第二百八十八話:いつも通りのこと
磔。
叩かれ、斬られ、刺され、裂かれ、剥がれ、折られ、削られ、潰され、締められ、炙られ、沈められ……それでも出て来るのは悲鳴と怨嗟の声だけだ。
「いい加減、あなたの相手は勘弁なのだけど」
陽が当たらず、燭台に灯された明かりで薄暗く照らされた小部屋に溜め息が漂う。熱量を持ったそれは、空間を満たす湿気と陰鬱さによって瞬く間に熱を奪われ、空間を満たす空気と同化した。
スサナという名の女は、俺の拷問役の一人で優秀な回復魔法の使い手でもある。連日、俺の体をボロ切れになるまで痛めつけては死が見える直前で治してくれる。お陰で今日も一から痛めつけられることだろう。
「同感だ。こんなことさっさと終わらせようや。お互いのためにな」
挨拶代わりに冷水を浴びせてくる男は、スサナと同じく拷問役でティトという名前だ。
「……だったら早く解放しろ」
飢えて乾いた喉から言葉を絞り出すが、聞き入れてもらえるはずがない。
「あなたから何を企んでいたか聞き出すまでは無理な相談ね」
「俺が魔王軍の人間ではないと、分かっている筈だろう」
拷問を前と最中に【シーソウ】という相手の嘘を見抜く魔法で問答を行い、そこで俺は魔王軍ではなく人間側であることは判明している。更に、ヒドラと何も企んでいないことも嘘ではないことも。
情報が得られないと分かった状態で相手をいたぶるなど、二人の趣味か、事実を捏造しようとしているか、その二つぐらいしか考え付かない。
「コンフェンションが効けば、こんなことしないで済むのだけど。自分の精神力の高さを恨んでちょうだい」
【コンフェンション】は相手に、質問に対して真実のみを語らせる魔法なのだが、スサナの言う通り俺の精神力が魔法を無効化してしまう。
「嘘は言ってない、じゃあ納得も信用もできないんだとよ」
誰が、とは言わないが、聞かなくともアウグストのことだと予想は付いた。
「だったら監禁だけで充分だろ。叩いても何も出て来ないことは、お前らだって分かっているだろう? それとも、嘘でも俺に魔王軍だと言わせたいのか?」
別にこの世界の人間を守りたいとか、そういう崇高な思いがあって人間側として戦っているわけじゃない。俺が人間の姿をしていて、生活圏が魔獣に襲われているから反抗しているに過ぎない。俺を魔王軍にしたいのなら、なってやっても構わない。ただ、その先、アウグストが知りたがっている魔王軍の内情だとか、ヒドラとの企みなんかは何一つ答えようがない。そんなものは全く知らないのだから。
「傷は治っていると言え、散々痛めつけられているのに意外と元気ね。あんまり長引くようなら、あなたの仲間にも協力してもらうことになるけど?」
自分の疑いを是とするために、相手に嘘を吐かせる。その為に手段を選ばない。目的を見失った愚かな思考だが、人は往々にしてその思考に陥る。
「アウグストから、そう言えと指示されたか?」
スサナは何か言い返そうと唇を動かしたが、聞く必要は無い。俺が言葉を交わしたいのは彼女ではない。
「俺に仲間なんていない。協力を頼みたい相手がいるなら好きにしろ。そう返しておけ」
「信じられない」スサナは唇から吐息のような言葉を漏らした。
「ここで言ってる仲間ってのは、お前が組んでたパーティのことってのは理解してるか?」
「当たり前だ。魔王軍に顔見知りなどいない」
協力することで俺に対して意味を持たせられ、一般的に仲間と呼べる存在と言ったら冒険者パーティくらいなものだ。俺があいつらを仲間と認めているか否かは、【シーソウ】を発動しているであろうスサナの反応が物語っている。
「……協力者については好きにさせてもらうわ。ただ、魔王軍に知り合いがいないと言うのは嘘ね」
ハデスのことでも言っているのか? 確かに面識はあるが、俺の拷問に使える相手ではないから、ここで指摘されるのは変だ。
「ついさっき入った情報だけど」と前置きをして、スサナは懐から書類を取り出した。
