第六十九話:三分後
通路の奥に斬り込んだアクトを待ち構えていたのは、オークにも引けを取らない体格をしたゴブリンを中心とした群れであった。円形の間取りをしたその場所は、通路の他に四方へ横穴が伸びており、その横穴から続々とゴブリンが出てきていることから、巣であることが予測できる。しかし、踏み入れた場所がどこなのかなど、アクトにとっては取るに足らない情報だ。それどころか敵の位置や数ですら、そこまで重要だとは思っていない。
目の前にいる敵、向かってくる敵は倒す。単純思考が故に行動は迅速だった。大太刀を振るうには手狭な通路から解放されたことを喜ぶように、地面と水平に構えた大太刀ごと体を一回転させ、近くにいたゴブリン二体の首を刎ねる。回転した勢いをそのままに、大太刀を上段に構えて大ゴブリンに向けて振り下ろそうとしたが、あと一歩の所で後退を余儀なくされた。
「邪魔だな」
巣穴に隠れながらボウガンの矢を放ってくるゴブリンを睨み付けるが、直ぐにそんな余裕は無くなる。動きを止めたアクトへ、ゴブリンが四方から襲い掛かってくる。地上で見るような、武器の重さでバランスを崩した動きではなく、剣や槍などに合わせた構えを取っている。
「グギャア!」
正面から向かってきた、槍を持ったゴブリンが掛け声と共に突き繰り出す。大太刀よりも一歩外からの攻撃に対し、アクトは槍の切っ先を躱すと共に前進する。攻撃直後の隙を狙った反撃としては完璧とも言えるタイミングであった。これが一対一であれば次の瞬間にはゴブリンが絶命していただろう。だが、今は四体一。槍の刺突から一拍置いて、三体のゴブリンが斬り掛かって来る。攻撃の隙を突いた反撃の隙を突かれてしまうことだろうし、槍ゴブリンもそれを狙っていた。突き出した槍に必殺の意は込めておらず、アクトの踏み込みに合わせて腕を引き戻して防御の姿勢を作りつつあった。
「ギャ?」
防御の構えを取ったゴブリンであったが、予想していた剣撃がないばかりか、アクトの姿すら視界から消えていた。今見えているのは慌てた様子で叫んでいる仲間のゴブリンのみであり、仲間の意図を理解すると同時に背後から浴びた袈裟斬りによって、槍ゴブリンの命は刈り取られることとなった。
【ディスグレイス】相手の背後へ技巧に応じた速度で回り込むスキルである。瞬間移動でもなければ物体をすり抜けることも出来ないため、相手との距離や周囲の状況によって使用が制限される。だが、相手の背後を取れる、この一点だけ見ても有効なスキルであることは間違いない。
包囲網を崩し、三体を迎え撃つ形となったアクトであるが、敵はそれだけではない。大ゴブリンは体格の割りに小ぶりな斧を両手に持って接近してきており、巣穴からはボウガンやら増援やらがアクトを狙ってやってくる。
「でりゃぁぁぁぁ!」
勇ましい女性の声が戦場に響いたと思うと、通路から伸びた黒い影は左手に構えたショートソードで付近にいたゴブリンの胸を刺し貫いた。
敵対者が増えたことで、アクトに集中していたゴブリンの注意は半減する。
「お、デカブツいるじゃん! アクト、あれはあたいが引き受けるから、他よろしく!」
一人から二人に増えたが、相変わらず多勢に無勢である。しかし、シオンは敵の数が見えていないのか、ショートソードを鞘に納めて肩に担いでいたパイルバンカーを両手で構えた。
「何勝手に……後ろ!」
「え? ぅわっ!」
首筋に迫る刃を、体を仰け反らせて回避するが、ギリギリの所で避け切れない。浅く裂かれた首から血が流れ出る。
「痛っ……速い」
首に手を当てて出血量を測る。表皮が裂かれただけで、直ぐに手当てが必要な傷ではない。油断していた訳ではないが、傷を負ったことは事実なので戦意を集中し直す。
攻撃を掠めていった相手は既にシオンへの興味を失くしており、軽業師の如き身の熟しで標的をアクトに替えると、一も二もなく飛び込んだ。
素早いが、目で追えない速度ではない。アクトの振るった大太刀は間違いなくゴブリンを両断する軌道を沿っていた。しかし、その太刀筋を読んでいたのか、ゴブリンは空中で身を捻って紙一重のところで刃を躱すと、アクトの額に向けてダガーを突き出した。
「チッ!」
斬撃直後の体では回避がままならなかったが、首だけを反らせて回避する。しかし完全ではない。側頭部からの出血が地面を濡らした。それでも戦意が曇ることはない。背後に回ったであろうゴブリン目掛けて大太刀を振り回すが、既に標的は消えていた。
「速い奴、穴ん中に潜っていったよ!」
構えたばかりのパイルバンカーを担ぎ直し、再び手にしたショートソードでゴブリンを一体切り伏せながら告げられた言葉に、アクトは再度舌を打った。
