第七十話:死して行き着く場所
俺は死んだ。それもかなり呆気なく。
人型ゴブリンと剣を交わすこともなく、息苦しさを感じた次の瞬間には意識が途切れていた。
意識が途切れたのに何故、自分が死んだと認識できるか。それは単純に目覚めたからだ。
何が起きて、どれくらいの時間が経ったか定かではないが、何故か俺は生きていてハデスの城の玉座の間で倒れていた。体を確かめるとどこにも異常はなく、鼓動も確かに感じられる。
周囲を見渡しても誰もおらず、静まり返った広い空間で中身のない鎧たちが俺を見ていた。ハデスと話している時は気にならなかった鎧も、こうしてみると今にも動き出しそうで不気味だ。
「なんだか妙だな……」
発した声が間違いなく自分のものであったことに微かに安堵するが、何とも言い難い違和感は拭えない。こうなれば直接聞いてみるか。
「ハデス様」
俺の声は広間の空気に飲まれてしまい、響くことはなく、誰かが応じてくれることもなかった。
何も分からないけど、このままじっとしていて状況は良くならないよな。
玉座の間にある扉を片っ端から開けようとするが、どこもかしこもビクともしない。鍵が掛けられているというより、元々扉になっていないような感じだ。こうなると行き先は、正門へ通じる扉の隣りに開けられた次元の境穴だけだ。アクトとシオンを探しに行くべきだろうが、俺一人で? 魔獣化とはいえゴブリンに手も足も出せず瞬殺された俺が? 間違いなく無謀だ。行くにしても何か策を、人型ゴブリンと出会っても逃げる手立てを考えてからだ。
玉座へと続く低い階段に腰を下ろして考え込もうとした時、部屋の中央に俯せに倒れたシオンが目に入った。
いつの間に? こんな真ん中で倒れてたら見落とすわけないし……。考えながらもシオンへと歩み寄る。見た所外傷は無さそうだし、顔色も穏やかな寝顔だ。
「シオン」
声を掛けると、シオンの眉が微かに動いた。
「う……ん? あれ?ここは……あの世?」
寝ぼけ眼を擦りながら起き上がる。どうやらシオンも体に異常は無さそうだ。
「魔界のハデスの城」
「ふーん……あ!」
思い出したように目を開いたかと思えば、自分の胸をまさぐり始める。おい、何のつもりだ。
「ありゃ、何ともない」
「……何かあったのか?」
「あたいの記憶が正しければ、ここを魔法で貫かれた筈なんだけど……何ともないね。ちょっとレイホも触ってみて」
「……」
寝ぼけてんのか。
「にゃっはは~……冗談、冗談、そんなムッとしないでよ。魔法を食らったのは本当だから」
胸に魔法を食らったってことは致命傷だよな。死んだ筈なのにこの場所に戻ってきているってことは……。
答えが見えて来た俺の横で、今度はアクトが俯せに倒れていた。シオンと同様に外傷は無く穏やかな寝顔で、いつ拾ったのか、大太刀は背中の鞘に納まっていた。
「アクト」
「ん……あ、よかった。レイホに追いついた」
「追いついた?」
「レイホ死んだんでしょ? だからおれも死んだ。死後の世界とかよく分かんないけど、急げば追いつけるもんなんだね」
俺たちの身に起きた現象に心当たりがあると思ったが、どうやら違ったらしい。
「俺が死んだからって、アクトまで死ぬ必要はないだろ」
「なんで?」
なんでって聞き返されてもな……。自分の命と他人の命は別だろうに。
「レイホは命懸けでおれを助けてくれた。ならレイホが死んだ時がおれの死ぬ時だ」
そんな契約交わした覚えはないんだが……こういう自論を持ってる奴を説き伏せられるほど口達者じゃないからな、適当に相槌だけ打っておこう。
「で、何これ?」
何かを指す訳でもなく聞いてくるアクトであったが、言いたいことは分かる。死んだ筈なのに玉座の間で生きている自分達の状況について、疑問を持たない筈はないからな。
「分からないが、ある程度の予想は付く」
これこそ、俺の固有アビリティ。自分とパーティメンバーに、死んだ時に安全地帯まで戻る効果を付与する……なわけないよな。シオンは一緒に行動してるけど、ギルドでパーティ登録したわけじゃないし。
「ハデスから餞別って言われて掛けられた魔法の効果だと思う」
状況的に考えて、この答えが一番自然だ。アクトもシオンも心のどこかで予想はしていたのだろう、納得して頷いた。
「時が戻っている……わけじゃないよね」
