第二百七十四話:創造された世界
ソラクロの部屋を出たところでアルヴィンの使いだと名乗る者と出会い、書斎へと案内される。アルヴィンの目的を、ようやく知ることができるのだろう。
目的についてある程度の予測がついていたのなら、自分の考えをまとめることで気を紛らわせられたが、今俺の中では言語化できない嫌な予感だけが渦巻いている。
広い屋敷を寄り道せず、短いとも長いとも感じる時間をかけてアルヴィンの書斎へと案内される。
使いの者に促されるまま、書斎の扉を開いて中へと足を踏み入れる。
客間や廊下などは鮮やかで煌びやかな色合いで造られていたが、書斎は一変して落ち着きのあるひっそりとした空間であった。天井の高さと部屋の奥行きに合わせて設置された大型の本棚には、片手で掴むのは手こずりそうな分厚い本が詰められている。横目で見た限りではあるが、本の背表紙にはどれも題名が無く、他者の侵入を拒むような圧迫感を覚えた。
「よく、ここまで来てくれた」
閉め切られた窓を背に、書斎机を挟んでアルヴィンが出迎えた。
天井に這う様に備え付けられた電灯の明かりは心許なく感じたが、互いの表情を伺うには充分であった。
「屋敷の中に居て、使いの人に案内もされたんだ。そう喜ばれることでもない」
普段の目を鋭く細めるような笑みではなく、目を湾曲させて口元を綻ばせる笑みを見せるアルヴィンに対し、言葉で距離を取る。
「フッ、それもそうか。いや失礼、ようやく心の内を吐き出せると思うと、気分が浮ついてしまってね」
「今まで言いたくても我慢していたような言い方だな」
「何事にも順番というものがあるさ。一つ入れ替えただけで随分と変わってしまうものだよ。特に、人は」
含みのある言い方はいつも通りか。
「初めに伝えておこうか。私はレイホくんに事実を伝え、提案と頼みをするためにこの場に呼んだ」
細い眼鏡の奥にある切れ長の目が、刃のように鋭く俺に向けられた。
「俺に選択の自由があることを願うよ」
「いつだって選択の自由はあるさ。最後に何かを決めるのはどこまでいっても自分自身、だろう?」
「む……。なら聞かせてもらおうか、何が目的なのかを」
俺に誰かに貸せる手はないんだがな。と、いつも通りの愚痴を心の中で零したところで、アルヴィンの唇が動いた。
「私はね、世界を救いたいんだ」
大言を吐き、俺の反応を試しているのだろうか。アルヴィンは言葉を続けようとはしなかった。意味を持たぬ沈黙が流れる。
「……世界を救うために俺の力が要ると?」
「その通りだ」
馬鹿げている。他を当たってくれ。即座に否定の言葉が浮かび上がったが、否定ばかりして一体何が得られるというのか。
今回に限らず、アルヴィンが俺たちに協力的であったことは事実なのだから「世界を救うために必要」という理由には、ある程度の事実が含まれているはずだ。
「力ある者だけが何かを成せるという訳じゃないさ」
「何かを成した人間は、力ある者だと思うがな」
アルヴィンは鼻で笑い返した。嘲笑ではなく失笑によるものだ。
「レイホくんは、この世界を創った七人の英雄を知っているかな?」
「いや、知らない。調べもしていないからだろうが、世界が創られた頃の話どころか、百年前の歴史すら知らない」
「そうだろうね。あぁ、いや、気を悪くしないでくれたまえ。馬鹿にしている訳じゃないんだ。何せこの世界の歴史は酷くでたらめだ」
「歴史がでたらめって……」
上手く想像できない。そう続けようとしたが、はたと気づく事があった。
「白紙化のせい?」
アルヴィンは満足げに頷いた。
「それに加え、世界そのものが変化する。例えば今回レイホくん達が向かった廃村、あそこは実は、私たちの時間軸で言うところの過去では白紙化した土地だったのだよ」
妙に回りくどい言い方をするが、白紙化した土地が元の姿に戻ったということは解った。
「白紙化した土地が戻るなんてありえるのか?」
「戻るさ。世界そのものを元の姿へ戻せば」
それはそうなんだろうが、俺が聞きたかったのはどうやって戻すのか、具体的な方法についてだ。
再び問いを口にしようとした時、見計らったようにアルヴィンが口を開いた。
「この世界は英雄と呼ばれる異世界人の手によって創り変えられてきた。聡慧の英雄、創世の英雄、魂の英雄、常闇の英雄、妖精王、魔界の王とその伴侶、計六回。変えられた世界を戻し、本来の世界へと還る。そうすれば人々は白紙化や魔物といった脅威から解放される」
異世界人が世界を創り変えた? そんなことが……。
驚愕する俺を置いてアルヴィンは「だが」と言葉を続ける。
「奴らを世界から消すよりも先に、片付けておかなければならない者がいる」
英雄を消す方法は? なぜこんなことをアルヴィンは知っている? 本来の世界に戻れば、本当に脅威が無くなるのか?
