第四十五話:好きな物と嫌いな物
マナ結晶を売った後、もう一つ行きたい場所があったのだが、そこへ向かう前にキャストエルを食べてしまうことにした。
間道通りに並んでいる屋台でピーチュと呼ばれる果物で作られた飲み物を買って、道端の木陰に腰を下ろした。
高い位置から降り注ぐ日光が、木の葉に遮られて程よい木漏れ日になる。屋台に立ち寄る人の数も少しだけ賑わいを見せており、流れる平穏な日常に思わず体の怠さを忘れた。
バリバリバリ……。
平穏を妨害する音は直ぐ隣りからやって来た。ソラクロがキャストエルの入った箱の包装を無造作に破いたのだ。自分たちで買った物ではあるが、俺はなんとなく包装は綺麗に剥がしたい派だ。ただ、それを他人に強要はしない。ゴミをその辺に捨てさえしなければ注意する必要もない。
流石にソラクロもゴミのポイ捨てはせず、異様に綺麗に丸めてくれたので、貰って雑嚢に入れておく。帰ったら捨てるけど。
包装の下から出て来た厚紙の箱を開け、薄紙の包みを開けると、キャストエルが現れた。色が少し薄いが、カステラだ。
「どうしましょう……」
薄紙の包みを持ってキャストエルを見せてくる。切れ目が入ってないからどうやって分けるか困ってるのか。初突は持っているが、これで食べ物を切り分けるのは抵抗があるし、大体でいいだろ。
包みを半分くらいまで剥いたところで千切り、包みに残った方をソラクロに渡す。
「レイホさんの方が小さくないですか?」
「そうか? 千切った時に力を入れたのと、包装の分でそう見えるだけだろ」
言い切ると同時に一口頬張る。これでもう大きさ問題は分からなくなっただろう。
見た目で予想はしていたが、食感も味も現代のカステラに類似していた。砂糖を使っていない分、少し違った甘さではあったが、これはこれで美味い。
口の中の水分が持っていかれるので買ってきた飲み物も一口含む。こっちは桃だな。味はあんまりしないけど、風味は桃によく似ている。カステラ……じゃなくてキャストエルが甘いから丁度いい。
飲食それぞれの味が分かったところで、ソラクロの様子を見る。
「……」
一口食べたところで固まってるよ。もしかして獣人には毒になる成分が入ってたとか? でも、買う時にそんな注意は受けてないし……。
様子を伺っていると、急に凄い勢いで食べていく。喉に詰まらせないか心配をする俺を他所に、全部食べ切ってしまう。
「あ、なくなっちゃいました……」
食べ終わって残った包み紙を、惜しむように見ながらジュースを飲み始める姿を見て俺は……。
「もう少し食べるか?」
持っていたキャストエルを二つに分け、まだ口を付けていない部分を差し出す。
「えっ! ……い、いや、大丈夫です。それはレイホさんの分ですから!」
食べたいクセに我慢するなよ。差し出した時、見逃しようがないほどに目が輝いてたぞ。尻尾も振ってるし。
「いいよ。好きなんだろ?」
「うぅ……はい。ありがとうございます」
押し負けてくれたソラクロは、俺の手からキャストエルを受け取って、控えめに一口食べた。
「……わたし、これ前にも食べた気がします」
「何か思い出せたのか?」
意外なところで記憶の手がかりに遭遇したな。巨大骸骨がいた岩山でも何か思い出せそうにしていたが、あの後、クロッスに戻ってきたら何のことか忘れてしまっていたので、今回は進展が見込めるといいけど。
「いえ……。この味を知っていた、ということだけです」
「そうか……」
いつ、どこで食べたのか分かれば探りようはあったかもしれないが、これでは調べようがないな。そこまで珍しい食べ物ってわけでもないし……。
「でも、今日レイホさんとここで食べたことは忘れません。……絶対に」
「……そうか」
急にそんなこと言われたら心拍数が上がるだろ。こんな……っていうと言葉が悪いか。何気ない日常を忘れないでいるのって、結構大変だろうに。
それから、人々の往来を眺めながらキャストエルを食べ終えた俺たちは、飲み物の入っていた容器を店に返して目的の場所を目指す。比較的静かな間道通りを抜け、様々な商店が並び、人々の賑やかな声が忙しなく行き交う銭貨通り。その中でも華やかな装飾が付けられた店の服飾屋が、俺とソラクロの目指した場所だった。
「はーい! いらっしゃいませー! セラフィーナ服飾店へご来店ありがとうございまーす! 本日はどのようなご用件で?」
