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喰い潰された白紙の世界  作者: 一丸一
第二章【集う異世界生活】
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第五十五話:魅了の吐息

 ソラクロの案内で連れられて川沿いを下って行った先には、小さな滝のある開けた空間が広がっていた。滝口から見たその空間は、色とりどりの草花が生い茂っているが、水辺の近くは短い芝が生えているだけであり、動物だけでなく冒険者にとっても憩いの場となり得る。しかし、現在は切り捨てられた魔物の死骸がいくつも転がっており、草花も赤黒い血で汚されていた。


「あそこです!」


 ソラクロが差した指の先、細い川を挟んだ向こう側では、三体の魔物に囲まれ、岩壁に押しこまれた少年の姿があった。

 魔物は下半身が蛇のように細長く伸び、上半身は髪の長い人間の女性の姿をしていた。体表は青や緑と違いはあるが、同じ魔物と考えていいだろう、あの魔物、なんて言ったっけ……ええい、魔物の名前なんてどうでもいい。少年は自分の血か魔物の血か分からないが、全身血まみれで、自分の身長と同程度の長さもある大太刀を構えていた。構えてはいるが、足取りがどうにも覚束ない。魔物の方に倒れそうになってはギリギリの所で踏ん張っている様子だ。


「助けるぞ!」


「はい!」


 勢いよく言ったが、この滝、高いな……三階建ての建物くらいはあるか。滝壺に落ちればなんとかなるか?

 考えている間にソラクロは飛び降りる。滝壺ではない。突き出た岩を中継して綺麗に地面へ着地する。


「レイホさん!」


 分かってるよ。行きゃあいいんだろ。お手本通りに行きますよ!

 ソラクロと同じ岩を足場にしたはいいが、苔か何かで滑ってしまい体勢を崩した状態で落下する。


「ぬぁ!」


 変な声が出たが、受け身を取った勢いで立ち上がり、何事もなかったかの様に川を跳び越える。騒々しく現れたお陰で、魔物の注意は少年から俺たちへと移る。


「助け? ……悪いけど、あと頼んだ」


 少年は眠そうな目で俺たちを見て、微かに表情を弛緩させると、抑揚のない声で言い放ち、そして倒れた。

 少年が倒れたのを皮切りに、魔物は動く。一体は少年を狙い、残りの二体はゆっくりと俺たちの方へと近づいて来た。


「ソラクロ、少年を助けに行けるか!? こっちに来る奴は俺が引き受ける!」


「はい!」


「シャァァァァ!」

「シュゥゥゥゥ!」


 動いた瞬間、ソラクロへ魔物が凄い剣幕で飛び掛かる。


「くっ!」


 流石のソラクロも少年の所へ向かうより回避を優先せざるを得ない。


「シャッ!」


「ぁうっ!」


 一体の魔物が飛び込みから尾を横に薙ぎ払い、ソラクロの脇腹を殴打した。吹き飛ばされるほどの威力ではなかったが、体勢は大きく崩される。そこへもう一体の魔物が接近し、鋭い爪で切り裂かんとする。


「させるかっ!!」


 二体とも俺には関心を示さずソラクロを狙っていたので俺は自由に動けたわけだが、この魔物、中々に素早い。背後から斬り付けられたのに、わざわざ声を張ったのは単なる脅しだ。俺が接近して翔剣とつるぎを振るうよりも魔物の爪の方が速いが、爪よりも声の方が速い。俺の思惑通り、魔物は二体ともこちらを見て回避行動を取った。そこから一拍か二拍置いて、俺の斬撃が空を切る。


「ソラクロ、行けるか!?」


「行けます!」


 翔剣を振るった勢いのまま回転し、ソラクロへ背を向ける形で合流する。怪我の具合を確認したいが、少年は魔物に担ぎ込まれている。この場で殺すわけじゃないのか? 魔物の生態は知らんが、まだ救出の猶予はある。

 いつ必要になるか分からないので、腰の鞘から投擲短剣スローイングダガーを抜いておく。こういう時、煙幕とか目くらましがあればいいんだけどな……ないものを頼っても仕方ない。

