第二百八十一話:毒を持つもの
騒ぎのする方へ急ぎつつ、誰にも見つからないよう注意して移動すると、冒険者と対立しているエイレスの姿が見えた。プリムラの方は村人の介抱をしているようだった。
「お前ら! 自分たちが何をしたか分かってんのか! 無抵抗の人を傷付けて……ふざけるなよ!」
エイレスが感情に任せて声を荒げるが、そのぐらいで萎縮する相手ではない。
「ガキが。状況も分からず、青臭ぇ正義感で動きやがって!」
「状況なら……村人がお前らに襲われている、それで充分だ!」
剣戟音……遠くからも聞こえてくるのは、アクトが戦闘中だからだろう。音から察するに、全員で寄ってたかって、という訳ではなさそうだ。やはり、村を襲っている連中に仲間意識などはなく、自分の利益と身の安全を優先する感じだ。
その手の奴が取りそうな行動は、逃げるか隠れるか脅すかだ。逃げる奴はシオンたちに任せるとして、他を制圧するとしよう。
【サーチ】さえ使えれば楽だったんだが、氷のマナは先月で無くなってしまった。物陰に隠れ、壁に耳を寄せて物音を探る。
「くそ……妙なことになっちまった。おい、お前ら大人しくしてろよ。変な気を起こさなきゃ親父みてぇにならねぇで済むからな」
隠れてやり過ごす気か。人質を使われて面倒を起こされる前に掴まえておきたいが……入口は正面玄関だけか。
外套の中で短剣を抜き、雑嚢から毒瓶と布切れを取り出す。毒薬を短剣と布切れに塗り、準備を整えてから裏手の窓の突き上げを取り去る。支えを失った窓は落ち、壁に叩き付けられる。
「てめぇら何しやがった! ぶっ殺すぞ!」
壁越しに聞こえる怒号が近付いて来るのを確かめ、急いで玄関へと回り込む。玄関を音も無く開け、屋内へと体を滑り込ませると、小さい子供と母親が脅かされているところだった。
男の装備は幸いなことに局部のみが金属鎧だったため、短剣でも狙い目は多く付けられる。
足音を殺して接近したつもりだったが、男も伊達に冒険者を続けて来たわけではないようで、俺が背後に迫った所で気配を感じ取った。だが、もう遅い。右脚の腿に短剣を突き立て、痛みで叫ぼうとする口に毒の染み込んだ布切れを突っ込んだ。
「んがっ、ぅあぁ!」
流石に暴れが強い。布切れごと指が咬み切られる直前で男の口から手を離したが、そのせいで拘束が緩んでしまい、途端に俺は振り払われてしまう。
床を転がる俺の前に、吐き出された布切れが叩き付けられる。
「てめぇ、あいつらの仲間か。舐めた真似しやがって……!?」
腿から引き抜いた短剣で俺に仕返そうとするが、足元が覚束なくなり、驚愕と苦しさが入り混じった表情で膝から崩れ落ちた。
即効性のあるシラツルヒラタケの毒を傷口から侵入させ、口からも吸引させたのだ。よほど強い耐性があったとしても数分と持たないだろうと思っていたが、この早さはどうやら耐性を持っていなかったらしい。
床に転がった短剣を回収し、雑嚢から麻紐を取り出して男を縛り上げる。
毒の致死性は低く、冒険者の体力ならば半日から一日くらいで回復する代物だが、当人にそんなことが分かるものか。掠れた息と呂律の回らない舌で、うわ言のような命乞いを繰り返している。だから、という訳ではない。自然に毒が抜けるのを待つ時間が無いので、雑嚢から解毒剤を取り出し、男に飲ませる。
「何があったんだ?」
毒が解けるまでの間、住民に視線と問いを投げる。
「ひぃ! か、勘弁……勘弁してください!」
繊細そうな母親は、恐怖と混乱で顔をぐしゃぐしゃにし、抱いた子供を庇うために丸く蹲った。
会話が出来る状態じゃないな。
視線を男に戻すと、まだ調子は戻らないようで、ぐったりとしている。その胸倉を掴んで無理矢理に状態を起こす。
「おい、答えろ。どうして村を襲った? 誰に唆された?」
「あ、あ~……」
