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喰い潰された白紙の世界  作者: 一丸一
第一章【始まる異世界生活】
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第三十話:逃げることもできないなら

 倒された衝撃は背中から全身に伝わる。当然のことだが傷口にも伝わり、声にならない悲鳴を上げた。


 何が飛ばされて来た!? 突然の出来事だったので思わず抱き留めてしまったが、魔獣じゃないよな!?

 視線を自分の胸元に落とすと、黒い獣耳を生やした少女の姿が目に映って……途端に体は悲鳴を上げることをやめた。探していた少女がどういうわけか、俺の胸に飛び込んで来たのだ。


「君……」


「ご、ごめんなさい! ここは危険です! 急いで離れましょう!」


 言葉を遮られてしまったが、少女の言葉は俺が言いたかった言葉に近かったので言い直すことはしない。

 少女は軽い身のこなしで俺の上からどき、立ち上がってこちらに手を伸ばしてくれた。蘇った痛みを堪え、少女の手を借りて立ち上がる。


「っ! こっちです!」


 少女に腕を引っ張られて進む先は路地裏の奥。クロッスの地形を完全に把握しているわけではないけれど、この先は行き止まりになっていそうな気がする。逃げるならば路地裏を出て大きい通りに出るべきではないのだろうか。


 疑問に対する回答は一瞬後に現れた。

 何の予兆もなく、石畳が強い衝撃音と共に弾け飛んだ。少女に腕を引っ張られながら、首を捻って状況を確認すると、破壊された石畳があるだけだ。……いや、何かいる! 一瞬だけど、景色が歪んで見えた。姿形は全く分からないが間違いなく魔獣であり、石畳を粉砕した力から察するに、俺じゃ絶対に太刀打ちできない。

 ほとんど治まりかけていた冷や汗が再び吹き出した。


 人がすれ違えるかどうかといった幅の路地裏は一本道が続き、正方形の空き地で行き止まりとなっていた。周囲は壁や家屋に囲まれており、逃げ場はない。


「行き止まり……」


 悲嘆の声を漏らすしたのは少女だった。俺は疲労と痛みでそれどころじゃない。

 少女は尚も俺の腕を掴んだまま、空き地の隅に陣取って獣耳をしきりに動かしていた。


「ごめんなさい。巻き込んでしまって」


 視線を空き地の出入り口に向けたまま、少女は謝罪した。


「いや……」


 なにが「いや」なのか。謝ることじゃないってことを言いたかったのだが、絶対伝わってないよな。それよりも聞きたいことは沢山あるのだが、今はそんな悠長にしていられる状況じゃない。


「はぁ……うっ……」


 深呼吸でもして落ち着こうかと思ったが逆効果だった。脇腹に走った激痛に呻いてしまう。少女はこれまで動かさなかった視線を横にずらして俺の方を見て、申し訳なさそうな、泣き出しそうな顔をした。

 こりゃ大失敗。心配かけてどうすんだっての。「気にしないで」と言おうとしたが、一瞬早く少女の獣耳が跳ねた。


「危ない!!」


 されるがまま、腕を前に引っ張られる形で倒れ込むと、首筋に何かが通り過ぎていった風圧を感じた。気のせいなどではない。その風圧には明確な殺意が込められていたと、場数の少ない俺の本能ですら感じ取れた。そして、耐性のない本能は命の危険を感じ取ると、体を硬直させる。

 死ぬ死ぬ死ぬ、絶対死ぬ! ふざけんなよ……見えない相手にどうやって戦うんだよ。

このままじゃ二人とも殺される…………くそ、くそっ……分かったよ!こうなりゃやることは一つだけだ! 戦うことも逃げることもできなくても、魔獣の餌になるくらいはできんだろ!


「起きて! 立ってください!」


 少女に腕を引っ張られて俯せの体勢から立ち上がろうとした時、偶然にも俺の目は再び景色の歪みを捉えた。

 展開早いな……けど、焦らされて機会を逃すよりはいいか……。


「逃げろっ!!」


 そこからはゆっくりと時が流れ、思考も感覚もなくなる。

 立ち上がり際に引っ張られていた腕を払って少女を押し退ける。かなり乱暴であったので、少女は大きくよろけて後退した。そして、入れ替わるようにして歪みが俺目掛けて突進して来る。俺の体は……動かない。少女を押し退けた体勢のまま、歪みの衝突を受け入れた。


 時は元に戻る。


「げはぁっ!!」


 一瞬意識が飛んでしまうほどの鈍痛を背中に感じたかと思うと、何かに身体を掴まれた。何かとは、考えるまでもない。歪み……景色に擬態した魔獣だ。

 魔獣は器用なことに俺を握り潰さず、けれど圧迫し続けながら壁を這って登る。


「待ちなさい!」


 少女が駆けて跳び上がるが、魔物は測ったように少女の届かないぎりぎりの高さ張り付くと、擬態を解除した。

 その姿は黒い体表をした四足歩行の魔獣だった。尻尾を含めた細長い身体は成人男性の三倍近い体長であり、鋭い爪を生やした足は前後共に異様に大きい。のっぺりとした顔に目はなく、鼻の穴と巨大な口があるだけである。口には凶悪な牙が並んでおり、時折なにかを探る様に長い舌を出している。


「どうにかしないと……」


 焦燥した少女が周囲を見渡すと、魔獣はその様子を楽しんでいるかのように口角を上げた


「ゲェッエッエッエッ!」


 意識が朦朧としてる所に生臭い息が吹きかかり、いよいよ意識を手放しかけたが、腹部に感じた激痛で一気に覚醒する。

 痛い痛い痛い痛い……! 熱っ! これ……噛ま……喰われっ……!