シオンが空いた玉座に視線を向ける。彼女の言葉通り、俺も時は戻っていないと考えている。時が戻ってはいるが、あの玉座にはハデスが座っていて、次元の境穴について話しを聞いている筈だ。仮に今俺たちのいる時間が、玉座の間でハデスと会っている時より更に前だったとしたら話しは別だが、それならば俺たちは今ごろ侵入者扱いされていることだろう。それと……これは俺の感覚の話しになるが、この玉座の間はハデスの城とよく似ているけど、どこか違う場所だと思う。二人を混乱させたら悪いから口には出さないけど。
「こんな魔法聞いたことないけど……まぁいいや。で、どうするの?」
気の早い奴だな……流されないようにしないと。
「次元の境穴を通って地上を目指すことに変わりはない。っていうか、扉はどこも開かないし、ハデスに呼びかけても返事はないから、他の選択肢はない」
聞くや否やアクトは「ん」と返事をして立ち上がり、次元の境穴に向かおうとしたので、手を掴んで止める。
「出発する時は俺が言うから、もう少し待ってくれ」
「分かった」
大人しく座り直してくれたアクトを見て安堵の息を吐く。目標は変わらずとも、そこに辿り着くに当たっての作戦だとか、三人の認識を擦り合わせておく必要がある。無策でブラ付いて良い場所ではないことは、全員文字通り身に染みて理解している。
「作戦会議というか、情報を共有したいんだけど、自分が死ぬ直前の状況は覚えてる?」
「ん」
「覚えてるよー」
死ぬ直前の記憶が引き継がれるのは有り難いな。記憶が欠落するようだったら、また無策で次元の境穴に突っ込んでいって同じ死に方をするところだった。
アクトとシオンから状況を聞き出した後、俺も自分の状況を伝える。伝えると言っても、にじり寄って来た人型ゴブリンに恐らくは魔法で瞬殺させられたということぐらいだ。
「二人がやられた魔法はライフル。直前に感じた息苦しさはサフケイション。どっちも中級の魔法だけどゴブリンが使うなんて聞いたことない」
「詳しくないから教えてほしいんだけど、それぞれどういう魔法なんだ?」
「ライフルは適性属性に合わせた光線を放つ攻撃魔法。魔法か、属性に耐性がないと防具を着けてても貫通するから防ごうとしない方がいいよ」
思ってたより凶悪だったな。魔法とか属性に対する防御力は皆無だし、言われた通り避けるしかないな。
「サフケイションは相手を窒息状態にさせる妨害魔法。対象指定型だけど、発動までに少し間があるから速く動いてれば避けることは不可能じゃないよ。あと、発動中は魔力を消費し続けるから、よっぽど魔力が高い相手じゃなければ気合いで耐えられないこともない」
また凶悪な魔法だな。アクトは簡単に言うけど、常に動き続けるのも、いきなり窒息になった時に気合いで乗り切るのもかなり難しいぞ。魔法使いを狙うにしても、人型ゴブリンは用心深く陣形を組んでいるし、横穴も広さもない通路じゃ奇襲は難しい。
「おれが人型をやってもいいけど、あのすばしっこい奴も目障りだな……」
ああ、あの身軽な奴か。俺は偶然攻撃を防げたけど、アクトとシオンの話しを聞くと、かなりの強敵みたいだな。当然俺には手が負えないから、アクトかシオンにどうにかしてもらわないといけない。後は大柄なゴブリンか。
人型が六体に身軽と大柄合わせて八体……と考えていいのか? 時間が戻っていない想定で考えていたから、倒したゴブリンが復活していることは考えていなかった。けど、あんな場所だし、新しく湧いてる可能性だって十分にある。そもそも、次に次元の境穴に入った時、同じルートだという保証はどこにもない。もし全く違うルートで違う魔獣と対峙することになった場合、今考えている時間と労力は無駄になる。
「どうかした?」
アクトに首を傾げられ、俺は自分が抱いた疑問を少しまとめる時間を置いてから口に出した。
「行ってみれば分かるでしょ。おれが行こうか? 死んだら戻ってこれるんだし」
そういう性格なのは分かってきたけど、何食わぬ顔で恐ろしいことを言うな。
「今は死んで戻って来れたけど、次どうなるかは分からないんだぞ。もし本当に死んだらどうする」
「レイホとシオンで地上を目指せばいい」
簡単に言うなよ。色んな意味で……。
アクトが抜けて魔獣が蔓延る場所を突破できるわけがないだろ。今でさえゴブリン相手にどうするか悩んでるんだし。
