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喰い潰された白紙の世界  作者: 一丸一
第七章【奪われた異世界生活】
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第二百七十話:縋る者

 階段を駆け上がり、地下から地上へ飛び出る。

 外で待ち構えていた牙にも爪にも、体を裂かれることはなかった。しかし、敵が待ち伏せをやめた訳でないことは【サーチ】で確認済みだ。

 

「アクト、続け!」


 背筋を舐められるような気持ち悪さを感じつつも、腸を食い破られていなければ問題ない。階段で待機中の二人へ向けて声を張る。

 ジャバウォックが注意を向けたのは、続いて飛び出して来た小柄な男ではなく、並走していたもう一つの熱源。

 高熱の物体は火の粉を散らしながら地上に飛び出、木々の頭を通り越して空へと消えた。ジャバウォックは脅威が自分の身に降りかかって来ないことを認めると、ちろりと舌を出して獲物を探る。


「ゲッエェ……!」


 走る激痛、飛ぶ鮮血。ジャバウォックは意識外からやって来た身体の異常によって、擬態の維持が不可能となった。青々とした森の中に突如として、滑りのある黒い巨体が出現した。目と耳は無く、平らに均された頭部には大きく裂いような口があり、獰猛な牙が獲物を待ち構えていた。

 ともすると自身の四倍近い体長を持つ魔獣相手に、アクトは一切の躊躇なく攻めた。


「次は首を落とす」


 火剣で注意を逸らしはしたが、擬態している相手に一撃で致命傷を与えることは容易ではなかった。初撃で与えたのは、左前足から首の側面に掛けての斬傷。傷の部位と出血量から浅い傷には見えないが、生命力の強いジャバウォック相手では今一つの戦果と言わざるを得ない。

 太刀を上段に構え、長く伸びた首を叩き斬ろうとするアクトに迎撃の爪が伸ばされる。しかし、鉄の鎧すら両断する刃の前に、爪は容易く斬り落とされる。振り下ろされた太刀が返され、次こそ首を取らんと刃を輝かせる。


 次、そう、次だ。

 アクトが攻め、ジャバウォックは傷付いている。それは紛れもない事実である。ただし、二撃目で致命傷を与える筈だったのが、三撃目に遅らされたのも事実。如何に素早く踏み込もうと、如何に鋭く太刀を振おうと、攻撃を成立させる為に時間は必要である。当事者にとっては僅か、外から見れば一瞬でしかない時間であっても、意図的に稼いだものであったなら、その価値は漠然と生まれた時間とは比べものにならない。

 ジャバウォックは僅かな隙の間に後ろ足へ力を込め、三撃目が到達する前に跳び退いた。


「逃すな、プリムラ!」


 アクトの戦いを漠然と眺めていた訳じゃない。【サーチ】で周囲に敵が潜んでいないか、接近する敵がいないか確認していた。結果はどちらも無し。ならば、孤立している敵を逃す理由は無い。

 既に【エレメンタル・セイバー】で水剣と風剣を展開して地上に出ていたプリムラは、名を呼ばれるより先に二本の剣を【ショット】で射出していた。

 魔法剣はどちらも胴体へ突き刺さったが、刃の半分程度で止まってしまう。体表を覆う粘膜に魔法耐性がある所為だ。


「バースト」


 倒せないと悟り、魔法を更に派生させる。刺さったのが半分で、魔法耐性があるとはいえ、体内で起きた水と風の爆発を防ぐ事は不可能だ。


「ゲェエェェェェッ!」


 胴体から夥しい量の血を炸裂させ、瞳の無い顔で天を仰いで断末魔を上げる。

 致命傷だとは思うが、油断してやるつもりはない。どうやらアクトも同じ考えだったらしく、胴体の大部分を失って倒れるジャバウォックへ昂然と駆け、容赦無く断頭した。

 跳ねた頭部が地面を転がり、身体の痙攣が止まったのを確認し、一息……などと暢気にはしていられない。まだ一体目を仕留めただけだ。それに、爆発音と断末魔で他の魔獣も押し寄せて来るだろう。


「ここから離れるぞ。廃村は……向こうか」


 景色が暗転し、無音の世界が訪れる。停止した思考は数瞬か数秒続き、やがて内側から生臭い鉄の味と熱が湧き上がる。


「ぐぉっ……ごぼっ……!! うぅ……がっ、は……」


 血反吐を吐き出すのは死ぬほど不快なものだったが、地面に溜まった汚れた赤色によって、俺は世界を取り戻した。


「レイホ、生きてる!?」


 叫んだのはアクトかプリムラか。

 体に力は入らないが、血を吐き、全身が激痛によって悲鳴を上げているから取り敢えず生きてはいるのだろう。

 問い掛けに答えようと口を動かしたが、喉奥に溜まっていた血を吐き出すだけで限界だった。


「「「「ゲェッゲェッゲッゲッゲッゲェ!」」」」


 四方から不快な笑い声。その一つにアクトが斬り掛かるが、嘲るような跳躍で避けられる。その様子を見て、他の三体はわざとらしく足音を立てて包囲を狭める。【エレメンタル・セイバー】を展開したプリムラが牽制するが、牽制より先の行動に移れないと察してか、大きく裂けた口を歪めた。


