第六十七話:黒い闖入者
地上に帰る事を告げ、一眠りできるくらい待たされた後で呼び出されたのは玉座の間だった。創作物でよく見るような大広間の中心に赤い絨毯を敷き、数段の短い階段の上に王が座している。跪いた方がいいのかと思ったが、ハデスから「そのままでよい」と制されたので立ったまま話を聞くこととなった。
「レイホ、そしてアクト、両名は地上への帰還を望んでいるということで相違ないか」
「はい」
「レイホが帰るなら、おれもそうするよ」
「よかろう。この城から地上へと続くヘルゲートまで、地上時間で一年も歩けば着くだろう」
一年!? そんなに遠いのか。転移魔法とかでパッと帰れるもんだと思ってたけど、甘かったな。
「フッ、そう不安そうにするでない。人にとっての一年が、短くない時間であることは我も心得ている。そこでだ」
ハデスが指を鳴らす。が、特に何かが起きた様子はない。
「後ろを見るがいい」
言われるがまま振り向くと、出入口の扉の横に、まるで魔窟の入り口にあるような黒い靄が渦巻いていた。
「その穴を通れば、早ければ十日ほどでヘルゲートに着くだろう。しかし、その穴──次元の境穴には我の目を盗んで棲みついている魔獣がいくらか存在するようでな。ある程度の戦闘は覚悟してほしい」
安全だけど時間が掛かる道と、危険だけど早く着ける道。ゲームとかなら典型的な選択肢だな。
「どちらを選ぶかはそちらに任せる。尤も、危険があると分かっていて、手ぶらで向かわせるような吝い我ではない。次元の境穴に行く際は、少しばかり餞別をやろう」
魔界の王の餞別とは恐れ多いが、流石に一年も掛けるわけにはいかない。借金の利子が膨らんでしまうし……できるだけ急いでやらないといけない奴もいるしな。
「どうする? おれはレイホに付いて行くよ」
分かってるよ。
「次元の境穴を通ります」
「よかろう。ならば前言通り、我より餞別を与える。そのままじっとしていろ」
ハデスは玉座から立ち上がると、右手を俺たちの方へと突き出した。
「我が導に指されしは人、挑みしは修羅。汝、本能の焔に焼かれ、無色の聖の呼び掛けに誘われようとも、六の道においては導に従い、魔の王たる我の下に再臨せよ。カルマ・ラーバリィ」
俺とアクトを囲むように巨大な魔方陣が出現すると、自分の手足も見えない程の濃い霧が噴出される。思わず両腕で顔を覆いたくなるが、体は指先すら動かせない。そして、何も見えない筈なのに、魔方陣から人の腕が五本出て来たと思うと、音も痛みもなく胸の中に入っていった。
「……今のは?」
気付いた時には既に霧は晴れており、体も何ともなかったため、自分の見間違いか何かだと錯覚した。
「使わないに越したことはないが、保険だ。地上に戻れば自動的に解除される」
「保険って何の?」
珍しくアクトが質問をしたと思って視線を向けると、どうやら今の魔法が癇に障ったらしい。ハデスを見るその眼には敵意が現れていた。
「おい、アクト──」
「よい。我が掛けた魔法の詳細を話すのは簡単だが、話さない方がそちらの為になる。それに、我の見立てでは直ぐに分かることだろう」
「……ふーん」
未だ疑念の眼差しを向け続けるアクトであったが、一先ずは荒事にならずに済んだ。
玉座に座り直したハデスの傍らには、いつの間にか女給──廊下で出会った、眼鏡を掛けた女性が銀の盆を持って立っていた。
「むっ、来たのか。渡してやれ」
「かしこまりました」
階段を下りて来た女性が持つトレイには、革袋が二つ乗せられていた。
「我からのささやかな贈り物だ。好きに使ってくれ」
「右の袋にはマナ結晶、左の袋には魔界産の希少鉱石が入っています」
こちらから言わなくてもマナ結晶を用意してくれたとは有り難い。けどやっぱり心を見透かされているようで怖いな。
礼を言った後、二つの袋を受け取ると、盆に二つの首飾りが乗せられていることに気付いた。
「こちらはハデス様が認可した通行証です。ヘルゲートを通る際、番人にお見せください」
紫色の楕円形の飾りが付けられた首飾りをアクトにも渡して首から下げる。よく見ると飾りの中に髑髏の模様が浮かんでいる。
「我から授ける物は以上だ。そちらから何かなければ、次元の境穴に向かうがいい」
何か、か。折角魔界に来て王に会っているんだし、聞けることは聞いておいた方がいいかな。
「いくつか質問してもよろしいでしょうか?」
「何だ?」
「地上にある魔窟というのは、魔界側の事情で存在している物なのでしょうか?」
「半分当たりといったところだな。魔窟は確かに地上と魔界を繋いでいる物だが、我々が意図的に出現させている物ではない」
「へぇ、じゃあ、あんたが魔物を送り込んでるわけじゃないんだ」
そういう物言いは俺の寿命を縮めるからやめてくれー。
「無論だ。そもそも、我は魔界の王であって魔獣の王ではない」
魔物は統治対象外ってことか……あれ、次元の境穴について話した時もそうだったけど、もしかして──。
「魔界では魔物ではなく魔獣と呼ぶのが一般的なのですか?」
「そういえば説明していなかったか。魔物というは、魔獣が魔界から地上に出る際に、マナの影響で弱体化した姿を地上の人間が名付けたものだ」
「どっちでもいいけど、なんで魔物っているの?」
アクトさん、今日はよく話しに入って来るんですね。食べ物がないからですか?
