第四十九話:名ばかりの偵察者
ベラスケス山岳地帯は樹木が少なく、ゴツゴツとした岩が散在している地帯であった。お陰で森の中よりも視界は開けているが、身を隠すことに困ることはない。ただ、樹木が少ないだけで草花は自由気ままに伸びているので、足音には気を付ける必要がある。そして俺は今、足音だけでなく呼吸音や心臓の音にすら気を配る状況にいた。
大人二人が両手を広げて囲めるかどうかといった大きさの岩を挟んだ先に、討伐目標であるオークがいる。体長は俺よりもいくらか低いから百六十半ばといったところで、胴長短足の肥満体型。長い腕には短槍が握られている。顔はさっきチラッと見えただけだが、人の頭に豚の顔のパーツを付けたような見た目をしていた。フゴフゴと鼻を鳴らしているが、気付かれてないよな?
自分の腕を嗅いでみると、鼻腔が感じるのは背後から漂ってくる獣臭だけだ。
周囲に他のオークは見当たらないが、必ず近くに潜んでいる。高台にいるこいつは、恐らく見張り兼岩石落とし役だろう。
しまったなぁ……不用意に近付き過ぎた。
自他共に認める、名前だけの偵察者の俺だったが、流石に今回ばかりは動かずにはいられなかった。奇襲が来ると分かっていて、そのまま突っ込む馬鹿はいない。商人が襲われた、道の両側を高い地面に挟まれた道に差し掛かった時、自分から偵察に行くことを提案した。ソラクロが付いて来ようとしたが、大丈夫だと言って待ってもらっている。
【単独行動】のアビリティが働いたのか、足場の悪い地面も思ったより苦労せず登ることができ、朝に感じていた体の怠さも忘れていた。それで調子に乗って偵察していたら、岩を挟んでオークと背中合わせになっている。
どうしたもんか。ここまで気付かれずに接近できたのなら、慎重に離れれば大丈夫だろう。だろう……か。他のオークが見当たらないし、いっそここで奇襲を仕掛けるか? 今戻っても、このオークの存在しか報告できないし……あぁ、でも迂回して岩落としを無効化することはできるのか。クソ、もっとしっかり作戦を立てておくべきだったな。直前で偵察に行くことを決めたので、敵の位置を調べて来ることと、やばかったら薬の入っている瓶を投げて合図を送ることしか決めてない。
どうすべきかは分からないが、ここで長く考えていることが正解ではないことは確かだ。一旦戻ろう。
可能な限り物音を立てず、最小限の動きで岩から離れる。後ろを確認したいが、我慢だ。振り向いたら視線で気付かれてしまう。そんな気がしてならない。大丈夫。オークだって足があるんだ。歩いた時に物音はするし、日の光で影だってできる。耳と目と足にー箇所が多いけど、集中して動けば問題なく離脱できる。
オークから離れるように動いて、【逃走者の心得】のアビリティも働いたのか、行きが上り、帰りが下りだったからかは知らないが、抱いていた緊張感に反して、容易く皆の所に戻ることができた。
「おかえりなさい。どうでした?」
一番にソラクロが声をかけてくれたが、直ぐには答えられない。いくらか気持ちが落ち着いたことで、緊張で口の中が乾き切っていることを思い出し、水筒の水を含んだ。
「崖の上に槍を持ったオークが一体。他は見えなかった」
オークのいる崖を指で差すが、高低差を上手く利用されて下からでは見えない。偵察にかけた時間の割りに情報が少ないと反省する。初めてだとか、能力値が低いだとか、言い訳が通用しないことは分かっている。役割を果たせなければ死ぬのだから。
「ご苦労様。ということは、残りは反対側の崖ね。多分、塒もそっち」
俺の成果に文句を言うでもなく、ノーラが顎に片手を当てて考える仕草を取った。ここで俺を責めたところで何にもならない。分かっている。だから俺も偵察の反省より、この後の戦い方について考えよう。
「考える必要あるか? 見張りを無視して全員で塒に殴り込みに行きゃぁいいだろ」
「バカ。もう依頼内容忘れたの? 見張りに逃げられたらダメでしょ」
「うっ……仲間がやられて逃げるような腰抜けはほっときゃいいんだよ」
強がってはいるが内心で自分の非を理解しているのだろう。言葉に勢いがない。
最低でも一人、見張りを倒しに行かねばならない。その役割は当然ながら前衛であり、このパーティではソラクロかラウル、もしくは俺になるのだが、正直なところ誰かが抜けても不安は残る。
ソラクロならば、ほぼ確実にオークを仕留められるだろう。恐らくラウルも問題ない。だが、その場合片方にに残るのは俺とどちらかになる。後衛の支援があるとはいえ、腕力のある近距離戦闘型のオークを四体抑えられるかは微妙だ。俺が見張りを倒しに行く場合の不安、これは言うまでもない。倒せるか分からない。詰まる所、俺を一人分の戦力として計算できない。
よほど臆病でない限り、敵襲に遭ったからといって塒から逃げるようなことはないだろうから、いっそ全員で見張りを倒しに行く手については、考えた次の瞬間に案を破棄した。全員で相手の目を潰しに行って、結局見つかってしまっては本末転倒だ。
どうしたもんかと考えていると、見定めるように視線を向けて来るノーラと目が合った。一瞬だけだが、その一瞬でノーラが何を考えていたかはおおよそ分かった。半分以上、俺の勝手な思い込みだろうけど。
「俺が見張りを倒しに行きます」
「いける?」
今さっき擦れ違った目と同じ視線でノーラが確認してきた。正面からやり合ったらどうなるか分からないが、見張りの居場所は分かっているし、結構近づいてもバレなかったのだから、奇襲で一撃を与えることはできるだろう。一撃入れられれば、カウンターで怪我を負わされない限り多分大丈夫だ。一撃の攻防でいい。そう考えるとちょっと楽に思えてきたな。
「いけるところまでは」
断言できない自分の弱気が恨めしい。
「強がって言い切らない冷静さがあるなら大丈夫そうね。直ぐにパオと一緒に向かってくれる?」
前向きな捉え方ありがとうございます。って、パオも一緒に?
