第三十七話:一人なら逃げていた
暗がりの洞窟を走る。視界も足場も悪いが、文句の一つを言う暇があるなら走らねばならない。
前を走るソラクロの火の魔法に照らされて、魔物の姿が見える。
突っ込んで来る俺たちを避ける様にして、狭い洞窟の隅に小さい体を寄せて飛んでいるのはインプと呼ばれる魔物だ。人間の幼児ほどの体長であるが、見た目に可愛らしさはない。頭は大きく、腹はだらしなく出ている。背中にはコウモリに似た翼を生やしており、細長く先端が尖った尻尾を生やしている。武器は持っていないので、すれ違い様に斬られたり突かれたりすることはなかった。
インプは確認できただけで二体。横を通り過ぎた時は何もしてこなかったが、背中を見せた瞬間、ソラクロの耳が動いた。
「後ろ! 気をつけてください!」
言われて反射的に振り返る。すると、インプは抱えるような姿勢で球体を作り出していた。
魔法攻撃が来ることは分かったが、対抗手段はない。躱せるか? 一発くらい当たっても大丈夫か?
魔法についてもっと勉強しておくべきだったと後悔している間に、インプの魔法は完成した。
「ピィ!」
「ピィ!」
鳴き声と共に放たれる二発の魔弾は、道の真ん中を走る俺たちの背中目掛けて放たれた。一つは先ほども見た水弾だったが、もう一発は黄緑色をした、形状が安定していない弾だった。
「右か左に、壁に寄れ!」
「はい!」
ソラクロは左に、俺は右に避けて魔弾を回避できる筈だった。
「ぐあっ!」
水弾が真っ直ぐ通り通り過ぎていった後、左肩の辺りを殴られたような衝撃に襲われ、よろけて体を壁にぶつける。
魔弾の起動を見誤ったか? それとも弾がでかくてよけきれていなかった?
「レイホさん!?」
「大丈夫だ。走れ!」
足を止めて振り返ろうとしていたソラクロに声を張る。実際、体は大丈夫だ。魔弾自体の攻撃力は大して高くない。ゴブリンのこん棒に殴られる方がよっぽど痛いし、なんなら壁にぶつかった時の方が痛い。
全速力で走ったからか、二度目の追撃が来る前に分かれ道になっていた洞窟を抜け、広間に戻って来れた。
「レイホさん! 気を付けてください!」
先に広間に戻ったソラクロから注意されるが、その理由は直ぐに分かった。広間にはインプが三体、横並びに飛んでいて魔弾を放つ準備をしていた。
来るときは魔物の気配すらなかったのに、どこから湧いて出てきたんだ?
考える暇を与えないと言わんばかりに、三体のインプは一斉に魔弾を放ってきた。狙いは全てソラクロだったが、横に跳んで難なく回避してみせる。
「レイホさん、ここからどうしますか!? 倒しますか!?」
インプは合計五体。恐らく後からゴブリンも数体やって来る。しかも魔物は気配もなく現れる。ソラクロの能力値が高いとはいっても、数が多すぎるし飛行能力を持つ相手だっている。ここは一回退くべきか。
「一旦魔窟から……」
出るぞ。そう口にしようとして止めた。いや、止めさせられた。誰かに何かされたわけでも、言われたわけでもない。ただ、俺を見るソラクロの眼に圧された。「戦える。自分なら勝てる」そう訴えかけられているようだった。
俺は言葉を飲み込み、腹の中で別の言葉に変える。
「やるぞ!!」
「はい!」
ソラクロは弾んだ調子の声と共に、羽織っていたマントと、物入として肩から掛けていた雑嚢を投げ捨てた。俺も戦闘に邪魔な角灯小ぶりの雑嚢を隅に放ろうとして……止めた。角灯とか、薬の入った瓶が割れたら悲しいことになってしまう。
急ぎながら、しかし丁寧に不要な物を隅に置いて戦闘を開始しようとした時には既に、ソラクロが一体目のインプを仕留めるところだった。
「やあっ!」
急加速して距離を詰めたソラクロの右手は白く発光していた。予想外の速度に、インプは慌てて羽をはばたかせて逃げようとしたが、既に振り被られていた爪を前にしては無駄な足掻きだった。白い五本の軌道がそのままインプの体を切り裂いて地面に落とした。
今のは【レイド】と呼ばれるスキルだったか。前に……今となってはあまり思い出したくもないが、猫の集会のデリアが斧で使っていたスキルと同等のもので、武器、もしくは部位を強化して一撃を見舞う。単純だが使いやすく、冒険者にとっては初歩的な攻撃スキルだ。スキルの効果は技巧依存のものがほとんどだが、ソラクロは技巧の数値も優秀なので、インプぐらいなら余裕で仕留められる。
ソラクロの戦闘力に危険を察知したのだろう、低空にいたインプは上昇して天井付近まで逃げてしまう。ソラクロは跳躍してみるが、腕は空振りするだけで届かない。飛び道具があればと思うが、残念ながらそんなものを用意する財力は無い。
初突を投げるか? 外して岩壁に当たって折れたら嫌だけど、そんなこと言ってる場合じゃないしな。そう。戦闘中に躊躇っている時間はない。洞窟内にいた二体のインプも広間に出てきた。これで二対四。ゴブリンが来る前に少しでも数を減らさないとマズい。
「ソラクロ! 後ろからも来ているぞ!」
上空から放たれる、燃える赤の魔弾と、角ばった黄色の魔弾を回避しているソラクロに注意するが、多分あまり意味はなかっただろう。俺がわざわざ教えなくても、ソラクロは【気配察知】で気付いていた。背後から放たれた水弾を避け、黄緑色の魔弾も避けた……筈だった。
「あぅっ!」
避けた筈の魔弾が曲がり、ソラクロは横から殴られる形となった。
黄緑色のは曲がるのか。さっき洞窟内で俺がくらったのも、この特性があったからだろう。
冷静に見ている場合ではない。ソラクロがインプ四体の注意を引いてくれているのだから、自由に動ける俺が攻撃を当てにいかないと。
天井付近にいるインプに狙いを定め、振り被って初突を投擲する。物を投げるのはあまり得意ではないが、初突は縦に回転して飛び、インプの脇腹に突き刺さった。
「ピィッ!」
短い悲鳴上げ、苦悶の表情を浮かべて地面に落ちてくる。刃は深めに突き刺さっているが、それだけで倒せるとは思わない。翼をバタつかせて苦しんでいるインプに素早く近づき、初突を回収してから思い切り頭を蹴り飛ばす。インプは頭を変な方向に曲げながら岩壁に激突し、それからはもう動かなくなった。
そんなに体力が高いわけでも、頑丈な体をしているわけじゃないな。よし、次……。
一体倒したことを確認して視線を他のインプに向けた時だった。既に躱せない距離に水弾が迫っていた。
「うわっ!」
胸の辺りに直撃した衝撃で背中から倒れる。
打ちどころはあまり良くないな……。
咳き込みながら立ち上がると、体が少し重く感じる。それも当然だ。全身が水を被ったように濡れており、水を吸った衣類は重量を増している。
不快だが、服を絞っている暇はない。それに、悪いことばかりでもなかった。俺に狙いを向けたということは、ソラクロから目を離したということでもある。ソラクロもそれを理解しており、水弾を放つインプに素早く詰め寄ってから【レイド】を放って一撃で仕留めてくれた。これで二対二。
「グギャギャ!」
「グギャ!」
「グギャ!」
数が同数になったと思ったが、そう簡単に楽をさせてはくれない。洞窟の方から鳴き声と共に、複数のゴブリンが姿を現した。




