第四話:冒険者になったら債務者になりました
冒険者ギルドは大通りから脇にずれ、比較的大きな建物が並んだ、通りに建っていた。幅と奥行きが一際大きい赤レンガの建物。冒険者が集う町と呼ばれるだけあって立派な建物である。
エリンさんに促されるまま入ったギルドは、一言で表すなら雑然としていた。机や椅子が左右対称に並べて置かれ、書類を記入する空間は壁に沿って設けられていて、設備自体はきちんと分けられていると言える。しかし、利用者の多様さが広間兼受付となっている一階を雑然と見せていた。
受付で依頼についてやりとりをする者、広間に設置された机と椅子を仲間と陣取って談笑する者、掲示板に張り出された依頼を見て考え込む者。大人に子供、男に女、鎧を着こんだ者に軽装の者、実に様々だ。
思い思いの時間を過ごす冒険者達であったが、俺が入って来たことで空気が微かに変わった。
思わず舌を打ちそうになるのを堪える。見慣れない恰好をした人間が入ってきたのだから気になるのは分かるが、目立つ装飾が付けられた鎧とか、水着くらいしか布面積のない格好をしている奴の方がよっぽど変だろうに、一々俺なんかに反応しなくたっていいだろ。
可能な限り周囲を見ずに、前を歩くエリンさんの後ろ髪の結び目辺りを一点に見る。そのせいで、エリンさんが振り向いた時は少し驚いてしまった。
「あたしは向こうに行くから、レイホはそこに座ってて」
「はい」
返事をして背の高い席に腰を下ろす。背中に視線を感じるが何か言われている訳ではないので、自意識が過剰になっているだけだと自分に言い聞かせ、エリンさんが回り込んで来るのを待った。
受付は横並びで十席ほどだろうか、そのうち約半分が埋まっていて、冒険者と従業員である女性が話しをしている。どうでもいいけど、見える限りギルドの職員は女性しかいないな。服装は全員礼服系だが、色とか履いているのがズボンかスカートか、多少の違いは見て取れた。
受付の両端には腰高の自在扉があり、更にその奥、壁に沿う形で掲示板が置かれている。依頼書と思われる紙がいくつも張り出されている。
外観では三階建てだったので、上階にも何か施設がある筈だが、今はそれを確認することは叶わない。後でエリンさんに聞いてみるか。そう思っていたら、丁度エリンさんが何枚かの書類を持って受付の机越しに近付いて来た。
「お待たせ。それじゃ冒険者について詳しく説明をして、問題がなければ登録の手続きもするわね」
「はい。お願いします」
そこから、エリンさんによる説明が開始された。
まずは冒険者がどのような仕事をするのか、といったところだ。これには大きく分けて四つある。一つ目は魔物の討伐と魔石の回収、二つ目は魔窟の探索、三つ目が薬草や鉱石などの資源調達、四つ目がオーバーフローの対処だ。
魔物の討伐と資源調達は予想が付くが、オーバーフローは聞きなれない単語だったので質問したところ、オーバーフローは不定期に原因不明で発生する魔物の大量発生の現象のことだ。これだけでも危険な現象だと思ったが、オーバーフローで発生した魔物は魔獣化といって、普段より強化されている上に狂暴化しているときたものだから大変だ。唯一の救いは、魔法の源となるマナも大量に発生するので、強力な魔法が使い放題ということだ。
「ただし、体内の魔力が尽きるまで」
エリンさんが小声でそう言ったのを、俺の耳は聞き逃さなかったが聞こえない振りをした。
次に冒険者の登録についてだ。これは簡単な書面上の手続きと、エクスペリエンス・オーブと呼ばれる宝石への個人登録、そして冒険者手帳と等級証の発行。これらは全てこの場でできるということなのだが、また聞きなれない言葉が出て来た。
