第二十七話:下流区で突然の
単独で討伐依頼を達成させてから二日後の夜。いつもの広場で長椅子に座り、月と星々が輝く空を見上げていた。
空は輝きを邪魔するものがないというのに、俺の心の中は分厚い雲に覆われていた。
存在しているか分からない星座をなぞっているといくらか気分は晴れるが、ふとした瞬間に曇天が現れて気分を圧迫してくる。
「なんなんだよ……」
悪態を吐く俺の脳裏には、元凶である猫の集会の面子が映っていた。
今日、冒険に出る前に能力値を再測定して、以前よりも全体的に上昇していたことも嬉しい出来事だった。エリンさんの想定よりは低かったようだが、俺にとっては筋力や敏捷の値が一つ上がっているだけでも大きな成長だ。
昨日、今日と依頼を達成させ、エリンさんから銅等級昇格試験を受けることができると聞いた時までは順調だった。
昇級試験は魔窟に生息するゴブリン、もしくはインプを一体討伐するという内容だった。初めての魔窟ということもあり、ギルドの二階の資料室で魔窟に関する資料を集めた。ここまでも良い。
問題は、調べものに一区切りつけ、三階の仮眠室で休もうと鍵を貰いに一階に下りようとした時だ。雑踏とした一階でも、聞き覚えのある奴ら、猫の集会の声は耳に届いた。
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「あーあー、どこかに良い感じの人いないかなぁ」
「お! アンジェラ、彼氏募集中の依頼でも出すのか?」
「え? ジェイク、つまんない。パーティメンバーのことに決まってるでしょ」
「えぇ……そんな真顔で言わなくても……怖い、怖い」
いつでも仲の良いこって。
昨日俺のこと誘ってゴブリンの討伐依頼を熟した翌日にあんな話が出るってことは、俺はお眼鏡には叶わなかったってことか。別に良いけど。むしろ誘われても断る。即席で組むならいいが、いつもあんな雑談に付き合わされたら疲れる。
「レイホさんは駄目なの? ボク的には良い人だと思ったし、アンジェラと同じ世界から来た人なんでしょ?」
おい、俺の名前を出すな。驚いて思わず階段に隠れるように座ってしまった。
「マックスがそう言うなら……ってわけにもいかないのよね」
「何か不満?」
「不満っていうか、合わなくない?」
俺もそう思う。……あれ、他の三人は沈黙してるな。
「ま、まぁ、確かにオレも話してて壁は感じる……かな」
「そう、それ! 依頼誘ったり、話し掛けたりしてるのに仲良くする気がない感じ」
「まだ合って間もないからじゃない? 話し掛ければ普通に返してくれるよ」
「それは当たり前でしょ。マックスが話し掛けても無視するような人なら、もう後ろから撃ってる。問題はこっちから話し掛けないと喋らないってこと。冒険者になったばかりなんだから聞くべきことはいっぱいあるはずなのに」
なんか盛り上がってきたな。ここで聞き耳を立ててないで、聞こえない振りをして仮眠室の鍵を貰いに行くか?流石に本人に聞かれると思ったら話も中断するだろ。
「それだったらうちも似たようなもんだけどね」
「え? どこが? デリアは話してて面白いよ」
話してて面白いか面白くないかの話だったか?完全に個人の好みの問題だろ。
「それにさぁ、能力値もすっごい低いんだよね。冒険者歴が浅いとかじゃなくて、男なのにあたしより筋力低いってやばくない?」
なんで俺の能力値知ってんだ?見せた覚えないぞ。即席でもパーティを組めばギルドを通して教えてもらえるのか?
「アンジェラはマッチョだから、比べたらダメっしょ」
おい、ジェイク、そういうこと言うと雰囲気悪くなるぞ。
「いやいやいや、あたしマッチョじゃないから!ほら、二の腕とかぷにぷになの!」
「あっはは……ホントだ。弱そう」
「えー、それも酷くない!?」
あれ? 笑い話になってる。奴らのノリはよく分からんな。
ともあれ、これで俺の話題から逸れていくだろうし、さっさと鍵貰って寝るか。
あ……。立ち上がった瞬間にアンジェラと目が合った。階段に座ってたって知られたら面倒臭そうだけど、二階に逃げるのも不自然だし、知らんふりして受付に行くか?
