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喰い潰された白紙の世界  作者: 一丸一
第一章【始まる異世界生活】
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第二十九話:魔獣急襲

 日中。人々の大部分が生活の中心となる時間帯。ある者は働きに出、ある者は家事をし、ある者は遊ぶ。町全体を囲む壁の中だけではあるが、魔物の脅威から守られた平和な空間で人生を謳歌するはずの時間。だというのに俺は満身創痍の体を引きずり、日当たりの少ない裏路地へ滑り込んだ。

 体の節々から感じる痛みと、迸る汗と酸欠で非常に不愉快な気分となる筈が、今は気が張っていてそれどころではない。遠くで、近くで、金属がぶつかり合う音が響き、人や魔物……いや、魔獣の雄叫びが飛び交っている。




——————————


 事が起きたのは、俺が獣人の少女を連れ帰った翌日だ。

 冒険者ギルドに戻ってエリンさんに簡単に事情を話した後、診療所の医者に診せた。少女に外傷はなく脈拍も落ち着いているということで、目覚めるのを待つ事になった。ギルドの仮眠室は日付が変わる頃に閉まってしまうので、中流区で一番安い宿を取って寝かせてある。宿泊費はもちろん俺持ちだ。

 いつ目覚めるか分からないが、何日も付きっきりで看病してやれる財力はない。なので、手軽な薬草採取の依頼でも受けて金を稼ごうとした時だ。ギルドの扉が荒々しく開けられ、入り口に立っていた冒険者は息を整える時間も惜しいといった様子で、出せる限りの大声でこう言った。


「魔獣が来る!! オーバーフローだ!!」


 ギルドの中に緊張が走ると同時に冒険者達はそれぞれの装備を手にし、ギルドの外へと駆けて行った。俺を含めた新米冒険者は「オーバーフローってあのやばいだよな」と頭の中で思っても、まごつくばかりだった。そんな俺達に指示を出してくれたのがエリンさんだ。


「あなた達は兵士達と一緒に住民の避難誘導をして! 中流区の避難場所はギルドか訓練場。他の区域については兵士の指示に従って!」


 エリンさんの指示を受けてギルドの外に飛び出すと、町中に警鐘が鳴り響いていた。

 避難誘導ったって……どうすりゃいいんだ? 家々を一軒一軒回って逃げ遅れている人がいないか確認すれば良いのか? 兵士達は既に動いているだろうし、確認済みの家をまた確認しても意味ないよな。クロッスだって狭くないんだ。効率良く回らないと魔獣が来てしまうけど、そもそも魔獣ってどれくらいで来るんだ? 魔獣にも種族によって移動速度は違うのだから、分かる訳ないか。

 ごちゃごちゃと考えていると、誰かに案内されるでもなく、自主的にギルドへ避難しに来ている住民が現れた。考えていても仕方ないし、後ろで右往左往している連中の面倒なんか見てられない。俺は獣人の少女を泊めてある宿屋へと走り出した。


 間道通り沿いに建っている宿屋に入ろうとすると、従業員が宿泊客の避難誘導をしているところだった。少女のことを聞こうとしたが、そんな余裕はなさそうだったので人の流れに逆らって三階まで階段を駆け上がって行く。

 部屋の扉を開けて中の様子を確認すると、空の寝台があるだけで少女の姿は見えない。物陰に隠れているというわけでもなく、トイレにもいない。

 どこに行ったんだ!?まさか誰かに連れ去られた!?

 部屋は荒らされている訳ではないが、気を失っている少女を運ぶのなら荒らす必要はない。

 

 どうする? 下唇を噛んで考えるが、視界の端が窓の方で動く物体を捉えた。

 顔を窓に向けると、見たことのない魔物が背中の羽を小刻みに羽ばたかせながらこちらを見ていた。

 なんだあいつ? キラービーに似ているが……違う。あれが魔獣化ってやつなのか。

 キラービーは体長五、六十センチの巨大蜂だが、今、窓の外にいる魔物は体長は一回り大きく、前足が鎌状になっており、口には鋸の刃をした鋏の様な顎が生えていた。尻尾の針や羽も、体長に合わせて大きくなっている。


 少しの間、互いの様子を見ていたが、魔獣キラービーから動きを見せた。窓から距離を置いたと思ったら勢いを付けて突進。窓ガラスは粉々に砕け散り、魔獣キラービーの侵入を容易に許した。

 くっそ……戦えるのか?