「僕は戦闘の役に立てませんからね。みんなが奇襲を受けないように俯瞰するんです」
なるほど。そんな役も熟すのか。運搬者の全員そうではないと思うが、想像以上に多様な役割を担うんだな。
一人なら例え失敗しても適当に誤魔化せるかと思ったが、見張り場を奪取するとなるとプレッシャーがかかってくる。
「分かりました。行きましょう」
考えている時間が長かったので、直ぐに行動開始だ。再び崖を登る。単独行動ではないが、二回目ということで問題なく登れる。
パオは大丈夫だろうか。下を見ると、荷物を背負ったまま登って来るパオの姿が見える。てっきり荷物は置いてくるものだと思っていたが……その腕力があるなら十分に戦えるだろう。そんなことを考えていると、視界の端に動く影が映った。俺の視線の動きに気づいたのか、パオは素早く振り返る。
影は二つ。崖の上を岩に隠れながら、残っている四人の背後を取る位置取りにいた。あのままじゃ奇襲を受ける。狙いは後方にいるイデアとノーラか。
俺とパオが敵の狙いに気付いて声を張るより早く、敵は岩陰から出て崖を飛び降りる。片手剣と棍棒を持ったオークが二人を傷付けるより早く、跳び上がる黒い影。
「させません!」
そうだ。ソラクロの気配察知ならオークの接近を事前に把握できる。
跳び上がったソラクロの尻尾は既に発光しており、左手首の拘束具で剣の一撃を防ぐと身を捻り、【トップテール】でオークを二体とも薙ぎ払った。
着地したソラクロは、戦闘体勢を継続させながらこちらを見た。その澄んだ空色の瞳は「こっちは大丈夫ですから、見張りを倒しに行ってください」そう言っていた。
「どうしてこちらの位置が!?」
「分かりませんが、急ぎましょう」
見張りに見つかった? いや、あの位置は死角になっている……なら俺か?
頭の中に次々と疑問が浮かび上がってくる。そんなこと考えている場合じゃないと理解していても止まらない。
岩に隠れながら接近したのだから、対岸からは見えていないと思うけど……それなら見張りの奴に感付かれたのか? 魔物が敵の気配に気付きながら、気付かないフリをして仲間に合図を送った? オークはそんな騙しができる魔物じゃない筈だぞ。
考えている間に崖を登り切る。すると、直径一メートル半ぐらいの岩が転がって来た。俺に向けて、というより、下にいるソラクロ達を目掛けた位置だ。
「ブオッ!」
岩を転がしていたオークが俺に気付いて、岩から手を放して踵を返した。
逃げる? いや、違う。
あのオークは見張りをしていた奴で間違いない。それなら短槍を持っている筈だ。岩を転がすのに邪魔だから置いてきたのだろう。武器を持っておらず、こちらに背を向ける不用心さは致命的な隙だったが、生憎と俺には突けない隙だ。
「直ぐにオークと戦闘になります。どこかに隠れていてください」
「は、はい!」
崖を登り終えたパオは休む間もなく手近な岩陰に隠れた。
不意打ちする筈が、一騎討ちになるとはな……。本当はパオにも一緒に戦ってほしいけど、無理はさせられないよな……俺もできることなら無理はしたくないけど。
ズボンのポケットから麻痺毒の入った容器を取り出して片手で栓を抜く。タバサさんのところで毒薬を買った際、小分けにすることも可能だと言ってくれたので、好意に甘えさせてもらった。試験管に類似した容器で三本分。使い終わったら容器を返してくれとは言われていないが、使い回せるなら使い回した方が良いだろうから、空いた容器は栓をし直してポケットに戻す。
「ブオォッ!」
初突に麻痺毒を塗り終えたと同時に、オークは短槍を構えて突進して来た。




