第七十八話:放火魔
単独行動するアクトを追って次元の境穴に入ると、ゴブリンがいた洞窟に出たので一本道を駆け、左右に折れた道は右に曲がり、広間の左にある狭い坑道を抜ける。草原はもう消えてしまっており、坑道を抜けると、すっかり焼け落ちてしまった屋敷跡地へと出た。
休む間もなく城下町を走るが、城へと伸びている大通りに辿り着く前にグールの襲撃に遭った。四方に伸びている道を活かして掴まれないように、囲まれないように動き回っていたが、遂に逃げ場を無くした俺は家屋の中に飛び込んだ。そして、粘着質な巣にまんまと捕まってしまう。
迫り来る鋭利な顎に抱いた感情は死の恐怖心よりも、不甲斐ない自分に対する怒りの方が勝っていた。しかし、どれだけ身動ぎしようとも、手足を満足に動かせず、魔法も使えない俺はキラーアントの顎にあっさりと首を刎ねられた。
不覚を取った。そう思う頃にはもう体は蘇生されていた。生きてアクトを連れ戻すと言っておきながらなんという体たらくだ。恥じる気持ちが第一にあったが、シオンが大人しくハデスの城で待っていてくれていることに少しだけ安心した。もしかしたらもう俺たちと一緒に来てくれないのかもしれないが、それはアクトを連れ戻してから三人で話し合おう。
三度目の城下町。今度はグールに遭遇しながらも大通りまで出て来ることができた。
まったく同じ道を通った訳じゃないけど、グールの出現は不規則なのか? 二度目の時は明らかにグールが湧いて出てきていたが、今回は偶然出くわす程度だった。一体に構っている間に背後を取られたら嫌だから戦わずに撒いてきたが、これなら倒してしまった方が早く来れたな。
グールの気配を探りながら大通りを見て、俺は吃驚した。光源が月明りだけの薄明るい土地で、既に乾き始めて黒ずんでいるが、大通りを塗り染めている液体はグールの血で間違いない。土が見えている場所を探して歩くのも困難だが、どうにも解せないことがある。これだけの血が流れているというのに、大通りにはグールが蔓延っている。血に釣られて別の場所からやって来たのかと思ったが、どうもその様子は見られない。脱力した姿勢で家の前をうろついたり、立ち尽くしているだけだ。
家の中で新しいグールが生まれ出て来ている?市街地の方の家屋の中はキラーアントの巣になっているが、この通りの家屋は違うのか?
グールのお宅訪問に来たわけでも、興味関心を尋ねに来たわけでもないので早く先に進みたいが、このまま突っ込んでも群がられて終わるしな……。横道を通っても一度目みたいにグールと出くわすだろう。他の道を探すといっても地形を把握するのに時間が掛かり過ぎる。けど、こうやって分からない分からないのままも良くないし……。
動きを止め、考えに耽った所為でグールに食い殺された時の絶望がチラつく。
ああっ、思い出すな。動け、閃け!
……何も思いつかないな。松明があれば家屋ごとグールを燃やしてやろうかと思ったけど、松明を見かけたのは初めの屋敷でのみで、町中では一つも見かけなかった。
何かないか、何か……。
敵が視界にいるというのに腰のベルトを外してバッグを漁る。回復薬に猛毒に麻痺毒に解毒剤、小分けにして持ってきたお金に冒険者手帳、火打石にランタン、後は軽食にハデスからのお土産くらいか。
火は点けられそうだけど、果たしてそれが有効なのだろうか。火だるまになっても構わず突っ込んでくるようなら、反って危険度が増すだけだ。家屋を焼くことでグールの出現を抑止できるなら良いが、確証はないしな。
考えている間にもアクトは先に進んでいる。あんまりにも先に行かれると見つけても戻るのが困難になるし……一回死んだ時点で追うのを諦めて城で待っているのが賢い選択だったとは思いたくない。
キラーアントの体液が可燃性なら、集めて……集めて……うーん、結局燃やすことしか思いつかない。どうせ集めるなら、グールの血を集めて注意を反らすのに使った方がいいけど、今それをやるのか? 違うだろ。
有効な手立てが思い浮かばずにいると、視界に影が落ちる。慌てつつもその場から離れるように体を振り向かせるが、魔獣の姿は見当たらず、よく見れば影は辺り一帯に落ちていた。
月が雲に隠れただけか。いつのまにか夜空には雲が多めに浮かんでいる。
雲から再び月が顔を出すが、グールは特に反応を示すことはない。明かりは関係なさそうだな。
こうなったら行けるところまで行くしかないか。近くのグールに気付かれないように突上窓の近くに寄って、火打石で点けたランタンの火を突上竿に引火させた。急いでランタンの火を消してバッグに戻し、家屋の火の手が増すのを待つ。
