第五十二話:魔物の王を目指す者
咆哮を上げ赤く変色したトロールから、ラウルを救う術を俺は持っていない。出来ることといえば、ラウルの分まで生き延びるくらいだ。
頭では理解しているのに、何故逃げないのか。何か手立てはないかと視界を動かすのか。
「マナよ、我が下に集いて立ちはだかるものを討て! ウォータ・ラピッド!」
後方から声が聞こえてきたかと思うと、木々や岩の間を縫うようにして三発の水弾が俺の横を通り過ぎていった。そして、水弾を追って低く走る黒い影。影は擦れ違い様に俺と目が合うと、澄んだ空色の瞳を一層輝かせるが、一瞬で表情を引き締め直してトロールへ突進する。
「ラウルー!」
黒い影——ソラクロの後に続いて来たのはノーラだった。回復役ということで、勝手に運動能力は高くないと思っていたが、結構足が速い。ソラクロより少し遅いくらいだ。
「ウォォォ!!」トロールが叫ぶ。
水弾は全弾命中したようで、威力が大きかったのか濡れるのが嫌なのかは分からないが、大きく動揺しているように見える。
「お、お……あ、ああ、暴れんな! 立ちにくいだろうが!」
援護が来たことで調子を取り戻したのか、ラウルは座り込んだままで、地団駄を踏むトロールに文句を言っている。
「はぁっ!」
トロールに接近したソラクロが尻尾を発光させつつ跳び上がり、トロールを跳び越える際に前転、頭部に【トップテール】を叩き込んだ。
「ウガァッ!」
大きく踏鞴を踏むトロールであったが、姿勢も整わぬ状態でも両腕を振り回してソラクロを攻撃した。しかし、攻撃を加えた際に勢い付いたソラクロの体は、既にトロールのリーチでは届かぬ距離にあった。
「ラウル、立てる!?」
「お、おお! 当ったり前だろ! オレを誰だと思っていやがる!」
肩を貸すノーラに威勢よく答えるラウルだったが、肩を振り解こうとはせず、仲良く二人で立ち上がる。
「はぁ……ひぃ……」
「パオ、ごめんね。ありがとう」
「う、うん。気を付けて」
俺の隣にパオが現れたと思うと、背中に背負っていたバッグの上からイデアが飛び降り、ノーラと合流した。
荷物ごと背負って来たのか? どれくらい距離があったかは知らないけど、凄い体力と筋力だな。
「あ、レイホさん。はぁ……ご無事で……」
膝に手を付いて息を整えながら挨拶をしてくる。律儀なことだ。
「なんとか、です。疲れているところすみませんが、俺の雑嚢を貰えませんか? 手持ちの回復薬が全部割れてしまいました」
「は……はい。少し待ってください」
大きな深呼吸を一つしてから背嚢を下ろし、俺の雑嚢を渡してくれた。回復薬は小分けにされている物ではなく、瓶詰のものだが、今はこっちの方が都合が良い。どこがどう痛んでいるのかも分からない。
瓶をひっくり返して頭から浴びると、全身から痛みが抜けて行く。
怪我や体力は回復したが、武器がないので下がっているしかない。他の魔物が近づいて来ないか警戒しつつ、トロールとの戦闘を見届けさせてもらおう。
「暴走したトロールなんて相手にできないわ! 逃げるわよ!」
「ちょ、ちょ、ちょ、待てよ! こんなところで逃げられたら英雄の名が……」
「煩い! あんたは英雄なんかじゃないでしょ! ただの冒険者のクセに、いつまでもバカなこと言わないで!!」
声を荒げられ、ラウルは苦い顔をしながら両耳に指を入れた。ついさっきトロールの咆哮を浴びたのだから、まだ耳にダメージは残っている。
「う、うるせぇ……でかい声禁止だ」
「……逃げるわよ。ソラクロ! イデア!」
「マナよ、彼の者の下に集いて降り注げ。アシッド!」
トロールの頭上から黒ずんだ雨が降り注ぐ。威力はないように見えるが、毒? それとも能力値を下げるデバフ系の魔法? 魔法には疎いが、トロールの動きが随分と緩慢になっていることは分かる。
ソラクロに向けて両手を合わせた拳を叩きつけるが、地鳴りを発生させるだけで、簡単に避けられる。ソラクロは拳を踏み台にして跳び上がり、トロールの額に跳び蹴りを炸裂させた。
「ノーラさん、さっきの魔法、もう一度ください!」
「ちょっと、逃げるって言ってるでしょ!」
「倒します!」
魔物退治になると途端に頑固になるな。ああなったらもう好きにさせた方が良いというか、好きにやらせたこと以外ないから比較できないな。ともあれ、ノーラは信じられないといった表情だな。
ノーラの説得をしに行こうと動いた瞬間、これまでノーラの肩を借りていたラウルが一人で立った。
「ラウル!? まさか……」
「まぁ見ておけって。俺がただの冒険者じゃないって分からせてやるからよ! 大丈夫だって、ほら、ソラクロとイデアの攻撃で結構ボロボロじゃん、あと一押し、任せろって!」
