第二百七十五話:英雄に反する者
ソラクロが元は純粋な人間で、あの村の住人だったなんて……。
話に耳を傾けるべきではなかった。例え自分の中で確信に近い予想があったとしても、自分の中だけにあるならば、どこまで行っても予測に過ぎない。なのに、外から事実を突き付けられてしまっては……。
気付けば頭を振っていた。
「何で、お前が知っている? 実際に会ったことなんて——」
「あるさ」
「え?」
「私にはあるのさ。会って、確かめた」
過去のことをどうやって確かめた? 時間を自由に操れるとでもいうのか?
何故確かめた? ソラクロがアルヴィンの目的に重要な存在だとでもいうのか?
「君に手を貸してもらうためには、未来の大事よりも、身近な仲間の事を話した方が有効だと思ったからだ。だから調べさせてもらった」
俺を説得するため……? いや、いや、おかしい。俺がこの世界に来た時、既にあそこは廃村だった。俺を理由にしてソラクロと会うなんて——
「——時間軸が合わない」
「その通りだ。だが、これから私がやろうとしていることと、私の能力を合わせれば可能なのだよ」
「世界を元に戻すのは分からなくもないが、能力って……読心術だろ?」
釈然としない俺を見て、アルヴィンは静かに眼鏡の位置を直して呼吸を置いた。
「読心術なんてのは嘘さ」
「嘘? でも俺が考えていることを言い当てたり、先回りして答えたりしていただろ」
「その通り。しかし、私がやっていたのは、心を読むよりももっと直接的な方法だ。他人が何を考え、発言するか、本人から聞いていたのだから」
直接……? 頭の中では何か分かりそうな気配はあるが、霞が掛かってどうにも答えに辿り着けない。
暫し頭を捻っていると、頃合いだと判断したアルヴィンが口を開く。
「時間跳躍。それが私の本当の能力だよ。一度した会話を繰り返すのだから、相手の言いたいことぐらい分かって当然だろう?」
「……なるほど、その能力があれば俺に会ってから、過去のソラクロに会いに行くことだって出来るな」
俺が協力しなかった場合を聞かれ、すんなりと諦めを口にできたことも納得だ。協力してもらうまで時間を逆行し、説得を繰り返せば良いのだから。
納得している間、アルヴィンは何か言いたそうに口を動かしていたが、結局言葉として出てくることは無かった。俺の疑問の方が先だったからだ。
「この会話も、お前は既にやり取りしたことがあって、俺が協力するかどうかの結果も分かっているってことか?」
「いや、この時点で私の能力を明かすのは今回が初めてだ。……証拠は無いがね」
証拠が無いなら、と否定するのは容易いが、それで話が進むわけじゃない。アルヴィンの言い分を正と仮定して思考を回そう。
「どうして、今回は今打ち明けたんだ? 多分だが、能力のことを言わなくても、俺に協力させる展開だってあったんだろう?」
問い掛けにアルヴィンは視線を伏せ、珍しくやや間を開けてから視線を上げた。
「弱音になってしまうが、少しの変化でも起こすしかない状況なのさ。時間跳躍と言うが、行けるのは過去だけで、発動条件も酷く限定的だからね。そう何度もやり直したくはないんだ」
何度もやり直したくはないと言っているが、少しの変化でも起こすしかない状況ということは、もう相当数やり直して手詰まりに近い状況なんじゃないか? 会話の内容を覚えて、俺をこの場に導くことだって、一回や二回でできることじゃない。
「まぁ、あまり私のことを話ても仕方がない。能力自体、実際に見せることが難しいものだからね。それでも敢えて証拠を提示するのなら、君と君の仲間が生きてここに居ることになる」
思考を巡らせるのは一瞬だった。
俺たちを助けた冒険者。あの女性はアルヴィンに依頼されて来たのだと、ソラクロから聞いた。
「俺たちが廃村で窮地に陥ると分かっていたと言いたいんだろうが、どうして自分で来なかったんだ? あの女冒険者はユニオンの仲間でもないんだろう?」
「理由は二つ。一つは彼女がジャバウォックスレイヤーと呼ばれる冒険者だから、依頼するのに都合が良かった。もう一つは、私たちでなければいけない依頼があったからだ。オルトロスは随分と強敵だったろう?」
急に話が変わった……ん? まさか?