「それは一介の人間に話せることではない。我が眷属にでもなろうものなら伝えることはできるが──」
「じゃあいいや。こっちで勝手に理由を見つけて潰す」
「それは……フッ、頼もしい限りだ」
流石は魔界の王、寛容である。
えっと、他に何を聞こうかな……。
「んわあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
後方から聞き覚えのない女性の悲鳴が聞こえてきたかと思うと、俺の横を黒い風が通り過ぎ、階段に躓いて派手に転がっていき、玉座の後方の壁にぶち当たって止まった。
「…………」
「……なにあれ?」
俺に聞かれてもな……。
「ダークエルフとは珍しい客人だな」
「手当ていたしましょうか?」
眼鏡の女給が近寄ると、伸びていた……ハデスが言うにはダークエルフの女性は素早く身を起こして、野生動物のように周囲を見渡した。
「ここはどこ? あたいは……シオン! うん、記憶は大丈夫」
何だか厄介ごとの予感がするのでさっさと次元の境穴に入ろう。
「ゲェェェッ!!」
次元の境穴から、黒い体表の四つん這いの魔物が現れた。こいつオーバーフローの時、俺に噛みついて来た奴と同じ種族か!?
「むん!」
ハデスが振り向きざまに放った紫の光線は魔獣の額から尾まで綺麗に貫通したかと思うと、血の一滴も残さずに蒸発させた。
今の魔法だよな……。詠唱無しで放って、魔獣を一撃で倒したどころか消滅させたぞ。流石魔界の王、強すぎる。
「少々長く話し過ぎたか。レイホ、すまないが一度次元の境穴を閉じるぞ」
「……はい」
行き場を失った俺とアクトは、闖入者のダークエルフ──シオンの事情聴取に付き合わされる羽目になった。
「魔窟の穴に落ちて、魔獣から逃げている最中に見つけた穴がここに繋がっていたと」
「そうそう──です」
魔界の王直々の事情聴取にも臆することなくヘラヘラとしているシオンの様子に、俺は頭を抱えていた。
嫌だ嫌だ嫌だ……ついでにアレも連れて行けとか言われるんだろ。知ってんだからな。悪いけど絶対嫌だぞ、あんな一目で分かるトラブルメーカーを連れて行くなんて。
「頭痛?」
一緒に座っているアクトに聞かれても先行きが心配過ぎて答える余裕はない。
「ふむ。丁度、今地上に戻る者がいる。その気があるなら共に行くといい」
ほらほら。ハデス様……そこは心読んでくださいよ。
「う~ん、地上かぁ……」
おや? あんまり乗り気では無さそうだな。魔界もきっと良い所だから、こっちでの生活を考えてくれてもいいぞ。魔界に来たばっかだし、観光とか! ……そういや、地上に帰る前に魔界の街の一つでも見ておけば良かったな。
とかなんとか考えていると、目の前に誰かが立った気配がして、頭から手を放して顔を上げる。
「っ!」
近い! 顔!
わざわざしゃがんで来なくてよろしいですよ!?
「あたい、シオンってんだー。見ての通りダークエルフだけど、よろしくお願いできるかな?」
黒褐色の肌に銀髪のショートカットは自前のものだけあって、綺麗な色合いをしている。真っ赤な瞳は血の色に似ているが、柔らかな微笑みのお陰で怖さは感じられない。エルフ特有の尖った耳をしてはいるが、クロッスで見かけたエルフよりも長さはなく、どちらかというと人間の耳に近い。
恰好は白のミニスカートに黒の肌着。白銀の肩鎧の下に来ている黒のインナーは胸があるからか、丈が少し足りなくてヘソが時々見えそうだ。他には肘上までの白い布のアームガードと膝下までの防具付き革ブーツを着用している。
あーあ、予想してたけど上手く断る理由も思いつかないし……。
「俺はレイホで、こっちはアクトです。よろしくお願いします」
簡単な挨拶と共に同行を受け入れると、何故かシオンは目を丸くして固まった。
「……うん、うん! いやぁ、こんなに快く受け入れられたの何年ぶりかなー! 嬉しいよ! にはは! あっ、武器がない! 落とした!?」
「これのことか?」
「あ、それそれです!」
転倒した時に落としたのだろう。玉座の方でハデスが回収した武器に飛びつくように走って行くシオン。
「アクト、俺の返事は快く聞こえたか?」
「さぁ? 嫌そうではなかったと思うけど」
「そうか……」
態度で示せていても、あの手合いは言葉にしないと気付いてくれなさそうだしな……。地上まで頑張ろう。
次回投稿予定は10月19日0時予定です。