 少年を連れた魔物……名前が不明なので蛇女Aとしよう。そいつは滝の方、俺たちからしたら左側に向かっていて、それを防ぐように蛇女Bがいる。そして蛇女Cが蛇女Bと合わせて俺たちを挟み込む位置にいる。後ろに下がれはするが、直ぐに川だ。そして、急がなければ少年が危険だ。


「突破する。俺が壁になるから、少年を助けに行け!」


「……はい!」


 少し躊躇いがちな返事を待って、投擲短剣を蛇女Bに投げる。左手で投げたので、顔を狙ったつもりが腹に向かって飛んで行く。しかも、爪で簡単に弾かれた。けれど、元より投擲短剣によるダメージは期待していない。出来る限り速く、可能な限り鋭く、かつ大げさに翔剣を振るった。


「シュゥゥ……」


 斬撃は爪で簡単に防がれてしまうが、これも当てることは期待していない。ソラクロの進行を邪魔させないための踏み込みに過ぎない。貧相な筋力であるが、力の限り押しこみ、蛇女Bを足止めする。ソラクロが横切る。

 行け、速く抜けてしまえ! そんで早く蛇女Aを倒して少年を救出してきてくれ。この魔物、多分にして俺じゃ一対一でも勝てない。


「シャァァァ……シャッ!」


 動きを見せないと思っていた蛇女Cだったが、両手を天に伸ばすと、両手の間から紫の弾が三つ。ソラクロに向けて飛んで行く。別属性だが、最近見たな。確か、ラピッドとかいう攻撃魔法だ。色的に闇属性か? 闇属性の場合、付加される特性は……知らんけど、当たらなければいいんだ。

 放たれた魔法に干渉する術を持たない俺は、ソラクロが回避してくれることを祈り、必死に蛇女Bへ圧を掛ける。


「シュッ!」


 全力で押し込んでいたが、蛇女Bは涼しいで爪を払い、俺を弾き飛ばした。それだけではない。身を翻して尾による一撃。翔剣を弾かれ、体が開いていた俺に尾を避ける術はなく、脇腹を激しく殴打されて地面に転がった。


「ぐぅぅぅぅぅ……」


 くっそ重いじゃねぇか。ソラクロ、よく耐えたな……。あぁ、くそ。寝てる場合じゃねぇ。

 転げまわって一秒か、二秒で立ち上がり、鞘から投擲短剣を抜いて、起き上がり様に蛇女Cへ投げる。転がった時にソラクロの方に向かっているのが見えたからだ。


「シャァッ!」


 当たった? 確認している暇はない。蛇女Bが飛び込んで来ている。腰から鞘を抜いて構える。尾が振られた時の気休めくらいには使えるだろ。

 爪か、尾か、この距離じゃ魔法はないだろうが……。

 攻撃を警戒していたが、蛇女Bは予想のどれとも違う行動を取った。


「フゥゥゥゥゥ……」


 手の平を口元にかざして吐息を吐いた。予想外の攻撃に反応が遅れ、ピンク色の吐息に包まれてしまう。

 なんだこれ、毒か!?

 息を止め、吐息から逃れようと横に走るが、吐息は霧のように体へ纏わりついて離れない。ピンクの視界の向こうでは、蛇女BとCが艶かしい笑みを浮かべながらゆっくりと近寄ってくる。なんの攻撃か分からないが、二体の注意を引きつけられているなら儲けものだ。ゆっくりと後退って時間を稼ごう。

 ソラクロは……この霧が邪魔だな。よく見えないけど戦っている最中か。


「オイデ、オイデ」

「コッチヘイラッシャイ」


 誰の声だ? 人の言葉だけど、声は随分と掠れている。俺たちの他に人はいないし……。

 正面を見ると、蛇女が二体とも手招きをしている。…………思い出した。この魔物、ラミアとか言うやつだ。資料は読んでないけど、現実世界のゲームで見た目が類似している魔物だかモンスターがいた。だとしたらこのピンクのやつは所謂、魅了とか誘惑ってやつか。

 …………べつに何ともないな。視界が悪くなるくらいで、気分が悪くなるわけでも、ラミアが美女に見えて欲情するわけでもない。……風呂に入れて髪を梳かせばそれなりに良く見えそうだが……って真面目に観察してどうする。

 気付いたら壁際に追い詰められていたが、体の周りに漂っていた霧は晴れていた。やっと息継ぎができる。


「フゥゥゥゥゥッ」


 今度はラミアCがピンクの吐息を吹きかけて来た。息を吸ったタイミングだったので、もろに吸引してしまうが……やはりなんともない。ラミアCって、さっき俺に投擲短剣を投げつけられた奴だろ。尾の脇から血が出ているのに、怒って攻撃してこないのか。お返しは魅了して従順にさせてからってか?