悩んでいるうちにアンジェラはもう視線を俺から仲間の方に戻していた。うん。俺は何も聞いてませんよー。お気になさらず。
心を落ち着けるためにふざけたことを考えながら階段を下り、受付に向かおうとした時だった。
「あーあ……まさか異世界から来たのに、特殊スキルも特殊アビリティも持っていないなんて……。なんだか騙された気分」
あ? 陰口がバレたら開き直んのかよ。
「ちょ、ちょっとアンジェラ!」
「いいのいいの、あたし達の話を聞きたいようだから聞かせてあげましょ」
ちっ。初めから気が合うとは思っていなかったけど、ここまでの奴だったとはな。
「あたしらがこういう所で話してるのも悪いけどさ、盗み聞きはありえなくない?皆もそう思うでしょ?」
俺はお前のその態度の方がありえないと思うけどな。
「皆はそう思わない?私は思うけどなぁ」
「まぁ、確かに盗み聞きはよくないね」
「うん」
「ちょっと、二人とも……」
ジェイクはともかく、デリアまで素直に頷くか。マックスだけが場を落ち着かせようと言葉を選んでいる。
「マックスも思うでしょ?」
「うん、そうだね。確かにアンジェラの言う通り」
別にそんな民主主義的な手段を取らなくても、お前らのパーティに入るのはこっちから願い下げだ。そう思ったが、アンジェラの勝ち誇った顔を見た途端にどうでもよくなった。
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苛立った俺はギルドから立ち去り、憂さ晴らしのために串焼き屋でエクスホットとかいう激辛の串焼きを頬張って舌をおかしくした。二度と食べないと思うが、お陰で頭に昇っていた血はどこかに消えていた。
その後は町をぶらぶらして、人気が少なくなってきたところで広場に来た。
今になって思えば、最後にあいつが仲間に同意を求めた時、マックスは妙に素直に頷いたように見えた。何か弱みを握られているの可能性もあるが、周りの冒険者も冷ややかな目で俺を見ていた気がする。加えて、あいつの自信に満ち溢れた表情、もしかして…………ちっ、思い出したくないことをいつまでも考えるなっての。……あれ? 何か気付いたことがあったような……思い出せないけど、思い出せないならどうでもいいことだろ。
自分自身を納得させるように、うんうん頷いてから夜空を見上げる。
一先ず、明日は昇級試験があるんだ。もう休もう。こんな綺麗な夜空の下で寝れるなんて、考えようによってはかなり贅沢だ。さようなら、ストレス社会。
翌朝、硬い長椅子の上で目が覚める。眩しい朝日と背中の痛みを感じながら起き上がる。
うん。今日も何事も無く夜を過ごせたようだ。
長椅子から下りて、息を大きく吸いながら体を思い切り伸ばす。朝の澄んだ空気を堪能したところで息を吐いて体の力を緩める。体調も問題ない。
広場の井戸水で顔を洗い、口の中を濯ぐと、残っていた眠気は完全に飛んでいく。
時計を見ると日前六時。ギルドを含めたほとんどの店が日前九時に開くので、時間を潰す必要がある。
軽い柔軟体操をしながらどうするか考える。着替えをするにも預かり屋が開いてないしな。う~ん……。
頭の中で町の地図を思い浮かべ、どういう経路でギルドに行くか考える。大きな通りを歩いて預かり屋や飲食店を経由して一周するにしても、店が開いていないから時間を潰せない。
頭の中の地図をさらに広くしてみる。町の外周部分には農業地帯が広がっているので、散歩道ぐらいにはできるが目新しい物はない。他には……下流区と呼ばれる、金銭的余裕のない層が住む地区が存在する。町をぶらつくのはいつも夜中だったので、危険かもしれないと思って近寄らなかったが、もう朝日が出ている時間帯ならば物騒なことに巻き込まれる可能性はいくらか低いか。
下流区の治安が悪いと、明確に聞いたわけでも目にしたわけでもないが、なんとなくゴロツキやならず者に絡まれそうなイメージがある。住んでいる人達に失礼だとは思うし、なんなら俺もゴロツキと変わらないと言われたら反論できない。
「行ってみるか」
柔軟を終えて下流区に向かおうと足を踏み出したが、二歩目で方向転換する。移動する前にトイレ寄ってこ。
下流区は町の北東の壁際に位置しており、入るためには長い階段を下りる必要があった。そんな立地だから当然日当たりは悪く、朝日はほとんど拝めない。
階段を下りたところには兵士が見張りをしていたが、特に何も言わずに通してくれた。もしかしたら俺をこっちの住民だと思ったのかもしれない。いや、それならこんな時間に中流区から入ってくるのを不審がるか。