 屋内で、しかも未知の相手ではかなり分が悪い。屋外だったとしても、能力値が足りているとは思えない。通常のキラービーでさえ討伐推奨は銅等級星一に設定されている。魔獣化がどれほどの影響を及ぼしているのかは分からないが、弱体化していることは間違いなくない。


 初突はつつきを構えるのと、魔獣キラービーが突進して来るのは同時だった。

 顎か鎌か針か、どれでもいい。最初から受ける気はない。下に潜り込み、初撃を躱してみせた。攻撃力は高そうだけど、素早さは通常時と同じくらいか?

 討伐依頼を受けたことがなく、森で出くわして追いかけ回された経験しかないので正確なことは分からない。それでも躱せないことはない速さだ。


 羽音を鳴らして方向転換してくる内に、室内にあった木の椅子を拝借する。低く、背もたれの無い丸い形だったので、足を持って相手に向ければ盾っぽく見えなくもない。

 魔獣キラービーは初撃と同じように突進して来るが、今度は尻尾の針ではなく、前足の鎌を振り被っていた。相手の鎌の動きをよく見て椅子で受け止めようと試みるが、ただの家具である椅子は容易く両断されてしまった。

 うぇっ、予想以上に切れるな。

 感心している場合ではない、魔獣キラービーは続けて顎を伸ばして俺の首を掻き切ろうとして来る。壊れた椅子と初突を振り回してなんとか躱すが、狭い部屋の中ではあっという間に壁際へ追い込まれてしまった。


 割れたガラスが散乱する窓際に追い込まれたが、意外にも頭は冷静で、どうしたものかと考える。

三階から飛び下りるのは中々に危険だし、高い所が苦手なので飛び下りる勇気なんて出やしない。

 次の攻撃を躱して部屋を出て出入り口から逃げたいが、宿泊客や従業員の避難が終了しているか分からない以上、へなちょこでも冒険者の俺が逃げ出す訳にはいかない。


 三度目の突進がやって来るかと思われた時、良くない声が室内に飛び込んで来た。


「お客様、急いで避難をっ……!!」


 エプロンドレスを着た従業員の女性は魔獣キラービーを目にした瞬間息を飲んだ。逃げ遅れた客がいないか確認するという、従業員として立派に務めを果たそうとしてくれたようだが、今は状況が悪い。部屋の出入り口は魔獣キラービーの真後ろだったので視界には入っていない筈だが、背後を取られてたことで危険を感じたのか、魔獣キラービーは旋回して標的を俺から従業員へと移した。


「い、いやぁぁぁぁっ!」


 両手を前に出して拒絶するが、そんなことで敵は怯みはしない。振り被った鎌が従業員の体を切り裂くかと思われたが、一瞬早く、魔獣キラービーは体勢を崩して従業員の後ろの壁に激突した。

 自信は無かったがやるしかないと投げた初突が魔獣キラービーの尻尾に突き刺さった。致命傷にはならないが、少しの間は正常に動けないだろう。

 床に落ちて暴れ回る魔獣キラービーを見て腰を抜かしている従業員の腕を引っ張って起こす。


「逃げ遅れがいないかは俺が確認します! もう避難してください!」


「は、はい……!」


 不安に満ちた表情だが返事をしてくれた。できればギルドの近くまで護衛してあげたいが、そんな余裕はない。

 壁を支えにしながら階段を下りて行く従業員を見送ってから、音を立てて藻掻いている魔獣キラービーの方に向き直る。

 初突が大分効いているのか、まだ飛べずに床でもがいている。初突を取り戻したいが、鎌やら針やら顎を振り回しているので危険だ。

 

 大人しくしろよ!