 覚醒した意識がまた遠のく。

 肉体も精神も限界を振り切ったはずなのに、一つだけ、やけに冷静な思考が頭の中に浮かんだ。

 意識がなくなった時が死ぬ時だ。


「駄目っ!!」


「ゲェェェッエッエッエッエッエッエッ!!」


 魔獣は一度噛み付いていた口を開け、これ以上ないほどの愉悦に浸ってから、手にしていた得物にトドメを刺すつもりだった。


「汚ねぇ声出すな、このクソッカスが!」


 低い女性の声が空き地に降ってきた。

 最初に声の主を発見したのは、魔獣を見上げていた少女だった。魔獣が張り付いている建物の屋根に、血に濡れた白マントと長い銀髪をはためかせ、右手には大型の白銀の槍斧を携えて立っていた。

 槍斧は一目で通常の物ではないと分かるほど改造されていた。槍の部分は騎乗して使用する、所謂騎乗槍ランスと同様の円錐形をしており、斧の部分は刃渡りが長い代わりに幅が薄くなっているので、刃だけの日本刀が付いているようにも見える。斧の反対側は円錐の底を伸ばしたように盾が備わっていた。


 女性は身を捻って槍斧を構えると、自分の体を投げ出すほどの勢いで投擲した。


「ゲェッ!?」


 重力による加速を加味しても、およそ人が投擲したとは思えぬ速度の槍斧は魔獣の横っ腹を貫通し、地面へと叩き落とした。

 少女は危うく魔獣の下敷きになりかけたが、後ろに跳んで回避し、魔獣の拘束から解放されたレイホを確保した。

 女性はというと、槍斧を投げた勢いで体が一回転して空中に投げ出されている。三階建ての屋根から石畳の地面に落ちれば無傷というわけにはいかないが、女性は何食わぬ顔で“落下速度を加速”させ、当然のように着地した。高所からの落下と着地を補助するスキル【ランディング】だ。


「魔獣化だかなんだか知らねぇけど、ざまぁないな」


 腹に槍斧が突き刺さったまま地面でのたうち回る魔獣に歩み寄り、槍斧を捻って真っ二つに引き裂く。


「ゲェッ! ゲェッ……!」


 半身でもがく魔獣であったが、首が飛ばされるといよいよ生命機能を停止した。


「しっかりしてください! 死んじゃ……駄目です!」


 何か聞こえるけど……何だ?目も、もうあんまり見えないし……澄んだ水色……青空……じゃないよな。丸くて……二つ、あるし。

 力が抜けてく……眠い……。このまま寝たら気持ち良いだろうな。


「そいつ、まだ生きてるのか?」


 酷くぶっきらぼうな声だったが、藁にも縋りたい少女にとっては希望そのものだった。


「お願いです。この人を助けてください!」


 女性の方を真っ直ぐに見据えて懇願する。女性の顔は長髪から右半分だけを覗かせており、頬の辺りには焼けたような傷跡が大きく残っていた。


「……へぇ」


 光りの宿っていない瞳・・・・・・・・・・引き攣ったままの表情・・・・・・・・・・に微かに好奇の色を見せると、少女の前にしゃがみ込んでレイホの生死を確認する。マントと長髪の奥から伸ばされた、作り物のような美しい白肌の手は、レイホの首筋で消えかかった脈を感じ取ると、致命傷となっている腹部に移動する。

 手の平が血の色で汚されるが、女性は気にする素振りは見せない。


「直接触れられる距離ならなんとかなるか……。マナよ、我が下に集いて彼の者の傷を癒す火となれ。ヒール」


 回復魔法が発動し、レイホの体を火が包み込んだかと思うと、直ぐに火は消える。そして、火と共に傷も消え去る筈だった。


「あ? なんで回復魔法が効かないんだ!?」


 少女に理由を問い詰めるが、首を横に振られるだけだった。


「ちっ!」


 腰のポーチから液体の回復薬サルブポーションが入った瓶を三つ取り出すと、乱暴な動作で栓を開けて傷口を中心に掛け流した。


「薬だと傷口が塞がるまで少し時間がかかる。出血も多い、早く医者に診せてやれ」


 空の瓶を投げ捨て、もう用は済んだと言わんばかりに立ち去ろうとする。


「あ、あの!」


「何?」


「お医者さんはどこでしょう?」


 縋り付いて来る眼差しを女性は忌々し気に睨んだが、彼女は直ぐに抱いた不満を溜め息として吐き出した。


「…………来な」


 ぶっきらぼうな物言いな上に、早歩きで路地裏を進んで行ってしまうが、付いて行く以外の選択肢はない。少女はレイホの体をなるべく動かさないように持ち上げ、女性の後を追った。



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