第七十九話:それぞれの命
「む……ん……」
柔らかな毛に顔を擽られながら目を覚ます。
寝起きは良い方ではないが、この目覚めは睡眠からのものではないので、意識は直ぐに覚醒して体を飛び起こした。
「アクト!」
自分がまた死んだことよりも、自分が何故死んだかということよりも、追うべき者の名前を呼んで走り出す。
「なに?」
聞き慣れた抑揚のない声が背中にぶつかり、つんのめった体をどうにか正した。
「アクト、戻って来てたのか」
「うん。レイホ、もしかして追って来てた?」
部屋の奥で大太刀の素振りを止め、納刀しようと……しようとして……腕の長さが足りない。
「追ったよ。二回死んだけど」
鞘を持って納刀を手伝う。
「なんで?」
「一人で勝手に行くからだ」
「おれ一人でも、グールを倒して城までは辿り着けたよ。城の中で迷って死んだけど」
「血の海は見たけど、グールはまた現れてたぞ」
「へぇ、じゃあまた倒しに行かなきゃ」
なんでそうなるんだよ。
次元の境穴に向かおうとするアクトの、背負ったばかりの大太刀を掴んで止める。
「待て待て。倒さなくても突破できそうなんだ」
「そうなの?」
大太刀から抵抗が抜けたのを感じ、手を離して頷く。
シオンを交えて三人で、と思ったが、意見がぶつかった後なので気まずい。それでも、先に進むためには話さないといけない。
シオンを連れて行かなくても俺とアクトで突破して、後で呼びに来るといった選択肢が頭を過ぎったが、気に留めることではないので、頭の外まで浮かび上がってもらう。
「シオン……いいか?」
「……うん」
視線は合わせてもらえないが、頷きだけでも返してくれたことに安心する。
乾き切った口の中が湿っていくのを感じながら、三角形を象るような位置で座る。
えっと……何から話そう。グールを掻い潜る方法? 自決について?
こちらをじっと見つめるアクト、視線を合わせようとすると俯いてしまうシオン。
「グールは……多分、倒しても復活する。復活っていうか、倒した分がまた出てくる」
悩んだ末の切り出しがこれとは、我ながら驚いた。これじゃ絶望感が増すだけだから、早く軌道修正しないと。
「復活する原理だとか、時間だとかは分からない」
うんうん、それで?
「だから、出来るだけ戦わないで切り抜ける」
「……」
「……」
普段なら気にしないけど、あんまりよろしくない状況なだけに反応がないと喋りづらいな。批判されないなら続けるけど。
「火を使う。建物に火を点けるとグールは引き寄せられるから、その隙に城に向かう。実際、俺はこれで城門を潜ることができた……その後から記憶がないけど」
「おれが門を抜けた時は横から矢が飛んできたけど、レイホの時はどうだった?」
「矢? 気付かなかったけど、多分それにやられたんだろうな」
「そっか」
グールの大群を抜けても城をどうにかしないといけない。アクトはさっき「迷って死んだ」と言っていたし、城の中は罠が仕掛けられた迷路状になっていると考えた方がいいか。
「アクト、城の中の様子を教えてくれないか?」
「ん。見た感じ、敵はスケルトンだけで数は少なかったけど、色んな所から矢とか槍とか飛んで来るよ。外に出たり中に入ったりしたから地形はよく分かんない」
「そうか、ありがとう」
敵が少ないのはいいけど、注意しなきゃいけない場所は多そうだな。罠の解除装置なんて、侵入者側から見える所にないだろうし、最悪死んで覚え……
俯くシオンが目に入る。
死に覚えは無しにしよう。三人で城攻めを成功させること自体無謀だけど、とりあえず死なない方向で考えよう。
……とは言え、だ。ここからは誰も死なずに突破しよう! なんて気安く言えない。個人的には不可能に近いと思っている。城にグールがいないとも限らないから自決や介錯を無しにするとも言えない。なんと言えばシオンの憂いを晴らせるだろうか。
…………いい言い訳が思い付かない。
「シオン」
こういう時は正直に話すのが一番だと勝手に結論付ける。嘘でも希望を持たせるべきとか、関係ないことでもいいから雰囲気を明るくするべきとか言われるかもしれないが、生憎と嘘は苦手だし明るい雰囲気の作り方はもっと苦手だ。
「なに、かな?」
表情を引きつらせ、笑みか何か分からない表情を作って聞いてくる。
また口の中が渇いていく。正直に話すのも辛いなぁ……。
「俺は先に進む」
って言うか、進むしかなさそう。ハデスに命乞いすればどうにかしてくれるかもしれないけど、多分あまり良い結果にはならないと思う。少なくとも魔界の領主にって話が復活することはないだろう。
一度選んだことを、やっぱ無理ですって泣きついてくるような人間に領主を任せたいと誰が思うだろうか。泣きついた途端に殺される可能性だってあるし、骸骨にされて城の調度品として飾られたら冥加と言えるだろう。
「生きて地上に戻るためだ」
そんなに強い意志ではないんだけど、余計なことは伏せておこう。一応、地上に戻りたいっていうのは本当だし。
「その為に次元の境穴を抜ける必要があるなら通るし、生き返るなら楽な死を選ぶ」
ゴブリンにやられた時「死んでも戻って来られる可能性があるからといって、無理な行動はしないように」と言ったことと矛盾して聞こえるかもしれないが、死ぬことを軽視している訳じゃない。それを伝えられたらいいんだが……。
「言いたいことがあるなら言ったほうがいいよ」
あ、はい。それでは手短に話します。
アクトの言葉に心臓が緊張し、思考が高速回転で発言をまとめていくが、どうやら俺に向けての言葉ではなかったようだ。
「……わかんない」
ポツリ。俯いたまま、そう呟いた。
むむっ、これはどうしたもんか……。俺の言いたいことが分からないっていうなら、覚悟を決めて端的に話すが、そういう空気でもないしな。何て声を掛ければいいんだ?
