第七十四話:咬殺の城下町
草原を抜け、和風の屋敷に迷い込んだ俺たちは、先に進むために住民であるキラーアントの掃討を行なっていた。
「てやぁ!」
シオンが掛け声と共に、跳躍して襲い掛かってきたキラーアントの下に潜り込み、逆手に持ったショートソードで下顎から尻尾の先まで斬り裂いた。
主武器であるパイルバンカーは未だ活躍の場に恵まれないが、敏捷の高さを活かして小回りの利くショートソードを巧みに扱う姿は、アクトと遜色ない前衛っぷりを見せてくれていた。
シオンの様子を見ているばかりではいけない。俺も一体くらいは倒して見せないと……。
やる気を出した俺の目の前で、アクトの振るった大太刀が二体のキラーアントを纏めて両断した。
胴体と尻尾が分かれようと、命が尽きるその時まで暴れ回るキラーアントにビビりながら縁側へと避難する。
「これで六部屋」
縁側に上ったアクトは、大太刀に付着した体液を振り払いながら息も切らさずに呟いた。
「順調、順調!」
「油断はするなよ。クイーンや他の魔獣が出てくるかもしれない」
「分かってるって!」
分かっているならもう少し真剣味のある調子でお願いしたいものだが、これがシオンの性格ならば口出しするのは余計なお世話である。寧ろ、ここまでで総数十八体のキラーアントを相手にしてこの余裕っぷりを頼もしく思うべきだろう。
残り二部屋。他の部屋と同じならキラーアントは残り六体。開けた部屋を見渡すが、どこも巣が張り巡らされていて通ることは困難だ。中庭はあちこちキラーアントの死骸ばかりで動き難くなってきているし、安全に通り抜けられる部屋はないものか。
「次はどっち開けるの?」
いつの間にか並んだ襖の前に移動したアクトが聞いてくる。右か左か……。
「右だ」
いつもの、特に理由はないなんとなくで選ぶとアクトは勢いよく襖を開け放った。そして、七度目となるキラーアントの強襲。これはもう慣れたもの、というかアクトは元々余裕を持って対応できる相手だ。初撃を見切ってすれ違い様に一閃。片側にある足全てと尻尾を斬り裂かれたキラーアントは中庭に落ちると同時に暴れ回った。
結局全部の部屋を開けることになったか。最後の一部屋がキラーアントの巣じゃなかったら、俺の運の悪さに溜め息を吐かれても文句は言わない。
今度こそキラーアントを倒そうと思ったが、死骸を避けて向かっている間にアクトとシオンが倒し切っていたので、暴れ回るキラーアントから逃げるだけの徒労に終わった。
「倒したかった?」
「少し、な。でも、早く先に進みたいから気にするな」
「レイホ、本当に魔石回収しなくていいの? これだけの数があれば、それなりのお金になるよ」
シオンの言葉に一瞬だけ迷うも、それは金儲けの為ではない。中庭が散らかり過ぎているので、魔石を回収して死骸を消滅させようかといった迷いだ。
「……いや、荷物が増えるのは避けたい。小さくても積もれば面倒だ」
残り一部屋なのだから今から回収して回るのは効率が悪い。それに、アクトもシオンも小振りの荷物入れを腰に着けているだけで、ちゃんとしたバッグを持っているのは俺だけだ。戦力にならないから荷物持ちをするのは別に構わないのだが、戦力にならないからこそ出来るだけ重量は増やしたくない。
「りょーかい」
「拾いたかったら拾ってもいいぞ? 地上に戻った時に分け前を寄越せなんて言わないから」
「んー、いーや」
「そうか」
「最後、開けるよ!」
キラーアントの死骸を見ながら言葉を交わしていると、アクトの声が割って入ってきたので、注意をそちらに向ける。
「ああ、やってくれ」
シオンと共に中庭に下りて、キラーアントが着地して来そうな場所に陣取る。
アクトが襖を開け、キラーアントが三体跳び掛かって来る。一体は着地する前に大太刀で斬り裂かれ、体の部位を散らし……足が衝突した松明が床に落ちた。
「やば……」
燃え上がった火にアクトはどうするか逡巡した後、縁側から跳び降りて火の手から逃れる。
床が燃えていることには気付いていたが、迫り来るキラーアントを無視できない。シオンが一体を引き受けてくれているので一体一にはなっているのだが、火の手が気になっていることもあって防戦一方になっている。
「くっ……この!」
前足による踏み付けだか棘による刺突だか分からない攻撃を避けながら、シオンを真似てすれ違い様に攻撃を仕掛ける。
結果は……努力賞といったところか。肥大化した尻尾には体液が垂れ流れる程度の傷を負わせられたが、それだけだ。
一撃で致命傷を与えられなかったが、キラーアントの背後を取っている状態だ。このまま畳み掛ける!