 左手で持っていた元椅子を両手で持って振り上げ、魔獣キラービーに叩き付ける。体表は柔らかく、叩き付けられた胴体が潰れて体液が弾け飛んだ。

 下半身は動かなくなったが、上半身がいつまでも暴れ回っているので、元椅子を振り被って頭部にトドメの一撃を与えた。顎にでも当たったのか、元椅子からは硬い衝撃が伝わったかと思うと留め具などが外れ、いよいよただの木片と化した。

 どうにか倒した、か?

 魔獣化して生命力が上がっている可能性を危惧し、木片を投げて様子を見るが、あちこち潰された魔獣キラービーが動く気配はない。頭を潰されれば流石に死ぬか。


 自分でやったことだが、潰れた死骸が気持ち悪いということと、やはり突然起き上がって来るのではないかと思う不安から、おっかなびっくりしながら尻尾に刺さった初突はつつきを回収した。

 獣人の少女を探すついでに逃げ遅れた宿泊客がいないか各部屋を見回ったが、どこももぬけの殻だったので宿を出る。その時点で既に町中に魔獣が入り込んでおり、あちこちから戦闘音が聞こえた。


 くそっ、どこに行ったんだ。

 一言も話した事がない他人なのだから放っておいたところで誰にも文句は言われないだろうが、俺の気が済まない。助けたというと恩着せがましいが、一度関心を持った相手が知らぬ間にいなくなったのに「じゃあ後は知りません」と切り替えられるほど、都合の良い性格じゃない。

 

 当てもないので周囲を見渡しながら適当に街を走っていると、心臓が大きく鳴った。記憶に新しいエプロンドレスが視界の端に映ったからだ。路地裏だったのではっきりとは見えない。特徴的な形状をしていた訳では無かったので、似ているだけかもしれない。ただ、確かなのは、エプロンドレスは血だまりの中心で倒れており、そこに群がるようにして人型の魔獣が三体立っていた。


 まさか、さっきの従業員? いや、違うよな。ギルドか訓練場に行くのに、路地裏なんて通る必要ないし……でも、魔獣から逃げて路地裏に行った可能性も……。一人で逃がすべきじゃなかった? 俺が避難場所まで付いて行ってあげれば良かった? 嘘だ。俺がいたところで、魔獣三体を引き受けられるわけない。

 違う。きっと違う人だ。別人なら死んでも構わないという事じゃないが……。時間も経っているし、あの従業員の人は無事に避難できたに違いない。

 煩い心臓の音を黙らせる為に胸を叩き、魔獣に気付かれない内に走り去った。


 それからはとにかく必死だった。自分が生きる為であったり、誰かを助けるためであったり、獣人の少女を見つける為であったり、がむしゃらに走りまくった。

 どんな魔獣がいたかなんて覚えていない。手当たり次第に喧嘩を売って、逃げて、兵士や冒険者に助けてもらって、逃げ続けた。爪や牙の猛威に晒されながらも奇跡的に急所だけは避けて、逃げて逃げて逃げまくった。



——————————




 自殺志願者かよ、俺は……。

 息が整い、少し冷静になった俺は自嘲的に笑った。

 間違いではないかもな。

 何の為に生きているのか、自分のやりたいことは何か、自分は本当に自分の意思で物事に向き合っているのか。現実世界ではそんなことばかり考えて生きていたっけ。何に対しても集中できず、本気を出して失敗した時を恐れるから本気になれない。

 自分がそんなんだから他人も同じだと勘ぐってしまう。仕事が楽しいなんて狂言だと思った。学びたいことがあるなんて妄言だと思った。誰かが大切なんて痴言だと思った。

 死を間近に感じることでようやく本気になれた気がする。本気で走ったし、本気で目の前の他人を救いたいと思ったし、本気で獣人の少女を心配している。


「ふっ……馬鹿が」


 なーに格好つけてんだか。俺はただ面倒臭がりで臆病なだけだっての…………馬鹿なこと考えてる暇があるなら動くか。

 立ち上がることに不満を訴える脚を拳で軽く叩きながら立ち上がり、路地裏から出ようとしたところで俺の体は飛んで来た衝撃を受け止めきれず、再び路地裏に押し戻された。



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