第八話:緑の小人
明くる日も俺は東の森へ採取に出掛けた。マタンゴや他の魔物との遭遇を警戒していたが、運良く魔物と出くわすことなくサルブハーブを二十株採取して十ゼースを稼いだ。
今日は買い出しなどが無く、日中の早い内から採取に出掛けたので、ギルドに報告した後もまだ時間があった。エリンさんは休みでギルドにいなかったので、他の職員の人と軽く相談してもう一つ採取の依頼を受ける事にする。
採取依頼の出ていたパラリーフは黄色の割合が多い黄緑色した厚い丸い葉で、低木に生えている。体内に含むと神経を麻痺させる効果のある葉っぱだと、ギルドの資料室に載っていた。
採取するものは違えど、やることは変わらない。視線を下にむけて目的の葉っぱを探しつつ、適度に周囲を警戒する。生き物の気配なんかは分からないので目視確認だ。
町から離れすぎると不安なので、放射状に探索しているつもりだが、地図も土地勘もないので正しく歩けているかは分からない。ただ、前進する時は必ず西と思われる方向を背にして歩くようにしている。危険を感じたら回れ右ダッシュ一択。
サルブハーブは至る所に見かけるが、目的のパラリーフは中々見つからない。サルブハーブも採取して、薬屋に直接売ってみるか。後でパラリーフを見つけても、葉っぱならそんなに籠の容量必要ないだろうし。
専ら草刈り用となった初突でサルブハーブを採取し、また歩き始めようとしたところで、視界の上で動く影があることに気付く。魔物に見つかったか。一気に押し寄せて来る緊張を歯を食いしばって耐えながら視線を上げる。
「なん……だ?」
視線の先には魔物がいた。それは間違いないが、その姿を見て思わず本当に魔物か疑ってしまった。
人の頭程の大きさの白い毛玉の中に赤い丸い眼が二つあるだけで、手も足も出ていない。体重が軽いのか浮力が働いているのかは分からないが、ゆっくりとした落下速度で迫って来る。
無害そうな見た目をしているが、攻撃の射程に入ったら突然変異してくるかもしれない。初突を前に突き出しながら、いつでも逃走できるように構える。傍から見たら腰が引けてるだけだと思うが、体重移動とかそういった小難しいことは知らない。そもそも傍から見ている人なんていない。
頭の中で余計なことを考えながら待つが、白い毛玉は特に変化はない。もしかしたら本当に何もしてこないのでは?
初突をできるだけ長く持ち、先端で突いてみる。ぷにっとした柔らかい感触が伝わると、白い毛玉は僅かに浮いたが、それだけで何もして来ない。また落ちて来るだけだ。これはやれる。初突を握り直して白い毛玉に突き刺そうと振りかぶった瞬間、突風が吹いた。今日は朝から少し風が出ていると思ったが、こんな時に強くならなくてもいいだろ。
巻き上げられた砂埃を目を細めて耐えていると、白い毛玉は風に吹き飛ばされてどこかに行ってしまった。残念ながら初討伐はまた今度か。
あんな毛玉でも魔物は魔物だ。倒せば魔石が手に入って、それをギルドに買い取って貰えば幾らか金になっただろう。
少しだけ残念だが、本来の依頼はパラリーフの採取なので、気を取り直して葉っぱを探す。木々や茂みの間の、出来る限り歩きやすい平坦な道を歩いていると、ようやく目的の葉っぱを見つける。膝上くらいの高さの小木から生えている黄緑色の丸い葉。記憶にある情報と目の前の情報が一致することを確認して葉っぱを採取する。
依頼された数は三十枚で少し多く感じたが、パラリーフは群生していたのであっという間に目的の数を採取して、それでもまだ生えていたので少し余分に回収する。
依頼を達成すれば十二ゼースもらえるから、今日の稼ぎは二十二ゼース。余分に採ったものが売れれば三十ゼース弱くらいはいくだろうか。
冒険者生活二日目の駆け出しも駆け出しだが、その日の生活費くらいは稼げている。これなら一日一食、宿に泊まらず、風呂は数日に一回、という生活からも案外早く抜け出せるかもしれない。借金を返すまでは節約を続けるが、生活リズムはなるべく早く戻したい。体調を悪くすることだけは回避しなくては。
帰路に着きながら自分の体調を確認する。痛むところはないし、怠く感じることもない。咳や鼻水も出ない。歩き回って適度に疲れているが健康そのものだ。
依頼を達成したつもりでいた俺の鼻先に、冷たい雫が落ち、少し遅れてサーッという雨音が聞こえて来た。
「マジか」
空を見上げて呟く。木の葉の間から、細かい雨が降り注いでくる。町を出た時は晴れていたのに。そういやこの世界に天気予報はないのか。魔法とかで予想できそうなものだけど。
自然と早足になり、町があると思われる方角へ進んで行く。雨で風邪を引いたら洒落にならないから、今日も風呂に入ろうか。その前に傘も買わないと。ああ、それと雨が止まなかったら広場で寝ることもできないから宿も取らないといけない。
稼ぎが増えた矢先に出費が嵩んでいくことに溜め息を吐いていると、奇妙な音が耳に入ってきた。湿った地面を軽い物が飛び跳ねるような音だ。聴覚に自信があるわけではないけど、多分後ろから、俺を追っている。
動物? 魔物? どっちでも関係ない、逃げよう。
走る速度を上げ、耳に神経を集中させると、背後の足音も速まる。追跡がバレたと開き直ったのだろう。足音も、茂みを突っ切って来る音も隠そうとしない。
平坦な直線道に出たことで足元にも余裕ができたので、可能な限り走る速度を維持して首だけで背後を見る。
……いた。緑の草木に囲まれているので直ぐには分からなかったが、緑色の肌をした人型が一体、追って来ている。右手には棍棒らしき茶色の棒を持っている。
首を正面に戻しつつ、左右の状況も確認する。本当に一体か。仲間がいて、待ち伏せとかされていないだろうか。
腰の鞘から初突を抜いて警戒する。学校の体力テストでは短距離走が下の上、長距離走が上の下程度の俺だが、歩幅の違いもあって今のところは背後の魔物に追い付かれる心配はない。とりあえず町まで逃げきれるか。
緊張した体を少しでも安堵させるべく、楽観的に考えていると、正面に腰ぐらいの高さの茂みが並んでいた。こんな道あったっけ?
