第四十二話:体力が限界を迎えようとも
突如として現れた巨大骸骨を相手に俺やソラクロができることは逃げることだけだ。問題は、出入口を塞がれている状態でどうやって逃げるかだが……。考えている間に攻撃が来た。右手に持った大太刀での袈裟斬りだ。
「左右に分かれるぞ!」
動きが緩慢で助かった。俺は巨大骸骨の左、ソラクロは右に動いて攻撃を躱す。が、攻撃は一度で終わらなかった。大太刀を返す形で、地面と水平に斬り払ってくる攻撃が俺に迫って来た。
「うわっ!」
咄嗟に後ろに倒れ、眼前を刃が通り過ぎていく。かと思えば、もう一本の右腕に持っていた大鉈を振り上げていた。
「っ!!」
声を上げる暇もない。横に転がって直撃は避けたが、粉砕した地面から飛んでくる石や砂に全身を叩かれる。
痛い、けどこれぐらいで悶えるわけにはいかない。
転がりながら、できるだけ動きを止めずに立ち上がると、巨大骸骨と目が合った。赤色に光る相貌に感情はなく、ただ無機質な視線を俺に合わせており、背中から生えた左腕に携えた大鎌を振り被っていた。
あ、死んだ。
直後、巨大骸骨の体が揺れ、大鎌が振られることはなかった。何もなく体が揺れることはない。何かが巨大骸骨の身に起こり、この場でそれを起こせる存在は一人しかいない。
巨大骸骨の下半身にも満たない体躯のソラクロが、膝裏に跳び蹴りを放ったのだ。右回し蹴りからの左後ろ回し蹴り、と打撃を与える度に巨体が揺れ、バランスを崩していく。
三回目の打撃は蹴りではなく、発光させた尻尾を鞭のように払う【トップテール】と呼ばれるスキルだった。体勢を崩したところにスキルによる一撃は巨大骸骨にも効いたらしく、前のめりになって倒れる。
巨体に巻き込まれまいと必死に走って出入口へと向かう。凄いなソラクロ。もしかしたら倒せるんじゃないのか?
「はは……」
ソラクロの有能っぷりと、絶望した状況から逃げられるという安心から思わず笑い声が漏れた。
「レイホさん?」
「悪い。一気に逃げるぞ!」
クロッスに戻ったらなんでも好きな物を食べさせてやろう。やりたいことがあるなら好きにやらせよう。それだけの対価を得られる働きをしてくれた。頭撫でまわして褒めちぎってやりたいが、迷惑がられたら辛いから我慢する。
出入口は目の前。せいぜい二メートル程の高さの穴は巨大骸骨では通ることはできない。この岩山から出れば一先ず安全だが、念のため細道を抜けた先、木張りの部屋まで一気に駆け抜けよう。
余裕か、油断か、出入口に入る前、走りながら巨大骸骨の方を振り返ると、肝が凍てついた。
体勢を立て直しながら、左手に持った大剣を横に回転させる形でこちらに投擲してきたのだ。
出入口の穴に入ってしまえば、大剣は通ってこれない。既に全速力だった脚に更に力を込めて走る。頭上でけたたましい衝突音と共に、重く崩れる音。何が起きたか想像する余裕も、振り返る余裕もない。背中に押される衝撃を感じながら、必死になって頭から跳び込んで岩山を抜けた。
「はぁ……はぁ……どうにか抜けたな」
ソラクロ?
辺りを見渡すが姿は見えない。
後ろを振り返る。出入口は崩落した岩石によって閉ざされている。逃げ遅れた? 落石に巻き込まれた? ソラクロが? 嘘だ。
「ソラクロ!!」
心の内で拡大する不安に耐え兼ねて声を張り上げ、岩石を取り除こうと掴みかかる。
「レイホさん、無事ですか!?」
岩石の向こうから元気のある声が聞こえてくる。それだけでいくらか不安は晴れたが、直後に鳴り響いた金属音に、また別の不安が心を曇らせた。
「俺は大丈夫だ! どうにか逃げ道を探す! 待ってろ!!」
返事は返ってこない。だが、断続的に聞こえる金属音と地鳴りだけでも、中の様子は容易に想像できた。
くそっ、くそっ……なんでこんな……俺が気を抜いたからか? 普段と様子の違う魔窟だったのに、油断したからか? ソラクロのお陰で討伐依頼を順調に熟せていたから、危機感が薄れていた? 何かあっても、ソラクロの気配察知で先に動けると過信してた?
体は別の出入口を探していたが、頭の中は原因探しでいっぱいだった。
奈落が広がるばかりで、歩ける所も探せる所も限られた場所だ。出入口が正面の、既に岩石で埋まっている所しかないことは直ぐにわかった。
「くそっ!」
こうなったらツルハシで岩石を崩すしかない。そう思って全力で、焦りをそのまま腕を振るう力に代えて岩石を叩く。だが、硬い岩石は俺の非力な振りでは中々崩れず、崩れても別の岩石がなだれ込んできてキリがない。
「くそっ!!」
もうこの言葉しか出ない。痛みと疲労で悲鳴を上げている腕を振り上げ、力任せにツルハシを振るった。それが功を成したのか、一際大きな岩石が砕け、岩山の頂上に僅かな隙間ができた。しかし……。
「ツルハシが……」
店で買ったわけでもなければ炭鉱夫から借りて来たわけでもない。コボルトが武器として使っていたツルハシは、手入れなどされていないし、どれだけの間使い続けたのかも分からない代物だ。そんなものを力任せに振るい続けていれば、脆くなっているところから壊れるのは明白だ。木の柄の部分が割れ、金属の刃の部分が見事に取れてしまう。
「こんな時に……ソラクロ!!」
何ができるというわけでもないのに名前を叫んだ。
「レイホさん!?わたしのことはいいですから、先に……」
言葉の後半は破砕音に掻き消されて聞こえなかったが、何を言おうとしたかは想像できる。
「逃げるかよ……」
ツルハシがなくたって剣がある。剣が折れても初突が、スローイングダガ―だってある。両腕だって……。それに、ツルハシも持つところが壊れただけで刃はまだ使える。地面に落ちたツルハシの刃を両手で掴んで岩石に打ち付けた。
腕に響く衝撃を、歯を食いしばって耐えてツルハシの刃を振るう。
何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も……!
