第七十二話:在る物と無い物
狭い坑道を一列になって進んでいると、不意に視界が歪んで足元が揺れ始めた。
「な、何?」
驚愕の声を上げたのはシオンだけだが、俺もアクトも心境は同じだった。
「崩れでもしたら大変だ。先を急ごう!」
アクトの背中を押した後で、地上にある坑道ならいざ知らず、次元の境穴で崩落なんてことが起きるか疑問に思ったが、そんなこと考えていても仕方ない。俺たちはまだ見えない坑道の出口を目指して走り出した。……筈だった。
「ここは……?」
足元が揺れている割りに走ることは難しくないと感じた時、いつの間にか俺たちは坑道を抜けていた。視界も歪んでいたので、出口を上手く視認できなかったのかという思考は、目の間に広がる景色の彼方に飛んでいった。
「ひっろーい原っぱだね」
呑気な声に振り返ってみると、片手で目の上に庇を作りながら地平線を眺めるシオンと、その後ろに坑道へと続く道が見えた。やはり気付かない内に坑道を抜けたのかと思うが、よく見なくても坑道の出口は不自然だった。岩場も何もない空間にぽっかりと穴だけが開いている状況であり、横や後ろから見てもやはり穴が開いているだけだ。
「引き返せはするのか」
そう呟いたものの、今のところ引き返す必要はない。大型の魔獣に追いかけられた時に逃げ込むことはできそうだが、見晴らしの良い草原には俺たち以外の姿は見当たらない。
「どこ行くの?」
脅威が見当たらないことは良いことなのだが、逆に何も無さ過ぎてどこに向かうか決めかねる。コンパスを出してみたが、針はまるで安定しない。
「……二人は周りに何か見えないか?」
視力はどちらかといえば良い方だ。しかし、建築物で視界が狭められている日本人の俺よりも、自然豊かなこの世界で生きて来た二人の方が視力は良さそうだと思っての質問だったが、首を横に振られるだけでささやかな情報すら得られなかった。
参ったな……。
空を見上げると、いつぶりか分からない快晴の空が広がっていたが、太陽はどこにも見当たらない。この場所の光源は……考えても仕方ないか。いっそ戻ってもう片方の坑道に行ってみるか? こっちはもしかしたら何もない安全地帯みたいなものかもしれない。だけど、そんな都合のいい空間が存在するのか?
「一旦戻ろう。ここは先に進みようがない」
異論が唱えられることもなく、俺たちは通ってきたばかりの坑道へと引き返した。
別のところに繋がってしまっていないか、魔獣が復活していないか、不安はあったがそれらは全て杞憂だった。暫く歩いているとコボルトと戦った広間に戻って来られたので、そのまま部屋の反対側に移動してもう一本の坑道を進もうとする。
「壁になってる」
先頭を歩いていたアクトの言葉通り、そこにあった筈の道は綺麗に無くなっており、周囲の岩盤と完全に同化していた。もし、ここに新たに来た人へ道があったと言ってもとても信じてもらえないだろう。
壁を触ってみるが紛れもない岩の肌触りが伝わってくるだけで、崩すのも難しそうだ。
「……あの草原を進むしかなさそうだな」
行ったり来たりで悪いと心の中で謝罪しつつ、俺たちは再び草原へと向かった。
相変わらず広いだけの草原を、今度は坑道から出た時の進行方向に直進してみた。だが、魔獣の影どころか木の一本すら視界には入らない。
魔獣が出てこなければ安全なことに変わりはないのだが、こうも何もないとどうしても気が緩んできてしまう。太陽の光こそ無いが、晴れ晴れとした空と穏やかな気候の下で、緑の絨毯に寝転がって昼寝したい気分だ。だからというわけではないが、俺は一時休憩を提案してみた。集中力が切れた状態で歩き続けていても心身に負荷がかかるだけだし、そんな状態で魔獣の奇襲を受けたら不覚を取ってしまう。
休憩することに対してもアクトとシオンは素直に従ってくれ、各々適当に座り込んだ。
「しっかし、なーんも見つかんないねー」
胡坐をかきながら言うシオンの言葉は明るい。先が見えない不安を晴らそうという気遣いなのかは分からないが、暗く言われるよりずっといい。
「ああ」
なんて答えていいか分からず、かといって無視はよくないと思った結果、聞いているのか聞いていないのか分からないような相槌を打ってしまう。
「……シオンはここ通って来たんじゃないの?」
そう言えばそうだ。シオンは次元の境穴を通ってハデスの城にやって来たんだった。どうして今まで聞かなかったんだろう。
「いやー、こんな草原は通ってきてないなー。暗い森みたいなところでジャバウォックに出くわして、必死に逃げている時に変な穴を見つけたらあそこに出たってだけ」
ハデスが開けた入り口は複数の空間に繋がっているってことか……あれ、でも俺たちが入った時は二回ともゴブリンの住む洞窟だったよな……?