 どうする……ソラクロはまだ来ないし、このままだといつ攻撃されるか分からない。二体に掛かって来られたら間違いなく速やかに死ぬ。魅了されたフリをして少しでも時間を稼ぐか? さっきの少年への対応を見るに、巣にでも連れて行かれるんだろう。


「コワガラナクテイイノヨ」

「カラダヲユダネテ」


 人の顔から蛇のような薄く細長い舌を出してにじり寄って来る。抵抗するにしても、従うフリをするにしても、もう時間はない。どちらかを選ぶしかないとしたら……。

 手を伸ばせば触れられる距離までラミアが近付くと、俺は剣先を下ろし、体を弛緩させた。ラミアの縦長の瞳に高揚の色が宿る。しかし、それは次の瞬間に驚愕へと変わった。


「シャァアァァァッ!」


 ラミアBが絶叫し、体を大きく仰け反らせ、縦に裂かれた胴体から血しぶきを上げる。赤黒い血を浴びる俺の右腕は空に向かって伸び、その手に握られた翔剣の切っ先は血液の尾を伸ばし、白銀の輝きを放って魅了の霧を一掃した。


「シュゥゥゥゥ!」


 ラミアCが鋭い爪を俺の腹に突き立てんと振り被った。俺には躱すことも防ぐこともできない速度であったが、もう一つの爪もまた、ラミアCにはもうどうすることもできない速度で迫っていた。


「シュゥアァァァッ!?」


 全力の【レイド】を背中に食らい、ラミアCの体は人の関節とは逆方向に曲がり、狙いの外れた爪は俺の頬を掠めるだけに終わった。だがラミアCには、もうその事実を認識する力は残っていなかった。


「はぁっ、はぁっ……はっ! ごめんなさい。遅くなりました」


 両手を膝につけて息を荒げるソラクロは項垂れたままであり、顔を上げるのも辛そうだ。体中、切り傷やら痣だらけで、白い肌は赤く染まっている。一対一でソラクロをここまで負傷させるラミアは、かなりの強敵だ。これだけ怪我していながら全力で駆け付けてくれたのだから、かなり無理をさせてしまった。


「いや、いいタイミングだったよ。よく来てくれた」


 あれ? 褒めようと思って言ったんだけど、なんか上からの物言いだな。ソラクロは……息を整えるのに必死で反応はないけど、嫌な気分にさせてしまっていないだろうか……えぇっと、こんな時にもっと気の利いた言葉……「もうマジ死ぬかと思った! けど、ソラクロなら絶対に助けに来てくれるって信じてたからな。ありがとう!」よし、こんな感じで言って回復薬を渡そう。明るく、明るく……。


「……助かった。ありがとう。落ち着いたらこれで怪我を治すといい」


 なんで?

 自分のことだけど分からない。いや……うん、分かることは分かる。だって俺、そんな明朗快活じゃないもの。元気は子供の頃に無くしてしまった系の人間だからさ……あーもう……ごめん、ごめん、ソラクロ。

 不甲斐ない自分への八つ当たりとして、こっそり逃げようとしていたラミアBの背中を斬り付け、絶命させた。


「あの少年は?」


 気を遣おうとすると逆に傷口を広げそうなので、本当に申し訳ないけど他にやることを見つけて逃げます。


「そこの、岩陰に……」


「ん。ありがとう」


 指差された岩陰を見ると、少年はぐったりとした様子で岩に寄りかかっていた。目立った怪我はしていないようだが、ラミアの魔法か魅了の影響だろうか。


「大丈夫ですか? 魔物は全て倒しました。町まで案内します」


 声をかけると、少年は目を閉じたまま、怠そうに口を開く。


「腹……へった……」


 ……まぁ、どの道クロッスには連れて行かないとだったしな。むしろ空腹で良かった。怪我とか病気で一刻を争う状況じゃないのなら、ソラクロの体力が回復してから帰ろう。



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