急所を狙いつつも、外したからといって執着せずに駆け抜けて行く。身軽さよりも、取っている戦法の方が問題だ。一撃離脱を徹底した上で、四方に空いた巣穴が奥で繋がっているとしたらかなり面倒なことになる。
アクトが垂れて来る血を腕で拭い去ると、通路の方からレイホの声が聞こえてくる。六体の増援がやって来たらしい。
「グギャアアッ!」
接近してきた大ゴブリンが、交差させて振り被った斧を振り払う。横に跳んで避けようとするが、予想よりも速い攻撃に大太刀で受ける形になった。
増援がどんな連中で、レイホがどう動くか分からない。だが、アクトの思考も行動も初めから変わってはいない。目の前にいる敵、向かってくる敵は倒す。それだけだ。故に……。
「三分!」
レイホに向けての言葉であると共に、自身へと課した条件だった。長期戦になれば、例の身軽ゴブリンに体力を削られて不利になっていく。だが、場に出ているゴブリンを一掃して一対一になれば、今度は仕留めきれる自信と手段がアクトにはあった。
「ねぇ、ボウガンの奴どうにかできない?」
大ゴブリンの攻撃を避け、隙を狙ってきたゴブリンを返り討ちにしながらシオンへ尋ねた。シオンにはゴブリンが四、五体群がっているが、ショートソードと機敏な動きでどうにか捌いている。
「魔法が……」
横薙ぎにされた剣を蹴り上げて弾き、無防備になったゴブリンの首にショートソードを突き刺すと、持っていた剣を奪って背後から接近していたゴブリンの顔面に投げ付けた。
「使えればね!」
「じゃあやって。こいつらは俺が引き付ける」
大ゴブリンの連撃をディスグレイスで躱し、シオンを狙っていたゴブリンを一体斬り伏せる。その隙を狙って放たれたボウガンが左足を掠めて行く。
「早くして」
「分かってるって!」
一体ずつゴブリンを倒したところで道が拓けたので、シオンは魔法が妨害されないように通路の方まで後退する。
「ボウガンは……あそこか」
アクトを狙って放たれた矢の軌道を辿って狙いを定めると、自身の内側にある魔力に意識を集中させた。
「マナよ、我が下に集結し悪意を払う大いなる雷へと転じよ。ライトニング・ブラスト!」
横穴に集結していく紫電に、戦闘中のアクトもゴブリンも若干の痺れを感じた。ただし、アクトは唱えられた詠唱と魔法名から、この痺れが来ることを予期していたため、ゴブリン達のように狼狽えはしない。近くにいたゴブリンを突き殺したところで、横穴の方から落雷の如き轟音と爆風が戦場を支配した。
ゴブリンの悲鳴をも掻き消してしまう轟音であったが、横穴から砕けた木片と矢じりが飛び散って来たので命中したと見て問題ないだろう。
雷に視界を焚かれようとも、アクトは構わず大太刀を振るっていた。シオンが離れたことで周囲には敵しかいないのならば、刃が裂くのは敵のみである。
一体、また一体とゴブリンの数が減っていく中で、アクトの全身には傷が増えていった。例の身軽ゴブリンの仕業であるが、アクトは致命傷だけを避けて相手にしないでいる。最後に仕留めると決めた心は、負傷が蓄積しようとも決して揺るぎはしない。
巣穴からゴブリンは出尽くし、地面にはいくつものゴブリンの死体が転がっている。今、戦場に立っているのは、アクトと大ゴブリンだけである。
「はぁ……」
太刀を握る手も、立っている足も、敵を見上げる首も、自身と斬ったゴブリンの赤で染まっているが表情は歪まず、睨み付ける瞳は曇らない。
もう直ぐで倒し切れる。時間はもう三分を過ぎているかもしれないが、レイホも増援も来ないということはどうにか持たせてくれているのだろう。
そんなことを考えながら、大ゴブリンへ斬り掛かろうとした時だった。背後から赤色の光線が飛んで来たのは。
一瞬で攻撃魔法だと理解できたが、光線はアクトにも大ゴブリンにも当たらず、岩壁に当たって消失した。不審に感じたアクトが振り向いた先では、胸に焦げた穴を開けられて倒れるシオンの姿と、通路からすり足で姿を現した六体の人型ゴブリンだった。
魔法を放った後のシオンは、背後からにじり寄る足音に気付いて人型ゴブリンと交戦を開始していたが、結果はアクトが目にした通りであった。
ゴブリンの魔獣化には多様性があるが、討伐推奨等級は星二か三程度である。六体一ではあったが、仮にも銅等級星四のシオンがここまであっさりとやられてしまう筈はない。けれどアクトの思考はシオンの死よりも別のところにあった。
「レイホ……?」
姿の見えぬ彼の末路を考えて茫然としていると、頭上から空気を裂く二つの風を感じた。




