第三十二話:他人を助けるということ
「このネルソン先生でも、記憶戻しの施術は心得ていない。気が付いた時には宿で眠っていたそうだ」
「あ、宿屋まで連れて行ったのは俺です。東の魔窟の前で倒れているのを見つけて、町に連れてきました」
「ふむ。となると、助けられた先でオーバーフローに巻き込まれたということか。災難だったな、仮助手よ」
「いえ……。でも、そうすると、わたしはもうレイホさんに二回も命を助けられているってことですよね。ありがとうございます!」
「いや、べつに……」
大したことをしていないのに笑顔を向けられてお礼を言われるのは気恥ずかしかったとはいえ、なんだよ「べつに」って、感じ悪いなぁ。かと言って、今から「人として当然のことをしたまでです」なんて言い直しても変だし……そんな爽やかな物言いは俺が言ったって似合わない。
「そ、そうだ。それで、どうしてあなたは魔獣と戦っていたんですか? 記憶もなく、知らない町なのに……」
「それは……正直わたしもわかりません。ただ、目が覚めた時に魔獣の気配を感じて、どうにかしなきゃって思いました」
凄いな。うん、ただ感心するしかできない。俺だったら訳も分からずにいて、宿の従業員の指示に従って逃げるのが精一杯だっただろう。
「うーむ。もしかしたら記憶喪失は“白紙化”の影響を受けているかもしれんな」
神妙な面持ちで言うのはネルソンさんだった。“白紙化”ってなんだ?この世界について説明を受けた時、エリンさんからそんな言葉は聞かされていない。
「白紙化、ですか?」
疑問に思ったのは少女も同様だったようだ。俺は彼女の質問に便乗して聞く体勢を取る。
「簡単に言えば、オーバーフローで発生した魔獣に食い尽くされることだ。どういう原理かは知らないが、地域規模である程度以上の被害を受けると、この世の記録からも、人々の記憶からも消失する現象だ。真っ白な更地に変えられることから、白紙化と呼ばれている」
この世から消失……。存在していたことを消されるって、随分と恐ろしいことが起きてるんだな。……あれ? 記録や記憶から消えるのに、どうして消失したって判断できるんだ?
「すみません。上手く伝わるか分かりませんが、どうして白紙化が起こったって分かるんですか? 記録や記憶から消えてしまうのに」
「ほほぉ。ぼーっとした顔なのに中々鋭いじゃないか。だが、残念。白紙化については謎が多すぎてね。昔、異世界から来た人間が発見したと言われているが……興味があるなら上流区にある研究所にでも行ってみるといい。ま、今はオーバーフローの直後だから、上流区に立ち入ることすらできないがね」
気になることだけ聞かされて答えは何も分からない、か。
残念そうにしていると、ネルソンさんは何故か満足気な表情を浮かべながら前髪を指に巻いた。
「仮助手はオーバーフローを受けた地域から逃れたはいいものの、故郷が消失してしまったために記憶を無くした。だが、心のどこかで、故郷を滅ぼした魔獣に対して敵対心を抱いていた。その為、頭で考えるより先に体が動いていた」
そういう考えもあるか。と思ってから疑問が生まれる。故郷が無くなって記憶を失ったとして、自分の名前まで忘れてしまうのか? 自分のことは覚えていて、それ以外のことを忘れてしまったのなら納得がいくけど……。オーバーフローを受けたショックで自分のことも記憶喪失になってしまった? うーん……考えても聞いても分からないことだよな。
「時にレイホ、君は仮助手の事を助けたと言ったね?」
「え、あ、はい。一応、そうなります」
「そうか、なら仮助手の名前を決めてやりたまえ」
「はぁ……は?」
急に話が飛んで頭が追い付かない。なんで俺が名前を決めるんだ?
少女の方を見ると期待の眼差しを向け、尻尾まで振ってる。えぇ……俺に名前付けられることに抵抗ないの?
「なんで? どうして? と言いたそうだな。だが、逆に聞こう。君は何故倒れていた仮助手をこの町まで連れてきた? 何故魔獣が蔓延っている最中、仮助手を探し、助けた?」
聞かれても深い意味なんてない。森の中、しかも魔窟の前で人が倒れていたら誰だって助けるんじゃないか? 自分が連れて来た人が急にいなくなったら探すんじゃないのか?