ラウルの言う通り、トロールは俊敏に動くソラクロに翻弄されて打撃を受け続けており、イデアの攻撃魔法が直撃した時は大きく仰け反っている。武器を持たず、腕を振り回すだけの攻撃だけでは状況を変えることはできない。ノーラもそう感じ取ったのだろう。への字に曲げていた口を強引に開けた。
「……あぁ、もう! ソラクロ、こっちに来なさい!」
「はい!」
【レイド】をトロールの膝裏に見舞って大きく体勢を崩してから、流れるようにノーラの近くに移動する。
「マナよ、彼の者の下に集いて力を与えん。ファストライズ!」
短杖の先が白く発光したかと思うと、光はソラクロの全体を包んで消えた。
「ありがとうございます!」
礼を告げ、再びトロールに接近するその速度は明らかに上昇していた。
「よっしゃ、ノーラ俺にもくれ! ソラクロ、少し時間を稼いでくれ! イデア、スロウ一回分の魔力は残しておけよ!」
やる気を全回復させたラウルがそれぞれに指示を出す。ノーラは未だ戦うことに不満気だが、ソラクロとイデアは素直に返事をした。それにしても、イデアが予想外にも積極的に攻撃魔法を唱えている。魔法使いとしての役割だと言ってしまえばその通りなのだが、性格が大人しいのでギャップを感じてしまう。
「よっしゃぁ! 見てろよデカブツ、英雄の一撃をお見舞いしてやるぜ!」
魔法による支援を得たラウルの剣は既に発光していたが、どうもこれまで見て来たどのスキルとも様子が違う。刀身は発光しているのだが、一定間隔で光が一瞬強くなるのだ。間隔はそこまで短くないのだが、ラウルは片手剣を構えたまま、じっと待っている。
「あれは何をしているんです?」
「あれはチャージ・バーストと言う攻撃スキルです。スキルを放たずに一定時間経過すると、技力を消費して攻撃力を上昇させることができます」
色んなスキルがあるんだな。スキルを放たなければってことは、別に足を止めている必要はないんだよな……あ、動いた。
「よっし! チャージ完了! イデア!」
「うん! マナよ、彼の者の下に集いて枷となれ。スロウ!」
ワンドの先から放たれた水弾は攻撃魔法と違ってゆっくりとトロールに向かって飛んで行く。見ていれば避けられる速度だが、今、トロールはソラクロに掛かりっきりで、イデアに背を向けていた。水弾はオークの背中に命中すると、一瞬で全身を濡らし、緩慢だった動きが更に遅くなる。わざとスローモーションで動いて遊んでいるのかと思う程だ。
【スロウ】見た感じと名前からして、敏捷を低下させる魔法だな。イデアの適性属性が水で、確か水属性は攻撃・妨害魔法に敏捷低下の特性が付加されるはずだ。どこまで効果が重複するのか定かでないが、もし全ての魔法の特性が重複しているのだとしたら……えげつないな。
「うっしゃあ! とくと見やがれ!」
発光した片手剣を振り上げ、隙だらけのトロール目掛けて跳躍。迎撃の拳が振られるが、遅すぎる。
「これが、英雄の一撃だぁぁぁぁぁぁ!!」
正面から突っ込み、大振りで隙だらけの袈裟斬りであったが、その一撃は強固な皮膚を切り裂き、頑強な筋肉を断った。
「ウガァァァァァアアァァァァァァッ!!」
トロールの叫びに耳をつんざかれるが、絶命の叫びに脅える者はいない。むしろ、ラウルの英雄の一撃へ花を添える物だった。
ラウルが片手剣を振りぬいた格好で着地し、一泊置いてからトロールが仰向けに倒れた。その体表は、元の淡い黄緑色に戻っていたが、大部分は己の血で塗られていた。
「ほんっとバカ! バカ! ……バカ!」
ベラスケス山岳地帯を下山している間、ノーラは何度バカと口にしたか分からない。バカと言う度にパオが宥め、イデアが謝罪する流れはもはやお決まりとなっていた。
トロールを倒した後、ラウルの案内でオークの塒に入り、商人が運んでいたと思われる物資を回収した。食料は有るには有ったが、ほとんど食われてしまっていたので回収は諦め、生活雑貨と火薬を回収した。
ラウルの証言では、トロールはオークの塒から出て来たということだった。ゴブリン、オーク、トロールは同系統の魔物であり、オークはゴブリンを、トロールはオークを従えている場合がある。加えて、トロールはオークと違って山間部を好む性質があるので、今回オークが山で山賊紛いのことをしていたのは、トロールが原因であると考えて良いだろう。
「ん~…………」
俺の隣りを歩くソラクロが自分の両手を見つめながら握ったり開いたりしている。さっき「お腹空きました~」と言ってクラストを全部食べた後から、ずっとこうしている。
