第八十四話:志水 玲穂
「産む予定なんてなかった」
知ってる。俺が男だから。
「体が弱くて本当に邪魔」
兄や姉より背が小さく、体も細く病弱だったのはどうすれば良かったのだろうか。
「夢を持ちなさい」
夢? スポーツ選手とかお菓子屋さんとか、そういうお手本みたいな答えを持っていないと駄目なのか? 平穏で幸せに笑って過ごせれば……ああっ、うぜぇ。なんでこんなことを思い出す?
「やりたいことを見つけなさい」
知るかよ。この世界に何があるかも分からない子供が、やりたいことなんか見つけられるかよ。……あの場でそう言えれば何かが変わっただろうか。どうして俺は分かったフリをして、笑って誤魔化したのか。どうして、自分の意思を表現することよりも、その場での正しさを求めるようになったのか。
だから、なんで昔のことを思い出す?確か、俺は……。
考える間も無く次々と自分の過去が蘇る。
俺が優れたところを見せると機嫌を損ねる相手がいるから、機嫌を伺いながら手を抜くようにした。
手を抜き過ぎるとバレるから競争相手がいない時は真面目にやった。
結果、大人は俺の言動を信じなくなった。
「もっと真面目にやりなさい」
真面目にやって雰囲気悪くしたら「相手の気持ちを考えなさい」だろ。わざとでも俺が劣ることで相手の気分が良くなっているなら、それでいいじゃないか。
人格者だった祖父が他界し、元々我の強かった祖母を止める者がいなくなった。母親とは毎日言い争いをし、父親は仕事を辞めてギャンブルに走った。
そんな家庭状況を負い目に感じ、自分のことを話さないようにした。自分のことを聞かれないように、他人のことを知ろうとしなくなった。
「逃げただけ」
そうかもしれない。けど、子供の俺にどうしろって言うんだ。大人は味方となる大人同士で、その場限りの話し合わせ。子供の言葉なんて聞きやしない。
「心配している」
「力になる」
黙れ。心にもないことを言って何になる。
「ただの社交辞令を本気に捉えるな」
じゃあ言葉ってなんだよ。何を言っても社交辞令や冗談で誤魔化せてしまうなら、言葉なんて無意味だ。人間は動物と違って理性と言葉を持ち、互いの意思を分かり合うことができるなんて妄言だ。人間は本質的に誰も信じることができない生き物だ。
大人たちの世渡りに怒りを覚えつつも成長し、背が伸びて病弱も克服した俺に待っていたのは、大人たちからの協力要請。
「親を助けろ」
「祖母の味方になれ」
ふざけるな。理解し合う気のない連中に何を協力する? これまで蔑ろにされてきた俺がどうして協力する?
「小さい内に死んでしまう子供だっている中で、ここまで成長できたのは誰のお陰か」
「平和な国に産まれたことと、産んでくれた親に感謝しろ」
「子は親を助けるべきだ」
子供なら他にも二人いるだろ。俺にばっかり言うな。
「あれは駄目だ」
「自分勝手だ」
「我慢が足りない」
「玲穂は良い子だ」
こんなことってあるのか? どんな思考したらそんな言葉が出て来るんだ? 俺がおかしいのか?
疑問を抱いている時に家庭内の状況を聞かれることがあったので、ありのままを話してみたことがあった。
「そんな家族はおかしい」
そうか……そうか。やっぱりそうか。俺は間違って……。
「ええ、ええ。玲穂君に聞きましたが、どうにも要領を得ませんでして……あぁ、なるほど。どうして嘘を吐いたんでしょうねぇ」
………………そうか。「そんな家族はおかしい」というのは、俺の話に共感や憤りを感じたわけじゃなく「お前の言っていることがおかしい」って意味だったのか。
真実を言ったところで信じられやしない。
言葉に意味はない。知っていた。
表に出した言葉など、裏に隠した意思の変わり身。分かっている。
分かっているからといって納得できない。分かっていること全てを納得できたら、人間社会はもっと生きやすいものになっていた筈だ。
人間に言葉の意味が通じないのならば話す必要なんてない。
「みんな他人を理解するのを悩んでいるのに自分だけ楽をするのか」
楽だと思うならお前らも話さなければいい。
「辛くなった時、誰も助けてくれないぞ」
助けなんて求めない。心配なんて無意味だ。自分のことは自分でやるしかない。
「人に、親に育ててもらった恩を忘れて何を言うか」
俺の育ちに文句を言うのは、育てた方にも文句を言うことになるって理解しているのか?