氾濫した川の水のように疑問が溢れ出るが、一先ずはアルヴィンの話の続きを待った。疑問をまとめて、口にするだけの余裕が無かっただけだが。
「八人目の英雄に最も近い男、トビアス・アレグレア。奴を討つ。これ以上の世界創造は御免だ。奴の目指したものが、ある種の救済であったとしても」
トビアス・アレグレア。心の中で復唱するが、心当たりの無い名前だ。
「まぁ、トビアスについてはこちらから動かずとも、じきに冒険者ギルドや兵団が動くことだ。しかし……」
ここに来て、アルヴィンは初めて言葉を詰まらせた。眉根を寄せて俺を見上げ、何か迷っているようだった。
「しかし、何だ? これだけ話て、まだ隠す必要のあることなのか?」
「いや、隠したい訳ではないが、知らぬ方がいいこともあるだろう? それに、そろそろ君の判断を聞きたいと思ってね」
「判断?」
「そう。私に協力するか否か、その判断だよ」
答えは初めから決まっている。否だ。秀でた能力なんて一切無い俺が、世界に影響を及ぼす事柄に手を突っ込むなんて、身の程知らずも甚だしい。
「俺が協力しなかった場合、お前の計画はどうなるんだ?」
まさか一気に破綻するという訳ではあるまい。そこまで致命的ならば、俺に選択の自由など与える筈がない。
「残念だが、諦めるしかない」
残念であることを微塵も感じさせぬ真顔に、背中がゾクリと震えた。
何だ? 世界の救済なんて大それた目的があるのに、この潔さは? まるで次があるかのような雰囲気は……。
「けれど、レイホくんの方こそ断っていいのかい? あの廃村で何が起きたか、見たのだろう?」
廃村で起きたこと……レヴァナントが見せた悪夢のことか?
「なぜ見たことを知っている?」
「レヴァナントがそういう魔物だからだ。いくつもの怨念が集まり、死肉によって形を得、より強力な呪いに囚われた魔物。これでも、君よりは長く冒険者をやっている」
肩を竦めて見える様子に若干腹が立ったが、どうも腑に落ちない。アルヴィンは知り過ぎている。レヴァナントが悪夢を見せる魔物だとしても、俺に見せたものがあの廃村での出来事であったかなど、俺から内容を聞かない限り判断できない。
「八人目の英雄が誕生すれば、あの廃村での出来事と同じことが世界各地で起こる。オーバーフローのように不定期な間隔も開けず、次々と」
人間がひたすらに殺戮される。獣の腹を満たすためでもなく、殺される為だけにその命を噛み砕かれる。
「あぁ、トビアスの能力の影響で魔物は魔獣化し、更に知恵や自我が芽生えているから、更に惨たらしいことになるかもしれないな。なんでも奴は人体の急所や性質というのを魔獣に教え込んでいるそうだから」
最初から知っていたことだろうに、わざと今思い出したフリをするな。
廃村で起きた以上の殺戮が世界各地で起こるなんて許せない! なんて熱くなってアルヴィンの頼みに応じられたなら、きっと俺にも何かを成す資格はあったのだろうが、残念ながらどうしようもなく卑屈な心に熱は生じない。そのことを察してか、アルヴィンは「フッ」と鼻で笑った。
「わかっているさ。君が未来の大事に感化されるような人間でないことは。それでも反応を見たくなるのは、私の悪癖とでも言うべきか」
「なら、本命があるんだろ? 俺を説得する自信のある話が」
促され、アルヴィンは片方の口角を釣りあげた。勝利を確信したその表情を目にすると同時に、何を言われても断ってやろうという意地が芽生えた。
「あの廃村にはとある姉弟が居てね。この世界の住人にしては珍しい、黒髪の姉弟だ。弟の方は成人前ということもあって精神的に未熟で、活発過ぎるくらいだったが、姉の方はよくできた人間だった……」
アルヴィンの話し声が遠くなり、胸の奥で心臓が重く鳴った気がした。
脳裏に浮かび上がるのは、薄暗い洞窟の奥、魔獣に食い散らかされた臓腑や血肉の中で横たわる姉と、彼女の光を失った空色の瞳。この光景を俺は実際に見たのか、状況から作り出された想像なのか、判断する術は無い。無いが、俺の脳裏では確かに、彼女が俺を見ていた。
彼女の瞳から逃れようとする度、アルヴィンの話に耳を傾けようとする度に、彼女の死顔が俺の知る“あいつ”に似ていく。
「……自分の時間も顧みず、弟や幼い子供たちの面倒を見る。それが彼女にとって幸せだったことは、きっと間違いではない。だったら、その幸せが私たち異世界人の所為で血生臭く汚されるのは、あんまりにも不憫じゃあないか」
“あいつ”の死顔から逃れたいという気持ちが強くなったのか、耳にアルヴィンの話が入って来る。
「私たちで世界を戻すことで、姉の……君の仲間であるソラクロくんの、人間だった頃の幸せが戻ってくるならば、君はどうする?」
認めたくなかった事実を突き付けられ、顔の筋肉が引きつり、息を呑んだ。
 




