第七十五話:圧殺
グールの群れから逃げ、地図も土地勘もない城下町を移動していたが、長屋に挟まれた細い道を抜けたところにある小さな空き地に出たところで足を止めた。
「この辺りはグールがいないようだね」
長屋の中がどうなっているのかは分からないが、見た限りではグールの姿は無い。空き地は木の柵に囲われていて行き止まりとなっているが、出入口が一本しかないので、警戒するのは比較的楽だろう。
「グールって、どんな魔獣なんだ?」
空き地の端に座り込みながら質問する。
シオンの提案で、移動している間にもう一本回復薬を使用して傷は塞がり、付着していた血も落とせたが、まだ咬みつかれた時の感触が残っていて不快だ。
「見た通り、見た目では人と変わらない姿をしていて、爪で引っ掻いたり、咬みついて攻撃してくる。動きは遅いんだけど、力が強いから掴まれるのだけは避けた方がいいよ」
「頭を潰さないと駄目だった?」
「魔獣化したグールはね。手足を斬り落としたり体を引き裂いたくらいじゃ止まらない。あと、魔獣化していると、短い距離なら走ったり跳んだりしてくるから油断しないで」
「知性や習性はどんな感じなんだ?」
「知性は無いけど、敵味方の判別もなく襲ってくるから、状況によっては……正にさっきの通りみたいに数が多いとかなり面倒なことになる。習性は……血に群がって来るってことかな。視力と嗅覚はほとんど機能していないくせに血にだけは敏感なの。聴力はそこまで良くないけど、物音を立てないことに越したことはないよね」
見た目がグロテスクじゃなくて、走ったり跳んだりしてくる以外は所謂アンデッド系の敵だな。それにしても……。
「詳しいんだな」
「まぁ、あんまり好き好んで倒したがる冒険者もいないしね~。魔物の方の討伐依頼を受けたり、オーバーフローで戦ったりして自然にって感じ」
色々と苦労しているんだな。でも、そのお陰でグールの情報は得られた。……ここからどうするかなんだよなぁ。ここから先に進む可能性としては、城か、もしくは町の外に出ることだとしてどっちを目指す? 平城はいえ三人で城攻めなんて無謀も甚だしいけど、どの程度の規模の町かも分からず、方角すら目途が立っていない町の出口を探すのもかなり骨が折れる。
ここに来る前の草原みたいに、何か仕掛けを解いたら先に行けるってことは……いやいや、自分で余計な可能性を増やしてどうする。
「どうするの?」
「今考えてる」
アクトからの催促が来てしまった。考えても正解は出てこないし、動かなければ正解に辿り着けない。だけど、もし間違った方を選んだら? グールとキラーアントの大群を相手に、城攻めしたり町の出口に行ったりする余裕はないぞ。
自分の首筋に手を当てる。魔獣とはいえ、人の姿をした存在に食い殺されるとなったら、その恐怖は想像を絶するものだろう。死んでハデスの城で蘇生されるとしても、記憶が残っているならば精神的なダメージは残る筈だし、下手をすれば心を病んで……いや、食い殺されて平気でいる方がまともじゃない。
アクトとシオンをそれぞれ一瞥する。二人は立ったまま俺の言葉を待っている。俺の選択が間違ってしまったら、この二人が無残な姿になってしまうかもしれない。
「攻撃魔法って、味方のものでも当たるのか?」
突拍子もない質問だと思ってくれるなら幸いだが、いっそここで察していてくれれば後々気が楽になるかもしれないとも思う。
「当たるよ」
無表情のアクトからは心境を伺えない。これが一番困るが、「どうかした?」とか聞いてこない辺り、察しているのかもしれないな。シオンの方も確認しておくか。
「そうか……シオンも、同じ認識で大丈夫か?」
「え? う、うん。あたいの魔法は範囲が広めだから気を付けて」
あぁ、こっちは気付いていないな。俺の考えている事態にならないのが一番だし、ここでもしもの話をして気負わせない方がいいか。
「二人に一つ、気を付けておいてほしい事がある。魔力は俺の指示があるまで魔法一回分は残しておいてくれ」
「ん、わかった」
「う、うん……?」
指示があるまでって言っちゃったけど……あー、やだな。俺自身が魔法使えない上、こっちの意図を理解できていないシオンにこそ、指示を出す可能性が一番高い。
「レイホの指示なら、おれも魔法使うよ」
