮に晒されたのは、間もなくの事だった。
尻尾と片翼を失い、平衡感覚が狂っている為に蛇行しながらの突進となったが、それが反って予測不能の動きと化していた。
「くっ……!」
ただでさえ横幅があり、回避するにも大きな動きが必要になるというのに、蛇行までされては動きを読んで回避する方向を決められない。思わず顔を顰めるアクトであったが、その体を攫ったのは銀翼ではなかった。
温かな腕に抱かれて浮かび上がった体は、重い熱風を感じながら地面に落ちた。
「あっぶなぁ! アクト、怪我ない!?」
「ん……助かった。ありがとう」
シオンに押し倒される形で倒れていたアクトは、お礼を言いつつも容赦なく押し退けて立ち上がる。
「行かせるか!」
倒れた二人には目もくれず、逃げるレイホを追うワイバーンに向かって大太刀を投擲しようとするが、それより早く、回転させたショートソードが宙を駆けた。
「ギシャァァァァ……!!」
ワイバーンの牙がレイホの背中を捉えるより一瞬早く、ショートソードが尻尾の傷口へと突き刺さった。レイホは間一髪で逃げ切れたと思われたが、暴れ狂ったワイバーンの銀翼に背中を殴打され、すっ転びながら出口に到達した。
「でかい方を投げたらアイツと戦う時、不便になるでしょ」
「……そっか」
「ブラスト撃つからね。少しだけ注意引いて」
アクトが頷きを返すのと、二人の方に向き直ったワイバーンが首を反らせ、喉を膨らませたのは同時だった。
「ブレスが来る!」
シオンが声を張り上げた時には既に二人は左右に散っており。ワイバーンが放った火炎は無人の地を焼くだけに終わった。
「ギ、ギャッ!」
火炎を右か左かに薙ぎ払おうとしたワイバーンであったが、喉を詰まらせたように咳き込んだ。
様子がおかしいと思いつつも、これ以上にない隙を見逃すわけにはいかない。シオンは足を止めて詠唱に入った。
「マナよ、我が下に集結し悪意を払う大いなる雷と転じよ。ライトニング・ブラスト!」
雷のマナがワイバーンの下に集結していく。身の危険を悟ったワイバーンがシオンに向かって突進を開始するが、もう遅い。その足が一歩踏み出されるかといったところで、雷の轟音が鳴り響く……筈だった。
異変にいち早く気付いていたのは魔法を行使していたシオンだった。魔法名を含め、詠唱は完璧だった筈なのに雷のマナの集まりが悪かった。熱気に包まれた環境が悪く働いたのだと悟るが、マナを操る為に体内を流れている魔力の関係上、魔法の発動が完了するまでは動くことができない。
このままでは魔法の効果範囲からギリギリ外れてしまうかといったところで、ワイバーンの横からアクトが走り込んだ。
「ギシャ!」
相変わらず安定していない体勢での突進であったが、アクトが接近したことで大きく揺れ動いた。距離を離そうとした訳では勿論ない。寧ろその逆で、ワイバーンは迫る小さな体躯の人間を迎え撃つべく、走りながら体を回して片翼で地面を抉った。しかし、及んだ影響はそれだけだった。アクトは自分が接近した時点で、ワイバーンが走る速度を緩めないと分かると後ろに跳んで攻撃の範囲外に逃れていた。
ワイバーンが直進しつつ一回転して、大きく崩れた体勢を整えていると、背後で雷の轟音が鳴った。爆発の余波はワイバーンの外皮を撫でたが、負傷させることも雷特有の麻痺を与えることも叶わなかった。ただ、ワイバーンが体勢を整えている間にシオンは魔法の硬直が解除され、既に後ろ走りで距離を取り始めていた。
「ここ、あたいの魔法は使いにくい!」
「じゃあ先に逃げなよ」
「アクトの方が位置的に逃げやすいでしょ!」
シオンから見て出口への進路はワイバーンに阻まれており、アクトはワイバーンの左に位置している。シオンを見捨てればアクトは出口まで辿り着ける可能性が高い。
「だからだよ」
それだけ言ってアクトは大太刀を横に構えてワイバーンに接近する。これまでシオンを正面に捉えていたワイバーンは、瞳をアクトに向けると片足を上げて蹴りを繰り出した。