「エクスペリエンス・オーブ?」
「そうよね、馴染みがないわよね。エクスペリエンス・オーブっていうのは、これのことよ」
エリンさんが右腕の袖を捲って見せると、その手首には赤色の小さな丸い宝石の付いた腕輪が着けられていた。
単なるアクセサリーにも見えるが、その機能は多岐に渡る。個人登録、能力値やアビリティ等の参照、スキルの習得と使用。専用の機材が必要になるが、魔物との戦闘記録まで見れる。
能力値にアビリティにスキル、一気にファンタジーなゲームっぽくなってきたな。
期待が膨らむ俺を他所に、エクスペリエンス・オーブは元は体調管理の健康道具として発明されたのが改良されて現在の機能に変わったという、現実的な話しを聞かされた。人の役に立つ筈の画期的な発明が戦いの道具になるのは、世界が違っても同じか。
「冒険者になるに当たっての説明は、ざっとこれくらいかしら。もっと詳しく説明することもできるけど、どうする?もちろん、登録した後でも説明はするけれど」
どうする、か……。考えてはみるものの、答えは既に決まっていた。
冒険者として名を馳せたいだとか、魔物からこの世界の人々を守りたいなんて、そういう大層な理由はない。冒険をして元の世界に帰る手段を見つけるなんて考え、今初めて思いついた。魔物と戦うのは怖いが、現代社会にだって目に見えない魔物はいくらでもいるし、言ってしまえば社会そのものが魔物だから、そっちの方がずっと恐ろしい。なんせ見えないものは罰せないし、見えないのだから見ない振りが自然とできる。
思考が脱線したな。とにかく、どうして冒険者になりたいと聞かれても具体的な理由はないが、単純に俺がやりたいと思ったからやる。自分を動かす理由なんてそんなもんで十分だ。
「冒険者になります」
俺のその言葉に、エリンさんは満足そうに頷いた。
それから、手続きに必要な書類に署名していく。言語能力のお陰で、自分の名前がどんな文字なのかは頭に浮かんできたので、そのまま記号だか絵だか分からない文字を書く。初めて書いたので、書き順もバランスもめちゃくちゃだったが、エリンさんは何も言わず受け取ってくれた。下手なままだと少し恥ずかしいから、文字の練習はしておこう。
書類が片付いたら、今度はエクスペリエンス・オーブの登録だ。自分の能力値によってはこれからの活躍に大きく影響するので、期待と不安で心臓が高鳴る。
エクスペリエンス・オーブは指輪型と腕輪型の二種類あり、宝石の色は自分の属性によって変えられることができるそうだが、俺は魔力を持っていないので透明な宝石になる。
指輪より腕輪の方が邪魔にならないかな、という理由で腕輪型のエクスペリエンス・オーブを右手首に着け、登録用の機器、大きな顕微鏡に似た機器の台に腕を乗せた。
「それじゃあ、登録するからそのままね。少し痛むかもしれないけど、最初だけだから我慢してね」
言うや否や、エリンさんが顕微鏡でいう所の鏡筒の後ろで装置をいじると、機器は微かに青白く発光して小さな動作音がした。同時に、エクスペリエンス・オーブを着けているところに針で刺されたような痛みを感じるが、直ぐに痛みは引いていき、やがて動作音も小さくなっていく。
動作音が完全に止まったところで、鏡台の後ろで排出音が鳴ってエリンさんが何かを手に取った。
「ちゃんと冒険者手帳に反映されたか確認、する、わ、ね……」
薄い手帳を流し見していくエリンさんが、営業スマイルを崩し、引きつった笑みを浮かべた。
なんだろう。なんか変なアビリティでも持っていたとか?