下流区の街並みは、同じクロッスの中でも中流区とはまったく異なっていた。地面は石など敷かれておらず、踏み固められた土だ。建物も民家はデザイン性など度外視しているのか、石造りや土を固めた四角形の建物になっている。木を使用していたり屋根が付いていたりするのはお店ぐらいなもので、一言で表すなら殺風景な場所だ。
平屋ばかりではなく、集合住宅のような建物もある。一部屋安かったら借りてみようかな。荷物を預かり屋でやり取りするのは手間だし金もかかる。雨が降る度に宿を取るのも出費が馬鹿にならないし、今の時期は運良く外でも寝れる気候だけど、これから寒くなりでもしたら凍え死んでしまう。
宿は結構高かったし、部屋を借りるのも高額の可能性があるな。でも泊まった宿は中流区だったし……っていうか、下流区の宿に泊まればもっと安く済ませられたんじゃないか? ギルドの人は教えてくれなかったけど、区域が違うから勧めづらかったのかな。
街並みを眺めながら歩いていると、住宅街が開けて広場が見えてくる。
広場では朝早いというのに大きな桶を持った人が何人も並んでいた。何事かと思って足を止めて見ると、どうやら洗い場があるようで、洗濯物が入った桶を持って順番待ちしている。なるほど、ここでは洗い場は共同で使用するのか。
洗い物をしに来たわけではないので、邪魔にならないうちに立ち去ろうとすると、地面に刺さった看板が目に入る。
看板には左矢印が書かれて洗い場、右矢印が書かれて浴場と書かれている。看板に従って広場の右側を見ると、浴場と思われる建物が建っていた。洗い場に限らず、水回りのことは全てこの広場の共同設備を使用するのか。
「レイホさん?」
「え? ……タバサさん」
後ろから声を掛けられて振り向くと、店で見る時と同じように、全身を暗い紫の衣服で包んだタバサさんが立っていた。店で会ってる時は気にしなかったが、街中で見るとすごい目立つな。
「偶然ですね。こんな所でお会いするなんて」
帽子を取って軽いお辞儀をするタバサさんに、「どうも」と言ってお辞儀を返す。未来を見る力があるのに偶然とは、と思ったが、四六時中俺を見張っているわけでもないだろうから、本当に偶然の出会いだったのかもしれない。
「お散歩ですか?」
「ええ、ギルドとかが開くまでしばらく時間がありますので。タバサさんは?」
「わたくしは、これからお店の開店準備をするところでございます」
九時まではまだ時間があると思うが、早い所はもう開店準備を進めている頃合いか。って、それより、なんでタバサさんが下流区に?
「ふふ……。そんなに怪しまないでください。中流区でお店を出しているからといって、下流区に住めないわけではありませんから」
あ……。そんなに怪しんでる顔をしてたのか? んー、でもアレだな。お店は中流区にあるのに、住まいが下流区なのって、失礼だけど売上が良くないんだろうな。結構な頻度で行ってるはずだけど、他の客がいるのをあまり見たことがない。買い取ってもらってばかりの俺が言うのも変な話だけど……。
「わたくしのことよりも、レイホさん」
「はい?」
立地も問題かなぁと考えているところに名前を呼ばれたので、変な声で返事をしてしまう。その反応がおかしかったのか、タバサさんは露出している目を山なりに細めた。
「くすっ。今日はレイホさんにとって大切な日になります。どうか、心のままに行動なさってください」
「え? ……それって、昇級試験のことですか?」
聞いてみるが、タバサさんは笑顔のまま見つめ返してくるだけだ。今は口元をマスクで隠しているとはいえ、初めて会った時に顔立ちは見せてくれているので、美人なのは知っている。だからこんな風に見つめられると、耐え切れずに目を逸らしてしまう。
「ごめんなさい。そろそろお店に向かわないといけませんので、これで失礼いたします」
「あ……はい」
それしか返せない俺に、タバサさんは丁寧にお辞儀をした後、帽子を被り直して歩いて行った。
なんか色々と情報が入ってきたけど、整理するには情報が足りない。そんな変な感じになりながら、俺はタバサさんの背中を見えなくなるまで見送った。
参考までに。
現在のレイホの能力値。()内は前回の能力値。
体力:90(84)
魔力:0(0)
技力:5(3)
筋力:6(5)
敏捷:7(6)
技巧:1(1)
器用:12(10)
知力:0(0)
精神力:44(35)