若い女性店員が、待ち構えていたのかと思うほどの勢いで捲し立ててきたので、俺は思わず店を出た……かったが、そうもいかない。能力値の中で唯一誇れる精神力の高さで、なんとか初撃を耐える。
「えっと……」
ソラクロの服を下着含めて買いに来たのだが、やっぱりなんか言いづらいな。しっかりしろ、俺。
初撃で削られた精神力を回復させようと脳内で鼓舞する。店員は営業スマイルでこちらの言葉を待っており……あ、この人、エルフなんだ。
水色の長髪をサイドテールにしているので、エルフ特融の尖った耳が露わになっていた。って、観察している場合じゃない。
「この娘の服を見に来ました」
「はい! かしこまりました。服は上と下、もしくは一体になっている物もありますが、何かお決まりですか?」
「あぁ……いや、特に決めていないので、一通り見ようかな、と」
入る店間違えたかな。他にも服飾屋はあるだろうし……なんならエリンさんにでもお勧めを聞いてくれば良かった。
「かしこまりました! それではこちらにどうぞ!」
「レイホさん、わたし、服はこのままで大丈夫ですよ?」
ソラクロが良くても俺が良くないんだ。と言おうとしたが、案内しようと背を向けた店員が恐ろしい勢いで振り返った。
「ちょっと失礼します」
言うが早いか、ソラクロのマントを捲って服装を確認した店員は固まった後、錆びた機械のような動作で俺を睨んで来た。
「申し訳ありませんが、こういったご趣味をお持ちの人には、当店はそぐわないかと」
言葉は丁寧だが、目が完全に殺る気だ。
「いや、俺の趣味ではなく……色々と事情があって、この娘の面倒を見ているんです」
ソラクロを拾ったことや、拘束具が外せないことなど、思い出せる限り詳しく話した。店内にいた他の客にも聞かれたが、気にすることはできない。一刻も早く店員の誤解を解かなければ命に関わる事態なのだから。
「なるほどですね。事情は分かりました。そうしましたらお任せください! 私がこの娘に最適なお洋服を見立てましょう! ええ! お任せください! ささ、こちらへ!」
「私はこのままの服装が動きやすくて良いんですけど……」
「動きやすい恰好がお好みで! かしこまりました! 当店はそのようなお客さまにもお応えすることが可能です!」
ソラクロは店員に背中を押されて店の奥に連れ去られていく。
「お兄さん! こちらですよ!」
店内を騒がしくさせる店員に気付かれないよう溜め息を吐いてから、呼びかけられた場所へと向かった。
それから、店員——セラフィーナさんによるソラクロの着せ替え劇が始まった。初めは動きやすい服を重視して見繕ってくれていたが、途中から完全に趣味に走り始めた。「黒髪だからとクールでシックな服がいけますよ!」と言って落ち着いた色合いのジャケットを着せてみたり、「可愛らしい顔を活かさない手はありません!」と言って、フリル沢山のドレスを着せてみたり、服に合わせて髪型も変えたりと、もう手が付けられない状態だった。
ソラクロが「あぅあぅ」言いながら俺に助けを求めてきたが、俺にはどうすることもできなかった。人は真に己が無力であると知った時、無力を嘆くことすら諦めるのだ。
最重要目的だった下着については、初めに説明した状況を考慮してくれたのか、特に責められるわけでもなく、セラフィーナさんの方で決めてくれた。
「ふぅ~。これで一通り試着しましたが、どれがお好みでした?」
やり切ったと言わんばかりの面持ちでソラクロに尋ねている。もう最初に着た服のことなんて忘れてるだろ……。
「えぇっと……これ……ですか?」
「それは下着です! その上に着る服を選ぶんです! 決められないなら、もう一周しましょうか!?」
「うぇぇ……レイホさん助けてくださいー!」
とうとう涙目になりながら俺の陰に隠れてしまった。
「どうして逃げるんですか!? 服装次第で可愛くも格好良くもなれんですから、いい服を選ばないと損ですよ!」
俺を壁にして追いかけっこが始まる。周囲の客や店員はというと、こちらを見てにこやかに笑いつつ、自分たちのお買い物を楽しんでいた。
「助けてくれ……」
俺の呟きは誰にも届かない。なんせ今の俺は、狭い空間で追いかけっこを成立させるために必要な壁でしかないのだから。
衣類の話は苦手です。