焦点の定まらぬ眼と視線が合った瞬間、俺は雑嚢から小瓶を取り出し、中身の黒い液体を男の視界に入る位置で布切れに染み込ませる。それから短剣で男の喉元をごく浅く斬りつけると、男は体を跳ねさせ、目をはっきりと見開いた。
「殺されないと高を括っているなら見当違いだ。情報はお前以外からでも聞き出せるし、喉からお前を腐り殺すこともできる」
黒く染まった布切れで傷口を覆うように男の首を締める。男が言葉にならぬ悲鳴を上げ、縛られた手足を暴れさせる。
「これが最後だ。俺の質問に答えるなら解毒剤を使ってやる。拒否すれば殺す。助けを呼んでも殺す。大声を上げても殺す」
早口で捲し立て、首の拘束を僅かに緩める。
「こ…たえ……た…す、け……」
協力的な言葉が出てきたところで首を締める力を強くし、そこで男の瞳に恐れが映ったのを確認してから手を離した。
「げほっ、ごほっ……! はぁー、はぁー……くそが」
「悪態が吐けるなら大丈夫だ。答えろ」
「その前に解毒しやがれ!」
「要求出来る立場なのはこっちだ。さっきの俺の言葉を忘れたなら、あの世で思い出すんだな」
黒い液体の入った小瓶の栓を再び開けると、男は狼狽した。
「ままま、待て! 分かった、言う! 言うからお前も約束は守れ!」
「当然だ」
余計な会話だ。
自白剤でも調達できれば手っ取り早いんだが、薬屋で簡単に手に入る物でもないし、この時勢じゃ在庫を用意している商人もほとんどいない。自前で調合しようにも、調合アビリティを習得していなければただの雑草汁しか出来ない。
「そ、村長の家に行け。そこに主犯の女がいる筈だ」
「村を襲ってどうするつもりだ?」
幻獣が近くにいるとは言え、人が住める場所は少しでも多い方がいいに決まっている。冗談や綺麗事ではなく、人間同士で争っている場合じゃない。
「質問全部に答えてたら毒が回っちまうよ。早く解毒剤をよこしてくれ」
「それなら心配するな。この黒い液体は毒でもなんでもない。炭を溶かしただけの水だ」
黒い水滴を指に乗せて舐めて見せると、男は目を丸くした。
「てめぇ、騙しやがったな!」
「誠実に対応する必要がなかったからな。それより、本物を使われたくなかったら静かにしろ」
一度降参したからだろうか、大した脅しをかけずとも男は素直に黙った。
「村を襲った目的は?」
「……生きる為だ」
「……食糧難にでもなったのか?」
「ハッ! てめぇは飯さえ食えれば充実した人生を送れんのかよ」
そうだったらどれだけ気楽に生きていられるだろうか。
「……ヘッ、よく見りゃ、お前の眼、つい最近までの俺たちと一緒だな」
「どういうことだ」
「絶望してんだよ、人生ってやつに。光のねぇ、曇った眼だ」
仲間意識でも芽生え始めたのだろうか、男は警戒心を薄め、下卑た笑みを見せた。活力の無い眼は生まれついたものなのだが、相手の話題に乗るものか。
「……お前らの仲間になる気はない。村を襲ってどうするつもりだったか答えろ」
「言っただろ、生きるためだ。飯、金、女をかっさらって南に向かう。首都なんかじゃまだ金で遊べる場所があるって言うじゃねぇか」
「それが失敗して牢屋行きになるとは、随分と楽しい計画だったな」
短剣の柄で顎を叩くが、男は悶絶するだけで気絶しない。中々上手く行かないものだな。
「馬鹿が、だからお前らは状況が分かってねぇのさ。ヒドラの姿も見てねぇ、本隊の連中は……」
ヒドラ……北の湿地を根城とした幻獣。その姿はこれまで一度しか目撃されていないが、多頭の大蛇であると言われている。幻獣に知り合いは要るが、力を解放しても頭が三つになったり犬の体になったりはしなかった記憶なので、個体差があると思われる。
ここでこの男に希望を説いたところで意味は限りなく薄い。それに、希望の説き方なんぞ知らない。なので、男の口と目を塞いで放置することにした。
村の地図は頭の中に入っている。村長の家を目指しつつ、屋内に潜んでいる野盗もどきの冒険者を制圧して行こう。