「あなたが連れていた幻獣ケルベロスだけど、他二体の幻獣と多数の魔獣と共にクロッスを崩壊させたそうよ」
今度は俺が、信じられないと思う番であった。その心情を弄ぶかのようにスサナは報告書の内容を告げ始める。
「下流区の治療院で冒険者が接触を試みようとしたが逃走。一度は捕獲し、人間側への協力を取り付けるも幻獣オルトロス、幻獣キメラの襲撃があると協力を反故にする。冒険者らと交戦後、魔獣の群れがクロッスに到着すると幻獣三体は何処かへと姿を消した」
「随分と移り身の早い奴なんだな」
ティトの嘲笑に憤りを感じるが、自由の利かない体では拳を握るのが関の山であった。そして、その感情の揺れを見逃す二人ではない。
「今日は、何か聞けそうね」
涼しい顔と声音で鎚を振り、握られた拳のうち右手の方を粉砕する。
「いっっっっ……!!」
怒りで腹が煮え、激痛で脳が燃え滾る。
「火も駄目、水も駄目ってんなら、後は毒だよな」
睨み付ける視界に映り込むのは、ノコギリ状の刃を濡らす怪しい液体。それをティトは存分に見せつけた後、嗜虐的な笑みを浮かべた。
「クロッスって、お前らが冒険の拠点にしてた所だろ? 世話になった奴もいるだろうに、よくもまあ潰せたもんだな。やっぱ魔王軍に与する奴は人間の心なんか持っちゃいねぇのか?」
知るかクソ!
口を衝きそうになる暴言を、歯を噛み締めて留めさせる。しかし、黙っていたとしても状況が好転するわけではない。
「前置きが長くなったけど、クロッスの件があったから、もうあなたは魔王軍の人間ということで確定したの。今までは五体満足で残すよう言われていたけど、これからは手足を切り落としてでも情報を聞き出させてもらうわ」
過激な事を平坦な口調で告げ、部屋の隅に保管されていた器具から持ち出して来たのは、刃先が平らな鋏と螺旋状の杭。どちらも大きさこそ片手で持てる程度だが、器具の大小と苦痛の強弱が等しいわけではない。
スサナが何を目的として器具を選んだか容易に想像できてしまい、思わず息を呑んだところで右手に鋭い痛みを感じる。
骨が砕かれ、腫れ上がった右手の指先からは黒ずんだ血が滴り落ち、内側から焼けるような痛みが発生した。
「メルトウッド製の毒薬だ。あんまり放置してると腐り落ちるぞ」
「こんなことをしても、情報は得られないぞ!」
俺もよく知り、使用する毒薬であったため、動揺が露骨に出てしまう。自らの潔白をどれだけ叫ぼうと、疑われているなら無駄な行為でしかないと思い知っている筈なのに。
「そうね。あなたからは得られないかもしれない」
石造りの小部屋に打撃音が響き渡り、右足が吹き飛んだ────ような錯覚を感じたが、数瞬後に伝わる鈍痛によって現実を理解させられた。スサナが、持って来た螺旋状の杭を俺の右足に打ち込んだのだ。
「……あぁっっっっ、くっっぅぅ!」
痛みから逃れようと暴れる体だが、磔にされた状態では満足に動かせず、拘束具の軋みが耳障りに鳴った。
「けれど、命ってあなたが思っているよりもずっと重いものなのよ。一つの命を守るために、何人もが協力し合うくらいに」
「何を……」
「明日にでも分かるわ。それまで、命についてゆっくり考えなさい」
治癒者らしい諭しの言葉を口にしながら、刃先が平らな鋏を目的通りの用途で使用する。
「意地や見栄を張りたい気持ちはわかるが、お前もう詰んでんだ。早く楽になった方が賢いぞ」
足元にスサナがいるため、ティトは毒の短剣を一旦しまい、別の器具を選び始めた。
叩かれ、斬られ、刺され、裂かれ、剥がれ、折られ、削られ、潰され、締められ、炙られ、沈められ、腐らせられ……それでも出て来るのは悲鳴と怨嗟の声だけだ。
許しを請う相手も、救いを求める相手もいない。
正しさを訴える気も、漠然とした言で誑かす気もない。
偽りの罪や、不確かな罪を受け入れる気もない。
仲間はおらず。
言葉は無意味で。
全ては自分の選択の結果である。
ああ……なんだ、いつも通りじゃないか。




