第二百八十九話:あの時のように
いつぶりかに拘束を解かれた足で支える体は信じられないくらいに重かったが、横になって怠けることは許されない。武装した兵士らによって腕ごと上半身を縄で縛られ、素足のまま歩かされる。
拷問によって骨が砕かれたり、穴を開けられたりしたが、結局最後は回復魔法で治してくれた。だが、それは何も善意や哀れによるものではない。俺の体を綺麗に残しておく方が、相手にとって都合が良いからであって、その効果は直ぐにやって来た。
「この悪魔め!」
「魔王の手先が! よくも……!」
「お前のせいで、何人死んだと思っている!」
「死ね! 死ね! 死ね!」
周囲から無数の罵詈雑言と投石。これを見越してだろう。俺の前後を挟んで縄を握っている兵士はやけに広い間隔を開けて歩いている。
仇を目の前にして誰かを思い出したのか、泣き崩れる者や、言葉にならない怒号を発する者もいる。
急ごしらえで作られた柵だけでは人の波を抑えきれず、柵に沿って配置された兵士が身体を張って必死に制止を訴えかけている。
俺の体が欠損していたり血みどろになっていたりしたら、住民達はある程度の理性を取り戻し、爆発させた感情を行動で示そうとはしなかっただろう。
目的地に辿り着くまでの間、絶えず投げつけられた石によって全身は腫れ上がり、あちこちから出血もした。だが、不思議と気にならないのは……もう諦めているからだ。
自分でも驚くことに、俺は自分の命が理不尽に葬られるという状況になっても抗おうとする気が起きなかった。打つ手が無いという理由もあるが……違う。打つ手が無いというのは、諦めることを自分に納得させるための理由だ。諦めなければ、納得しなければ、何か生き残る手は見つかったのかもしれないが、俺には一生掛かっても分からないことだ。
一生も、もう直ぐ終わるしな。
「くっ…………」
笑えない自虐なのに笑いがこぼれる
周囲の人間すべてに恨まれながら、火刑用の磔台を目の前にして笑みをこぼすなど、狂人以外の何者でもないが知ったことか。もう俺のことは、魔王軍に加担した気狂いの鬼畜野郎とでも思われているのだろうから。
共通認識という意味合いでの常識なんてものは、天から降って来るものじゃない。人の言動と認識によって作り出される人工物だ。俺が魔王軍側の人間だという常識も、人類の裏切り者は処刑するという常識も、何者かによって作り出されたものに過ぎない。が、誰も疑おうとはしない。なぜなら、常識だから。
この世に悪があるのは、それを容認する人間がいるからに他ならない。
必要以上に薪が組まれた磔台を兵士と共に登りながら、住民たちを見下ろす。
「殺せ」「殺せ」と、妄信者が騒いでいると思うと、腹の底に熱を感じる。お前らが死を望んでいるのは本当に俺で良いのか考えたのか? 俺が死んだ後、もし俺が無実だと知った時、なんて言い訳する気だ?
……そんなこと、考える筈がないか。
一人で騒いでいたのならいざ知らず、町全体が共通認識に包まれているんだ。いくらでも責任逃れできるし、責任を感じるかすら怪しい。
他人へ、俺にとって都合の良いことを求めるのは諦めろ。そう言い聞かせて腹の熱を鎮めると、俺の前を歩いていた兵士が縄を手放し、雑嚢から羊皮紙を一枚取り出した。
「反逆者レイホ・シスイ。この者は、幻獣ヒドラのルグナへの侵入を手引きした上で駐屯していた冒険者及び兵士を惑わし、村を襲わせた。更に、幻獣ケルベロスの存在を秘匿し続け、クロッス崩壊を目論んだ。この者が魔王軍の一員であることに一切の疑いは無く、これより火刑を執り行うこととする!」
罪状と刑名の読み上げを終えると、住民たちの怒りと恨みも一層強さを増す。それらを受け止めた俺は、この場に“あいつら”がいない事を心の底から安堵した。
俺が魔王軍であることを認めない場合、あいつらに協力してもらうなどと言っていたが、あれは単なる脅しだったようだ。
「ふっざけるなぁ!!!!」
背後から上がった憤怒の大声によって鼓膜と心臓が悲鳴を上げる。「殺せ」と勢い付いていた住民たちも面食らい、一瞬にして静寂が訪れた。と思いきや炸裂音が連続して鳴り響き、磔台から大量の煙幕が噴き出して辺り一帯をたちまちに覆った。
「敵襲だ!」
「うるさい!!」
読み上げを行った兵士が俺を逃すまいと縄に手を伸ばしたが、俺の背後から飛び出た蹴りによって磔台から落ちて行く。
死ぬような高さではないが、鎧を纏った体が薪をへし折る音は大袈裟に轟いた。集まった住民たちが一斉に混乱に陥り、兵士がその対応に手一杯になっている音を聞きながら、俺を縛っていた縄が切られた。
「アニキ、こっちッス!」
状況が整理し切れなかったが、俺を「アニキ」と呼ぶ者は一人しか知らない。であれば、負荷のかかっている脳でも正解を導き出すのは容易だ。
「エイレス!?」
兵士に扮したエイレスは「へへっ」と誇らしげに笑いながら、俺の腕を掴んで一気に磔台を駆け下りた。
どうして? 何で?