沈黙。
これじゃあ、俺らが苛めてるみたいじゃん。苛めっ子が言い訳する時の気持ちがほんのり分かってしまったが、ふざけたこと考えている場合じゃない。どうにかしてシオンに復活してもらわないとなんだが……何が分からないのか聞いても「わからない」って返されそうだな。
考えろ、考えろ……シオンの様子に変化があったのは、死んでも生き返るなら苦しまずに死なせろって件だ……いや、その前か? 生き返った時からぼーっとしてたっけ。死んだ時に何かあったのか? いやいや、生き返るとしても死んだことに変わりはない。何かあったのは当然だし、怖かったに違いない。
しかしなぁ「どうやって死んだ?」なんて聞けないし……アクトにこっそり聞くか?
横目でアクトを見ると、眠いのか退屈なのか、半眼になっている。この沈黙はお前が開けた傷口だろうに。
……他人に文句を言うくらいなら自分で動こう。
「シオンは……どうやってここに戻って来たの?」
「死んだから」
それはそうです。分かっています。……やっぱり言うしかないか。
「死因は?」
「……刺された」
刺されたって誰に? そう聞く前に隣りから回答が出て来た。
「おれが刺したよ。レイホが死んだら、おれたちがあそこで戦い続ける必要ないし」
味方を殺したっていうのに、平然としているもんだな。この様子だとアクトはシオンを刺した後、自分も刺したか斬ったんだろうな。
「べつに……」
俺が死んでも後を追って来なくていいだろ。という言葉を飲み込む。
今はアクトと言い合いしている場合ではないし、どういう時に自決もしくは介錯するといったことを伝えていない俺が悪い。味方を殺せと指示を出すことへの覚悟ができていないまま、中途半端に魔力を残せとだけ指示を出した俺が……。
「シオン、ごめん」
指揮官でもリーダーでもないんだ。そんなに直ぐ覚悟を決められないし、いくつもの状況を予測なんてできない。苦しむのが嫌だから、痛いのが嫌だから、そうならないように、長くならないように、その程度の考えだったんだ。味方に殺されることが、そんなに怖いことだとは思っていなかった。
我先に出ようとする言い訳の言葉を堪える意味も含めて、シオンに深々と頭を下げる。
「……」
下げた頭に言葉は降らない。
様子を伺いたいが、もし顔を上げてシオンが侮蔑の感情を露わにしていたら、抑えた言い訳が堰を切ってしまう。
奥歯を噛んで気持ち抑え込む。ゴブリンにやられた時は、生き返った驚きもあるんだろうが平然としていたシオンがここまで意気消沈している。味方に刺されたということ、俺がその行為を推奨していたことに精神的苦痛を感じたのだろう。
シオンが塞ぎ込んだ原因は予測が付いた。どうすべきか、味方に手を掛けるような状況にさせない。何を言うべきか、誰も死なせずに突破する。安っぽい正解には当たりを付けられるが、それを実行する力が、口にする力が、俺にはない。
安い、薄っぺらいと嘲弄されるような言葉さえ、俺は口にできないんだ。
……よし、落ち着いてきた。
短くない沈黙の後、俺は頭を上げると、目尻に涙を溜めたシオンと面向かった。何かを言おうとしているのだろうが、動かされる口から言葉は出てこない。
……どうしよう。
アクトに助けを求めたいが、視線を外すわけにもいかない。
ここまできたら思いっきり泣かせた方が良さそうだけど、俺とアクトはいない方がいいか? 一緒にいた方がいいか? 聞く……のは違うな。シオンもきっと何を言えばいいのか分かんないんだろうから、やっぱりそっとしておいた方がいいのか? 一人でゆっくり考え込みたいだろうし……でも、ここでアクトを誘って次元の境穴に突っ走って行ったら、気を遣われたと気にされそうだし……あ!
「焦らなくていいから、ちゃんと話してから先に進もう。俺たちまだ会って間も無いんだし、分からないことだらけなんだからさ」
閃いた言葉をそのまま口に出した。可もなく不可もなくってところで許してもらいたい。
下手に謝ったり慰めたりするより、良い距離感を保てたような気はするが、少し上からの物言いだったか?もう口から出たからどうしようもないけど。
「ふっ! ふっ!」
遠くの方でアクトの息を吐く声がしたので見てみると、知らない内に大太刀の素振りを始めていた。
次回投稿予定は11月7日0時です。