【ディスグレイス】で蹴りを躱して回り込み、軸足を斬り付けようとしたが、片足を上げたことで体を支えられなくなったワイバーンが背中から倒れたことにより回避を余儀なくされた。
「ギシャ、ギシャアァァァァ!」
「あぁ、やりづらい……」
両足と片翼をバタつかせて暴れ回るワイバーンに大太刀を振るうが、悉く鎧のような鱗と爪によって弾かれてしまう。
今なら発動が遅くなっていても魔法を直撃させられる。そう判断したシオンは魔法の詠唱を開始しようとして……ワイバーンの喉が膨らんだのを捉えた。
「アクト!危ない!」
声を張り上げた直後に放たれる火炎。依然として暴れ回っていて狙いは出鱈目だが、それ故に回避に専念する必要がある。離れているシオンも、接近していたアクトもワイバーンの動きを凝視し、首が振られるタイミングで回避行動を取った。
今度は咽ることなく火炎を吐き終えたワイバーンは、暴れるのを止めて立ち上がった。火炎に身を焼かれる脅威は去ったが、依然として敵意剥きだしのワイバーンと対峙させられる。隙を見て逃げ出したくても、唸り声を上げたワイバーンは微かな動きも見逃すまいとしている。
膠着状態が続くかと思われたが、アクトが動き出すまでにそこまで時間は掛からなかった。出口やシオンから離れるように走る動きはワイバーンからも離れる動きとなったが、動きに敏感になっていたワイバーンは反射的にアクトを追った。助けに駆けだそうとしたシオンであったが、脚に力を籠めて堪え、体内のマナに集中する。
「マナよ、我が下に……」
「ギシャアッ」
詠唱を開始した直後、ワイバーンが振り向きざまに片翼で地面を抉った。飛来する石礫に体を打たれたシオンは詠唱を中断される。
「いったぁ……」
動きに支障が出るような怪我にはならなかったものの、腹部や脚部の肌が露出していた所からは血が滲んでいた。
アクトとワイバーンは広間の中央より少し入口側で戦闘を開始している。シオンの足ならば出口まで一直線に走れば、たとえ気付かれても逃げ切れるだろうが、そんな選択肢、彼女の頭の中には刹那の時も生まれなかった。魔法は発動までに時間が掛かり過ぎる。だが、ワイバーンを装甲諸共に屠ることができる攻撃は魔法だけではない。これまでほとんどの時間を背負ったままでいた得物を両手で構えた。
「ギシャァァァァァァッ!」
ワイバーンの悲鳴が空間をかき乱した。
「ふー……。いい加減、静かにしろよ」
大太刀を構えながら深く息を吐くアクトの額には汗が滲んでいる。広間は熱気に包まれているが、この汗はそれだけが原因ではない。気が抜けないのだ。片時も。一瞬でも気を抜けば、ワイバーンの大質量の一撃はアクトの体を容易に破壊する。だが極限の緊張感の中、相手の攻撃を捌いて傷を負わせたのはアクトの方であった。足の爪による蹴り出しを躱し、ワイバーンの下を潜り抜ける形で鱗に覆われていない腹部を斬り付けたのだ。
血で己の足と地面を濡らすワイバーンは気付いていなかった。矮小な存在に傷を付けられた怒りで周りが見えなくなっていた。腹部から伝わる痛みの所為で、背後に圧しかかった重みに気付くのが遅れた。事態に気付いたのは、己を破滅させる紫電にその身を震わせた時だった。
「いっけぇぇぇぇっ!!」
雷のマナを充填させた杭に更に技力を注ぎ込む。爆発寸前だったエネルギーに別の力が加わったことで、ぎりぎりの所で保たれていた均衡が打ち破られ、行き場を失ったエネルギーは逃げ場を求め重厚なる杭を押し出した。
轟音。
岩盤を揺るがし、堅牢な装甲を持ったワイバーンを背中から真っ二つに弾け飛ばした。その威力、その迫力を間近で見たアクトは耳を塞ぐわけでも、身を硬くするわけでもなかった。
「おー……すっげぇ……」
大太刀を持った腕を脱力させ、丸くした目で、宙を舞ったワイバーンの上半身が地に落ちるまでを追った。