翔剣を握り締め、踏み出そうとして止める。キラーアントの尻尾が痙攣したように動いたからだ。自分で付けた尻尾の側面の傷口から流れる体液を見て、ある予感がした俺は前進しようと入れていた力を横に向けた。直後、尻尾の先端から黄ばんだ体液が噴射される。
「うぇ……」
一瞬早く動けていたお陰で回避出来たが、代わりに体液を浴びることになったキラーアントの死骸は粘着質な汁塗れになっている。
見ているだけでありとあらゆる意欲が削がれそうになるので、直ぐに敵へと視線を戻す。
体液を噴出した直後だからか、それとも尻尾の傷が応えたのか、言葉も鳴き声も発さぬキラーアントからは何も察せないが、まだこちらに方向転換せずにいた。
好機と思いつつも尻尾の動きを警戒しつつ接近し、背後から翔剣を胴体に突き立てて捻じる。
アクトの様に両断することは出来なかったが、重傷なのは間違いない。念のための追い討ちとして足一本を斬り落とし、その場を離れる。
火元を確認すると、火の手は既に部屋三つ分まで燃え広がっており、俺の戦闘が終わったと分かるや否やアクトとシオンが駆け寄って来た。
「レイホー! 燃えてる、燃えてるよ!」
「ごめん、不用意だった」
怖がっているのかはしゃいでいるのか分かりにくいシオンに、小さく頭を下げるアクト。それぞれに反応を返してやれる時間はない。何処かから逃げ出さないと……。
周囲は部屋に囲まれていて、部屋には隈無くキラーアントの体液が掛かっている。体液は可燃性なのか、燃え移った炎が勢いを増す。
「レイホ、どうする?」
「レイホ!」
俺だってどうしていいか聞きたいよ。火事なんて今日が初めてだ。全部屋キラーアントの巣だった場合、退路を考えた上で焼き払おうかと思ったけど、こう迫られたら考えられるものも考えられない。
黒煙が上がる様子を見た俺は屋根に上れないかと考えてみるが、柱は上れても庇が返しのようになっているので困難だ。
考えている内に炎は屋敷の大部分を覆い尽くし、まだ火の手が及んでいない部屋は一室のみとなる。その間もアクトとシオンは俺の言葉を待っている。
「シオン、あの部屋をブラストの魔法で吹き飛ばせ」
保有魔力は多いが消費も多い魔法しか使えないので、今後も魔獣と戦うことを考えるとあまり消費して欲しくないが、他に考えが思いつかなかった。
「りょ、りょーかい!」
「部屋の奥側を狙うんだぞ!道を拓いてくれ!」
「うん! マナよ、我が下に集結し悪意を払う大いなる雷へと転じよ。ライトニング・ブラスト!」
シオンの魔法がどれ程のものか実際に見てはいなかったので狙いを指定したが、耳をつんざく轟音と足の裏から感じた震えが、俺の指示は無用なものであったと思い知らせてくれる。
屋敷の一室は全壊し、外への道が拓けた……のだが。
「あちゃー、燃えちゃった」
雷によって体液が付着していた箇所が発火し、爆発によって散らばった破片がそこら中に引火した結果、外へと続く道は炎の洞窟の様にも見えた。
「よし、行くぞ」
周りを炎に囲まれているが、そう長い距離ではない。それに、いつ崩れて通れなくなるか分からない以上、迷っている時間が惜しい。他に行く道が無いのなら進むしかない。
「あ、ちょっと、危ないって!」
「そこにいたらもっと危ないだろ」
「……確かに」
俺、アクト、シオンの順で燃え盛る屋敷から脱出する。
踏み固められた土の通りを駆け抜け、背中に感じていた熱気が完全に消え去った所で立ち止まる。
「ここまで来れば大丈夫か」
「にゃはは~、危なかったね」
「……あれ、何?」
俺が周囲を確認するよりも早く、アクトは少し顔を上げた先に見える何かを指差した。
差された指を辿った先は高台……いや、高く積まれた石垣があり、その上にそびえ立つのは現代の歴史で見たような五重の天守閣。
「城だ……」
「城って、お城?」
「おれが知ってるのと大分違う」
そりゃあ世界観が違うからな。あ、でも、こっちの世界の城ってまだ見たことないな。そもそも王政? 王政じゃなくても軍事拠点として城は建てるか。だとしたらクロッスにも建ってていいよな。上流区なんて見向きする暇無かったから分からん。
ついでに思い出したけど、こっちの世界で日本に相当する国や文化はあるんだろうか? 極東とか言ったら通じるかな?