考えても分からないことばかりだし、自分たちがどこに向かえばいいのかも分からない。
自暴自棄になったわけではないが、仰向けに寝転がって空を見上げてみる。広い空を見ていれば気分も晴れてなにか閃くかもしれない。
……長閑だな。ここが次元の境穴でなく、地上であればどれだけ良かったことか。自由気ままに冒険して、時折こうして自然の中でのんびりする。最高じゃないか。もし、地上でここと同じような場所でソラクロがいたら「お昼寝日和です!」とか言って……。
そこまで考えて、全身に電流が走ったように飛び起きる。
「おぉ! どしたの?」
大袈裟に驚いて見せるシオンに隠れていたが、アクトも珍しく目を丸くしていた。そりゃあ、寝てた人間が突然起き上がったら驚くよな。
「……なんでもない。そろそろ行こうか」
どこに行くべきか閃いたわけでもないのに、俺はついさっき想像しかけた映像を忘れたくて立ち上がる。二人は驚いていた分、少し反応が遅くなったが、それでも何も言わずについて来てくれた。
それから歩いて。
歩いて、歩いて。
歩いて、歩いて、休憩して。
歩いて、歩いて、歩いて、歩いて……。
何も見つけられず、どこにも辿り着くことはできなかった。
「にはははは……ここまで何もないと、流石にあたいも気落ちするなぁ……」
何度目かの休憩の時、いよいよシオンの笑い声は乾いたものになっていた。アクトは見た目では変化ないように見えるが、ここまでただ歩いているだけなのだから、心中で不満の一つや二つ零していても不思議ではない。
「……アクト、腹は減らないのか?」
現状に対して泣き言や文句を言いたいし、無策で歩かせ続けている二人に対して謝りたい。けれど、俺がそれを言うわけにはいかない。謝るとしても、それは無事に次元の境穴を抜けた時だ。代わりに、ふと思い出したことを、できるだけ平静を装って聞いてみる。
「ん、大丈夫。なんか、今日は腹減らないみたい」
「そうか」
腹減ったと言われても軽食くらいしかないのだが、そういう状況だからといって遠慮する性格でもないことは、これまでの付き合いで分かっているつもりだ。
「そういえばあたいも、お腹空かないし、喉も乾かないや」
燃費の悪いアクトにだけ聞いてしまったが、これまで結構な時間歩き通してきたのだから喉の渇きくらい感じてもおかしくない。確かに俺も空腹感や喉の渇き、尿意すら感じない。次元の境穴では時間が止まっているのか、それとも一回死んだから体内の生命維持活動が失われのか。どちらでもいいが、物資の調達が困難な状況においてはプラスと考えていいだろう。
「……」
会話が途切れる。
何を考えても、何を言おうとしても、結局「これからどうする?」といった話になってしまいそうだった。聞いたところで的確な答えは返って来ないだろうし、先に進む手がかりを見つけていたのだとしたら、とっくに知らせてくれている。
「あー……魔力とか技力は回復してるのか?」
どうにか振り絞った話題がこの程度だ。魔力も技力も消費しない俺では回復の条件や感覚などは分からないので、聞きたかった内容であることに間違いはないが、もっと気の利いた話題を考えられんのか。
「あたいはまだどっちも消費していないから、アクトはどう?」
「大丈夫、回復してる」
それならよかった。時間経過で回復してくれるなら、この草原で時間を食っていることにも微々たる意味が生まれた。……あぁ、こういうのって言葉に出すべきか。
「それならよかった」
棒読みだけど勘弁してくれ。俺は感情をサービスで乗せられるような気前の良い人間じゃないんだ。
「ふぅ……行くか」
息を吐いて開けた口が重く閉じてしまう前に声を掛ける。たった三文字言うのがこんなに辛いと思ったのは初めてかもしれない。
「はーいっと!」
元気よく返事して跳ねるように立ち上がるシオン。
「ん」
相変わらず無表情のアクト。
二人ともよく付いて来てくれるな。これも口に出した方がいいのか?ここを抜けてからか? ……恥ずかしいっていうか、ガラじゃないな。それに、本当に感謝しているなら結果を返してやるべきだ。
立ち上がった二人の顔を一瞥した後、少しでも前向きに行こうと思って自分の影を背にして歩き出した。
…………影?




