第六十六話:自分語り
ハデスから提示された道。一つ目は地上へと帰る道。二つ目はこのまま魔界に残る道。そして三つめは現代──俺の元の世界に帰る道。
俺はどの道を選ぶか、頭を悩ませながら寝返りを打った。
一人分にしては勿体ない広さの部屋は、ハデスから支給されたものだ。派手さはないが値の張りそうな調度品の中に、質素すぎる骨壺だったり、髑髏の燭台があるのはこの城の主の趣味だろうか。客間に備え付けるのは不気味だからやめておいた方がいいと、誰も意見しなかったのか?
食事を貰って腹を満たし、部屋に備え付けのシャワー……と言うよりは水と風魔法による人間洗濯機で体を洗い、生涯最高に寝心地の良い寝台に横になる。これで後は何も考えずに目を閉じるだけだったら、どんなに素敵な人生だろうか。
「はぁ……」
ハデスからは「一晩考える時間をやろう」と言われたが、昼も夜もない魔界では一晩がどれくらいか分からないし、数えきれない時間を生きて来たハデスからしてみれば、人間の一晩など瞬きするより速く過ぎてしまうだろう。……骸骨だから瞬きしないっていうのは置いといて、結局は俺が決めるまで待ってくれるということだろう。
アクトの意見を聞こうかと思ったが、あいつは食堂で話しを聞いた時、既に「レイホに任せるよ。レイホが元の世界に帰るなら……俺は地上に戻ろうかな」と答えている。隣りの部屋の戸を叩きに行っても、同じ答えか寝息が返ってくるだけだろう。
とりあえず、現代に帰るのは無しだ。
金と魔力が無いから所々不便に感じることはあるが、ひと月も生活していると段々と慣れて来た。調味料の種類とか、素材の違いで食べ物は少し変わった味がするけど、それも舌が慣れてきた。元々、あんまり手の込んだ料理は好まないから、こっちの世界の比較的シンプルな料理の方が性に合っているかもしれない。家族や知人……本質的に一人でいることが好きだから、会わないなら会わないで、べつに、といった感じだな。
うん、ホームシックという言葉は俺の辞書には無いらしい。となると、地上に戻るか、魔界で暮らすかだが……待遇を考えると圧倒的に魔界有利なんだよな。ソラクロを保護してたのがよっぽどお気に召したのか、それともただ単に人手が足りないからか、領地を寄越すなんて言われた。
地上で低等級冒険者の俺に治められる土地なんてあるものかと言ったが、そこは流石の王、書庫には膨大な数のスキルや魔法の本が蓄えられているし、能力値に関しては王直々にバフを掛けていただける。地位も武力も財も得られる勝ち組ルートなんだが……。それを手にして俺はどうしたい? 土地経営なんて面倒なことはしたくない。高い能力値と強いスキルをぶっ放して魔物を狩るのは、最初は楽しいかもしれない。けど、多分すぐ飽きる。金があったら何に使う? 地上だったら土地や家、家具や衣類に武具、買う物には困らないが、領主になったら殆ど全部付いてくる。そもそも、突然やって来た異世界人に領主をやらせて、こっちの住民——魔人は素直に従うのかよ。反対派に石投げられたり魔弾を放たれたりするのは嫌だぞ。
消去法で地上に帰るか。ソラクロは故郷に帰ってこれて記憶も取り戻した。目標達成ってことで、アクトと自由気ままな冒険者生活を送ろう。……んなわけにもいかないんだろうなぁ。魔界から帰って来たとなれば話題になるし、そんでまたアルヴィンみたいな変な奴に声をかけられたら面倒だ。……そういやアルヴィンたちはどうなったんだ?生きてたら俺が地上に戻った時に面倒だから、デーモンの一撃でお別れになってないかな。ハデスに聞けば分かるか?