「戦いの途中でオルトロスを連れ去った魔獣がいたが、あれはお前の仕業か?」
細長いレンズの奥にある瞳が細められ、それに応じて口角も横に広がった。
「敵の拠点に少しばかりお邪魔して、ね」
間接的にアルヴィンに助けられていたのか。……直接助けに来てくれた方が確実だったんじゃないかと野暮なことを思うが、きっとその後の展開に影響が出るとかの理由があったんだと考えて納得する。
「能力については分かった。だが、確認させてくれ」
アルヴィンは黙ったまま、じっとこちらを見上げる。
「世界を戻し切った時、アルヴィンが英雄になる可能性……神秘や人倫への影響はあるのか?」
真面目な問いのつもりだったが、アルヴィンは目を丸くした後、下を向いて笑いを押し殺し始めた。
「……そんなにおかしな質問だったか?」
「くっくっく…………いや、すまない。おかしくは……変ではない。が、予想外だったのでね。なるほど、この場で私の能力を明かした時、その疑問に行きつくのか」
「新しい発見を喜ぶのはいいが、先に答えてくれないか?」
話の内容は濃いし、長くなってきたしで、正直疲れを感じ始めている。
「私が英雄になる可能性も、神秘や人倫になる可能性も無いよ。私にとって英雄はどんな形であれ敵対者、忌むべき相手だ。全ての英雄を葬り、自分が唯一絶対の英雄になろうだなんて、万が一、億が一にもありえない。そして、神秘だとか人倫というのは、この世界に元からあったものじゃない。七人の英雄の内の誰かが足した概念だ。であるならば、私がどちらかに加担する理由は無く、私の目的が果たされた時、そんな概念は塵ほども残っていないだろう」
疲れを感じる俺と対照的に、アルヴィンは愉快に舌を回す。
聞かなければ良かったと後悔するが、聞かなければこうなると分からなかった。そもそも、ここでアルヴィンの思惑を聞いたところで、本当かどうか判別できない。であるならば、聞くべきは俺がこの計画に乗るか判断するための材料だ。
「英雄を消すとか言っていたが、具体的にはどうするんだ?」
「英雄ごとに方法は変わるから、一概には言えないが、そうだな……彼らが世界を創造するにあたって創った仕組みを破壊する。と答えておこうか」
「それぞれの英雄が創った、仕組みと破壊の方法は分かっているのか?」
「半分だ。新しい世界順に、魔界の王と伴侶、妖精王、常闇の英雄までは判明していて、残りは予想の範疇でしかない」
半分……。眉間に皺が寄ったのを自覚する。
アルヴィンも説明不足と思ったのだろう。閉じかけた口を再び動かした。
「残りについても、仕組みは判明している。だが、破壊の方法が合っているかは確認できていない。私も、まだ世界に辿り着いたことはないんだ」
「そうか。ということは常闇の英雄の世界までは行ったことがあるんだな」
「その通りだ。そして、常闇の英雄を打倒する為に、レイホくんの存在が不可欠になってくる」
俺なんかの力で、世界を創った英雄様を倒せるとは思えないが、方法とやらを聞けば自覚の一つも湧くだろうか。
「その常闇の英雄の世界は、どうやったら破壊できるんだ?」
「誠にすまないが、それは言えない」
「今は、ってことか?」
「違う。常闇の英雄の世界を破壊するまで言えない。破壊した後に、答え合わせすることは可能だ」
「それじゃあ、俺に無策で突っ込めってことか?」
「そうだ」
流石に話にならない。
肩を竦めて見せるが、アルヴィンは真剣な眼差しを向けたままだった。
「無策だからこそ、無能力だからこそ、奴を倒しうるのさ。すまないが、これ以上は言えない。言ってしまえば君は意識してしまう。そして、その意識というのが、常闇の英雄相手には致命的なんだ」
意味が分からないが、アルヴィンも頑なだ。これ以上の情報は聞き出せないだろう。
「話を変えよう。英雄を消して世界を戻したとする。その時、今ここに住んでいる人たちはどうなる? 世界が戻るってことは時間が過去に戻ると考えていいのか?」