窓から見た内装は古い和室であったが、グールが待機しているわけでも、グールを生み出す装置があるわけでもない、もぬけの殻だった。空き巣に火を放つ外道になったが、こっちは一度食い殺された恨みがあるので良心が痛むことはありえない。
次第に勢いを増した火の手にグールが群がっていく。火に興味は持つんだな。
「アァァァ……」
「オォ……」
燃える家屋に入りながら悲嘆に聞こえなくもない声を上げている。一度中に入ったグールが出て来る気配はないし、これは思ったより効果的だったようだ。火の手から離れ、一度目に通った横道を走る。大通りからグールが流れて来る可能性を考えて常に注意を払っていたが、どいつもこいつも火事場の野次馬になっているのか、グールの気配はない。所々グールの死体が転がっているのは、一度目に倒した個体だろう。
進行は順調だったが、ある地点で足止めをくらう。倒壊した家屋が道を塞いでいたのだ。瓦礫は登れないことはないが、不安定であることには変わりないので、手頃な木材を一本だけ拾って後退する。家を五軒分ほど戻った所で拾ってきた木材に火を点けて再び放火。木というのは意外と燃えるのに時間が掛かるので、やっぱりキラーアント体液を回収した方が良かったか、などと考えている内に火の手が広がっていったので先に進む。
倒壊した家屋から再度木片を拾ってバッグに差し、翔剣を左手に持ち替え、右手にスローイングダガーを握って大通りへと出る。市街地側にいたグールは俺よりも火事現場に興味を惹かれているが、城側にいたグールとは鉢合わせする。
「オォォォ!」
距離にして五メートル程度。思ったよりも近くにいたグールが唸り声を発しながら襲い掛かって来た。
「当たれ!」
頭部目掛けて投げたスローイングダガーは綺麗に眉間へと突き刺さり、グールは仰向けに倒れた。翔剣を右手に持ち替えながらグールへと駆け寄り、スローイングダガーを回収して腹を裂いた。おびただしい量の血液が流れ出るが、怯んでいる場合ではない。付近にいたグールが血に引き寄せられて来ている。グールの死骸から離れ、同族の死肉を貪る音を背後に感じながら先へ進む。
横道に逸れての放火とグールの血で誘引し、遂に城門を視界に捉えた。城門は開いているが、その付近にもグールは多数いて、例に漏れず地面や家屋は血に濡れている。
アクトの奴、一人で正面から突破したのかよ。どこまで無茶な奴なんだ。
アクトの名前を叫びたくなる気持ちを抑え、右手の翔剣を強く握る。
「アアァァ……」
「アァァァ……」
二体のグールが腕を伸ばして肉薄して来たのを、翔剣の剣先が届くギリギリの距離で斬り払う。手や腕に斬り傷を付けたところでグールは怯みもしないが、隣り合って襲い掛かって来ていたグールは互いの血を求め、貪り合う。
どういう訳か、グールは自分の血には反応しない。けれど、互いの距離が近ければ今回の様に軽傷であっても反応してくれる。
「アァアァ!」
「アァァァァ!」
唸り声と肉を咬み千切る音を上げながら血塗れになっていくグールを観察したがる物好きではない。横切り、城門への道を阻むグールへ仕掛ける。
歪な爪が生えた手を振り上げて来たのを、体重を後ろに傾けて躱す。ギリギリだ。出血するわけにはいかないから、もっと大げさに躱すべきだと思いながらも、視界は次の攻撃を捉えていた。振り上げた腕とは逆の腕を、横に薙いで来ていた。
「っ!」
腹筋に力を入れ、後ろに寄っていた体重を更に後ろに倒し、軸足を回転させる。一歩分後ろに下がりながら回転させた体は、運よくグールの薙いだ腕を沿い、振りぬいた翔剣はグールの頭部を深く斬り裂いていた。
自分の動きと偶然の噛み合いに驚いている暇はない。まだグールは向かって来ている。
「この!」
たった今倒したグールが倒れてしまう前に肩を掴んで前方から迫って来たグールに押し付ける。
「オォォ!」
同族の死骸に喜々として咬み付くのを横目に、更に城門へと近付く。残り二体。城門前のグールを倒せば、一先ず中に入れる。
同じタイミングで俺の存在に気付いたグール。狙いはもう決めている。右側だ。
翔剣の射程より一歩離れた辺りで右へと踏み込み、溜めた力を推進力に換える。グールの脇を抜けるように跳び、擦れ違い様に胴を薙ぐ。肉を裂いた確かな感触が手に伝わってきたことで、俺は振り返ることなく城門を潜り抜けた。
次回投稿予定は11月5日0時です。