「めんどくせぇ」
俺は毎日定型的に依頼を熟して心ゆくまで寝て暮らしていたいだけなのに。そんな単純な願いも、人が関わると途端に難しくなる。人は一人では生きられないなんて、よく言ったもんだ。いっそこのままこの部屋に居座り続けて俺も骸骨になってやろうか。四つ目の道が拓けた。人間の可能性最高。はい、お休み。
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これで寝れたら苦労しないって。寝れる神経持ってたら、こんなごちゃごちゃ考えないで済むよなぁ。こんなに悩むのって、結局のところ俺が何をしたいか決まってない所為なんだよな。いや、やりたいことはさっき思い出したけど、なんていうか向上心とか期待とか、物事に対して興味が薄いのが問題だ。つっても、そういう性格に育ったし、こうなることでしか俺は自分を生かすことができなかった。
他人に興味を持たなければ自分に興味を持たれることはない。何にも興味を持たなければ誰かと関わることもない。それでも、立場上、性根上、興味を持ってくる物好きはいる。だが、そんな連中も興味が無いことを示し続けられらば直ぐに飽きる。行動を起こす方と起こさない方、エネルギーの消費量が少ないのはどちらかなんて、考えなくたって分かる。人間っていうのは本質的に自分の事を理解してほしいと語りたがる。始まりは心配や興味とかの思いで話しかけた相手にさえ、慣れれば手品師もびっくりな自然さで自分本位な語り手に早変わりだ。自分を理解して貰えることで安心だか享楽だかを得たい気持ちは分かるが、誰が興味のない相手の聞き手になるものか。
この世に一人だって自分と他人のために生きている人間なんているものか。在り方は違えど俺もあいつらも、みんな同じなんだよ。誰も気づいちゃいないけど、それは俺が何も言わない所為だからどうとも思わない。
……いや、この世じゃないな。俺は今、異世界の異世界、魔界にいるわけだし、ブランクドの世界の人たちや魔人のことなんてさっぱり知らない。
「ふん」
自分へのツッコミで、つまらない思考から抜け出せたようだ。えっと、何を考えるべきなんだっけ……ああ、そうだ、地上に帰るか、魔界に残るかか。
……地上だ、地上。うん。気付かないうちに柄にもなく、ソラクロと別れるのを渋っていたというか、急すぎて心の準備ができていなかったけど、ごちゃごちゃしてた思考を消したら気持ちが切り替わったぞ。
ソラクロは元々こっちの住民で、偶然が重なって俺と一緒にいただけだ。元の姿に戻るだけ。簡単なことだ。地上に戻る時、お土産をくれると言っていたし、何にするか……マナ結晶とかでいいか? タバサさんにはまだ一つしか渡せてないし。俺も金を貰えたら助かる。
マナ結晶の納品、借金返済、倉庫暮らしからの脱却。目的なんて他にいくらでもあるじゃないか。アクトがどうやったら旅立ってくれるかは不明だけど、一緒にいればいずれ目標も見えてくるだろう。一つずつ目の前の物を片付けて、一人で悠々自適な冒険者生活を送る。我ながら立派な目標だ。
一人でうんうん頷いていると、脳裏に一人の少女の姿が過った。青い月光に照らされた秀麗な顔で、人懐っこく微笑みかける少女の姿。
あー、どうしよう……どうしようもないんだよな。助けろって言われたって情報が少なすぎるし、上流区に立ち入りできない。っていうか俺に助けられるなら、その辺の若者なら全員助けられるってことと同義だから、もう既に助かってるかもしれないよな。
…………蘇る、額を合わせた感触と熱。一瞬だけ見せた、脅え切った表情。
額に当てた手を徐々に下ろして目を覆う。
「……遅くなっても文句言うなよ」
そもそも頼む相手が違うんだからな。俺から上位の冒険者に救援を頼めばいいのか? 頼むツテも金もないな。
地上に帰ってやることは決まった。極上のベッドで一眠り、といきたいところだが、ここでだらけているとまたつまらないことを考えたり思い出してしまいそうだ。地上であれやこれやと動いていれば余計なことを考えずに済むだろうし、早速ハデスに言いに行こう。
ベッドの弾力を利用して起き上がり、両開きになっている部屋の扉を開けて広い通路に出る。
どこ行きゃいいんだ?
右か左か、広すぎる通路を右往左往していると、音もなく女給が現れた。食事を運んできた女性とは違って眼鏡をかけている。
「いかがされました?」
「あ、えっと……ハデス──様はどちらに?」
「呼んだか?」
うわっ! びっくりした。今の会話聞こえてたのか?
「ハデス様、お客様が驚いていらっしゃいます」
「むっ、そうか。迅速な対応を心掛けたつもりなのだが……」
「お客様のご案内はわたくし共がいたします故、ハデス様はご自分の執務をなさっていてください。慣れないことをされますと、また道にまよ──」
「むぅっんっ! 小言は後程聞こう。一先ずこの場は我が預かった。下がれ」
咳払いで言葉を遮られた女性だったが、眉一つ動かさずに一礼すると、音もなく姿を消した。
「して、レイホ。我に用となれば、腹は決まったのだろう」
召使いにダメ出しをされる魔界の王を見て少し気が楽になったが、二人で対面すると、その圧倒的な威圧感に気圧される。
「地上に……帰ります」
魔界に残った際の破格の待遇に礼を言ったり、謙遜したり、色々と言うことはあったろうが、気圧された俺の口はひどく端的にしか物を言えなかった。
「分かった。こちらで帰路を手配する。暫し待っていろ」
無機質な声で承諾すると、ハデスは指を鳴らして闇に溶けて行った。
とりあえず了承は貰えたけど、「魔界に残らないならば用はない」とか言われて始末されない……よな。始末するならこの場で即時決行できるだろうし、多分、大丈夫。
広い通路に立ちすくんでいると、矮小で小心な自分に嫌気が差して来るので、俺は逃げるように部屋へと戻った。