仲間を誰も死なせたくない。とかいうお優しい言葉はガラじゃないし胃がムカつくけど、戦力的な話として誰かが欠けたら駄目なんだよ……俺はいてもいなくても変わらんか。
「アクトが行くくらいなら俺が行く」
一番戦力にならないイコール最も簡単に死ねるってことで、適役だろ。
「ありえない」
そう言うだろうな。しかしどうしたもんか、このままじゃ埒が明かない。危険を冒したくないから策を考えたいが、策を考える為には危険を冒して情報を得なければならない。こういう時はもう、分かっている情報の内から最適な策を考えて進むしかないな。もし読みが外れた時は……その時考える。うん、これで行こう。何も俺は無能から軍師を目指すサクセスストーリーを描きたいわけじゃないしな。
深まった考えが一周してシンプルに戻って来たところで、これまで黙っていたシオンが控えめに手を上げた。
「様子見なら、あたいが行くからさ……喧嘩はよしなって」
考え込みすぎて気を遣わせたようだが、悪いけどその提案は承諾できない。仮に俺の思考がまとまらなかったとしても、こんな妙な状態に巻き込んだシオンを都合よく使うことはできない。そうだ、巻き込んだんなら後で謝っておかないとな。
「様子見のことはもう大丈夫。それに、喧嘩じゃない」
「レイホもおれも、言葉の選び方とか感情の乗せ方が下手なだけだから」
御尤もでございます……自覚はあるんだな。
思考がスッキリしたことで、対ゴブリン戦の形もぼんやりとだが見えて来た。単独で厄介な身軽ゴブリンについてはアクトに任せることにしよう。というか、アクトじゃないと難しいと思う。シオンはショートソードを持ってはいるが、あくまで主となるのはパイルバンカーによる一撃必殺だ。当然ながら、すばしっこい相手との相性は悪い。ショートソードによる自衛はできなくはないらしいが、今回必要になるのは時間を稼ぐことではなく倒し切る力だ。
逆に、人型ゴブリンは陣形を重視して移動は遅い。聞いたところ、シオンの魔法火力は非常に高いらしいので、固まっている相手には有効だ。俺は成す術もなくやられたが、シオンが人型ゴブリンに仕掛けた際は、散開するよりも守りを固める動きを取ったようなので、魔法さえ発動できればまとめて倒せることだろう。
大柄なゴブリンについては……余裕がある方というか、動きが遅いなら最後にみんなで殴ってもいいか。
「分散できるほど戦力に余裕があるわけでもないし、三人で動こう」
「ん、分かった。おれはどれを相手すればいい?」
「身軽と大柄を頼む」
「了解。人型はそっちに任せていいの?」
「……ああ。シオン、魔法重視で動いてもらうけど……よろしく」
状況によるとか多分とか、曖昧な言葉を全て飲み込んで頷く。シオンの魔法頼みだから、俺が頷くのも変な話だけどさ。
シオンは特に抗議するわけでもなく頷いてくれたので、早速二回目の次元の境穴に向かいたいところだが、まだ言うことはある。
「二人とも、死んでも戻って来られる可能性があるからといって、無理な行動はしないように。俺たちの目標は魔獣の討伐じゃなくて、次元の境穴を抜けて地上に帰ること。先は長い、避けられる戦闘は避けて進む。この方針だけは忘れないでくれ」
主に俺の為に。二人がやる気になっても俺はついて行けない。
俺の情けない心境を知らない二人の快諾に心が痛むが、これは無くてはならない痛みなのだと、訳の分からない理由を付けて耐える。
「シオン、人型との戦闘については歩きながら話し合うとして……申し訳ない。偶然出会っただけのシオンを、こんな面倒なことに巻き込んで」
「…………へ? 今、あたいに言ったの!?」
ちゃんと名指しで言った筈だけどな……。下げた頭を戻して見ると、目を丸くしたシオンが自分を指差して硬直していた。
「そうだけど……」
「あ……に、にゃっはは~、そっか……ははは……」
様子がおかしくなってしまったが、どうしたら良いのだろうか。アクトに助けを求めてみても首を横に振るわれるだけだ。
「いーよ、いーよ! 気にしないで。こうなったのも何かの縁だし、一蓮托生! どこまでも付き合うって! さぁ、行こー!」
肩に担いだパイルバンカーを大きく揺らしながら、スキップするように次元の境穴に入って行ってしまう。
「変なの」
俺も同意見だけど、呆気に取られている内にはぐれたら面倒なので駆け足で後を追うことにした。
次回投稿予定は10月24日0時です。