脱線した思考を戻す為に視覚へ集中すると、なるほど、和風だったのはあの屋敷だけでなく、この空間全てらしい。広い通りの左右には、背の低めな木造建築の建物が並んでおり、玄関先には桶に生けられた草花が所々に見受けられる。提灯や暖簾が掛けられている家屋も少なくない。
「あれ? 人?」
そんな訳はないと頭の中で否定しながらも、俺の視覚は確かに俺たちとよく似た姿の存在を認めていた。
松明が焚かれていた屋敷と違い、通りは月明かりだけが頼りなので、人影と離れたこの場所からでは正確なことは分からない。アクトもシオンも俺と同様に怪訝な表情で人影を見つめている。
「人だ」
「人だね」
次元の境穴に人がいる筈がない。それは分かっているのだが、家屋から続々と出てくるその姿は人としか言い表すことが出来ない。
両手両足が伸び、着流しのような服装に、頭髪もある。こちらに襲い掛かってくる様子はなく、魂が抜けたように空を仰いでいる。
思い掛けぬ存在の登場にどうするか呆然としてしまった結果、生温い空気が首筋に当たるまで、敵の接近に気付く事が出来なかった。
「ぐあっっ!?」
首の右側に気色悪い圧迫感と鈍い痛みを感じて悲鳴を上げる。その声にいち早く反応したアクトは俺の背後に向けて大太刀を突き出した。
「こいつっ!」
「頭!」
アクトが俺の背後の何者かに掴みかかった直後、シオンがショートソードを突き刺す動作をした。
少し経ってから首筋に感じていた圧迫感は消えるが、代わりに何かが吹き出る感触と燃えるような熱を感じた。
「……っ!」
何が起きたか理解する時間はない。理解したくない。ただ、脳内に鳴り響く警鐘だけが俺を動かしていた。
ズボンのポケットから回復薬を取り出し、首に掛ける。痛みと熱で頭の中の何かが切れてしまいそうになるのを堪えたいが、体に上手く力が入らなくて、木張りの塀にもたれ掛かった。
「レイホ!」
「あぁ……アクト、俺の首、ちゃんと繋がってるか?」
お前のそんな慌てた顔、初めて見たよ。感情の表現が下手って言ってたけど、ちゃんと出来んじゃねぇか。
「ああ、ちゃんと繋がってるよ」
「そうか……敵は?」
自分で首を触って具合を確かめたいが、咬み千切られたままだったり、痕が残ってたら意識を保てそうにないし、触る勇気も出ないのでやめておく。それに、アクトが治ってると言ってくれたし、首から流れ出る感触は無くなったし、熱や痛みは訳分からないレベルからバカみたいに痛いくらいに落ち着いてきている。タバサさんの薬嘗めんなよ。
意味不明に虚勢を張ってみるが、そうでもしないと痛みに耐えていられない。
「ちょ~っとマズいかな。あの人形、全部グールだったみたい。こっちにはもう気付いてる」
ショートソードを構えて背を向けているシオンが答えてくれるが、状況が分かったからと言ってどうすべきなのか全く思い浮かばない。
「全部倒せばいいんだろ」
「無茶言わないのアクト。いくらなんでも多すぎるから、一旦下がるよ」
シオンの意見に賛成だが、下がるってどこに? 屋敷や家屋はどこにでもある。キラーアントなりグールなり、どこからでも現れるってことだろ。けど、アクトをこのまま突っ込ませる訳にはいかない。
「身を隠せる場所を探そう」
「……」
不承不承といった様子だが、構えていた大太刀を下げたから従ってくれるってことか。
「肩貸すね」
「……いい、歩ける」
身を寄せて来たシオンをすり抜けて歩き出す。べつに照れた訳じゃない。今一番冷静に動けるシオンを俺の杖代わりに使う訳にはいかないと思った。暴走を抑止する理由を含めてアクトの肩を借りるでも良かったが、敵襲があった時にアクトが直ぐに動けないと対処が遅れるから反って危険だ。それに、足を怪我した訳じゃなく、受けた傷も塞がっているのに弱音なんて吐いていられない。
歩く度に振動が響く首に肝を冷やしているが、二人に出来るだけ不安を与えないよう平静を装って通りから離れることにした。
次回投稿予定は10月31日0時です。