迂回しようと、走りながら左右を見渡すが、茂みは境界線のように並んでいて切れ目は見つからない。飛び越すしかないか。
タイミングを合わせて地面を蹴り、体が宙に浮く。当然、視界も浮いて茂みの向こう側が見える。斜面だ。やっぱりこんな場所知らない。追い掛けられて無意識の内に方角がずれたか、始めから誤っていたか。理由を考えるよりも着地だ。転んだら流石に追い付かれる。未知の場所に追い立てられたのだとしたら、魔物の仲間がいる可能性もある。帰り道も不確かでは逃げ切る事も難しい。
茂みを跳び越え、着地するまでの僅かな間で思考が高速回転する。そのくせ意識は足の裏に集中している。自分でも奇妙な感じだと思ったが、着地は成功。地面を大きく蹴って大股で斜面を一気に駆け下りると、程なくして景色が変わった。
「川?」
砂利の足場に滑って転びそうになるが、どうにか踏ん張る。転ぼうが転ばまいが足は止められた。目ので流れている川は浅めで幅も狭く、水の流れも緩やかなので少し無理をすれば対岸に渡れるだろうが、俺の足は進もうとしなかった。
対岸には追手と同様の容姿をした魔物が、投石紐を持ってこちらに狙いを定めていた。
どうする?町から採取に出掛けた時に、間違いなく川は渡っていない。行きは西から東に移動していたから川の岸はそれぞれ北か南に位置している……本当にそうか? 川原には木々が少なく、空を見上げることができるが、太陽は分厚い雲に隠れてしまっていて方角の目処は立たない。
直ぐに顔を正面に戻すと、対岸の緑の小人が今まさに投石紐から弾を発射するところだった。
「っ……!」
息を飲んで、弾の弾道など見ず反射的にしゃがんだ。この行動が有効だったのか、元々狙いが悪かったのかは定かではないが、弾は後方の斜面に固い音を立てて着弾した。そして、その音に応じるようにして茂みが鳴る。追手に追い付かれたと思う間もなく、斜面から跳び上がって棍棒を振りかざす緑の小人が目に映った。わけもわからず右手に持った初突の腹を突き出して棍棒を受ける。
「ぐっ……!」
衝撃で初突を落しそうになるが、歯を食いしばってどうにか持ちこたえる。緑の小人は攻撃が防がれたと分かると、棍棒を引いて着地した。もし棍棒を押し込まれていたら危なかった。
正面を棍棒、背後を投石紐に狙われていて、退路は右か左か。頭の中がぐるぐると回り出す。止まっていたら投石紐に狙撃され、隙を見せたら棍棒に叩かれる。倒れたら死ぬまで殴られる。撲殺は遠慮したい。
「グギャァッ!」
正面の緑の小人が叫び声を上げて棍棒を振りかざす。
人間の小中学生くらいの身長で細身。身長の割りに頭は大きく、顔の部位は全体的に細長い。力は強そうに見えないが、口の中は隙間だらけだが牙が並んでいて、噛まれたら危険だ。
迫る脅威を前にして、俺は左に駆け出した。左に進めば町があるという確信があったわけじゃない。謎の声が頭の中に響いたわけでもない。ただ単に、足場の砂利の転がり方から、左方向に移動する方が足に力を入れやすかった。それだけの理由だ。
棍棒が振り下ろされたのを見てから走り出せば、攻撃の隙に少しは距離を開けられただろうが、そんな技術はない。駆け出した俺を見て緑の小人は、棍棒を振り上げたまま方向転換して追跡する。
「ギャッ!?」
背後で声がした。攻撃時の雄叫びではなく、意表を突かれて驚いた感じだった。危険だと思いながらも首だけ振り向かせる。
「グギャギャァァッ!!」
「ギャッ! ギャッ!」
緑の小人……棍棒持ちの方が耳の辺りを抑えながら、対岸のパチンコ持ちに怒鳴っている。投石紐持ちは必死に俺の方を指差している。よく分からないが、運悪く投石紐の弾でも当てられたのか?
川原に追い込まれて挟み撃ちにされた時はどうしたものかと思ったが、射撃の精度と連携が悪かったお陰で、逃げる事はできそうだ。二体が言い争っている間に斜面を上って茂みを抜ける。足場が滑って上り切るのに時間が掛かったが、それは敵も同じだ。
「グギャァァァァァッ!」
茂みの向こうから雄叫びが聞こえてくるが、追手の姿は一向に見えて来ない。どうにか怪我をすることなく一難から逃れることはできた。マタンゴすら倒せない俺でも、逃げることくらいはできるんだ。
妙な達成感と自信が湧き上がるが、それも目下の問題によって瞬く間に鳴りを潜めてしまった。
「道、こっちで合ってんのかなぁ……」
衣服も気分も重くなりながら、俺は森の中を走り続けた。