砕けた岩石の破片が顔にぶつかったり、服の中に入り込んだりするが構うものか。
無心で岩石を崩していった結果、頂上には腕を通すことが出来るくらいの隙間ができた。
まだだ……まだ全然足りない。急げよ!
腕も肩も腰も脚もとっくに限界だった。だが、座りたいだとか、横になりたいだとか、そういった考えは出てこなかった。岩石を崩すという一つの目標を果たすまで、俺の体は止まらない。
両腕を振りあげ、岩石にツルハシの刃を叩きつけた瞬間、奥から何かが折れる音と、金属が地面に落ちた音がした。気になるが、一瞬一秒ですら惜しい。
やがて、大柄な岩石の大部分を破砕し、何とか両手で持てるかといったぐらいの大きさの岩石ばかりになる。一際大きな岩石が一番下に残っているが、そこまで壊さなくても人が出入りする空間は確保できる。
不安定な岩石の上に立ち、上から岩石を取り除いていく。だが、もう体中の筋肉は疲弊しきっており、人の頭より一回り大きい岩石でさえ、持ち上げることも転がすこともできない。
「動けってんだよ」
自らの体を叱りつけるべく、両腕を岩石に叩きつける。痛ぇ……。
痛みで冷静になったのか、そこで俺は自分が息を切らしている事に気付いた。大量の汗をかいていることにも、全身が疲労を通り越して痛覚しか感じていないことにも。
「あと少し、あと少しなんだ……」
歯を食いしばる力も、もうあまりない。ツルハシを振るうのに邪魔だと、隅に放っておいた片手剣を拾い上げ、梃子の原理で岩石をどけようと試みる。すると、直ぐ近くに、出入口を抜けた横辺りに何かが衝突した。巨大骸骨の持っている武器ではない。岩石のような硬いものでもない。
「げほっ、げほっ!」
岩山の隙間から聞こえて来たのは、ソラクロの咳き込む声。
全身の汗が氷となって張り付いた。
「ソラクロ! もう少しだ! あと少し……」
一つ、また一つと岩石が転がり落ち、顔を出せるくらいまで穴は広がった。男の俺は肩幅で引っかかるけど、ソラクロなら小柄だし、少し無理をすれば通れるか?
問題は、ソラクロがどれだけの怪我を負っているか、どうやって巨大骸骨の攻撃の隙を付いて穴を通り抜けるかだ。
「ソラクロ! ここから出られるか!?」
穴から手を出して聞きながらも、一つ岩石を転げ落とす。返事が無かったので、頭を出して中の様子を見ると、ソラクロは既に別の所に走っていた。穴に気付いていないわけではないと思うが、どうにか逃げる隙を作ろうとしているのだろう。端に、わざと追い詰められるような恰好で走っている。
あれ? 巨大骸骨の腕、一本折れてる。
右の背中から生えた腕が、肘から先が折れて無くなっている。視線を巡らせると、今ソラクロたちがいる方向とは逆の隅に、骸骨の腕と大鉈が落ちていた。
ソラクロがやったのか!?
自分とさして変わらぬ大きさの骨を、武器の攻撃をかいくぐってへし折ったのだとしたら、例え一本でも偉業と呼べるだろう。
驚いている場合ではない。少しでも通りやすいように岩石をどけなくては。
片手剣を酷使して岩石をどかしていくが、焦り過ぎた。片手剣がバキンッと音を立てて折れた。しかし、もう充分に穴は広がった。俺でも余裕をもって通り抜けられる。
一つ懸念があるとすれば、崩せていない巨大岩石のせいで、少し高めの段差になっており、通り抜けるには体を滑り込ませる必要があることだ。だが、もうソラクロを信じるしかない。あいつの身軽さなら問題ないと思うが……。もう一つ懸念があった。ソラクロは今、小さくないダメージを受けている。どうにか走れてはいたが、巨大骸骨を振り切れるだろうか……。
いつソラクロが飛び込んできてもいいように岩山の前で待機しているが、心に残った不安でじっとしていられない。うろうろと狭い空間を歩いていると、不安を一蹴する声が飛び込んできた。
「レイホさん!!」
「ソラクロ!!」
穴から綺麗に跳び込んで来たソラクロの体を抱き留め……きれずに倒れる。死ぬほど痛いが、両腕に抱きしめた安心が痛みを忘れさせてくれた。
「レイホさん!! レイホさん!!」
大声で何度も名前を呼ばれながらきつく抱きつかれ、どうしていいか分からなかったが、どうすべきかは分かっていた。我ながら意味が分からないが、気にしない。今はとりあえず……。
「逃げるぞ! あと少し、頑張ってくれ」
ソラクロの背中をさすりながら抱き起すと、「はい!」といういつもの元気な返事が返ってきた。
俺たちが立ち上がって、細い道を走っていくと、出入口の岩山が砕け散った。巨大骸骨の大剣が覗いて見えるが、やはりあの巨体では外に出られないようだ。大剣を何度か突き出しているが、俺たちに、もうその剣先は届かなかった。