「エリンさん?」
「あ! ごめんなさい。はい、これがレイホの今の能力値よ」
渡された手帳を見ると、十秒も見れば見るところが無くなってしまいそうな内容だった。能力値は平均が分からないが、言語能力で理解できている数字は随分と小さいものが並んでいる。なんならゼロっぽいのもある。まだこの世界の数字に馴染めていないから、実は高い数値という可能性もある。だが、そんな希望を打ち消そうとスキルは空欄。アビリティは現実を受け入れろと言わんばかりに言語能力だけが鎮座していた。
「エリンさん、率直なところ、見習い冒険者としてこの能力はどうでしょうか」
表情を作ることも忘れて尋ねる。
「えっと……魔力と知力が無いのは魔法が扱えないから仕方ないとして、技力と技巧はスキルを覚えていないから最低値でも構わないとして……筋力も敏捷もほぼ最低値なのは……少し、しんどいわね」
それって、率直に言えば底辺能力値ってことだよな……。
お互い微妙な顔で視線を交わすが、流石にエリンさんは復帰が早い。営業スマイルを取戻し、手帳を覗き込んだ。
「でもね、体力は推奨値を越えているし、精神力にいたっては推奨値の倍近いから、採取系の依頼から徐々に体を慣らしていけば大丈夫よ!」
こんな底辺でも擁護してくれるほど人手が足りないのか、冒険者になることを俺が希望したからなのか、それとも他に理由があるのかは分からない。
「体力はそのままの意味だとして、精神力はどういう時に必要になりますか?」
「えっとね……毒とか催眠への耐性だったり、アビリティの発動条件に関わってきたりするわ」
うん。後々必要になってくるけど今は高くなくていい能力だ。はっきり言うと、影響のあるアビリティ無し、基礎能力が低いから状態異常になったら死んだも同然だろうし、本当に今はいらないやつだ。
基礎能力が低くても、武具を装備すれば誤魔化しは効くだろう。と思ったけど、武具を買う金が無い。無いどころかマイナスだ。マイナス九百ゼース。小銀貨九枚。これはもう終わりなのでは。
ついさっきまで冒険者だ能力値だスキルだと浮かれていたのが、突き付けられた現実によって途端に馬鹿らしくなってきたところで、幸いにもエリンさんが声を掛けてくれた。
「レイホ、折角冒険者として身を立てて行くのに、不安で落ち込んでも仕方ないわよ! 不安や未知に挑んでこその冒険者だもの!はい、これ」
俺のことを鼓舞するように、革袋が独特の金属音を鳴らしてカウンターに置かれた。
「これは?」
「新人冒険者へギルドからの支度金」
渡りに船とはこのことか。中身を確認したいところだが、あんまりがめつい所は見せたくないので、重みだけを確かめていると、エリンさんが「何をしているのかしら」と不思議そうに小首を傾げた。
「冒険者に登録した人はギルドから最大で千ゼースまで借りることができるの。千ゼースだけだと万全の装備とはいかないまでも、武器と防具の形だけ揃えることはできるわ」
千ゼースだと、大銀貨一枚分か。革袋の中は硬貨が十枚くらいだから、小銀貨が入っているのだろう。これを借りて装備を整えて、依頼を熟していくしか生きる道はないな。……借りる?千ゼース?既に九百ゼースマイナスなのに?
「エリンさん、千ゼースっていうのは……」
聞き難そうにする俺の意思を汲み取ってか、エリンさんは全て聞く前に答えてくれる。
「言語能力習得の分とは別枠よ。さすがに百ゼースだけじゃ、武器も防具も買えないしね。その袋の中には小銀貨が十枚入っているわ」
ああ、はい。少しずれてるけど、分かりました。言語能力習得と別枠って言ったし、やっぱり返さなきゃいけないんだな。千九百ゼース。
覚悟を決めると妙に思考が鮮明になる。借金をするということは金利が発生する筈だ。言語能力習得の分は返済期限はないと言っていたが、支度金はどうなのやら。
「返済はどうすれば良いでしょうか?」
「支度金は一年以内に完済すれば問題ないわ。返済の組み立てもレイホに任せるけど、一年で完済できなかった場合、月単位で遅れた分だけ金利が重くなっていく仕組みよ」
一年以内に何としても千ゼースだけは完済しよう。しかし、万が一のこともあるから念を押しておくか。
「参考までに金利はどれくらいですか?」
「一年経過した時点で一割、そこからひと月経ったら更に二割、またひと月経ったら今度は三割って具合よ。まぁ、ギルドは金貸しが本業じゃないから、これで稼ぐ気はないし、冒険者を一年続けていれば千ゼースどころか千九百ゼースだって余裕よ。」
続けていれば、ね。死んだら払わなくて良いんだろうけど、異世界まで来て資金難に陥って自殺とか嫌だ。……現実でも絶対嫌だけどさ。報酬に目が眩んで無茶して死亡も情けないな。
つまりは地道に稼いで無理のない返済プランを立てるのが最良だ。ただでさえ能力値がボロボロなんだし、確実に出来ることだけやっていこう。
参考までに。
レイホの能力値。
()内は駆け出し冒険者の能力値の推奨値。
<>内は人類(エルフや獣人など全種族含む)が至れる最大値。
体力:99(90)<1000>
魔力:0(10)<255>
技力:1(6)<255>
筋力:3(6)<100>
敏捷:4(6)<100>
技巧:1(3)<100>
器用:4(5)<100>
知力:0(4)<100>
精神力:28(15)<255>