「……ああ」
アクトなりの気遣いだろうか。気持ちは助かるが、感謝の言葉はどうしても喉から出せなかった。
敵が来る気配はないが、必要になるか分からない事にいつまでも時間を割くのはよろしくないな。
「俺の予想では、ここを突破するには城か町の外に辿り着く必要があると思う。他に目指すところが思いつかないだけだけど」
「……うん」
反論や他の意見がでないかと思って話しの間を取ったが、沈黙を嫌ったシオンに相槌を返された。
「俺は……城の方を目指そうと思う。理由は……」
「いいよ」
どちらを選んでも過酷な道のりになることは想像に難くない。だから、勘という無責任なもので選んだわけではないという……建前を作るために理由を説明しようとしたのだが、アクトに遮られてしまった。
「レイホが決めたんなら、そこを目指すだけだ」
アクトはそれでいいかもしれないが、シオンは……。
「ま~、目指すならお城だよね~。もっと近くで見てみたいし」
遠足で来た訳じゃないのに、なんだその気楽さは。二人だってグールの大群を見たんだろ。
一応、俺が城を目指そうと思ったのは、先に進む仕掛けがありそうだとか、町の外という目的地が見えない場所よりも、はっきりと場所が分かっている方が移動しやすく、心身への負担も少ないと考えたからだ。
無駄になった言い訳まがいの理由は空き地の隅に捨て去り、先に歩いて行く二人を追うことにした。
城への裏道が分からない以上、大きな通りを突き進むのが最も効率が良いと考え、俺が襲われた通りの近くまでやって来た。途中、グールの小さな群れをいくつか見かけたが、シオンの言う通り索敵能力は低いようで、苦にすることもなくやり過ごせた。
「で、こっからなんだけど……」
大通りには相変わらずグールが蔓延っている。いかにグールの動きが緩慢で長距離は走ってこないと言っても、どこかで必ず足止めを食うだろう。
「脇道を行ってみる? そこまで進路は変わらなそうだし」
「そうだな……」
今更ながら高所がないか見渡すが、火の見櫓のようなものはなく、建物も城を覗いて二階建て以上の物はない。ついでに町の見取り図が張られた掲示板のような物も見当たらない。
こっちに都合のいい物はなにもないって考えた方がいいな。わざとそうしているって言うより、この空間に生息する者達が必要としていないから存在していないんだろう。
グールに気付かれないように大通りを通り過ぎて横道へ入る。人がすれ違えるかといった幅の道だが、見えるところにグールは存在しない。
アクト、俺、シオンの順で一列に進行する。狭いと敵に囲まれる心配はないが、アクトの大太刀が扱いにくくなってしまう。突きだけでも十分に強いが、斬鉄型鋼鉄太刀・紫雲零式という大太刀の名前から察するに刺突よりも斬撃を重視していると思われる。……判断基準、斬鉄型ってところしかないけど。
「オォォォ……」
唸り声が聞こえて周囲を警戒すると、前方の大通りへと抜ける小道のほうから、血走った虚ろな眼をしたグールがのっそりと現れた。後続に他のグールがいるか確認するよりも早く、アクトが飛び出してグールの頭部を刺し貫いた。
「オッオ……ォォォォ」
穴の開いた頭から血を垂れ流しながら崩れ落ちるグールを見て、何か嫌な予感がする。
「シオン、グールってグールの血には反応する?」
「魔物の時は反応しないけど……」
歯切れが悪くなるシオンを責めることはできない。地上で魔獣と戦うのはオーバーフローが発生した場合のみである。魔獣が暴れ回っている状態で「あの魔獣はこんな習性があって魔物との違いはどうだ」なんて観察する余裕はない。
「急ごう。もし反応して来たとしても、索敵範囲外まで離れれば気付かれない」
俺の指示にアクトは大太刀に付着した血液をグールの死体の近くで振り払い、早歩きだが物音は極力立てずに進んで行く。
「オォ……」
「アァァァァァァァ……」
またしても大通りに抜ける小道の方からグールが現れる。今度は二体だ。
「邪魔だ」
アクトは一気に踏み込むと、大太刀を垂直に振り上げて上半身ごと頭部を切り裂き、頂点へ達した大太刀の刃を反転させてもう一体へと振り下ろした。一瞬で二体を葬ったことは喜ばしいことだが、今の斬撃で血飛沫が上がってしまった。