「死なずに成長できたのは優しい家族がいた証拠だ」
子を死なせずに成長させるのは大変な事だろうが、それだけで優しさになるのか? 邪魔だと言いながら、俺を処分する覚悟がなかっただけだろう。心の脆弱さを優しさと言うのはやめろ。
「何故生きている? 言葉に意味が無いと口を閉じ、誰も信用しないと心を閉じた。人間としてほとんど死んでいるのに、何故まだ息をしている?」
「本当は誰かを信じたいんだろう? 誰かに自分の言葉を、意思を理解してもらいたいんだろう?」
「強がりは本心の裏返し」
………………。
「黙った、黙った」
「図星を指されて黙った」
「反論できない。はい論破」
ケタケタと笑い声を上げながら、何かが俺の中に入り込もうとする……が
「ギャアァァァァ!」
いつの間にか右手に携えた翔剣を振り上げて何かを斬り裂く。
俺に入り込もうとしていた何かは一瞬だけ人の形をしたが、直ぐに霧散していった。
「殺した! 人殺し!」
「殺人者! 犯罪者!」
何かは俺の記憶の中にある誰かの顔を借りて非難してくるが、意に介さず斬り捨てる。
「ヒィィィィ!」
「友達を殺すのか!」
また顔を変える。
友達、か。生憎とそいつは俺に裏切られたと思って俺を裏切った奴だ。それに……
「ギェェェェ!」
「狂ってる! 狂人!」
人間の意思の前に言葉は意味を成さない。人間は本質的に誰も信じることができない。この考えに至ってから、俺は誰一人として友とも仲間とも思ったことはない。
感情の無い刃で何かを斬り続ける。初めはただの甲高い断末魔だったが、次第に俺の記憶にある誰かの声に寄せてくる。
記憶にある人間を斬り殺していく中で、俺はあることに気付いた。
人間の意思の前に言葉は意味を成さない。だが、暴力の前には意思すらも無意味なんだと。殺害が罪となるのは、暴力こそが絶対の正義になってしまうから。人の意思なんて屑同然に葬り去れるから。
口元が歪む。
殺せ、殺せと魂が騒めく。
俺を邪魔だと言いながら、有用だと感じた途端に手の平を返した人間を。真実であっても、誰が言ったかで真偽を捻じ曲げる人間を。自らの意思を偽る言葉を放つ人間を。
どれだけの断末魔を聞いたか知らないが、いつの間にか俺の周りに漂っていた何かは消え去っていた。そこで初めて俺は自分が暗闇の中にいることを知った。けれど、激情に駆られた、ずっと燻らせていた怒りを解放した狂気は止まらない。
殺す……殺す……殺す……殺す……。人間なんて無価値な存在、全て殺してしまえばいい。その為に俺は生きている。
不可能だ。
それでもだ。誰も信じられず、他人を騙し、利用することでしか心の安寧を得られない脆弱な存在、殺さねばならない。
自分もその脆弱な人間なのに?
同じだからだ。俺も自分が嫌う人間だからこそ、人間を始末しなければならない。人間が人間を始末することで、人間は無価値で虚偽な罪を精算することができる。
とんだ自分本位な考え方だ。他人と言葉を交わし、理解し合うことを諦めて正解だ。ああ……間違いだらけの人生の中で、この選択だけは正解だと胸を張れる。
……分かっている。狂った考えだと……けれど俺は自分の中の怒りが消えてしまった時、自分がどうなるのか、本当に狂ってしまいそうで……怖い。
俺は臆病な人間だ。反感を買うのが嫌だから自分を押し殺す。機嫌を損ねないように愛想笑いする。頼まれれば断れない。多少損をしてもいい。自分と周りの人間で笑って過ごせれば、大きな夢なんてなくても十分なんだ。
ああ、そうだ。分かっている。本心を隠しても、嘘を吐いても、表に出した表情や言葉が真実には違いないってことを……。
俺は他人に求め過ぎているんだ。親も……大人だって、結局は弱い人間の一人でしかないというのに……。
「はっ!」
目眩がして倒れそうになった体を両足に力を入れて踏ん張る。
俺は……今まで……?
周囲を見渡す。木造の広間には中央に四角形を模る様に立てられた太い柱と、その奥に幅の広い階段と、部屋の隅々に配置された松明があるだけだ。
「アクト! シオン!」
三人で城の三階に上がって来たことを思い出し、姿の見えぬ二人の名を呼ぶが返事は無い。開けた階全体を見渡しても人影は見えない。あるのは……
「これ、魔石? ……そうだ、俺たちはゴーストの大群に襲われて……」
記憶が蘇って来る。三階に上がった直後、部屋にひしめき合っていた、足がなく半透明の人影—ゴースト—に襲われた。ゴーストの姿がなく、魔石が散らばっているということは倒したということなんだろうが、どうも襲われた後の記憶が曖昧だ。
「……一旦戻るか」
何が起きたかは分からないが、二人の姿が見えない以上、ゴーストにやられたと考えるべきだろう。これまでの言動から、俺を置いて先に進むっていうのは考え難い。
残りの四階と五階を一人で先に進むのは自殺行為でしかない。集合場所は……確か城門の前とか言ったけど、ここから戻るのは簡単じゃない。魔獣は復活していなくとも罠は戻る時も発動するだろうし、一先ず城の外で待つことにするか。
次回投稿予定は11月15日0時です。