「この世界の人間、特に冒険者は自分の身を最優先にして考えなければいけない。それは理解できるだろう?」
「いつ魔物に襲われるか分からないから、ですよね?」
「そうだ。そんな冒険者が、仲間でもなければ依頼されたわけでもない他人を助けるという行為は、危険こそあれ利益は不確定だ」
言いたいことは分かる。実際、俺も少女を連れ帰ったことで昇級試験が失敗になりかけたわけだし、宿代も支払うことになった。連れ帰って来る時は運良く魔物に出くわさなかったが、もし魔物に襲われていたらどうなっていたか分からない。そして、オーバーフロー中は街中を探し回って死にかけた。
「利益を求めず他人を助けたなら、その他人が自立できるまで面倒を見るべきだ。他人を助けるという行為は、哀れみや情けなど生半可な気持ちではなく、相応の覚悟が要求される行為なのだから」
確かに、深く考えていなかったところはある。町に連れてきて、意識を取り戻したら事情を聞いて、そこから先は……はっきり言ってノープランだった。何か力になれたらとは思ったが、俺の力なんてたかが知れているし、少女が記憶喪失だなんて考えてもみなかった。
オーバーフローの後で自分自身のことすら、これからどうしよう状態なのに、随分と厳しいことを言われたな。俺の考えなしが原因だから仕方ない。
少女の方に目をやると、今は申し訳なさそうに眉尻を下げて、尻尾も垂れ下がっている。そんな態度取られたら、「手を貸してもらうのが俺で良いのか?」なんて相手に決定を委ねることも、「俺には荷が重い」なんて逃れることもできない。
分かったよ。皆まとめてハッピーエンドを目指せば良いんだろ。
「分かりました。まずは名前ですね。少し考える時間をください」
「おっと、せっかく良い決断をしたんだ。ここでスパッと名前を決めてしまった方が、未来の自分の裏切りを防げると思うが?」
「うっ……」
確かに、今ここで名前を付けたという事実を作ってしまえば、後々「やっぱり俺には他人を助けるなんて無理だ」とか弱音を吐くこともできなくなる。ごちゃごちゃ考える性格なんだから、逃げ道を塞いでしまう方が良いのは分かるが……名前なんてすぐには思い浮かばないぞ。
当然だけど、あんまり深い意味を籠めたら重いよな。記憶を取り戻したら捨ててしまえる程度で……呼びやすくて分かりやすい……。
名付けのヒントがないか、少女の容姿をじっと見つめる。犬耳に三本の尻尾。人懐っこい笑顔に細い体。毛の色は黒で、瞳は澄んだ水色。鎖付きの枷。
もう“クロ”でいいんじゃ……。
「ぇほんっ! おっと、失礼。突然喉の調子が悪くなったようだ」
なんつータイミングで咳払いすんだよ。……"クロ"は流石に安直すぎか。うーん…………。
もう一度少女の容姿を見ると、澄んだ水色の瞳は期待に満ちていた。
青空みたいだな。とびきり快晴の時の。なんとなく、そう思った。
どこまでも見通せるほど澄んでいるのに、決して終わりが見えない。見果てぬ空の先には何があるのだろうか、といった冒険者の思いを乗せた青空が、少女の瞳に宿っていた気がした。
“ソラ”でいいような気もするけど、潔く納得できないのは“クロ”と同じような思考で思い付いたからだろう。それなら……
「ソラクロ。で、そうですか?」
「はい!」
「あぁ、良いんじゃないか」
熟考したのが無駄だった錯覚するぐらい、あっさり認めてくれたな。
「理由は……言った方が良いですか?」
「瞳の水色と、毛の黒色を合わせたんだろう?」
「あ、はい。そうです」
あれだけ考えたのに、言葉にすると単純なもんだな。でも……。
「レイホさん! これからよろしくお願いします!」
「はい。よろしくお願いします」
笑顔に笑顔を返せるような人当りは持ち合わせていないので、代わりに差し出された手をしっかりと握り返した。
「うん。それではこのネルソンさんも君たち二人を手助けしようじゃないか」
「はぁ……?」
どこからネルソンさんが助けてくれる流れになったのかは分からないが、今後も怪我をした際に治療をしてくれるという意味ならば助かる。
「理解できていないようだね。だが、これは当然のことだよ。ネルソンさんも覚悟を持って君たちを助けたのだから、傷が治るまで、記憶が戻るまで、君たちを助けてみせるさ」
そう言い放つネルソンさんは、癖のある毛を指に巻きながら、自信に満ちた表情を俺たちに向けていた。