「痛むのか?」
怪我らしい怪我はしていないと思っていたが、あの硬いトロールと殴り合っていたのだ。見えない部分に違和感が出てもおかしくない。
「あ、いえ。怪我ではないんですけど……なにか、変な感じです……ノーラさんの補助魔法を受けた後だからかもしれませんが……わたし、もっと強かった気がします」
「記憶が引っかかっている感じか?」
「そうですね。相変わらず、はっきりとしたことは何も思い出せません」
もっと強かった、か。記憶を失っていても身体能力には影響ないと勝手に思っていたが、そうでもないようだ。 スキルやアビリティを忘れているとか? いや、アビリティは一度習得したら消せない筈だったな。
ラウルたちにソラクロの事を聞いてみたが、誰も知らないと言っていたし、中々手がかりが掴めないな。何も思い出せないじゃなくて、時折こうして思い出しかけるからもどかしいな。ブレードナイトがいた場所、トロールとの戦闘……まさか強敵と戦うことで思い出すなんて条件だったら勘弁願いたい。
「おーい! 二人で何話してんだよ? 急がないと日が暮れるまでに帰れねぇぞー!」
考え込んで歩くのが遅くなったようで、ラウルたちと少し距離ができてしまっていた。
「バカがトロールと戦わなければ余裕を持って帰れたけどね」
「んだと!? オレの英断のお陰でトロールの魔石も、物資も回収できたんだろ! 報酬でウハウハ言ったら末代まで笑い転げてやるからな!」
「ウハウハなんて、バカ以外言わないわよ」
「末代まで笑い転げるって、ラウルの方が大変そう」
「ほら、イデアに哀れまれているわよ」
「ちっげ~し! 哀れみじゃなくて優しさだし!」
「ほらほら、折角みんな無事で帰れるんだから、せめて今日はもう喧嘩はよそうよ」
俺たちが追い付いた後も、ベラスケス山岳地帯を下りた後も、クロッスに着くまで、大地の星は賑やかなままだった
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闇が訪れたベラスケス山岳地帯に、複数の人影があった。人影は慣れた足つきで山を登り、高低差の大きい大地に挟まれた道の崖を登り、乱立した樹木を抜けた先にある大きな横穴へと足を踏み入れた。
「あ~あ~、やばくなったら逃げろって言ったのに……」
横穴の中をランタンの光で照らしながら、人影の一人、全身をローブで隠した人物が呆れを口にした。
「グギャギャギャギャ」
ローブの声に続いて、人ならざる者の笑い声が響いた。人ならざる者は人間の子供程度の身長で細身。足は短く腕が長い。顔のパーツは全て細長い。こちらはローブを纏っていない代わりに、赤い腰巻と赤い上着を羽織っており、背中に両刃片手剣を背負っていた。
「レッド、ボクも同意見だけど、仲間のことは悪く言わない決まりだろ」
「ギャ。ギャ~」
頭を小突かれたレッドは、小突かれた所を押さえながら失言を誤魔化す笑みを浮かべた。
「グギャギャ、グギャグギャ」
穴の奥から二体目の人ならざる者。姿形はレッドと同等だったが、纏っている衣類が青色で、背中には弓と矢筒を携えていた。
「確認ご苦労、ブルー。まぁそうだろうね。食べ残しくらいしか残ってないよ」
「グッギャギャ?」
「イエロー。食べたければ食べて良いから、メイスを振り回さないで。危ない」
「ギャギャギャ!」
メイスを背中に背負い直したイエローは弾む足取りで食べ残しの方へ向かった。レッドとブルーもイエロー程ではないが、空腹だったのだろう。食べ残しに群がっていった。三体の様子を見てから、ローブは一人、穴の外に出て静寂に身を置いた。そして、一人でいることを注意深く確認すると頭を抱えてしゃがみ込んだ。
「はぁ……折角教育したオークだったのに……トロールの力を過信し過ぎたなぁ。町の近く過ぎたっていうのは反省点だけど……オークが商人を取り逃して冒険者を呼ばれなければ、もう少しここで経験値を積めたと思う。……あー、でも全滅かぁ……オークだと油断して来た冒険者くらいなら返り討ちにできるくらいには教育したし、一、二体やられてもトロールで巻き返せた筈だよな……実際に戦闘見てないから、どうやられたか分からないけど」
一気に独り言を放出すると、被っているフードを邪魔そうにしながら、しかし外さずに黄色の双眸で空を見上げた。
「遠いなぁ……魔物の王」
右手を伸ばすが、空に浮かんだ異様に黄色く大きな半月には届かない。けれど手を伸ばすことは止めない。成し遂げて見せると、上り詰めてみせると、己の魂に刻んだ誓いは風化してしまうほどの年月は経っていないのだから。