この世界の住人は過去の時間に戻って、俺たち異世界人は記憶などを引き継いだまま、とかだろうか? そうでないと一つ世界を戻しただけでアルヴィンは目的を忘れてしまうだろうし、俺は前の世界に存在していない。
常闇の英雄について聞き出そうとするのを諦めたからか、アルヴィンの表情は少し緩んだように見えた。
「一つずつ答えよう。今存在している人……人に限らず生物はそのままさ。世界が戻ったからといって、君の仲間が急に居なくなることはない。この世界の住人は、世界に関する認識が改ざんされるが、我々異世界人は記憶を引き継ぐ。」
「それじゃあ——」
質問を重ねようとしたが、突き出された手の平に制される。
「世界は前の世界の状態に戻る。現在の世界でオーバーフローによって白紙化した土地は、街並みも住んでいた人も何事もなかったように復活する。そして、現在の世界に創られた仕組みは消失する」
手の平はまだ突き出されたままだ。
「時間は戻らない。先に流れ続けるだけだ」
ようやく手の平が下ろされる。
聞きたい内容に変化は無い。
「それじゃあ、ソラクロはどうなる? あいつがこの世界に存在しているなら、世界を戻したとしても、人間だった頃のあいつは戻って来ないんじゃないのか?」
「その通り」
怪しい笑みは何かを隠していたが、黙っていて暴けるものでもない。
「さっきと言っていることが違うだろ! お前は、ソラクロの人間だった頃の幸せを餌に、俺に協力を促していただろ!」
「だったら君、殺してしまえばいいじゃないか。混じり物の彼女が邪魔だと分かっているなら……」
気が付けば机越しにアルヴィンの胸倉を掴んでいた。近付いた涼しい顔は、睨み付けられても飄々と言葉を続ける。
「世界が戻れば人間だった頃の彼女が帰って来る。そうすれば獣人だった彼女が存在したことにはならない。仲間はソラクロくんが君に殺されたことなんて覚えていない。君だけが耐えればいい話。得意だろう、そういうのは?」
「ふざけるなよ! あいつを殺すなんて、できるわけないだろ!」
「そうだとも、そうだとも。君にはできない。君は許さない。だが、考えてみたまえ。獣人の彼女を生かすということは、人間だった、本来の彼女を見殺しにするということだよ。知っているだろう、彼女の健気さを! 感じただろう、彼女の優しさを! そして見たのだろう、彼女の最期を!」
歯を食いしばり、胸倉を掴んだ右手をこれでもかと握り締める。
分かっている。今のあいつは本当のあいつじゃない。名前だって、俺が適当に付けた名前だ。
俺が、俺だけが耐えればいい。何よりも簡単で、これまで何度もやって来たことだ。……だけどっ!
「できるわけないだろ!」
右手と顎だけでは怒りを潰し切れず、残った左手で机を強く叩いた。
「それでいい」
「あ?」
ずっと睨み付けていた筈の表情は、いつの間にか怪しさが失せて穏やかなものに変わっていた。
「できるわけがない。当たり前だ。しかし、当たり前が常であると思ってはいけない。だから、今回も確かめさせてもらった」
「…………試したのか?」
頭に上った血が下がって行く。
「これでも悪いとは思っているよ。ただ、覚悟してほしい。世界を元に戻す戦いというのは、今と同じような選択を迫られる時が何度も起こりうると」
「……まだ協力すると決めたわけじゃない」
右手を離すと、アルヴィンの服の首元にはしっかりと皺が刻まれていた。
「答えは急がないさ。それよりも、ソラクロくんのことだ。彼女の右脚の呪いと、今君が激情を抱いた件、両方を解決する方法がある」
「なに!?」
そんな方法があるなら最初から……違うな。そんな方法があるから俺を試す余裕があったのだろう。
「初めに断っておくが、解決法を教える代わりに協力を強制はしない。完全な善意、と言うと反って怪しいか。まぁ、ここまで付き合ってくれた礼だと思ってくれればいい」
「ご丁寧な前置きどうも。それで、方法は?」
「フッ、急かさずとも教えるさ。方法は——」
 