「プリムラ、レイホのこと頼んだ」


 一体を深追いせず、包囲の中心に戻って来たアクトが告げる。表情は険しく、けれど声は普段通りの抑揚の無いものだ。


「頼むって?」


 突如訪れた窮地に体も思考も固まってしまい、縋る様に問い掛ける。

 現状に、緊張が最大限まで高まっているのはアクトも同じだったが、それでも頼み事は明確だった。それは彼が常に一つの目的を目指して戦って来たからだ。


「ここを突破して街の……あの医者んとこにレイホを連れてって。道はおれが拓く」


 返事は聞かなかった。聞く必要が無いから。やるべき事が決まっていて、向かうべき場所が定まったなら、どうして足踏みする必要があるのか。

 アクトは廃村——その延長線上にあるクロッス——と逆方向へ走り出し、太刀を大振りにしてジャバウォックの包囲を広げると【ディスグレイス】によって急速で方向転換し、拓くべき道へと太刀を振るった。

 プリムラは、背丈だけなら自身とそう変わらない少年が、獰猛な魔獣相手に一瞬たりとも怯まぬ姿を見て、自分の脚が小さく震えていたことに気付いた。

 脚を平手で叩いて震えを止め、足元で虫の息となっているレイホの体を担ぐと、横にした風剣に乗る。

 足掻く姿を見て享楽しているのか、ジャバウォックはプリムラの逃避を妨害することは無かった。その代わりに、四体の集中攻撃がアクトへと降り注いだ訳だが、包囲を突破したプリムラが振り返ることはなかった。


 二人乗り、しかも片方は脱力し切っていて体重移動など出来ない。非常に不安定な飛行であったが、どうにか木々の間を抜けて廃村まで辿り着く。

 開けた所に出たので、火剣を【ボード】に派生して一気に加速をかける。水剣は既に【ボード】に派生して飛行時間を伸ばしているが、とてもクロッスまで持ちそうにない。廃村の反対側の森に到着する時に再展開する必要がある。

 緊張した状態でも一つ一つ落ち着いて思考を巡らせるプリムラであったが、思考に集中し過ぎたか、それともジャバウォックの追撃無く廃村まで来れたことで気が緩んだのか、廃屋の陰に隠れていたスケルトンを見落とし、放たれた矢に肩を貫かれる。

 視界が揺れ、浮遊感の後に地面へ激突する。土と細かい砂利によって全身を擦り、訳も分からない内に停止した。


「あぅ……レイホ……レイホ!」


 手放したつもりは無かったが、レイホの体は少し離れた所に転がっていた。呻き声が漏れているならまだ息はあるが、それもいつまで持つか分からない。

 プリムラは血と土で汚れ切ったレイホの姿を見て、かつて自分が彼を殺した時の光景が脳裏に浮かび上がった。


「いや……やだ……」


 限界だった。元より精神的に余裕があった訳ではない。自分の中に宿った妖精の魂と、身勝手な行いを赦し、救ってくれたレイホと、彼の仲間に囲まれていたから平静を保っていられただけで、プリムラの精神は非常に儚いものだ。

 自分の不注意を嘆くだとか、どこかで選択を誤ったという後悔をした訳ではない。目の前でレイホが死ぬ。その事実に抗おうとする精神力ちからがプリムラには無かった。


「うっ、うぅ…………なんで……どうして」


 碧眼から零れた涙が擦りむいた頬に染み、白い肌を汚す土を濃い黒に変える。

 肩に刺さった矢はそのままで、肉を裂く痛みは強くなる一方だが、そんな事は気にならない。カタカタと軽い足音が四方八方から近付いてくるが、そんな事はどうでもいい。

 レイホが死ぬならいっそ自分も……。そんな考えが浮かび上がるが、即座に大きく首を横に振って否定する。


「お願い……何でもします。奴隷でも、実験体でも、人形にでもなります。だから……だから、レイホを……助けて」


 祈りを聞く者はいない。この世界に神は存在しない。全て人の力で創り、切り拓いて行く自由世界だ。


「ちっ」


 だからこそ、廃村に訪れたのは神や救世主とは程遠い、忌々しさを前面に押し出した舌打ちだった。


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