頭の中で疑問が回り続けるが、口には出さない。エイレスにどんな理由があろうと、この混乱の状況下でそれを問うのは余りに愚鈍だからだ。
磔台の下にはいつの間にか、全身を外套で覆った――にも関わらず、直観的にシオンだと理解できた――人物が外套を持って立っていた。
「姉さん、あとよろしくッス!」
「任せて! そっちも無理する前に退くのを忘れずに」
腕を離されたかと思いきや、頭から外套を被せられて手を握られる。
二人は短く言葉を交わした後、計画通りの行動に移るのだった。
「こっち!」
引かれるままに足を動かすが、負傷し弱った体では素早い身のこなしのシオンに付いて行くことは不可能だ。何度も足を縺れさせてしまうが、その都度手を引いて立て直してもらう。そして、煙幕を抜けて水の音と共に滑り落ちる。
「よ……っと」
滑り落ちるなど、思考も体も準備できていなかったが、手を握りながら先に落ちたシオンによって上手く受け止められる。
「ごめん! 遅くなって」
離した手を合わせて謝罪するシオンだが、それは数秒の間だけであり、直ぐに雑嚢から回復薬を取り出して俺の傷を癒してくれた。
「水もあるけど、飲む?」
回復薬の器をしまうと代わりに革袋を差し出だして来た。
これまで気にならなかったが、水という単語を耳にした途端、喉が渇きを訴える。
「……ああ」
革袋を受け取り、栓を抜いて中身を煽る。が、飲み込む前に理性が警鐘を鳴らした。
理由はどうあれ、死刑囚を連れだしたのだ。この後も走ることになるのは必至である。腹に水を溜めてしまっては走り難くなってしまう。
一気に含んだ水は口を濯いで吐き出し、次に少量の水をゆっくりと飲み込んだ。
「ここは、地下水路か?」
栓を戻した革袋をシオンに返しながら問う。辺りは薄暗く、脇で流れている水の音があちこちから反響して聞こえる。
「その通り。この町は水源が豊富だから、水路も広いみたいだね」
答え合わせをしながら、シオンは角灯に火を灯した。それを見計らったかのようなタイミングで、頭上から戸が閉まる音が聞こえた。
反射的に見上げて警戒する俺に反し、シオンは安堵の息を漏らした。
「プリムラだよ。戸を閉めに来たってことは、あっちも見つからずに脱出できそうだね」
「……合流しなくて良かったのか?」
逃走経路がばれているのなら分散した方が良いが、追手が来る様子の無い今ならば合流した方が良さそうなものだが……。思考はシオンのにやけた顔によって遮られる。
「にっひひ……会いたかった?」
「いや、そうじゃない」
「即答って……プリムラ可哀想」
自分のことのように落ち込むシオンに何と声をかければよいか悩んでいると、足音と共に角灯の明かりが近付いて来ることに気付いた。
「大丈夫、アクトだよ」
聴覚か、視覚か、それとも両方か、人より優れた体の機能を持つシオンが断言した通り、暗がりから現れたのはアクトだった。
捲った外套の隙間から角灯を覗かせ、右手には愛刀を手にしている。
「久しぶり。迎えに来たよ」
俺に向けられた挨拶は相変わらず抑揚の無い声だったが、その表情は共に行動していた時でもほとんど見たことが無いぐらい穏やかだった。
「どうだった? 見張りとかいた?」
「ん。いたけど、全員倒した」
「やっぱり警戒されてたか。じゃあ、急ご」
言うが早いか、暗闇でも目が利くシオンが先頭になって歩き出し、その背後を追って俺とアクトが続いた。
「……どこに行くつもりなんだ?」
「水路で町の南まで移動した後、森を抜けて近くの村に身を隠す予定」
「逃げて、隠れて、時間が経てば見逃してくれると思うか?」
助けてくれようとしている相手への態度ではないかもしれないが、兵士たちに見つかっていない今の内だからこそはっきりさせられることもある。
「そうは思わないけど……」
「なら、村で身を隠した後はどうするつもりなんだ?」
人間領にいればいつかは追手に追い付かれる。かといって味方でもない魔王軍へ助けを求めるわけにもいかない。
「どうって、それは……」
言葉を濁すシオンであったが、即座にアクトが言葉を引き継いだ。
「レイホなら知ってるでしょ」
「俺が……?」
人間からは目の敵にされ、魔王軍からは滅ぼす対象の内の一人でしかない俺が何を知っていると言うんだ。
「……俺を逃がして、それ以上の計画が無いのならやめろ。今ならまだ誤魔化せるだろ」
「はぁ……」
溜め息を吐いたシオンは足を止めて振り返り、赤い眼を少しだけ山なりに曲げて見せた。
「そうやって全部自分で抱えてどうにかしようとするなら、あたいらが一緒に乗っかってもいいでしょ」
「は?」
疑問符を浮かべる俺の背を、アクトが力強く押した。
「大丈夫だよ。倒れそうになってもおれが押し上げるから」
「はあ?」
二度目、かつ強い疑問が口から出るが、二人はお構いなしだ。
「あたいらにも色々あってさ。話したいことが多いけどそれは合流してからってことで、今はとにかく進もー!」
わざとらしく元気に拳を振り上げるシオンだったが、何かを思い出して「あ!」と声を上げた。
「この三人だし、あの時みたいに手繋いで行こっか」
あの時? ……魔界でシオンと出会った時のことか。
「いいね」
「断る」
アクトの同調に被せるように反対したが、あの時と同様に俺の意思は関係ないようだ。外套の奥に隠した手を無理矢理引っ張り出され、熱量の低い手を不思議がられながら地下水路を進むのだった。