「アクト、血は付いてないか?」
振り向かせると、顔や頭それに服へも血が付着していた。
「ごめん。まずいかな?」
「いや、まだグールの血に反応すると決まった訳じゃない」
バッグから肌触りの悪い布を取り出して血を拭き取ってやる。見た目では拭き取れたように見えるが、果たして大丈夫だろうか。
グールの死体を見張って、他のグールが来ないか確認して方がいいか? けど、狭い道じゃ丁度良く見張れるスペースはないし、もしグールが集まってきたら挟み撃ちに遭う可能性だってある。
確認は必要だが、今やるべきことじゃない。そう結論付け、汚れた布をグールの死体の近くに投げ捨てようとしたところで……
「オオォ!」
「うっ!?」
小道から走り込んで来たグールに襲われる。咄嗟に左手で持っていた布を頭に押し付けると、伸ばされた両手で腕を掻きむしられる。ハードレザーの防具が破かれることはないが、体ごと押しこんでくる力に耐えられず後退する。
「ぐっ……」
左手の親指と人差し指の間を狙って翔剣を頭に突き刺す。布で隠れて良く見えないが、眼球から脳内を刺し貫いたのか、肉を裂く感触とは違った手ごたえを感じるが、グールから力が抜けて行くのを感じる。
慎重に翔剣を引き抜き、グールの死体を蹴飛ばして赤く染まった布も捨てる。
周囲は……
「オォォォォ!」
「アァァ……!」
「オォオォオォ……!」
道の前方から後方から小道からグールが迫ってくる。やはり血ならば同族のものでも反応するのか、それともただ単に見つかってしまっただけなのか……どちらでもいい、この場を切り抜けなくては!
「アクト前進だ!返り血は気にするな! 向かって来る奴は全員斬れ!」
「了解」
「シオン、少し進んだ先……あの二階建てにブラストを頼む! 後ろから来る奴の足止めになればいい!」
「分かった! 様子見て罠も張るよ!」
「任せる!」
指示を出している間にアクトはグールを斬り伏せていき、随分と前まで進行している。離れすぎると危険なので急いで追うが……どうしてもシオンの魔法発動を待たなければならない。
「アクト! 前に行きすぎだ! 戻って来い!」
詠唱を始めたシオンの護衛に付いて声を張るが、少し遅かった。屋根伝いにやって来たグールがアクトを挟み撃ちにした。
「アクト!!」
あんな機動力あんのかよ!? 助けに行きたいが、シオンを無防備にさせるわけにはいかない。
「大丈夫!」
グールの向こう側からアクトの声が聞こえてきたと思うと、挟み撃ちにしてきたグールを斬り伏せる姿が確認できた。前方から押し迫るグールへ大太刀を斬り返そうとしたが、やはり場所が悪いのだろう、突き出した拳で衝撃波を放って時間を稼いでから構え直した。
「ライトニング・ブラスト!」
詠唱を終えたシオンが放った魔法により二階建ての家屋は爆散し、瓦礫は後方に対するバリケードとなった。
「……行くぞ! 俺が後ろを見るから、先に行ってアクトを手伝ってやれ」
「うん! 気を付けて」
魔法発動後の硬直が切れた頃を見計らってシオンへ声を掛け、チラリと白の方を見る。左前方に天守閣は見えているが、まだ先は長い。このままこっちの道を進んでいいのか、それとも大通りに戻った方がいいのか。正解は分からないが、止まることだけはできない。足の速いシオンに徐々に差を付けられながらも全力で駆ける。
シオンとの間に二人分程度の開きが出来た時だった。通りの脇に立っている家屋のガラスが割れ、戸が破られ、壁が崩されたのは。
「オォォ……」
「オォォオォォ……」
俺とシオンの間に入るように現れたグールの群れを見て、足を踏ん張り翔剣を振るう。
「レイホ!!」
グールの群れの向こうでシオンの声がするも、崩れた家から、バリケードを越えて背後から、グールは増え続ける一方だ。
マズい、マズい、マズい……!
翔剣を振るってグールに攻撃するが、手足に傷を付けた程度で怯むことはない。掴みかかろうと両腕を伸ばして迫り来る。
ちっくそ……無理だ!魔法で俺諸共吹き飛ばしてもらうしかない。
「シオン! 魔法で俺をっ!!」
言葉の途中で背後から掴みかかってきたグールに引き倒される。
背中を伝う衝撃に顔を顰めることもなく、グール達の血走った眼に喜々とした光りが宿っているのを見上げているだけだった。




